「公開処刑」の版間の差分
Quattro1225 (会話 | 投稿記録) m編集の要約なし タグ: モバイル編集 モバイルアプリ編集 iOSアプリ編集 |
|||
30行目: | 30行目: | ||
== 中華人民共和国 == |
== 中華人民共和国 == |
||
[[中華人民共和国|中国]]は2000年代まで公開処刑を行っていた。世界最大の人口を誇る中国で全世界で執行される死刑の90%以上を行っているため、まとめて数人の被告人の公開裁判を行い、そして公開処刑するケースが多い。そのような画像は各種報道や[[インターネット]]上で公開されていた。例えば[[2005年]][[3月15日]]の「デイリーチャイナ紙」によると、[[1995年]]のクリスマスの一週間前、中国の[[ |
[[中華人民共和国|中国]]は2000年代まで公開処刑を行っていた。世界最大の人口を誇る中国で全世界で執行される死刑の90%以上を行っているため、まとめて数人の被告人の公開裁判を行い、そして公開処刑するケースが多い。そのような画像は各種報道や[[インターネット]]上で公開されていた。例えば[[2005年]][[3月15日]]の「デイリーチャイナ紙」によると、[[1995年]]のクリスマスの一週間前、中国の[[深圳市]]で13人の犯罪者が2万人の市民たちの前で公開処刑された。その1ヶ月後の[[1996年]]1月20日には、また14人が同じ場所で公開処刑され、2月13日には16人が公開処刑されたという。また、同じ頃に[[北京市|北京]]でも8人犯罪者が公開処刑されたとのことである。また、 デイリーチャイナ紙のインターネットサイトのWebサイトでは、銃殺による10人の女性の同時公開処刑の画像を掲載している。またその他の公開処刑の画像では競技場らしい場所(観客席や電光掲示板がある)でも行われているようである。これは多くの[[人権団体]]から批判された。しかし[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]を間近に控えた[[2007年]]以降公開処刑を行っていない。また銃殺から薬殺に変更されている。2012年に中国は「死刑を執行したことは公開されるべきだが、死刑の執行を公開するべきではない」<ref>[http://www.gov.cn/flfg/2012-03/17/content_2094354.htm 中華人民共和国刑事訴訟法(中国語)] 2019年12月25日</ref>という公開処刑の禁止を刑事訴訟法に書き込み、正式に公開処刑を禁じた。 |
||
== 朝鮮民主主義人民共和国 == |
== 朝鮮民主主義人民共和国 == |
2020年6月20日 (土) 09:09時点における版
この項目には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。 |
公開処刑(こうかいしょけい)とは、見せしめなどのために公開で行われる処刑である。さらし台のように、公開されることそのものが罰となる場合もある。前近代社会では、見せしめ効果を狙って、処刑が公開されるのは普通のことであった。しかし、後述の通り、古今東西娯楽に捕らえる人が多く、見せしめに効果があることが常に疑問が付きまとい、大半の国は死刑はともかく公開処刑は廃止されている。
フランス
フランスでは、ジャンヌ・ダルクの火刑や魔女狩りによる魔女の火刑など中世の死刑などは公開される娯楽として扱われた。フランス革命時、特に恐怖政治時代には、国王・貴族をはじめ政争に破れた者などへの公開処刑が、首切り役人による公開の斬首刑から変更されたギロチンにより多数行われた。
フランスでは1939年までギロチンの処刑が公開された。公開処刑は常にお祭り騒ぎで、最後の処刑では周囲の建物までが見物のため貸切られるありさまであり、このような蛮行は国民道徳によくないとして、ついに公開は停止されるに至った。
イギリス
イギリスの公開処刑は、一般庶民から国王(チャールズ1世)に対してまで行われていた歴史を持つ。庶民の娯楽となっていた点はフランスと同じで、ロンドンのタイバーンは、12世紀から18世紀にかけて絞首刑の刑場とされていた。1724年のジャック・シェパードの処刑では、当時のロンドン市の人口の3分の1にあたる20万人以上が繰り出したという。
タイバーン刑場は1783年に閉鎖されたが、ニューゲート監獄に場所を移して公開処刑は続けられ、1807年には殺到した見物客100人以上が圧死する事故も起きている。イギリスにおいて公開処刑が完全に廃止されたのは1868年であった。
イタリア
かつてのローマ時代には、コロッセオにて市民の娯楽にまで高めた形の公開処刑が行われていた。中世から近世にかけても、公開処刑はカンポ・デイ・フィオーリ広場など国内数カ所で行われている(ジョルダーノ・ブルーノなど)。アレクサンドル・デュマ・ペール著「モンテ・クリスト伯」の中には、ローマの公開処刑をモチーフにした節が登場する。
日本
日本の江戸時代以前の死刑は、身分が高い者の切腹などをのぞき、ほとんどが公開で行われた。特に戦国時代から安土桃山時代にかけてさかんに行われ、豊臣秀吉によるおいの豊臣秀次の妻子の斬首刑や、石川五右衛門の釜煎(いわゆる釜茹で)などは有名である。
それまでの死刑を引き継いだ江戸時代の刑罰では、磔(はりつけ)、火罪(火刑、火あぶり)などは公開で行われ、鋸挽き(のこぎりびき)は元々処刑に一般市民を参加させる方式である(ただし実際に挽かせることはなく、市中引き回しなどと同じく、晒しの効果を目的としていた)。また、獄門は斬首刑後の頭部を公開する刑である。
明治時代になってからは、西洋の法制度(主に大陸法)が移入され、公開処刑は廃止された。刑事訴訟法477条2項で、「検察官又は刑事施設の長の許可を受けた者でなければ、刑場に入ることはできない。」と規定されている。許可があれば刑場に立ち入れるのであるが、政府(法務省)の国会答弁などによれば、これは被執行者の希望する教誡師や宗教家などの立会いを想定した規定であり、不特定多数の第三者に立入りを認める趣旨ではない。実際に被害者の親族(遺族)が立ち会えるように要請したが拒否されている。2010年7月28日には、千葉景子法務大臣(当時)が宇都宮宝石店放火殺人事件の犯人ら二人の処刑に立ち会っている[1]。2018年(平成30年)7月6日に行われたオウム真理教事件の死刑執行では、テレビで特別番組が放送された。
第二次大戦中と戦後のヨーロッパなど
第二次大戦中のナチスが、占領先のパルチザンなどを捕らえて、絞首して木に吊るすなどして見せしめにしていたところを捉えた写真が多数残っている。ベルリン陥落時には、自国の逃亡兵が相次いだが、これらを捕らえて即決の軍事裁判で死刑とし、「妻子と祖国への義務を怠ったため、私はここに吊るされている」というプラカードを首から提げて、街灯に吊るされている光景が、いたるところで見られた。
また、ナチス敗北後、欧州全域でナチスやその協力者に対する激しい粛清が行われた。特に憎悪の対象となったのが、自国民の中から出た対独協力者で、多数の人間が群衆の面前でリンチされたり、絞首・銃殺により処刑された。現在それらの様子をとらえた少なからぬ動画が残されている。
中華人民共和国
中国は2000年代まで公開処刑を行っていた。世界最大の人口を誇る中国で全世界で執行される死刑の90%以上を行っているため、まとめて数人の被告人の公開裁判を行い、そして公開処刑するケースが多い。そのような画像は各種報道やインターネット上で公開されていた。例えば2005年3月15日の「デイリーチャイナ紙」によると、1995年のクリスマスの一週間前、中国の深圳市で13人の犯罪者が2万人の市民たちの前で公開処刑された。その1ヶ月後の1996年1月20日には、また14人が同じ場所で公開処刑され、2月13日には16人が公開処刑されたという。また、同じ頃に北京でも8人犯罪者が公開処刑されたとのことである。また、 デイリーチャイナ紙のインターネットサイトのWebサイトでは、銃殺による10人の女性の同時公開処刑の画像を掲載している。またその他の公開処刑の画像では競技場らしい場所(観客席や電光掲示板がある)でも行われているようである。これは多くの人権団体から批判された。しかし北京オリンピックを間近に控えた2007年以降公開処刑を行っていない。また銃殺から薬殺に変更されている。2012年に中国は「死刑を執行したことは公開されるべきだが、死刑の執行を公開するべきではない」[2]という公開処刑の禁止を刑事訴訟法に書き込み、正式に公開処刑を禁じた。
朝鮮民主主義人民共和国
北朝鮮も公開処刑の噂が絶えない国である。1990年代から件数が増加したと言われており、1998年に金正日の「頭に悪い物が詰まっているのだから頭を撃ち抜け」という命令が行われてからは、頭を射撃する銃殺刑が多く行われるようになったという説がある。日本では、隠し撮りされた映像が取り上げられることがある。
その他の処刑方法については絞首刑や火刑が行われているという説がある。処刑後、見学者全員に対して遺体に石をぶつけるように命令されたという亡命者の証言がある。
2002年以降は食糧難、経済難から中国へ無断渡航する者、韓国への亡命失敗者が後を絶たぬため、見せしめに街中の広場で2、3ヶ月に一度行われている。これは強制収容所の収容者が満員になっているためという説もある。 死刑になるのは『反国家犯罪』、『国家転覆陰謀罪』、『テロ罪』、『祖国反逆罪』の罪だが、独裁体制であるためその適用範囲は曖昧であり、脱北または窃盗[注 1] でも死刑になる。
2007年10月22日にAFP・時事通信が配信した情報によると、韓国の北朝鮮支援団体「良き友達」のニューズレターは、平壌北郊にある順川の屋外競技場で10月5日、公開処刑を見に来た群衆が折り重なって倒れ、6人が死亡、34人が負傷したと伝えている。それによると、処刑されたのは、父親がかつて反共産主義活動をしていたことを隠し、自らも違法な投資などをしたとされる75歳の工場経営者とされる。同競技場には約15万人が詰め掛け、死傷した人々は、処刑終了後に一斉に帰り始めた群衆に踏み付けられたという。なお、韓国の統一省や情報機関・国家情報院の当局者は同事故を確認していないとのこと。
2016年、韓国の聯合ニュースの報道によると、金正恩が政権をとってから年平均処刑人数はもともと30人くらいだったが、2016年に入りその2倍となる約60人の住民が処刑された[3]。公開処刑の例として、2013年に当時北朝鮮の事実上No.2 であり金正恩の叔父で後見人とされた張成沢(チャン・ソンテク)を粛清し、2015年に玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)人民武力部長(国防相に相当)が居眠りを理由に反逆罪で高射砲で公開処刑したことがある。
イスラム教国の一部
イスラム教の支配力の強い一部の国でも、公開処刑が行われている。斬首刑のほか、石打ち刑のような、見物人が執行に直接加わる形の処刑もある。アフガニスタンではターリバーン政権時代に公開処刑が盛んに行われていた[4]。たとえば2001年8月8日に、前年に爆弾を爆発させた容疑で有罪判決を受けた男性4人がカブールの大統領公邸近くでクレーン車から吊るされて処刑されたとの報道があった。
サウジアラビアでは死刑執行は現代でも公開処刑で行われている。1980年1月9日に行われたアル=ハラム・モスク占拠事件の主犯ジュハイマーン・アル=ウタイビーらの斬首刑はサウジ全土にテレビ中継されている。このような公開処刑の映像が海外に流出して問題視されたことから現在では公開処刑の撮影は禁止されている。また処刑場所はモスクの敷地であるため処刑場所に異教徒(外国人)が立ち入ることは禁止されている。小型撮影機材の発達した現在では観客による隠し撮りが横行しており、頻繁にネット上に映像が流出している。
イスラム法には「信者を処刑に立ち会わせなさい」とする記述があり、これが公開処刑を行う法的根拠となっている。また処刑への立会いは被害者遺族の権利であると考えられているため、公開しないことが違法行為であると考えられる場合もある。このような事情から、見せしめという意味よりも「イスラム教徒の処刑に立ち会う権利」を重視している結果である。
公開処刑が残っている国
公開処刑は近代合理主義に基づく民主主義国家体制ではない体制を持つ国家で行われることが多い。前述の北朝鮮、アフガニスタン、その他のイスラム国家である。主要な民主主義国家では、公開処刑は20世紀初頭でなくなっており、そもそも欧州諸国をはじめ、死刑制度自体を廃止またはその執行を停止している国も多い。
民主主義国家では条件付きながらアメリカがあげられる。州と事件性を考慮され、ティモシー・マクベイたちによるオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件のようなあまりに社会的反響が大きな事件の場合、遺族に限って死刑執行が公開されることがある。また厳密には公開処刑と呼べないかもしれないが、邪悪な連続殺人犯だと、生きているという噂を防ぐため、死後死体を写真で公開することがある(テッド・バンディなど)。
比喩表現としての意味
公衆の面前(テレビなど)で、第三者による作為的な意図の結果、大変恥ずかしい思いをさせられた場合、その状況説明として使われることがある。また例えば誰かが、スタイルや顔がはるかに美しい人たちといっしょにメディアに出演させられ、いやおうなく比較され見劣りしてしまうような場合にも「公開処刑」という表現が使われる。
脚注
注釈
- ^ ニュースによると電線を盗んだ、脱北を支援したことで死刑となったものがいることが紹介されていた。
出典
- ^ “民主政権で初の死刑執行 宇都宮宝石店事件ら2人”. 47NEWS. (2010年7月28日). オリジナルの2015年9月26日時点におけるアーカイブ。 2013年12月4日閲覧。
- ^ 中華人民共和国刑事訴訟法(中国語) 2019年12月25日
- ^ “北朝鮮 今年約60人を公開処刑=恐怖政治強化か”. 聯合ニュース. (2016年8月12日) 2016年12月7日閲覧。
- ^ <アーカイブ>アフガニスタン-公開処刑された女性を追って(1)【玉本英子】アシアプレス・ネットワーク 2011年9月10日[リンク切れ]