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File:Squatting Pan Changi Airport.JPG|[[シンガポール]][[チャンギ国際空港]]のしゃがみこみ式トイレの個室。東南アジアやイスラーム文化圏では、紙を使わず水で洗う後処理の方法が用いられるため、シャワーが備え付けられている。 |
File:Squatting Pan Changi Airport.JPG|[[シンガポール]][[チャンギ国際空港]]のしゃがみこみ式トイレの個室。東南アジアやイスラーム文化圏では、紙を使わず水で洗う後処理の方法が用いられるため、シャワーが備え付けられている。 |
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File:Changi Airport Accessible Toiet.JPG|シンガポールチャンギ国際空港の車いす対応トイレ。ドアが日本、韓国、台湾で主流のスライド式ではなく、開き戸である。 |
File:Changi Airport Accessible Toiet.JPG|シンガポールチャンギ国際空港の車いす対応トイレ。ドアが日本、韓国、台湾で主流のスライド式ではなく、開き戸である。 |
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File:Chinese Accessible Toilet.JPG|[[中国]]・[[深 |
File:Chinese Accessible Toilet.JPG|[[中国]]・[[深圳北駅]]の車いす対応トイレの内部。床の掃除がしやすいように、壁に固定された便器が採用されている。トイレットペーパーは便器に流さず、備え付けのゴミ箱に捨てる。 |
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File:Honqiao Station Restroom.JPG|[[中国]]・[[上海虹橋駅]]の金隠し付きしゃがみこみ式トイレ。日本とは向きが逆である。 |
File:Honqiao Station Restroom.JPG|[[中国]]・[[上海虹橋駅]]の金隠し付きしゃがみこみ式トイレ。日本とは向きが逆である。 |
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File:China Slot Toilet.JPG|上海の七浦の市場のトイレ。便器ではなく溝である。水は一定時間毎に自動で流れる。 |
File:China Slot Toilet.JPG|上海の七浦の市場のトイレ。便器ではなく溝である。水は一定時間毎に自動で流れる。 |
2020年6月20日 (土) 11:08時点における版
公衆便所(こうしゅうべんじょ)または公衆トイレとは、使用者を特定せずに広く一般に開放されている共用便所(トイレ)である。
歴史
公衆トイレの起源はローマ帝国とされており、紀元前315年には144か所に無料の公衆トイレが設置されていたとする資料もある[1]。古代ローマでは下水道も整備されていたため、市街中心部では水洗式の公衆トイレが整備されていたが、郊外の公衆トイレは未整備なままであった[1]。古代ローマの公衆トイレは当初無料であったが、財政立て直しのためにウェスパシアヌスの時代に有料化された(世界初の公衆トイレへの課税とされている)[1][2]。ウェスパシアヌスの設置した公衆便所は用を足す利用者から料金を徴収するものではなく、当時は羊毛の油分を洗い流す目的で人間の尿が使われていたため、公衆便所で集めた尿を羊毛加工業者に対して有料販売することで課税した[1]。ウェスパシアヌスは敵対者の嘲笑を買ったが、それに対する反論、Pecunia non olet(「金は臭わない」)は有名な文句である。イタリアでは公衆便所のことを「ウェスパシアーノ」と呼ぶのもこの故事に由来する[1]。
欧米の公衆トイレ
欧米の公衆トイレは基本的に有料制であり、入り口に設置された受皿、トイレ番、ドアのコイン投入口などでチップを支払う必要がある[3]。
イギリス
ロンドンには鉄道駅や公園などには基本的に無料の公衆トイレがあるほか、管理された有料の公衆トイレもある[4]。
フランス
鉄道駅等のトイレは基本的に無料であるが、硬貨を投入するとドアが開く有料トイレや入口にチップの受皿が設置されている有料トイレもある[5]。また、パリにはユニット式の無料トイレが各所に設置されている[5]。
日本の公衆トイレ
日本では、主に地方公共団体が、街頭や公園など不特定多数が利用する場所に設置・管理する場合が多いが、国の外郭団体が設置する国立公園内の公衆便所や、商店会など民間が設置管理するものもある。特に通常の公園に設置されたものは、担当の清掃員が頻繁に立ち回ることが困難であるためか、あまり衛生的ではなく、建物もきれいとは言い難いことも多いが、高速道路のサービスエリア・パーキングエリアや道の駅の休憩施設、北海道のパーキングシェルター、鉄道駅[注 1]、観光地や空港の便所など、よく管理された便所は衛生的であり、建物の外観などに工夫を凝らしたものもある。
設備
多くの公衆便所に備わっているのは便器を備えた個室、手洗い・化粧直しのための洗面台で、男子便所の場合は、これに加え、利用効率向上のために並列された小便器が設置してある。
個室に備えられた便器は、和式・洋式の両方があり得る。かつては和式のみを備えた便所が一般的であったものの、一般家庭での洋式の普及により、近年では洋式便所も備えることもあるが、すべて洋式便器というケースはほとんどなく、おおむね和式が主流となっている(ただし、身体障害者や高齢者の来訪が想定される病院、役所などの公共施設では和式・洋式が併設されることもある)。
一般に、その楽な姿勢から洋式便所が好まれるものの、公衆便所においては、洋式便所は「不特定多数の人間の肌が直接触れることから不衛生」「座りっぱなしで居られるので長時間占有される」という理由で嫌う人もいる。このため、近年では使い捨て便座シートや消毒液などが設置されている場合がある。
かつては非水洗が主流であったものの、現在は多くが水洗式である。しかし、山地・海岸などでは、今でも汲み取り式便所が用いられている。水洗においても簡易水洗などがあり、山や観光地などにおいて排水を直接処理することが困難な地域でよく用いられている。
公衆便所で水洗便所の場合、大便器の洗浄にはハイタンク式の、シスタンバルブ式(ハイタンクの下部に低圧型フラッシュバルブ同様のバルブを設けた物)洗浄が多く採用されていたが、タンクが満水になるまで次の洗浄が出来ず、連続で洗浄出来ない欠点や露出した長い給水管が錆びたり汚損が多いことなどで不潔感もあり、最近は採用例が減り、壁内や離れた場所にフラッシュバルブを設置し、センサーで人体を感知して使用後に自動で起動する自動フラッシュバルブや手かざしセンサーや薄型のタッチスイッチで電磁弁を作動させ起動する電装式のフラッシュバルブが主体になってきており衛生的になっている。
また公衆便所の大便器としては陶器製の便器では悪戯で破損される恐れがあることから。黒色プラスチック製のたらいに足場を設けたような風貌で、便器全体を洗浄するという便器があった。この便器は中東からアフリカにかけてのイスラーム文化圏等に多く見られる様式の便器をモチーフにした製品で、金隠しがなく、しゃがみこむ際に足を乗せる部分も一体になっている。かつては国鉄の主要駅や全国の公衆便所で採用されたが、いずれも金隠しがない、ボウル面が狭い、しゃがみこんだ時の足幅が狭いなど、和式ほど洗練されていなかったこと、日本型の水洗便所に適さなかったなど、文化的に受け入れられなかったかったことから現存数は少ない。
和式トイレにおいては盲人などの視覚障害者に排便位置を示すために床面に点字ブロックが張られている場合もある。
公衆便所の小便器の場合、古い施設では混雑時に複数人同時に並んで用が足せるように、、個別に便器が無く、タイルやコンクリートの壁、あるいはFRP製の壁のような便器があり、その場合人の立つ場所が一段高くなって、向かい側の溝に流す形で、水洗式の場合でも、その壁に水を流す管が付いているだけのトイレが多用されていた。しかしこのタイプは水洗式であっても、尿石からの悪臭や蛆などの衛生害虫が発生しやすい等、利用者から臭くて不潔な印象としてかなり不評であり、最近は個別に小便器を設置したトイレに改修された場所も多く、急速に減少している。
以前の公衆便所のトイレでの小便器の洗浄装置はハイタンク式による連立一斉洗浄方式があり、設定されたタイマーにより、電磁バルブでサイホン作用を起こしハイタンク内に貯水された水を、排水して複数の小便器を洗浄する。この方式は利用者が全く居ない時でも洗浄水が流れたり、逆に利用者が集中している時でもタイマーの設定時間が来るまで洗浄水が流れないので悪臭の原因になるなどのデメリットが多い。
またハイタンク式による連立一斉洗浄方式でも自動サイホン式があり、絶えずタンクに少量の水が給水され、タンクの水が満水に達する頃に自動でサイホン作用が働いて排水して連立した複数の小便器に給水する。利用者が居ない時でも、この動作が繰り返されるので、大量に無駄な水を消費してしまう他、タイマー式同様、利用者が集中している時でもタンクの水が満水に達しないと洗浄水が流れないので悪臭の原因になるなどのデメリットが多い。
これを改良したのが人感センサ式自動サイホンでトイレの入口付近に設置された人感センサにより検知した利用者をカウントし、設定された利用者まで検知するとハイタンクに給水が始まり、タンクの水が満水に達する頃にサイホン作用が働いて自動で排水して小便器に給水する。
これらのハイタンク式による連立一斉洗浄方式は、人感センサ式フラッシュバルブが普及するまで公衆便所で多く採用されていたが、最近ではトイレの改修などにより徐々に採用が減ってきている。
近年に新設、改修されたトイレではセンサーで人体を感知して自動で洗浄する便器がほとんどであり、公衆トイレにおいても大便器、小便器共にトイレの空間の向上が図られている他、便器や便器の洗浄管に薬剤供給装置(サニタイザー)が取り付けられ便器の洗浄水が流れる度に流水終了間際に一定量の薬剤が便器に供給され、便器の消毒と悪臭の根源となる尿石の付着を防止する衛生的なトイレが増えている他、トイレ内の悪臭の防止と芳香を兼ねたトイレ内芳香装置(エアーフレッシュナー)が設置される等快適なトイレが増えている。
また、駅や観光地では、個室内に幼児を座らせておく椅子や、ベッドを備え付けたりおむつを替えるためのベビースペースを設けている所も多い。
寒冷地や冬場に利用が少ないトイレの一部は晩秋~早春まで閉鎖される場合があり、閉鎖中のトイレの便器に溜まった水は凍結による 破損の恐れがある便器のトラップ(排水路の封水)の水を抜いて不凍液が入れられる。不凍液の主成分は主成分はエチレングリコールなどであり、エチレングリコールは毒性があることから、早春の利用再開時に便器のトラップに溜められた不凍液は下水に流すことは禁止されている為灯油ポンプ等で抜いて清掃され利用開始される。不凍液には一部では毒性のないグリセリンが使用される場合があるが、この場合利用再開時清掃と同時にそのまま便器から下水に流される。
利用者が多くなく、敷地面積が制約されたトイレでは和風便器を一段(20〜30cmほど)高くした床に設置し、便器後部を段違い部に張り出した形状の和風両用便器(兼用便器、段差式とも呼ばれる)が設置され男性の大小兼用、あるいは女性用と男性用を兼用としたトイレもある。
高速道路のサービスエリア・パーキングエリアの和風便器は長らく半トラップ式で便器の半トラップからU字下水溝に流し込む特殊な便器(TOTOではC183R型便器)が採用されていたが、現在は通常の市販品の掃除口付き和風便器(TOTOではC755CU)が採用されており、改修工事等で半トラップ式の和風便器は急速に減少している。
手洗いの水の出しっぱなしを防ぐため、自動水栓を備えることも増えてきている。
一部施設では、公衆便所の利用は無料なものの、個室トイレにトイレットペーパーが設置されておらず、入口で有料販売を行っているケースもある。
構造
公衆便所は、多くの場合、男女の別のために二つで区切られているか、車椅子での利用を含めて三つや四つに区切られていることもある。
それぞれの区画は、個室や、男子用小便器が備えられている。流しについては、それぞれの区画にある場合と、共用スペースにある場合とがある。
利用者が多くない公衆便所では、男女共用の箇所も存在するが、最近急速になくなりつつある。
また、清掃を迅速に行うため、特定の時間になると床一面に自動的に水が流れる仕組みのものも登場している。
外観
観光地では、観光物にちなんだトイレが設置されていることがある。
有料公衆便所
基本的に公衆の利益のために無料で開放されているのが公衆便所ではあるが、衛生面を考えると十全な管理が必要であり、そのためには経費がかかる。税金だけで管理することが困難であるため、有料化が試行されるようになった。主にチップトイレと言われるもので、使用者が一定額の料金を支払う(またはトイレットペーパーが別売)というシステムになっている。
採算が合うためには、多くの使用者が見込まれる場所であることが望ましく、従って、JR新橋駅や秋葉原駅前など、比較的大型の駅に設置されていることが多い。
日本における歴史
江戸時代
江戸時代においては、農村部で大小便(し尿)を農作物を栽培する際の肥料としても使うようになり、高価で取引されるようになった。そこで江戸、京都、大阪など人口集積地の共同住宅である長屋などでは、共同便所が作られ収集し商売するものがあらわれた。実質的に現在の公営公衆便所のような役割を果たしていた。
明治時代
- 安政6年6月2日(1859年7月1日)の横浜港開港後より外国人から立ち小便についての苦情があり、取締りや市街への便所の設置を行政府へ強く要望したという。明治4年11月[注 2]、これに応えた県から「放尿取締の布告」が出され、違反者には「即決科料銭100文」という罰金が課されることになった。同時に横浜町会所が町会所の費用で町内83か所に路傍便所を設置した。仕組みとしては四斗樽大の桶を僅かに地面を掘って埋め込み、板で囲っただけの簡単なものであった。その後、主要地区には瓶を埋め込んで男女両用とし、屋形式のものに改造、統廃合された。その結果、橋詰付近に多くが設置され、四十数カ所となった[6][7]。ただ、年々増大する人々にこの施設では耐えきれず、さらに改善する必要があった。この現状を憂い、また方法によっては利益を生み出すだろうことを考えた浅野総一郎は、県の衛生局に10年間の汲取請負を出願し、県令であった野村靖の許可を得て金銭の貸付を受け、路傍便所の改造に取り組んだ。1879年(明治12年)の初夏に63箇所が完成し、名称を公同便所に改める。糞尿は毎朝4時に起きて巡視し、溜まった箇所へ人夫を差し向けて回収。船に積み込んで横浜近郊や千葉県の農家に輸送したという[7][8][6][9][10]。
- 明治5年2月17日(1872年3月25日)の横浜毎日新聞は次の記事を報道している。
- 明治5年11月(1872年12月)、8日に東京府達をもって、13日に違式詿違条例が施行された。その中には『第49条 市中往来筋において便所にあらざる場所へ小便する者』という条例があり、これに違反した場合は鞭罪や拘留が規定されていた[11][12]。1873年(明治6年)7月19日、太政官布告により各地方にも違式詿違条例が制定され、東京府以外にも公布・施行されることになった[13]。
辻便所と肥後の医育
- 白川県(現在の熊本県)には参事山田武甫、権参事に嘉悦氏房、水島貫之あり。共に横井小楠門下の俊秀で大いに進取的文化施設をなしつつあった。熊本においては古城(ふるしろ)医学校兼病院に命じて対策をとらせた。そこにはマンスフェルトがおり、欧州先進国の例を汲みて、辻便所を設けるべく提案された。古城病院では無理であったので、水島貫之は農家に命じてくみ取り料を徴収させることを考えた。すなわち熊本市を4区にわけて監督させる。大きい所は大小用、小さい所は小専用としその数50か所。一荷を7銭ないし8銭とした。(1年1か所を3円ないし3円50銭)当時北岡病院(通町病院の後身で、医学生の教育をしていた)が作り公衆便所とした。これは相当、病院を経済的に潤したようで、北岡病院の事務員古賀信一郎は小便古賀とあだ名された。しかし、辻便所は1896年(明治29年)に127か所を725円で熊本区(現在の熊本市)に売り渡され、収入が減ったため医学教育を辞めざるを得なかった。熊本県庁文書、熊本市役所文書、田代家文書などにも残っている[14][15]。
現代
交通機関の進歩にともない、公共の便所は鉄道駅などにも設置されるようになった[16]。公共トイレの快適化のため、1985年に日本トイレ協会が設立され、日本国内の地方自治体を対象に、最も優れた公衆トイレを選ぶ年一回のコンテストを実施。上位10か所のトイレを表彰し、広報することで管理者の意識を高め公衆トイレの向上を図った[17]。
タイの公衆トイレ
バンコク市街地でも市場・公園・鉄道駅・バスターミナルなどではタイ式と呼ばれる様式のトイレになっており基本的に有料である[18]。タイでは下水処理設備が未発達であるため、設置されている水桶や手桶で流し、紙は便器内へは捨てずごみ箱に捨てるよう英語等で注意書きがされている公衆トイレが多い[18]。
ギャラリー
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公衆トイレ内の大便器ブース
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自動洗浄、薬剤供給装置(サニタイザー)が組み込まれた最新の公衆トイレの小便器
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快適なウォシュレット一体型便器が採用された最新の公衆トイレ内
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排便位置を示す点字ブロックが床に張られた和式トイレ
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幼児用簡易便座付属
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薬剤供給装置(サニタイザー)付大便器。便器に水が流れる度に洗浄流水終了間際に便器に消毒、消臭、洗浄等を目的とした必要量の薬液を自動的に供給する
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幼児用便器併設(親子トイレ)
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小さい子どもがいる利用者のためのベビーシート
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大小兼用(男女兼用)便器
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オストメイト対応トイレ
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トイレ内芳香装置(エアーフレッシュナー)
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便座クリーナーディスペンサー
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冬場のトイレ閉鎖後不凍液除去中の便器
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和式便器のフラッシュバルブ調整後の試運転
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香港ディズニーランドの正門付近のトイレの個室。金隠しのないしゃがみこみ式である。また、日本とは違い、ドアを向いてしゃがむ。
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シンガポールチャンギ国際空港の車いす対応トイレ。ドアが日本、韓国、台湾で主流のスライド式ではなく、開き戸である。
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上海の七浦の市場のトイレ。便器ではなく溝である。水は一定時間毎に自動で流れる。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e 金森誠也 『一日古代ローマ人』、PHP文庫、2012年
- ^ ブルーガイド編集部 『ブルーガイド・ポシェ イタリア』、実業之日本社、2017年、49頁
- ^ 世界英語研究会 『怖いくらい通じる! 魔法のカタカナ英語 2 海外旅行編』2015年
- ^ ブルーガイド編集部 『ブルーガイドわがまま歩き ロンドン』、実業之日本社、2016年、305頁
- ^ a b ブルーガイド編集部 『ブルーガイドわがまま歩き フランス』、実業之日本社、2017年、12頁
- ^ a b 荒井保男『日本近代医学の黎明 横浜医療事始め』2011年 中央公論新社 ISBN 978-4-12-004204-1。
- ^ a b 横浜市環境事業局『横浜の清掃事業120年のあゆみ』1980年、横浜市。
- ^ 谷直樹、遠州敦子『便所のはなし』1986年、鹿島出版会。
- ^ 浅野泰治郎、浅野良三「淺野總一郎」1923年(大正12年)6月8日初版発行。
- ^ 横浜市『横浜市史稿. 風俗編』『横浜市史稿. 産業編』1932年(昭和6年 - 昭和8年)。
- ^ 山崎正董『肥後医育史 補遺』鎮西医海時報社、1931年(昭和6年)p.118。
- ^ 「違式詿違条例」『法令全書. 明治5年』内閣官報局 明治20年 - 明治45年。
- ^ 世界大百科事典 第2版『違式詿違条例』 - コトバンク。
- ^ 山崎正董『肥後医育史』鎮西医海時報社、1929年(昭和4年)pp.294-430
- ^ 山崎正董『肥後医育史 補遺』鎮西医海時報社、1931年(昭和6年)pp.118-122
- ^ 14年で東京のトイレは変わったのか - @nifty:デイリーポータルZ 2010年
- ^ きれいな街の理由 日本の公衆トイレを快適にしたトイレ協会の試み JQR、Mar, 2013
- ^ a b ブルーガイド編集部 『ブルーガイドわがまま歩き タイ』、実業之日本社、2017年、334頁