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2020年7月11日 (土) 12:15時点における版

現代任侠史
監督 石井輝男
脚本 橋本忍
出演者 高倉健
梶芽衣子
中村英子
成田三樹夫
郷鍈治
夏八木勲
辰巳柳太郎
安藤昇
音楽 木下忠司
撮影 古谷伸
編集 宮本信太郎
製作会社 東映京都
配給 東映
公開 日本の旗1973年10月27日
上映時間 96分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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現代任侠史』(げんだいにんきょうし)は、1973年10月27日に公開された日本映画高倉健主演・石井輝男監督東映京都撮影所製作[1]、配給東映

概要

高倉健の"新任侠路線"第一弾で[2]任侠映画10周年記念映画として宣伝された[1]。高倉健・安藤昇梶芽衣子の三大スター初共演[3]

あらすじ

喧騒の70年代。任侠の世界から足を洗い、寿司屋の主人になった男が、関西から進出して来た現代的組織のヤクザ勢力に昔世話になった一家が蹂躪されるのを見て再び立ち上がる[1][2]

スタッフ

出演

製作

企画

1973年の実録路線の抬頭で、岡田茂東映社長が任侠路線を打ち切って、急速に実録路線への転換を進めようとしたため、純"任侠映画"にこだわる俊藤浩滋プロデューサーと揉め、東映のお家騒動が起きた(海軍横須賀刑務所#製作を参照)。結局表面上の手打ちがなされ、俊藤が東映映画事業部参与・事業部長補佐に就任した[4][5]。1973年3月18日に東映本社で、今後の東映の製作方針についての記者会見があり、この席で俊藤参与が「最近の任侠ものはマンネリ化して興行的にも落ち目という噂があるが、これは作り方次第であってもっと明るいものにすれば、まだまだいけると思う。そういう意味では秋には『日本任侠史』(『現代任侠史』、脚本橋本忍)を製作して、同シリーズ(任侠路線)の巻き返しを計りたい」などと話した[4][5]

1973年の東映は正月第二弾映画『仁義なき戦い』の予想外の大ヒットで、1973年に当初は全く製作予定のなかった実録映画 、『仁義なき戦い』の続編、『山口組三代目』『実録 私設銀座警察』、安藤組の続編などを、どんどんラインナップに入れ[6]、またそれらのロングランもあり、この1973年に"実録の東映"、というイメージを作り上げたが[7]、この影響で岡田が春先に話していた『実録連合赤軍』など[8]、予定した映画が延期されたり、製作中止された[4][9]。しかし本作は公開日に関しては予定通り製作された[3][4][5]

監督

監督の石井輝男は同時期に製作の始まった『海軍横須賀刑務所』で勝新太郎とコンビを組む予定だったが[1]クランクイン直前に俊藤が石井を訪ねてきて、「高倉があなたと一緒にやりたいと言っているから『現代任侠史』の方に監督を替わってくれ」と石井に言った[1]。石井は勝と仕事をするのに気が乗らなかったため[1]、渡りに船とばかりに橋本忍の脚本もろくに読まずに『現代任侠史』の監督に代わり[1]、『海軍横須賀刑務所』の監督は山下耕作になった[1][3]。『現代任侠史』は『海軍横須賀刑務所』(東映東京撮影所製作)の製作会見があった1973年9月19日の三日後、1973年9月22日に東映京都でクランクインした[3][4]

脚本

石井は橋本の脚本をろくに読まずに監督を引き受けたため、ホンをちゃんと読むと理解できない箇所があり、橋本に会って質問した[1]。まず冒頭でやくざの高倉がアメリカから帰って来るが、英語がペラペラという設定[1]。不思議だなあと思い、橋本に「何故ですか」と聞いたら橋本は「『人間革命』は舛ちゃん(舛田利雄)がぼくが300枚書いたホンをうまくまとめてくれた」などと話し、石井の質問をはぐらかし、ちゃんと質問に答えてくれなかったという[1]。石井は分からないことばかりでホンを直しながら撮った[1]

キャスティング

高倉健と安藤昇は四作品で共演済みだが、梶芽衣子は二人とは初共演[3]。梶は当たり役「女囚さそりシリーズ」でブレイク直後だったが、ハミ出した女性像を演じたさそりとは一転、短大卒のルポライター役で、女優としてさらにひと回り大きくなれるか試金石と見られた[3]。あまりの方向転換に梶は、「何だか初めて映画に出る感じ。お二人の間に入ると緊張でヒザがガクガクします」と話した[3]。安藤昇は『網走番外地 吹雪の斗争』で石井監督と揉め、帰ったことがあったが、嵐寛寿郎が「安藤はええ男ですから」と盛んに推薦するので、石井の方から「出てください」と安藤に頼み、安藤は気持ちよく出演を快諾し、以降は仲良しになったという[1]

撮影

鹿島茂は本作の撮影を見学し、「ヤクザ映画をつくっている人間のほうが、実際のヤクザ以上にヤクザっぽかった」と感想を述べている[10]

宣伝

キャッチコピー

親父さん‥‥この刀 抜かしてもらいます! 残侠高倉! 現代暴力 〈組織大改革〉の渦中にドスを抜く![11]

作品の評価

興行成績

ヒットしなかったとされ[12]滝沢一は「高倉健は『山口組三代目』は作品自体が話題性をもって大ヒットしたが、『現代任侠史』になると吸引力が落ちていることがはっきりした」と評した[12]

作品の評価

1977年の文献に「東映任侠路線は、昭和38年の『人生劇場 飛車角』をもってその始まりとされ、終焉を告げたのは『現代任侠史』である」と書かれている[13]

脚注

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 石井輝男福間健二『石井輝男映画魂』ワイズ出版、1992年、221-223、349頁頁。ISBN 4948735086 
  2. ^ a b 「内外映画封切興信録 『現代任侠史』」『映画時報』1970年2月号、映画時報社、40頁。 
  3. ^ a b c d e f g 「東映勝新太郎主演で『海軍横須賀刑務所』製作 共演には、菅原、松方らが決定/『日本任侠史』 高倉・安藤・梶が共演」『映画時報』1973年10月号、映画時報社、19頁。 
  4. ^ a b c d e 「俊藤参与、今後の方針語る秋に超大作『東条英機―』公開」『映画時報』1973年4月号、映画時報社、19頁。 
  5. ^ a b c “東映五、六月の確定番組 俊藤参与今後方針語る”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 4. (1973年4月21日) 
  6. ^ “東映三月までの決定番組実録ものに全力を注入!”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 4. (1973年2月3日) “東映三月までの決定番組実録ものに全力を注入!”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 4. (1973年2月3日) 「映画界東西南北談議 邦画陣には明るい見通し 減税にはなったが多難な映画界」『映画時報』1973年2月号、映画時報社、32頁。 日本シナリオ作家協会編「作品解説 文・鬼頭麟平」『年鑑代表シナリオ集 '73』ダヴィッド社、1974年、316頁。 「藤純子が引退して一年 鶴田浩二と高倉健も東映映画から消える? 東映王国に何が起きたのか カギ握る俊藤プロデューサー 鶴田や健さんがポルノ、劇画路線に追われるなんて!」『週刊明星』1973年3月11日号、集英社、193 - 195頁。 「《話題の裏窓》 "お家騒動"が一見落着した東映 岡田社長と俊藤氏の和解は果たして本物か」『実業界』1973年3月号、株式会社実業界、82 - 83頁。 
  7. ^ 黒井和男「一九七三年度日本映画/外国映画業界総決算 日本映画製作」『キネマ旬報』1974年2月上旬号、キネマ旬報社、96-98頁。 
  8. ^ 「映画界東西南北談議 粒揃いの各社の企画ラインアップ」『映画時報』1973年3月号、映画時報社、34頁。 
  9. ^ 「映画界東西南北談議 粒揃いの各社の企画ラインアップ」『映画時報』1973年3月号、映画時報社、34頁。 “東映三月までの決定番組実録ものに全力を注入!”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 4. (1973年2月3日) 日本シナリオ作家協会編「作品解説 文・鬼頭麟平」『年鑑代表シナリオ集 '73』ダヴィッド社、1974年、316頁。 「映画界東西南北談議 邦画陣には明るい見通し 減税にはなったが多難な映画界」『映画時報』1973年2月号、映画時報社、32頁。 “東映の九月一週番組決る 実録もの企画連続登場”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 7. (1973年7月21日) 黒井和男「一九七三年度日本映画/外国映画業界総決算 日本映画製作」『キネマ旬報』1974年2月上旬号、キネマ旬報社、96-98頁。 
  10. ^ 鹿島茂福田和也松原隆一郎『読んだ、飲んだ、論じた 鼎談書評二十三夜』飛鳥新社、2005年、209-209頁。ISBN 9784870316850 
  11. ^ 「ジャック110番 『現代任侠史』」『月刊ビデオ&ミュージック』1973年11月号、東京映音、42-43頁。 
  12. ^ a b 滝沢一「日本映画四社首脳に直言する― 企画・製作面から見た四社の現状と問題点―」『月刊ビデオ&ミュージック』1974年11月号、東京映音、18-19頁。 
  13. ^ 「シリーズ人間の内幕(31) ゼニと人情はかりにかけりゃ…鶴田浩二『只今、帰って参りました』」『週刊サンケイ』1977年1月6日、13日号、産業経済新聞社、52頁。 

外部リンク