コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「新小説」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
Cewbot (会話 | 投稿記録)
47行目: 47行目:
[[1896年]](明治29年)4月、第1次の終了の6年後に、[[幸田露伴]]の編集で再び創刊した<ref name="コトバンク" />。
[[1896年]](明治29年)4月、第1次の終了の6年後に、[[幸田露伴]]の編集で再び創刊した<ref name="コトバンク" />。


第2次は隆盛をきわめ、1900年(明治33年)に[[泉鏡花]]『[[高野聖 (小説)|高野聖]]』、1901年(明治34年)5月号に[[国木田独歩]]『帰去来』、1906年(明治39年)9月号に[[夏目漱石]]『[[草枕]]』、1907年(明治40年)8月号に[[田山花袋]]『[[蒲団 (小説)|蒲団]]』、1910年(明治43年)に泉鏡花『[[歌行燈]]』、1913年(大正2年)6月号に[[森鷗外]]訳『病院横町の殺人犯』([[エドガー・アラン・ポー]]『[[モルグ街の殺人]]』)、1914年(大正3年)2月号に森鴎外『[[堺事件]]』、1916年(大正5年)1月号に森鴎外『[[寒山拾得 (森外)|寒山拾得]]』、1917年(大正6年)に泉鏡花『[[天守物語]]』、1921年(大正10年)4月号に[[高群逸枝]]の長篇詩『日月の上に』、1923年(大正12年)5月号に[[横光利一]]『[[日輪 (横光利一)|日輪]]』、1925年(大正14年)9月号に『[[一人二役 (江戸川乱歩)|一人二役]]』、1926年(大正15年)7月号に[[江戸川乱歩]]『[[モノグラム (江戸川乱歩)|モノグラム]]』をそれぞれ掲載、多くの名作を生み出した<ref name="コトバンク" />。
第2次は隆盛をきわめ、1900年(明治33年)に[[泉鏡花]]『[[高野聖 (小説)|高野聖]]』、1901年(明治34年)5月号に[[国木田独歩]]『帰去来』、1906年(明治39年)9月号に[[夏目漱石]]『[[草枕]]』、1907年(明治40年)8月号に[[田山花袋]]『[[蒲団 (小説)|蒲団]]』、1910年(明治43年)に泉鏡花『[[歌行燈]]』、1913年(大正2年)6月号に[[森鷗外]]訳『病院横町の殺人犯』([[エドガー・アラン・ポー]]『[[モルグ街の殺人]]』)、1914年(大正3年)2月号に森鴎外『[[堺事件]]』、1916年(大正5年)1月号に森鴎外『[[寒山拾得 (森外)|寒山拾得]]』、1917年(大正6年)に泉鏡花『[[天守物語]]』、1921年(大正10年)4月号に[[高群逸枝]]の長篇詩『日月の上に』、1923年(大正12年)5月号に[[横光利一]]『[[日輪 (横光利一)|日輪]]』、1925年(大正14年)9月号に『[[一人二役 (江戸川乱歩)|一人二役]]』、1926年(大正15年)7月号に[[江戸川乱歩]]『[[モノグラム (江戸川乱歩)|モノグラム]]』をそれぞれ掲載、多くの名作を生み出した<ref name="コトバンク" />。


大正期の編集者として、[[田中純 (作家)]]、[[鈴木三重吉]]、野村治輔らがいる。
大正期の編集者として、[[田中純 (作家)]]、[[鈴木三重吉]]、野村治輔らがいる。

2020年6月18日 (木) 12:16時点における版

新小説
Shin-shosetu
The Japan current 黒潮
『新小説』(第1次)創刊号の表紙
ジャンル 文芸雑誌
刊行頻度 月刊
発売国 日本の旗 日本
言語 日本語
出版社 春陽堂書店
編集部名 文学同好会 第1次
編集部 第2次
初代主幹 饗庭篁村
二代編集長 幸田露伴
刊行期間

第1次
1889年1月(明治22年1月号) - 1890年6月(明治23年7月号)
第2次
1896年4月(明治29年4月号) - 1926年11月(昭和2年12月号)

黒潮
1927年1月(昭和2年1月号) - 1927年3月(終刊号)
ウェブサイト 新小説総目次・執筆者索引
特記事項

略歴
1889年1月 創刊
1890年6月 休刊
1896年4月 新創刊
1926年11月 改題前の最終号
1927年1月 『黒潮』と改題

1927年3月 『黒潮』終刊
テンプレートを表示

新小説』(しんしょうせつ)は、戦前日本に存在した文芸雑誌の一つ。1889年(明治22年)1月から1890年6月まで(第1次)、および1896年7月から1926年11月まで(第2次)発行された。1927年(昭和2年)1月から、『黒潮』(くろしお)と改題し、同年3月まで3号のみ発行した。

略歴・概要

1889年(明治22年)1月、須藤南翠森田思軒饗庭篁村石橋忍月依田学海山田美妙らからなる14名の文学同好会が編集し、発行した[1]。翌年1890年(明治23年)6月、1年半で第1次『新小説』の刊行は終了する[1]

1896年(明治29年)4月、第1次の終了の6年後に、幸田露伴の編集で再び創刊した[1]

第2次は隆盛をきわめ、1900年(明治33年)に泉鏡花高野聖』、1901年(明治34年)5月号に国木田独歩『帰去来』、1906年(明治39年)9月号に夏目漱石草枕』、1907年(明治40年)8月号に田山花袋蒲団』、1910年(明治43年)に泉鏡花『歌行燈』、1913年(大正2年)6月号に森鷗外訳『病院横町の殺人犯』(エドガー・アラン・ポーモルグ街の殺人』)、1914年(大正3年)2月号に森鴎外『堺事件』、1916年(大正5年)1月号に森鴎外『寒山拾得』、1917年(大正6年)に泉鏡花『天守物語』、1921年(大正10年)4月号に高群逸枝の長篇詩『日月の上に』、1923年(大正12年)5月号に横光利一日輪』、1925年(大正14年)9月号に『一人二役』、1926年(大正15年)7月号に江戸川乱歩モノグラム』をそれぞれ掲載、多くの名作を生み出した[1]

大正期の編集者として、田中純 (作家)鈴木三重吉、野村治輔らがいる。

1927年(昭和2年)1月、『黒潮』(英副題: The Japan current)と改題したが、同誌は同年3月の第3号で終了した[1]

ビブリオグラフィ

本誌
  • 『新小説』、春陽堂書店1889年1月 - 1890年6月
    1. 全25巻、1889年1月 - 1890年2月
    2. 全3巻、1890年2月 - 同年6月
  • 『新小説』、春陽堂書店、1896年4月 - 1926年11月
    1. 全7号、1896年4月 - 同年12月
    2. 第2巻1号 - 第31巻11号、1897年1月 - 1926年11月
  • 『黒潮』、全3号、春陽堂書店、1927年1月 - 3月
リファレンス
復刻

  1. ^ a b c d e コトバンクサイト内の記事「新小説」の記述を参照。

外部リンク