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2020年6月18日 (木) 12:33時点における版

横浜市歌

市歌の対象
横浜市

作詞 森林太郎(森鷗外
作曲 南能衛
採用時期 1909年7月1日
言語 日本語
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横浜市歌」(よこはましか[1])は、神奈川県横浜市市歌

概要

1909年明治42年)7月1日横浜港の新港埠頭で行われた「開港五十年記念大祝賀会式典」の席で、初めて披露された。以来、市民に広く歌い継がれている。作詞は森林太郎(森鷗外)、作曲は東京音楽学校教師の南能衛(よしえ)。この曲は、横浜市が東京音楽学校に仲介を委託し、南が作った旋律の上に、森が歌詞を作り、完成させた。森に対する作詞謝礼は100円、南に対する作曲謝礼は50円だった。

横浜市立の学校では披露から約100年後の2010年現在においても、音楽の授業で校歌とともに歌唱指導される[2][3]。また、6月2日の開港記念日や市立学校の卒業式、市大会などで演奏や斉唱される[3][4](ただし、校歌のほかに校歌に準ずる歌(愛唱歌等)が存在する一部学校においては、各種式典や学校行事において市歌の代わりにそれらの歌を斉唱し、授業での指導もなされていない)。横浜市立大学入学式及び卒業式でも演奏され、横浜市の式典(成人式を含む)や市職員の会合などでも愛唱される。また日本プロサッカーリーグJ1リーグ横浜F・マリノスチャントプロ野球横浜DeNAベイスターズの試合での四球時、本塁打による得点時や試合勝利時、さらには横浜商業高校野球部が試合での得点時などに演奏されるなど、横浜市民にとってはきわめて身近な存在である。また、湘南台駅を除く横浜市営地下鉄の駅構内BGMとしても使われている。

大さん橋に客船が入港する際も、この曲を行進曲風にアレンジしたバージョンを流して歓迎の意を表すことが慣例となっている。

2003年には、横浜生まれの作曲家中村裕介によって『横浜市歌〜ブルースバージョン』が発表された。

市歌普及と補修編曲

横浜市歌が制定されてから戦前の頃までは、横浜市の尋常小学校一年生用唱歌の教科書に記載する他、様々な大会で斉唱され、運動会・横浜市児童体育大会では、横浜市歌の合同遊戯が行われており、ある程度普及がなされていた。その一方で、南能衛が作曲したものは、ト長調で高音が多いうえ、符点の付け方がややこしく、古い手法で書かれており、歌唱、伴奏をするにあたって難があった。そのため、音楽教師が普及しづらかったという現状があった。また、それ以降より戦後直後にかけては、戦時中の混乱期の影響により、市歌に関する記録が残っておらず、普及があまりなされていなかったと思われる。

そこで、1966年(昭和41年)に飛鳥田一雄市長の下、小船幸次郎、教育委員の佐藤美子、横浜市立桜丘高等学校教諭の村山拡也、横浜市立立野小学校教諭の大室一正、音楽科指導主事の小野達治で構成された「横浜市歌普及専門委員会」が作られ、補修編曲が行われた。編曲は小船幸次郎によって行われ、ヘ長調(学校・合唱団用)と変ホ長調(一般用)のピアノ伴奏・歌唱用、管弦楽用、吹奏楽用の譜面が作られた。またこの際に、歌詞を旧仮名遣いから現代仮名遣いに改めた。

これ以降、ソノシートレコード及びCD等を作成するなど、教育委員会が幅広い層へ市歌の普及に力を入れた。2009年(平成21年)、横浜版学習指導要領音楽科編に市歌指導を明記し、特別活動編指導要領には学校の式典における市歌斉唱が明記された。近年では、横浜開港祭ザ・ブラス・クルーズにおいて年ごとに異なる横浜市歌の吹奏楽編曲が演奏されているほか、市立小学校6年生が参加する横浜市立小学校体育大会では、市歌をアレンジしたダンス、Let's dance with YOKOHAMAが披露されている。また、横浜開港150周年・横浜市歌制定100周年に際して、今後さらに児童が市歌を親しめるようにと、教育委員会が後藤洋に、マルチ編成版の譜面(金管バンドマーチングバンド、器楽合奏用など、様々な 演奏に使用できるよう編成された楽譜)と、新たな吹奏楽譜を作成依頼し、全市立学校へ配布した。

歌詞

以下の歌詞は1909年(明治42年)6月17日付「横浜貿易新報」より、前述の改定以前のもの。

横濱市歌』 作詞:森林太郎(森鴎外) 作曲:南能衛
わが日の本は島國よ 朝日輝ふ海に
わがひのもとはしまぐによ あさひかがよううみに
聯り峙つ島々なれば あらゆる國より舟こそ通へ
つらなりそばだつしまじまなれば あらゆるくによりふねこそかよえ
されば港の数多かれど 此横濱に優るあらめや
さればみなとのかずおおかれど このよこはまにまさるあらめや
むかし思へば苫屋の烟 ちらりほらりと立てりし處
むかしおもえばとまやのけむり ちらりほらりとたてりしところ
今は百舟百千舟 泊る處ぞ見よや
いまはももふねももちふね とまるところぞみよや
果なく榮えて行くらん御代を 飾る寶も入り來る港
はてなくさかえてゆくらんみよを かざるたからもいりくるみなと


以下の歌詞は横浜市のホームページ[5]より。

わが日の本は島国よ 朝日かがよう海に
わがひのもとはしまぐによ あさひかがよううみに
連なりそばだつ島々なれば あらゆる国より舟こそ通え
つらなりそばだつしまじまなれば あらゆるくによりふねこそかよえ
されば港の数多かれど この横浜にまさるあらめや
さればみなとのかずおおかれど このよこはまにまさるあらめや
むかし思えばとま屋の煙 ちらりほらりと立てりしところ
むかしおもえばとまやのけむり ちらりほらりとたてりしところ
今はもも舟もも千舟 泊るところぞ見よや
いまはももふねももちふね とまるところぞみよや
果なく栄えて行くらんみ代を 飾る宝も入りくる港
はてなくさかえてゆくらんみよを かざるたからもいりくるみなと


現代語訳[要出典] : わが国日本は島国です。朝日が輝く海に、連なりそびえる島々なので、あらゆる国から船が通ってくるのです。それだからこそ、港の数は多いのですが、この横浜に勝る港はないでしょう。昔を思えば、この横浜は、粗末な家から炊事の煙がちらほらと立つ寂しいところでした。しかし、ご覧なさい、今や多くの船が停泊する活気ある港となりました。この果てしなく栄えてゆく天皇陛下の治世を彩る文物が、今日も横浜港から入ってきます。

参考文献

  • 田中祥夫『横浜港の七不思議――象の鼻・大桟橋・新港埠頭』有隣堂〈有隣新書〉、2007年9月。ISBN 978-4-89660-200-5 
  • 横浜交響楽団『横浜市歌 横浜洋楽文化史』、2009年6月2日[要ページ番号]

脚注

  1. ^ 横浜市歌』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ “市営地下鉄各駅で横浜市歌を放送、誕生100周年を記念”. 神奈川新聞. (2010年8月31日). オリジナルの2014年8月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140812204905/http://www.kanaloco.jp/article/18082/cms_id/17912 
  3. ^ a b “鎌倉駅の発車メロディー「暗い」?、ネットで話題に/神奈川”. 神奈川新聞. (2013年12月30日). オリジナルの2014年8月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140812210618/http://www.kanaloco.jp/article/65812/cms_id/65603 
  4. ^ 横浜市生涯学習ページ「はまなび」|横浜市歌について”. 教育委員会事務局 生涯学習文化財課 (2013年7月8日). 2014年8月13日閲覧。
  5. ^ 横浜市生涯学習ページ「はまなび」|横浜市歌について”. 教育委員会事務局 生涯学習文化財課 (2018年2月28日). 2018年8月26日閲覧。

関連項目

外部リンク