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[[Category:ボカ・ジュニアーズの選手]]
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[[Category:栃木SCの選手]]
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2020年6月29日 (月) 13:48時点における版

亘 崇詞
名前
愛称 ワタ
カタカナ ワタリ タカシ
ラテン文字 WATARI Takashi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1972-03-08) 1972年3月8日(52歳)
出身地 岡山県津山市[1]
身長 166cm
体重 64kg
選手情報
ポジション MF
ユース
1987-1989 津山工業高校
1989 ボカ・ジュニアーズ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1991 三菱石油水島
1992-1994 ボカ・ジュニアーズ 0 (0)
1993 ドック・スッド英語版 (loan)
2003-2005 栃木SC 0 (0)
2007 スポルティング・クリスタル
2008-2009 アルテ高崎 5 (0)
監督歴
2011 東京ヴェルディジュニアユース
2015 広州女足
2017- 岡山湯郷Belle
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

亘 崇詞(わたり たかし、1972年3月8日 - )は、岡山県津山市出身の元サッカー選手、サッカー・フットサル指導者、サッカー解説者。

来歴

ディエゴ・マラドーナに憧れ、岡山県立津山工業高等学校在学時、夏季休暇を利用してボカ・ジュニアーズに留学。ラ・ボンボネーラに詰めかけたサポーターの熱狂に、アルゼンチンサッカーのすばらしさを知る。 卒業後、社会人の三菱石油水島(現JXエネルギー水島)に社員選手として所属。1990年、1991年には国体岡山県代表選手(青年の部)に選ばれた。

1991年退社し、単身アルゼンチンに渡る。 1992年ボカ・ジュニアーズとプロ契約を果たす。 1993年にドック・スッド英語版アルゼンチンBリーグ)にレンタル移籍。1994年にボカに戻るがトップチームの公式戦には出場できなかった。その後、米国フロリダに渡り、COPALATINAに出場している。

アルゼンチンでの留学・プレー経験があるため、スペイン語が話せる。また、南米を中心としてさまざまな国の選手とのネットワークがある。

2001年、高原直泰がボカ・ジュニアーズ入りした際には通訳を務める。また、ボカがトヨタカップ(2000年、2001年、2003年)やFIFAクラブワールドカップ(2007年)などで来日した際にはチームの通訳として同行している。元ボカの選手であったこともあり、通訳として帯同しているにもかかわらず選手と一緒に練習に参加することもあった。

その後、栃木SCに選手として所属しつつ、東京ヴェルディのスクールコーチや、日テレG+J SPORTSの南米サッカー解説を務めていた。また、クラブワールドカップで日本テレビが北中米・南米代表を取材する際の通訳を務めることもあった。

2005年、Foot!(J SPORTS)にて欧州で活躍するアルゼンチン出身選手を訪ね始める。スペインバレンシアビジャレアルサラゴサでのパブロ・アイマールフアン・ロマン・リケルメディエゴ・ミリートへのインタビューは選手の素顔が探れると好評なコーナーとなった。

2006年1月、ペルースポルティング・クリスタルの50周年記念トーナメントに出場するつもりでペルーに渡ったところ、監督に気に入られて正式契約。コパ・リベルタドーレスではFWで登録されていたが出場機会はなく、チームは予選リーグで敗退している。同年7月に契約を打ち切り帰国している。

2006年5月4日、エスタディオ・ナシオナルで行われた記念試合に出場。アルゼンチンから参加したディエゴ・マラドーナと同じチームでプレーした。1990年以降、マラドーナ選手とプレーした日本人は記録されておらず、現在、マラドーナと一緒にプレーをした最後の日本人となっている。

ちなみに亘のアイドルはケビン・キーガンであると、2006年11月3日のFoot!生放送で自身が告白した。

2008年、選手としてアルテ高崎に入団した。2009年4月3日、アルテ高崎を退団する事が発表された。

2010年、東京Vのジュニアコーチに就任し、さわやか杯東京都少年サッカー大会などで優勝。フットサルでも2011年バーモントカップ第20回全日本少年フットサル大会で優勝。

2011年より東京Vジュニアユース監督に昇格。2012年は日テレ・ベレーザコーチに就任。

2012年3月11日、元栃木SCの選手で栃木SCドリームアンバサダーを務める佐藤悠介が主催した「3.11悠介ドリームズメモリアルゲーム」に参加し、「栃木SC OB」チームで久々に栃木のユニフォームを着用して出場した[2]

2013年、ASエルフェン狭山FC(現ASエルフェン埼玉)のコーチに就任。

2015年、広州女足の監督に就任。

2016年12月1日付で岡山湯郷Belleの監督兼ゼネラルマネージャーに就任した[1]

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1990 三菱石油水島 中国 - -
1991 岡山県1部 - -
アルゼンチン リーグ戦 リーグ杯アルヘンティーナ杯 期間通算
1992 ボカ 0 0
1993 ドック・スッド英語版
1994 ボカ 0 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
津山鶴山ク - -
2003 栃木SC 30 JFL 0 0 -
2004 0 0 -
2005 0 0 - - 0 0
ペルー リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2007 クリスタル
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2008 A高崎 14 JFL 5 0 - - 5 0
2009 13 0 0 - - 0 0
通算 アルゼンチン
ペルー
日本 JFL 5 0 -
日本 中国 - -
日本 岡山県1部 - -
総通算

指導歴

監督成績

年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 なでしこ杯 皇后杯
2017 なでしこ2部 湯郷ベル 8位 18 19 5 4 9 GL敗退 2回戦敗退

主な出演番組

著書

脚注

  1. ^ a b "監督兼ゼネラルマネージャー就任のお知らせ" (Press release). 岡山湯郷Belle. 2016-12-1. 2016-12-21閲覧 {{cite press release2}}: |date=の日付が不正です。 (説明)
  2. ^ 「3.11悠介ドリームズメモリアルゲーム」栃木SC OB(JFL)メンバーのお知らせ”. 栃木SC公式サイト (2012年3月7日). 2012年3月16日閲覧。

関連項目

外部リンク