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[[名]]は長三郎。東京[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]の魚問屋に生まれ、25歳で篆刻をはじめた。最初、[[新間静邨]]などに学ぶ。後に秦漢古銅印の研究に尽力。[[鄧石如]]・[[趙之謙]]・[[呉昌碩]]に私淑し独学でこれを学んだ。 |
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'''知丈印社'''を主催し後進の育成に尽力し、また[[白紅社]]を設立し、書跡や[[印譜]]の出版も手掛けた。門弟に[[關正人]]や初の女流篆刻家[[河野晶苑]]などが育っている。 |
'''知丈印社'''を主催し後進の育成に尽力し、また[[白紅社]]を設立し、書跡や[[印譜]]の出版も手掛けた。門弟に[[關正人]]や初の女流篆刻家[[河野晶苑]]などが育っている。 |
2020年7月12日 (日) 21:59時点における版
松丸 東魚(まつまる とうぎょ、男性、明治34年(1901年) – 昭和50年(1975年)6月9日)は、日本の篆刻家である。
名は長三郎。東京日本橋の魚問屋に生まれ、25歳で篆刻をはじめた。最初、新間静邨などに学ぶ。後に秦漢古銅印の研究に尽力。鄧石如・趙之謙・呉昌碩に私淑し独学でこれを学んだ。
知丈印社を主催し後進の育成に尽力し、また白紅社を設立し、書跡や印譜の出版も手掛けた。門弟に關正人や初の女流篆刻家河野晶苑などが育っている。
日展評議員、毎日書道展諮問委員を歴任。東方書道会特別賞を受賞している。収集した印譜などは古河市にある篆刻美術館に収蔵されている。
著作
- 『松丸東魚作品集』谷川商事刊行、昭和53年