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* 『鷹の爪』([[クラウンレコード]])……[[香川伸行]]・[[吉田博之]]・[[加藤伸一]]・[[湯上谷竑志|湯上谷宏]]と合唱。 |
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=== 出演番組 === |
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2020年7月14日 (火) 20:12時点における版
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 徳島県小松島市 |
生年月日 | 1964年6月11日(60歳) |
身長 体重 |
180 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手、一塁手、投手 |
プロ入り | 1982年 ドラフト1位 |
初出場 | 1983年6月22日 |
最終出場 | 1999年10月15日(引退試合) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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畠山 準(はたやま ひとし、1964年6月11日[1] - )は、徳島県小松島市出身[1]の元プロ野球選手(外野手、内野手、投手)、野球解説者。
「やまびこ打線」擁する池田高校のエース投手・主軸打者として甲子園優勝を果たす。プロ入り後は投手としては大成できなかったものの、打者転向後の横浜時代は思い切りのいい打撃で主軸打者として活躍した。愛称は「ハッチ」(横浜時代の当人の公式応援歌の歌詞から由来)、「ハタ坊」[1](赤塚不二夫の漫画『おそ松くん』の登場人物から由来)。
経歴
高校時代まで
小松島市立和田島小学校、小松島市立坂野中学校を経て、1980年4月に徳島県立池田高等学校に入学。1982年夏に行われた第64回数全国選手権に出場。「攻めダルマ」と渾名された蔦文也監督率いる徳島県の徳島県立池田高等学校でエースを務め、また1年後輩の水野雄仁、江上光治らとともに「やまびこ打線」の主軸として優勝を果たす。同年秋のドラフト会議にて南海ホークスから1位指名を受け、投手として入団[1]。
南海→ダイエー時代
プロ入り2年目の1984年に一軍に定着し、32試合に登板し5完投、5勝を挙げ、規定投球回にも到達した。しかし、翌1985年はシーズンの大半を水疱瘡で棒に振り[1]、その後は伸び悩み満足な成績が残せなかった。そのため、投球フォームをサイドスローに変えることも試みた。投手としての武器はスライダーとフォークだった。
打者転向、大洋→横浜時代
1988年に投球フォーム改造を失敗した影響で腰を痛めたため、打者へ転向。同年8月28日の対近鉄戦で石本貴昭投手からプロ初安打を本塁打で飾り、翌1989年には外野の控えとして一軍に定着する。しかし、1990年、監督が杉浦忠から田淵幸一に代わると出場機会が減少し、同年のシーズンオフにダイエーを自由契約となる。
1991年、ダイエー時代のコーチ竹之内雅史が入団した縁で横浜大洋ホエールズの入団テストを受けて合格。1992年、一塁手の準レギュラーとして一軍に定着すると、1993年には6番打者・左翼手のレギュラーを獲得。128試合に出場し打率.281、14本塁打、72打点と活躍。オールスターゲームに初出場した[2]。この年初めて規定打席に到達したが、投手として1984年に規定投球回数に達しており、ドラフト制以降では初めて規定投球回到達・規定打席到達の両方を達成した選手となった(2019年現在、畠山の後にこの記録を達成した選手はいない。投手と打者を両立させた大谷翔平は規定打席到達の経験がない)。翌1994年も主に5番打者・中堅手として活躍。1995年からは選手会長を務め、3年連続となるオールスターにも出場した。しかし、同じ外野手の鈴木尚典、波留敏夫、佐伯貴弘ら若手の台頭もあり、この年より出場機会を徐々に減らす。1998年は右の代打として横浜の38年ぶりの優勝・日本一に貢献した。
1999年シーズンオフに戦力外通告を受け、現役を引退。
現役引退後
2000年より横浜の球団職員となる。2005年頃までは時折テレビ神奈川の野球中継で解説を務める。2006年、横浜ベイスターズ・スポーツコミュニティ副理事長に就任。2009年、業務部長補佐として湘南シーレックス担当責任者となる。2015年現在は横浜DeNAベイスターズの野球振興部に在籍している[3]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1983 | 南海 | 7 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | -- | .000 | 130 | 29.2 | 32 | 4 | 14 | 1 | 1 | 11 | 3 | 0 | 20 | 20 | 6.07 | 1.55 |
1984 | 32 | 23 | 5 | 1 | 0 | 5 | 12 | 0 | -- | .294 | 681 | 153.0 | 164 | 21 | 81 | 2 | 3 | 62 | 2 | 0 | 78 | 72 | 4.24 | 1.60 | |
1985 | 13 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | -- | .250 | 175 | 38.2 | 45 | 11 | 14 | 0 | 0 | 22 | 2 | 0 | 24 | 21 | 4.89 | 1.53 | |
1986 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 33 | 6.2 | 7 | 3 | 7 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 7 | 7 | 9.45 | 2.10 | |
通算:4年 | 55 | 31 | 6 | 1 | 0 | 6 | 18 | 0 | -- | .250 | 1019 | 228.0 | 248 | 39 | 116 | 3 | 4 | 99 | 7 | 0 | 129 | 120 | 4.74 | 1.60 |
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1983 | 南海 ダイエー |
10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
1984 | 43 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
1985 | 17 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
1986 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
1988 | 26 | 63 | 55 | 8 | 10 | 2 | 0 | 3 | 21 | 7 | 0 | 0 | 3 | 0 | 5 | 0 | 0 | 13 | 2 | .182 | .250 | .382 | .632 | |
1989 | 61 | 101 | 92 | 12 | 21 | 4 | 0 | 0 | 25 | 6 | 1 | 1 | 2 | 1 | 6 | 0 | 0 | 24 | 4 | .228 | .273 | .272 | .544 | |
1990 | 16 | 20 | 18 | 2 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 6 | 0 | .167 | .250 | .222 | .472 | |
1991 | 大洋 横浜 |
39 | 75 | 69 | 10 | 22 | 9 | 1 | 2 | 39 | 11 | 2 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 0 | 12 | 1 | .319 | .365 | .565 | .930 |
1992 | 71 | 186 | 172 | 18 | 38 | 6 | 2 | 10 | 78 | 21 | 1 | 0 | 0 | 1 | 12 | 0 | 1 | 57 | 1 | .221 | .274 | .453 | .728 | |
1993 | 128 | 493 | 452 | 41 | 127 | 27 | 2 | 14 | 200 | 72 | 0 | 3 | 4 | 2 | 32 | 3 | 3 | 102 | 21 | .281 | .331 | .442 | .774 | |
1994 | 127 | 510 | 449 | 51 | 131 | 27 | 1 | 11 | 193 | 46 | 1 | 1 | 6 | 1 | 50 | 0 | 4 | 105 | 12 | .292 | .367 | .430 | .797 | |
1995 | 100 | 237 | 209 | 20 | 46 | 12 | 0 | 7 | 79 | 29 | 0 | 0 | 2 | 1 | 24 | 1 | 1 | 55 | 2 | .220 | .302 | .378 | .680 | |
1996 | 76 | 172 | 146 | 17 | 32 | 8 | 0 | 7 | 61 | 28 | 1 | 1 | 1 | 3 | 21 | 3 | 1 | 29 | 1 | .219 | .316 | .418 | .734 | |
1997 | 67 | 126 | 110 | 7 | 22 | 6 | 1 | 1 | 33 | 11 | 1 | 1 | 1 | 4 | 11 | 0 | 0 | 24 | 4 | .200 | .264 | .300 | .564 | |
1998 | 49 | 107 | 95 | 7 | 25 | 1 | 0 | 2 | 32 | 8 | 1 | 0 | 2 | 1 | 8 | 0 | 1 | 23 | 1 | .263 | .324 | .337 | .661 | |
1999 | 28 | 26 | 25 | 4 | 6 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 5 | 0 | .240 | .269 | .240 | .509 | |
通算:16年 | 862 | 2116 | 1892 | 197 | 483 | 103 | 7 | 57 | 771 | 240 | 8 | 7 | 22 | 14 | 177 | 8 | 11 | 455 | 49 | .255 | .320 | .408 | .728 |
- 各年度の太字はリーグ最高
- 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更
- 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更
表彰
- ジュニアオールスターゲームMVP (1983年)
- 優秀JCB・MEP賞:1回 (1993年)
- JA全農Go・Go賞:1回 (強肩賞:1994年9月)
記録
- 投手記録
- 初登板:1983年6月22日、対阪急ブレーブス10回戦(阪急西宮球場)、8回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:1983年8月7日、対近鉄バファローズ21回戦(日生球場)、7回裏に仲根政裕から
- 初先発:1983年8月10日、対阪急ブレーブス16回戦(大阪スタヂアム)、7回無失点
- 初完投:1983年8月21日、対西武ライオンズ19回戦(大阪スタヂアム)、9回5失点で敗戦投手
- 初勝利・初先発勝利:1984年4月24日、対日本ハムファイターズ4回戦(後楽園球場)、8回0/3を1失点
- 初完投勝利:1984年5月12日、対阪急ブレーブス8回戦(阪急西宮球場)、9回3失点
- 初完封勝利:1984年6月27日、対阪急ブレーブス13回戦(大阪スタヂアム)
- 打撃記録
- 野手での初先発出場:1988年8月3日、対阪急ブレーブス19回戦(阪急西宮球場)、7番・左翼手として先発出場
- 初打点:1988年8月27日、対近鉄バファローズ19回戦(ナゴヤ球場)、2回表に小野和義から内野ゴロの間に記録
- 初安打・初本塁打:1988年8月28日、対近鉄バファローズ20回戦(ナゴヤ球場)、9回表に石本貴昭から左越ソロ
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:3回 (監督推薦選出:1993年、1994年 ファン投票選出:1995年)
背番号
- 11 (1983年 - 1987年)
- 15 (1988年 - 1989年)
- 44 (1990年)
- 49 (1991年 - 1992年)
- 25 (1993年 - 1999年)
関連情報
歌
出演番組
- tvkプロ野球中継 横浜DeNAベイスターズ熱烈LIVE(テレビ神奈川、解説者として出演)
- テリー伊藤のってけラジオ(ニッポン放送、2006年2月15日) - コーナー「ニッポン放送がやってきた」に出演。横浜ベイスターズ球団事務所から生中継。
出演映画
- 蔦監督―高校野球を変えた男の真実―(2016年4月9日公開、ニコニコフィルム)
脚注
- ^ a b c d e 『'86プロ野球選手写真名鑑』、日刊スポーツ出版社、1986年4月、P121。
- ^ オールスターのテレビ中継の際、畠山は実況席からそのシーズンの活躍についてインタビューされていたが、ダイエー監督時代に畠山を放出した、その試合のテレビ中継の解説を務めていた田淵幸一は複雑な心境だったのか、横で苦虫を噛みつぶしたような表情をしていた。しかしインタビューの途中から田淵と畠山の会話が始まり、「放出して後悔してるよ」と畠山に向かって発言している他、その後も活躍を評価する発言をしていたので、当人同士のわだかまりはあまりなかったと見られる。また、この発言の前に阪神の先輩で解説者として同席していた安藤統男が移籍に発奮した畠山の活躍を評価する発言をした後、田淵は「すみません、そのとき放出した監督は私だったんです」と返答している。
- ^ 本人のブログより
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 畠山準 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 畠山準のサラリーマン日記 - ウェイバックマシン(2019年11月1日アーカイブ分)
- 畠山準 (hitoshi.hatayama) - Facebook