「カルロス・デ・ボルボン=ドス・シシリアス」の版間の差分
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2020年6月27日 (土) 02:54時点における版
カルロス・マリア Carlos María | |
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ボルボーネ=シチリア家 | |
全名 |
一覧参照
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称号 |
カラブリア公 カゼルタ伯 |
身位 | インファンテ |
出生 |
1938年1月16日 スイス、ヴォー州ローザンヌ |
死去 |
2015年10月5日(77歳没) スペイン、カスティーリャ=ラ・マンチャ州シウダ・レアル県レトゥエルタ・デル・ブジャケ |
埋葬 |
2015年10月8日 スペイン、マドリード州サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル、エル・エスコリアル修道院墓所 |
配偶者 | アナ・デ・オルレアンス・イ・オルレアンス=ブラガンサ |
子女 |
一覧参照
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父親 | アルフォンソ・マリア |
母親 | アリシア |
宗教 | キリスト教カトリック教会 |
カルロス・マリア・デ・ボルボン=ドス・シシリアス・イ・ボルボン=パルマ(スペイン語: Carlos María de Borbón-Dos Sicilias y Borbón-Parma, 1938年1月16日 - 2015年10月5日)は、スペイン王子(Infante de España)、カラブリア系ボルボーネ=シチリア家の家長。カラブリア公およびカゼルタ伯。イタリア語名はカルロ・マリア・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ(Carlo Maria di Borbone-Due Sicilie)。両シチリア王家家長の座を3代のカストロ公(ラニエーリ、フェルディナンド、カルロ)と争っていた。
生涯
スペイン王子およびカラブリア公アルフォンソとその妃アリシア(ボルボーネ=パルマ家家長エリアの四女)の長男として、ローザンヌで生まれた。1歳の時に一家はスペインへ移住した。
1948年、バルセロナ伯フアン(カルロスの叔母マリア・デ・ラス・メルセデスの夫)によって選ばれ、フランシスコ・フランコの後継者として教育されることになったフアン・カルロス王子に同行し、育てられた。カルロス・マリアはフアン・カルロスの母方の従弟にあたり(2人は誕生日が10日ほどしか違わない)、また共にアルフォンソ12世の曾孫でもある。
1965年、オルレアン家家長パリ伯アンリ(マリア・デ・ラス・メルセデスの従兄にあたる)の三女アンヌ(アナ)と結婚し、1男4女を儲けた。
- クリスティーナ(1966年 - ) 1994年にペドロ・ロペス=ケサーダ・イ・フェルナンデス=ウルティアと結婚
- マリア(1967年 - ) 1996年にオーストリア大公ジメオン(ルドルフ大公の次男)と結婚
- ペドロ(1968年 - ) カラブリア公、2001年にソフィア・ランダルーセ・イ・メルガレホと結婚
- イネス(1971年 - ) 2001年にナポリ貴族のライアーノ侯爵ミケーレ・カレッリ・パロンビと結婚
- ビクトリア(1976年 - ) 2003年にギリシャ人海運業者マルコス・ノミコスと結婚
1994年、スペイン国王フアン・カルロス1世によってスペイン王子の称号を授けられた。ただし、1978年憲法が定める王位継承権者の範囲には含まれていない。
シウダー・レアルとトレドに不動産を所有し、レプソルやテレフォニカといった大会社の株主でもあった。また、サンティアゴ騎士団、カラトラバ騎士団、アルカンタラ騎士団、モンテザ騎士団(全て現在はスペイン王家に属する団体)の王室委員長を務めていた。
外部リンク
- The Royal House of Bourbon-Two Sicilies - カラブリア系両シチリア王家の公式サイト。
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