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* 関邸庭園(1975年~1976年、茨城県下館市) |
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== 経歴 == |
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2020年7月6日 (月) 21:59時点における版
田中 泰阿弥(たなか たいあみ、1898年 - 1978年)は、日本の作庭家、庭師。新潟県柏崎市出身。孤高の「庭匠」とよばれた。本名・田中泰治。
1929年、京都慈照寺(銀閣寺)「洗月泉」滝の石組を発見、新聞報道される。この発掘以来、慈照寺出入りの庭師となる。1931年には「相君泉」の石組、紅葉御殿及び西指庵に通ずる路の他、足利義政の築造とされるお茶井戸石組や約50坪の茶席跡と庭園を龍居松之助らと発掘。こうした慈照寺における一連の発掘修復活動によって、その名を知られるようになっていく。
茶道を長安院の住職・多田宗夢に師事。日本庭園協会新潟県支部に田中泰阿弥研究会がある。
主な実績
- 慈照寺(銀閣寺)茶席の露地作庭(1924年)
- 森田邸庭園作庭(1924年~、京都)
- 料亭「柳好亭」の作庭(1926年)
- 貞観園修復(1932年~1933年、柏崎市高柳町)
- 慈照寺(銀閣寺)鎮守石組み(1936年)
- 尾崎邸庭園修復(1938年、鳥取県湯梨浜町宇野、国指定名勝)
- 岡本家粟田口別邸庭園作庭(1938年、京都市)
- 等持院庭園復元完成(1938年、京都市)
- 天龍寺庭園修復(1938年~、京都市)
- 清水園(1940年、新潟県新発田市、庭園作庭に関わるが戦争のため工事は延期 旧新発田藩下屋敷)
- 貞観園石庭(1941年、柏崎市高柳町)
- 西芳寺指東庵枯山水作庭(1941年、京都市)
- 鹿苑寺(金閣寺)新設参道拡張(1941年、京都市)
- 高台寺「傘亭」復元(1942年、京都市)
- 相国寺庭園修復(1942年、京都市)
- 金地院庭園補修計画策定(1942年、京都市)
- 智積院庭園補修計画策定(1942年、京都市)
- 蕉秀隣寺庭園補修(1942年、滋賀)
- 般舟院(1942年、京都)
- 三井邸茶庭露地設計図作成(1943年、東京)
- 智積院庭園補修(1943年、京都市)
- 福田寺[要曖昧さ回避]庭園補修(1943年、滋賀)
- 玉林院露地(1943年、京都市)
- 安田邸庭園(1944年、東京)
- 仙石邸庭園(1944年、東京)
- 尾崎邸震災の為の復旧工事(1944年、鳥取県湯梨浜町宇野)
- 渡辺邸庭園修復(1948年~完成・指定庭園申請1951年、新潟県岩船郡関川村下関、建物は国の重要文化財)
- 渡辺邸座敷及び茶室(1952年、新潟県岩船郡関川村下関)
- 渡辺邸書斎前枯山水(1953年、新潟県岩船郡関川村下関)
- 三井邸庭園(1950年、東京)
- 田村邸庭園作庭(現存せず)(1953年、新潟県長岡市)
- 桃李境観月亭石組(1953年、静岡県熱海市)
- 瀬川昌世邸(旧古市公威邸)庭園(苔庭に改造、現(株)昌平不動産総合研究所本郷瀬川邸、1953年、東京都文京区、建物は登録有形文化財)
- 福寿院庭園(1953年、大沢山)
- 竹葉亭庭園(1953年、東京都中央区銀座)
- 清水園庭園作庭を再開(1953年~茶室工事1956年、全体完成1957年、その後も手を加え続けている、新潟県新発田市)
- 石泉荘芭蕉苑の句碑(1954年、新潟県新発田市諏訪町)
- 伊藤邸(現(財)北方文化博物館)庭園(1954年~1958年、新潟市江南区沢海)
- 尚半亭書院前庭(現鎌倉女子大学山之内学舎、1954年、北鎌倉)
- 料亭「大和」庭園作庭(1955年頃、正確な年代不詳)
- 大谷邸庭園(1959年、新潟県)
- 桃李境庭園(1959年、静岡県熱海市)
- 瀬川邸茶室「苔庵」(1959年、東京都文京区)
- 堀越邸庭園(1960年、東京都)
- 長谷川邸茶室及び庭園作庭(現存せず)(1960年)
- 服部邸庭園(1961年、東京都)
- 内田邸茶室及び庭園(1961年~1962年、新潟県三条市)
- 瑞泉寺茶室「南方庵」及び客殿移築(1961年、鎌倉市)
- 興産相互銀行(現・北日本銀行)中庭(1961年、盛岡市)
- 金升酒造庭園作庭(一部分)(1962年、新潟県新発田市)
- 別宮邸庭園(1962年、東京都)
- 長谷の大仏廻り整備、及び高徳院庭園(1963年~1964年、鎌倉市)
- 万満寺茶室(1963年)
- 東慶寺内石井家墓所整備(1963年、鎌倉市)
- 相国寺茶室設計(1963年、京都)
- 坂上邸露地(1964年、東京都)
- 松本邸茶室(1964年、東京都)
- 佐藤邸茶室及び庭園(1964年~1965年、新潟県出雲崎町)
- 鈴木邸(現翠渓荘)庭園(1965年~1966年、湯河原市)
- 坂上邸石庭(1965年、東京都)
- 北沢邸庭園作庭(現存せず)(1965年、東京都)
- 猪股庭園(1966年、東京都)
- 植木邸庭園(豊耀園と命名。1966年~1967年、新潟県柏崎市与板。兄の作庭庭園を改造)
- 中崎邸庭園一部改庭(1968年、千葉県市川市)
- 高澤邸(菊水酒造)庭園(1968年~1969年、新潟県新発田市)
- 大谷邸玄関前枯山水(1969年、新潟)
- 笠原邸(本家)庭園(1969年、新潟県柏崎市)
- 鹿苑寺(金閣寺)夕佳亭裏道拡張工事(1970年)
- 瑞泉寺「鶴亀の庭」(1970年、鎌倉市)
- 致道博物館庭園修復(1971年、山形県鶴岡市)
- 助川邸茶室及び露地(1971年、山形県鶴岡市)
- 中野邸茶室工事(1971年、庭園作庭は1972年、新潟市)
- 斉藤邸茶室及び庭園(1972年、山形県鶴岡市)
- 中川邸庭園作庭(1972年、新潟県新発田市)
- 山本邸庭園作庭(1973年、滋賀県草津市)
- 鹿苑寺(金閣寺)土塀新設工事(1973年)
- 清水園書院前雨落ち及び同仁斎に至る飛び石(1974年、新潟県新発田市)
- 岡仙古汲堂庭園(1975年、新潟県新発田市)
- 関邸庭園(1975年~1976年、茨城県下館市)
- 茶道宗徧流道場庭園(1976年、鎌倉市)
経歴
- 笠原家に生まれる。笠原家は農家であるが、「松屋」相沢熊蔵の弟子であった兄の下で10代で庭園作庭の手伝いを皮切りに、庭仕事を開始。1914年には上京し、1916年まで植木屋で修行。その後帰郷し、兄の手伝いをする。
- 1918年、徴兵で地元新潟の高田連隊に入隊。除隊後、京都岡崎の庭師中村満次郎のもとで修業。
- 1925年、田中家の養子になり、田中泰治となる。
- 1926年、庭師として独立。慈照寺(銀閣寺)の発掘など手がけていたが、1935年からは渡りの職人として、各地の親方の下での業を転々とする。最後は小川治兵衛の「植治」に在籍。
- 1938年から、鹿苑寺(金閣寺)出入りの庭師となる。
- 1945年~1949年、東京植木株式会社に在籍。
- 1951年、泰阿弥を名乗るようになる(文化財専門保護委員のすすめによる)。
参考文献
- 目録「田中泰阿弥 生誕百年記念展」(北方文化博物館、1999年)
- 目録「孤高の庭匠 田中泰阿弥展」(新津美術館、2005年)」
- 三鍋 光夫『田中泰阿弥と慈照寺庭園(2)泰阿弥と洗月和尚について』(「同仁」 2(9), 22-25, 2014年3月号)
- 三鍋 光夫『田中泰阿弥と慈照寺庭園(1)昭和の庭匠 : 田中泰阿弥』( 「同仁」 2(8), 20-23, 2013年9月号)
- 展覧会カタログ『孤高の庭匠田中泰阿弥展』(田中泰阿弥研究会, 2013年6月、新潟県民会館三階ギャラリー)
- 『庭』2002年1月号 143-遠藤太一の作庭美/新潟が育む2人に見る潤いを生む庭、建築資料研究社刊
外部リンク
- 清水園を手掛けた名庭師、田中泰阿弥とは - 清水園