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'''中内 正'''(なかうち ただし、[[1959年]][[8月4日]] - )は、[[日本]]の[[実業家]]。[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]オーナー代行、オーナー、[[読売ジャイアンツ]]のオーナー顧問を歴任した。財団法人中内育英会第2代理事長。
'''中内 正'''(なかうち ただし、[[1959年]][[8月4日]] - )は、[[日本]]の[[実業家]]。[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]オーナー代行、オーナー、[[読売ジャイアンツ]]のオーナー顧問を歴任した。財団法人中内育英会第2代理事長。


[[ダイエー]]創業者・[[中内功|中内㓛]]の次男で、実兄はダイエー元副社長の[[中内潤]]。妻は[[正仁親王妃華子|常陸宮華子妃]]の姪。
[[ダイエー]]創業者・[[中内㓛]]の次男で、実兄はダイエー元副社長の[[中内潤]]。妻は[[正仁親王妃華子|常陸宮華子妃]]の姪。


[[兵庫県立芦屋高等学校|芦屋高校]]、[[青山学院大学]]経済学部卒業。[[南カリフォルニア大学]]経営大学院修士課程修了([[経営学修士|MBA]])。
[[兵庫県立芦屋高等学校|芦屋高校]]、[[青山学院大学]]経済学部卒業。[[南カリフォルニア大学]]経営大学院修士課程修了([[経営学修士|MBA]])。

2020年7月11日 (土) 10:10時点における版

中内 正(なかうち ただし、1959年8月4日 - )は、日本実業家福岡ダイエーホークスオーナー代行、オーナー、読売ジャイアンツのオーナー顧問を歴任した。財団法人中内育英会第2代理事長。

ダイエー創業者・中内㓛の次男で、実兄はダイエー元副社長の中内潤。妻は常陸宮華子妃の姪。

芦屋高校青山学院大学経済学部卒業。南カリフォルニア大学経営大学院修士課程修了(MBA)。

人物

高校時代の同級生に、後のホークス投手コーチとなる矢野実がいる。

ホークスオーナー代行時代の1992年8月、上田利治に監督要請し組閣の準備に入っていたが、父である功が同時期に西武の管理部長・根本陸夫の招聘に動き、「球団作りは専門家に任せなさい。お前はその専門家を使う人間にならなきゃいけない」と、当時監督の田淵幸一は解任され、後任に根本が監督に就任した[1]

2003年11月、読売ジャイアンツへ小久保を無償トレードした際に開かれた記者会見の席で涙した事が話題になった。

ダイエーの経営危機によるソフトバンクへの球団売却後も、引き続き球団に籍を残し名誉顧問職に就任したが、2006年1月26日に保有していたソフトバンクホークス株式2%を球団に譲渡し、同日付でソフトバンクホークス非常勤名誉顧問から退任した。

2006年2月1日付で読売ジャイアンツオーナー顧問に就任[2]。2009年1月まで務めた[3]

2005年11月、父・中内㓛の後を継いで財団法人中内育英会の第2代理事長に就任。2011年3月まで務めた。

脚注

  1. ^ 【田淵幸一物語・第4部(16)】「解任」か「辞任」か 4年目の舞台は用意されず
  2. ^ 「前ソフトバンクの中内氏が巨人オーナー顧問に/プロ野球」、読売新聞 東京朝刊、2006年2月1日、21頁。
  3. ^ スポーツニッポン2010年6月4日。

外部リンク