「即興詩人」の版間の差分
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日本においては[[森鷗外]]による典雅な[[中古日本語|擬古文]]訳が名高く、「原作以上の翻訳」と評された。鴎外は本作の[[ドイツ語]]訳<!--レクラム文庫?-->を読み、「わが座右を離れざる書」として愛惜していた。鴎外が留学先のドイツより帰国した後、『[[舞姫 (森鷗外)|舞姫]]』を発表し、明治25年から34年(1892~1901年)にかけ、軍務の傍ら丹精を込め約10年がかりで独訳書より訳し、断続的に雑誌『しがらみ草紙』などに発表した。単行本初版は、明治35年(1902年)に[[春陽堂]]・上下で刊行。 |
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2020年6月18日 (木) 12:20時点における版
『即興詩人』(そっきょうしじん、丁: Improvisatoren)は、デンマークの作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセンが1835年に発表した小説。作者の初めての長編小説で、イタリア各地を舞台としたロマンティックな作品である。
概要
童話作家となる前のアンデルセンが、1833年から1834年にかけて、旅行で訪れたイタリアでの体験をもとにまとめ上げた自伝的小説で、1835年に刊行された。イタリア各地の自然と風俗を美しく描いたこの作品は、発表当時かなりの反響を呼び、ヨーロッパ各国で翻訳出版されることになり、作者の童話出版に向けての意識を高めるものとなった。
日本では、森鷗外がドイツ語版から約10年の年月をかけて翻訳紹介し、その雅俗な文体も多くの作家に影響を与えた。
あらすじ
ローマはピアツツア・バルベリイニ(バルベリーニ広場)の貧しい家に生まれた少年アントニオは、思いつくままに詩を紡ぐ即興詩人になることを夢見ていた。アラチエリ教会での子どもの説教で神の使いのような小さな女の子に出会う。その後、ジエンツアノの花祭で幼くして母親を亡くすという悲劇にあったものの、彼の才能を買ってくれる名家も出てきて、アントニオの運命は順風満帆と見えた。ローマの謝肉祭、復活祭の中での歌姫アヌンチヤタとに再会し、アラチエリで出会った小さな女の子だと知る。そして、悲恋、親友ベルナルドオとの出会いと三角関係による決闘を経て、数奇な運命に巻き込まれることとなる。アントニオはローマを逃れてナポリ、ヱネチア(ヴェネツィア)、ポンペイとイタリア各地を遍歴する。ペスツムでは盲目の少女ララに出会う。カプリでも再会する。そしてついにはアヌンチヤタと再会するが、既にアヌンチヤタは体も心もぼろぼろになっていた。別れた後、瀕死のアヌンチヤタから手紙が来て、ナポリまで追いかけたけど一日違いで出会えなかった、二年の間に劇場で蓄えたお金はすべて薬代に使ったが、声を失ったと書いてあり、始めからアヌンチアタは自分を愛してくれたことを知る。マリアと教会に行き、アヌンチヤタのお墓を訪れる。その後、ララが成人して目が治ったマリアだいうことが分かり、二人は結婚し、三年後にアヌンチアタという子どもを連れてカプリを訪れる。
北欧デンマーク出身のアンデルセンあこがれの地、南国イタリアを舞台に、親友の貴族ベルナルドオ、薄倖の歌姫アヌンチヤタ、小尼公フラミニア、盲目の美少女ララ、サンタ夫人、そしてヴェネツィア一の美女マリアらの美男美女を配し、イタリア各地の名勝旧跡、風光明媚な自然のたたずまいを情熱をこめて描写している。
森鴎外による日本語訳
日本においては森鷗外による典雅な擬古文訳が名高く、「原作以上の翻訳」と評された。鴎外は本作のドイツ語訳を読み、「わが座右を離れざる書」として愛惜していた。鴎外が留学先のドイツより帰国した後、『舞姫』を発表し、明治25年から34年(1892~1901年)にかけ、軍務の傍ら丹精を込め約10年がかりで独訳書より訳し、断続的に雑誌『しがらみ草紙』などに発表した。単行本初版は、明治35年(1902年)に春陽堂・上下で刊行。
現行版は岩波文庫・上下(現在はワイド版)と、ちくま文庫版『森鴎外全集 10 即興詩人』。
当時は言文一致の流れから日本語の口語体が完成しつつある時期であったが、鴎外は敢えて雅俗折衷の流麗な文語体で綴っている。ただし、それは必ずしも直訳ではなく、西洋の故事に由来する表現を中国古典の表現に置き換えるなどの技巧を凝らしている。
ドイツ語版から重訳された鴎外訳のほか、原典のデンマーク語版からの口語訳として、大畑末吉訳(岩波文庫・上下)と鈴木徹郎訳『アンデルセン小説・紀行文学全集2 即興詩人』(東京書籍)、神西清訳(旧版は角川文庫)などがある。
なお、ダンテ『神曲』の題名(原題直訳では「神聖喜劇」)は、鴎外が『即興詩人』の一章で「神曲、吾友なる貴公子」と訳したものが定着したものである。
書き出し
各節題目[1]
・わが最初の境界(きょうがい) ・隧道、ちご ・美小鬟(びしょうかん)、即興詩人 ・花祭 ・蹇丐(けんかい) ・ ・ ・ ・ ・ ・
鴎外訳の影響
鴎外訳の流麗な文語体の雅文に魅了され、木下杢太郎,斎藤茂吉,阿部次郎,小泉信三など、明治末期から昭和(戦前)にかけて『即興詩人』を持参してイタリア各地を巡礼遍歴する文学者・学者が続出した[2]。その中には上田敏や正宗白鳥等もいた。当時の情況は『世界紀行文学全集5 イタリア編』(修道社、初版1959年)にも記されている。
今日のイタリア旅行者にも『即興詩人』を携える者が多く、著名人では、画家・装幀家安野光雅が、鴎外訳『即興詩人』に惚れ込み、周りに『即興詩人』の魅力を布教宣伝して回り、実際に作品の舞台となったイタリア各地を、スケッチした『繪本 即興詩人』(講談社、のち「即興詩人の旅」 講談社+α文庫)や、『口語訳 即興詩人』(山川出版社、2010年)を出版している。作家森まゆみにも、安野の装幀画で『「即興詩人」のイタリア』(講談社、2003年/ちくま文庫、2011年)がある。
比較文学者による考察に、長島要一『森鴎外の翻訳文学』(第4章「即興詩人とアンデルセンの原作」、至文堂)と、同『森鴎外 文化の翻訳者』(岩波新書、ですます体)がある。
関連項目
脚注・出典
- ^ 森鴎外訳『即興詩人』森鴎外全集10 筑摩書房 2011年
- ^ アンデルセンの世界−21世紀へ伝えたい豊かな世界佐藤義隆、岐阜女子大学紀要 第29号(2000. 3)