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薬王昇冲観は、[[唐代]](618年-907年)の創建で、中国の伝統宗教の[[道教]]のお宮(道教宮観)である。道教の最高神の[[三清]]道祖([[元始天尊]]、[[太上老君]]、[[太上道君]])と薬王[[孫思邈]]々が祭祀されている。 |
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[[元代]]の[[至正]]二十六年(1366年)[[紅巾の乱]]の火難で、道観は全焼した。 |
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| caption1 = [[玉皇大帝]](中)、真武大帝(左)、[[孫思邈]](右) |
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2020年7月15日 (水) 21:31時点における最新版
薬王昇沖観 | |
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薬王昇冲観の正門 | |
各種表記 | |
繁体字: | 藥王昇冲觀 |
簡体字: | 药王升冲观 |
拼音: | Yàowāng Shēngchōngguàn |
英文: | Yaowang Shengchong Palace |
薬王昇冲観(やくおうしょうちゅうかん)は、中華人民共和国湖南省瀏陽市にある道観(道教寺院)である[1][2]。道教の二大教派の一つである全真教竜門派の地元道場である。現存した薬王昇冲観は2001年に再建した建物で、建築面積が約3600平方メートルで、前、中、後三殿を分ける。
歴史
[編集]薬王昇冲観は、唐代(618年-907年)の創建で、中国の伝統宗教の道教のお宮(道教宮観)である。道教の最高神の三清道祖(元始天尊、太上老君、太上道君)と薬王孫思邈々が祭祀されている。
元代の至正二十六年(1366年)紅巾の乱の火難で、道観は全焼した。
明代の洪武三年(1370年)、道士の王坦然が資金を募り全面重建し。宣徳八年(1433年)、全真教竜門派に改宗する。天順五年(1491年)、大学士『昇冲観』を撰した。天啓五年(1625年)、道長の彭思偉は道観を再建した。
1958年、破四旧運動の時、神像は徹底的な破壊に遭い、道士はしかたなく還俗した。1960年、道観が瀏陽県手工芸聯社に改築する。2001年に大規模な再建によって、現在の基礎が築かれた。瀏陽市道教協会がここに設置されている。
ギャラリー
[編集]脚注
[編集]座標: 北緯28度09分04秒 東経113度38分43秒 / 北緯28.151116度 東経113.645284度
参考文献
[編集]- 『瀏陽県志』中国城市出版社、北京市、1994年。ISBN 7-5074-0588-5。