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「墓めぐり」の版間の差分

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[[江戸時代]]の[[貞享]]・[[元禄]]期から[[明治|明治時代]]初期にかけての[[大阪]]では、[[大阪七墓|市内7か所の大きな墓所]]を巡回して[[無縁仏]]を供養することで[[功徳]]を積む「七墓巡り」が流行した。一方で近世中後期には、追善供養よりはむしろ個人的な関心から偉人や著名人の墓を訪ね歩く「掃苔」も[[文人]]らの間で行われ、それは単に墓を訪問するだけでなく、その前で故人を回顧したり墓碑銘の[[拓本]]を取ったりするといった、典雅な趣味であった{{Sfnp|小栗|2008|p=6}}。中尾樗軒の『江都名家墓所一覧』([[1818年]]〈[[文化 (元号)|文化]]15年〉)や[[暁鐘成]]の『浪華名家墓所集』のように{{Sfnp|内海|2005|pp=1–2}}、故人の業績や墓所の所在地などの情報を一覧に整理してまとめた[[カタログ]]ないし[[旅行ガイドブック|ガイドブック]]的な書物である「掃苔録」も、すでに当時から作成・出版されている{{Sfnp|岩坪|1999b|p=166}}{{Sfnp|阿部|2014|pp=55–56}}。江戸時代の掃苔家としては、[[池田英政]]・[[大田南畝]]・[[曲亭馬琴]]などが挙げられる{{Sfnp|内海|2005|p=2}}{{Efn2|ただし、彼らとほぼ同時期を生きた[[根岸鎮衛]]の『[[耳嚢]]』巻之八に、苔むした各墓を手入れすることを楽しみとしていた岡野某という[[旗本]]が、[[久留米藩]]主[[摂津有馬氏|有馬家]]の打ち捨てられていた姫君の墓を見出した際の話が収録されているが、その題名は岡野を評して「奇なる癖ある人の事」とあり、また文中で彼の墓掃除は「隠徳」と記されていることから、必ずしも掃苔という概念が広まっていたわけではなかったことも窺える{{Sfnp|根岸|1972|pp=171–173}}。}}。
[[江戸時代]]の[[貞享]]・[[元禄]]期から[[明治|明治時代]]初期にかけての[[大阪]]では、[[大阪七墓|市内7か所の大きな墓所]]を巡回して[[無縁仏]]を供養することで[[功徳]]を積む「七墓巡り」が流行した。一方で近世中後期には、追善供養よりはむしろ個人的な関心から偉人や著名人の墓を訪ね歩く「掃苔」も[[文人]]らの間で行われ、それは単に墓を訪問するだけでなく、その前で故人を回顧したり墓碑銘の[[拓本]]を取ったりするといった、典雅な趣味であった{{Sfnp|小栗|2008|p=6}}。中尾樗軒の『江都名家墓所一覧』([[1818年]]〈[[文化 (元号)|文化]]15年〉)や[[暁鐘成]]の『浪華名家墓所集』のように{{Sfnp|内海|2005|pp=1–2}}、故人の業績や墓所の所在地などの情報を一覧に整理してまとめた[[カタログ]]ないし[[旅行ガイドブック|ガイドブック]]的な書物である「掃苔録」も、すでに当時から作成・出版されている{{Sfnp|岩坪|1999b|p=166}}{{Sfnp|阿部|2014|pp=55–56}}。江戸時代の掃苔家としては、[[池田英政]]・[[大田南畝]]・[[曲亭馬琴]]などが挙げられる{{Sfnp|内海|2005|p=2}}{{Efn2|ただし、彼らとほぼ同時期を生きた[[根岸鎮衛]]の『[[耳嚢]]』巻之八に、苔むした各墓を手入れすることを楽しみとしていた岡野某という[[旗本]]が、[[久留米藩]]主[[摂津有馬氏|有馬家]]の打ち捨てられていた姫君の墓を見出した際の話が収録されているが、その題名は岡野を評して「奇なる癖ある人の事」とあり、また文中で彼の墓掃除は「隠徳」と記されていることから、必ずしも掃苔という概念が広まっていたわけではなかったことも窺える{{Sfnp|根岸|1972|pp=171–173}}。}}。


近代に入ると、掃苔家により結成された各同好団体が、墓石の形状や銘文および被葬者の略伝を紹介した[[同人誌]]や[[機関紙|機関誌]]も発行するようになり、代表的なものとしては東都掃墓会の『見ぬ世の友』、東京名墓顕彰会の『掃苔』などがある{{Sfnp|内海|2005|p=2}}{{Sfnp|阿部|2014|pp=56&ndash;57}}。掃苔録も近世から引き続いて編集され、都市部のみならず地方の墓所に焦点を当てたものも登場した{{Sfnp|内海|2005|p=2}}。特に藤浪和子が[[1940年]]([[昭和]]15年)に刊行した『東京掃苔録』は593寺・2477名を収録しており、以後も再版が繰り返されている名著である{{Sfnp|小栗|2008|p=7}}<ref>{{Cite web|url=https://www.library.metro.tokyo.jp/readings/closeup_tokyo/20111109/|title=『東京の墓地・霊園』の巻|publisher=[[東京都立図書館]]|accessdate=2019-07-05}}</ref><ref>[https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001216239-00 1973年、八木書店から]、[https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001719050-00 1982年、『続日本史籍協会叢書』として東京大学出版会から]、[https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000002932377-00 2000年、『日本人物情報大系 第57巻』に収録、皓星社から]、2019年7月5日閲覧。</ref>。近代の著名な掃苔家には[[森外]]や[[永井荷風]]らがいる{{Sfnp|小栗|2008|p=6}}。
近代に入ると、掃苔家により結成された各同好団体が、墓石の形状や銘文および被葬者の略伝を紹介した[[同人誌]]や[[機関紙|機関誌]]も発行するようになり、代表的なものとしては東都掃墓会の『見ぬ世の友』、東京名墓顕彰会の『掃苔』などがある{{Sfnp|内海|2005|p=2}}{{Sfnp|阿部|2014|pp=56&ndash;57}}。掃苔録も近世から引き続いて編集され、都市部のみならず地方の墓所に焦点を当てたものも登場した{{Sfnp|内海|2005|p=2}}。特に藤浪和子が[[1940年]]([[昭和]]15年)に刊行した『東京掃苔録』は593寺・2477名を収録しており、以後も再版が繰り返されている名著である{{Sfnp|小栗|2008|p=7}}<ref>{{Cite web|url=https://www.library.metro.tokyo.jp/readings/closeup_tokyo/20111109/|title=『東京の墓地・霊園』の巻|publisher=[[東京都立図書館]]|accessdate=2019-07-05}}</ref><ref>[https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001216239-00 1973年、八木書店から]、[https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001719050-00 1982年、『続日本史籍協会叢書』として東京大学出版会から]、[https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000002932377-00 2000年、『日本人物情報大系 第57巻』に収録、皓星社から]、2019年7月5日閲覧。</ref>。近代の著名な掃苔家には[[森外]]や[[永井荷風]]らがいる{{Sfnp|小栗|2008|p=6}}。


昭和時代戦後には文芸評論家の[[野田宇太郎]]が、それまでの掃苔を包摂しつつも訪問対象をより広げ、文豪にゆかりある地を巡り歩くという「文学散歩」を提唱・確立した{{Sfnp|佐藤|2019|p=52}}。現代においても掃苔趣味は健在であり、[[平成|平成時代]]には墓巡りをする人を指す語として「墓マイラー」が新たに造られた{{Efn2|墓マイラーは、文芸研究家のカジポン・マルコ・残月が使用したのが最初である{{Sfnp|カジポン・マルコ・残月|2010|p=126}}([[1999年]]〈平成11年〉に自身のウェブサイト上で「墓マイラー」を自称しているのが確認できる<ref>{{Cite web|url=http://kajipon.sakura.ne.jp/haka/sanzenri.htm|title=墓をたずねて三千里|author=カジポン・マルコ・残月|date=1999-05-12|accessdate=2019-07-05}}</ref>)。また、彼は日本のみならず海外の墓も多く訪ねており、[[2010年]](平成22年)までの時点で墓参り歴23年、51か国へ赴き、1400人の墓を訪れているとのことである{{Sfnp|カジポン・マルコ・残月|2010|p=126}}。}}。また、霊園が著名人の墓所を明示した「霊園マップ」をあらかじめ用意しているほか{{Sfnp|阿部|2014|p=55}}{{Efn2|[[東京都]]立[[霊園]]の公式ウェブサイトでは、各霊園内の著名人墓所を記載した案内図が公開されている<ref>{{Cite web|url=https://www.tokyo-park.or.jp/reien/download/index.html|title=資料ダウンロード|publisher=都立霊園公式サイト TOKYO霊園さんぽ|accessdate=2019-07-10}}</ref>。}}、個人が掃苔の成果をインターネット上で公開する例が見られる{{Efn2|[http://www.asahi-net.or.jp/~pb5h-ootk/ 文学者掃苔録]など。なお、同サイトは2015年(平成27年)に『[https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I026586592-00 文学者掃苔録図書館]』として書籍化されている。}}。[[2013年]](平成25年)には[[青山霊園]]内の著名人の墓所情報を収録した[[iPhone]][[モバイルアプリケーション|アプリ]]『掃苔之友青山』が登場し{{Sfnp|阿部|2014|p=55}}<ref>{{Twitter|acwalker_app|青山霊園散策が捗る無料iPhoneアプリ}}</ref>、墓所への訪問はより容易になってきている{{Sfnp|阿部|2014|p=55}}。
昭和時代戦後には文芸評論家の[[野田宇太郎]]が、それまでの掃苔を包摂しつつも訪問対象をより広げ、文豪にゆかりある地を巡り歩くという「文学散歩」を提唱・確立した{{Sfnp|佐藤|2019|p=52}}。現代においても掃苔趣味は健在であり、[[平成|平成時代]]には墓巡りをする人を指す語として「墓マイラー」が新たに造られた{{Efn2|墓マイラーは、文芸研究家のカジポン・マルコ・残月が使用したのが最初である{{Sfnp|カジポン・マルコ・残月|2010|p=126}}([[1999年]]〈平成11年〉に自身のウェブサイト上で「墓マイラー」を自称しているのが確認できる<ref>{{Cite web|url=http://kajipon.sakura.ne.jp/haka/sanzenri.htm|title=墓をたずねて三千里|author=カジポン・マルコ・残月|date=1999-05-12|accessdate=2019-07-05}}</ref>)。また、彼は日本のみならず海外の墓も多く訪ねており、[[2010年]](平成22年)までの時点で墓参り歴23年、51か国へ赴き、1400人の墓を訪れているとのことである{{Sfnp|カジポン・マルコ・残月|2010|p=126}}。}}。また、霊園が著名人の墓所を明示した「霊園マップ」をあらかじめ用意しているほか{{Sfnp|阿部|2014|p=55}}{{Efn2|[[東京都]]立[[霊園]]の公式ウェブサイトでは、各霊園内の著名人墓所を記載した案内図が公開されている<ref>{{Cite web|url=https://www.tokyo-park.or.jp/reien/download/index.html|title=資料ダウンロード|publisher=都立霊園公式サイト TOKYO霊園さんぽ|accessdate=2019-07-10}}</ref>。}}、個人が掃苔の成果をインターネット上で公開する例が見られる{{Efn2|[http://www.asahi-net.or.jp/~pb5h-ootk/ 文学者掃苔録]など。なお、同サイトは2015年(平成27年)に『[https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I026586592-00 文学者掃苔録図書館]』として書籍化されている。}}。[[2013年]](平成25年)には[[青山霊園]]内の著名人の墓所情報を収録した[[iPhone]][[モバイルアプリケーション|アプリ]]『掃苔之友青山』が登場し{{Sfnp|阿部|2014|p=55}}<ref>{{Twitter|acwalker_app|青山霊園散策が捗る無料iPhoneアプリ}}</ref>、墓所への訪問はより容易になってきている{{Sfnp|阿部|2014|p=55}}。

2020年6月18日 (木) 12:09時点における版

漫画家水木しげるの墓

墓めぐり: Tombstone tourism, cemetery tourism)は、歴史上の偉人などの(霊廟)、マウソレウム霊園墓園墓地を巡り旅行する行為[1][要ページ番号]日本では掃苔(そうたい)と呼ばれることがある。

墓を巡る人の呼称は、日本語では掃苔家、墓マイラー[2][3]、英語ではgrave hunter、graver、taphophileなどがある。

墓を巡る目的は、偉人への表敬訪問のため、エピタフ(墓碑銘)に書かれた故人の詩を見るため、当時の字や歴史を知るため、墓のデザインを鑑賞するためなど様々である。

概要

公園のように作られたガーデンセメタリー英語版(もしくはルーラル〈農村〉セメタリー)の公共スペース

宗教的な聖地寺院などの宗教施設、聖人ゆかりの場所を巡る巡礼古代から行われてきた。19世紀頃のヨーロッパでは、庭園のようなガーデンセメタリー英語版が登場し、訪問者が訪れやすい環境となっていった[4]。そういった墓地で、特に有名なのはフランスパリにあるペール・ラシェーズ墓地であり、多くの観光客が訪れている。

日本の「掃苔」文化

映画監督黒澤明の墓と板塔婆
弁士・漫談家・作家・俳優徳川夢声の墓

近世後期以降の日本では、宗教や信仰上の動機とは別に、故人の墓を訪問してその人を偲び、歴史に思いを馳せることが文化として定着した[5]。この一連の行為は「掃苔」と呼ばれ、趣味ライフワークとして掃苔を行う人々である「掃苔家」が、近代を経て現代にも存在している[6]

掃苔の字義は墓石に生じたを掃(はら)うことだが、転じて墓参りを意味するようになり、お盆前の墓参を指す秋の季語にもなった[7]

メディア文化史学者の阿部純は、掃苔の醍醐味とは、故人を近しい存在に感じながら、墓を媒介として、その故人を語るふりをして自己について語ることこそにあるとし、墓は掃苔家のモノローグを反射するためにあると論じている[8]。また、書道研究者の岩坪充雄は、墓碑銘を揮毫した当時の能書家書跡を鑑賞し、その史料的価値を確認するのも掃苔の楽しみの一つであるとしている[9][10]。その他、中川八郎のように墓石により着目し、材質や形状、寸法、正面が向かう方位までを調査した例もある[11][12][13]

近代掃苔家の一人である藤浪(物集)和子は、掃苔という行為について次のような感想を述べている[14]

故人を追慕し時代々々の世相にふれながら墓所を探るのは愉しい事である。偶々人が気づかなかつたのを見出した時の忝なさは、探墓を経験した人のみがしる怡びである。また此処にある筈のが失はれてゐた時などは、僅に遺る故人の忍草が根こそぎ枯れた思ひで、何物にも譬へがたい寂しさに陥るのであつた。…… — 『東京掃苔録』序文

掃苔の歴史

江戸時代貞享元禄期から明治時代初期にかけての大阪では、市内7か所の大きな墓所を巡回して無縁仏を供養することで功徳を積む「七墓巡り」が流行した。一方で近世中後期には、追善供養よりはむしろ個人的な関心から偉人や著名人の墓を訪ね歩く「掃苔」も文人らの間で行われ、それは単に墓を訪問するだけでなく、その前で故人を回顧したり墓碑銘の拓本を取ったりするといった、典雅な趣味であった[15]。中尾樗軒の『江都名家墓所一覧』(1818年文化15年〉)や暁鐘成の『浪華名家墓所集』のように[16]、故人の業績や墓所の所在地などの情報を一覧に整理してまとめたカタログないしガイドブック的な書物である「掃苔録」も、すでに当時から作成・出版されている[17][18]。江戸時代の掃苔家としては、池田英政大田南畝曲亭馬琴などが挙げられる[19][注 1]

近代に入ると、掃苔家により結成された各同好団体が、墓石の形状や銘文および被葬者の略伝を紹介した同人誌機関誌も発行するようになり、代表的なものとしては東都掃墓会の『見ぬ世の友』、東京名墓顕彰会の『掃苔』などがある[19][21]。掃苔録も近世から引き続いて編集され、都市部のみならず地方の墓所に焦点を当てたものも登場した[19]。特に藤浪和子が1940年昭和15年)に刊行した『東京掃苔録』は593寺・2477名を収録しており、以後も再版が繰り返されている名著である[22][23][24]。近代の著名な掃苔家には森鷗外永井荷風らがいる[15]

昭和時代戦後には文芸評論家の野田宇太郎が、それまでの掃苔を包摂しつつも訪問対象をより広げ、文豪にゆかりある地を巡り歩くという「文学散歩」を提唱・確立した[13]。現代においても掃苔趣味は健在であり、平成時代には墓巡りをする人を指す語として「墓マイラー」が新たに造られた[注 2]。また、霊園が著名人の墓所を明示した「霊園マップ」をあらかじめ用意しているほか[27][注 3]、個人が掃苔の成果をインターネット上で公開する例が見られる[注 4]2013年(平成25年)には青山霊園内の著名人の墓所情報を収録したiPhoneアプリ『掃苔之友青山』が登場し[27][29]、墓所への訪問はより容易になってきている[27]

著名な掃苔家

上記文中に挙げた、掃苔家として著名な人物ないし掃苔趣味での業績がある人物の画像。

外国の墓めぐり

アニメ『サウスパーク』の全女性の声を担当したメアリー・ケイ・バーグマンの墓
画家テオドール・ジェリコーの墓

歴史上の著名人の墓のデータベースInterment.net英語版』が公開されている。また、墓めぐりを趣味としたジム・ティプトンによって作られた著名人の墓を見つけるアプリ『Find a Grave』が公開されている。

著名な墓所

アメリカ
アメリカ合衆国政府が管理している軍人、軍関係者や民間の重要人物等が埋葬されている墓地。特に首都ワシントン近くにあるアーリントン国立墓地が有名
エンターテイメント業界に多大な貢献をした人が埋葬される。また音楽祭、映画上映会などのイベントも開催される。
イギリス
イタリア、サンタ・クローチェ聖堂
オーストリアウィーン中央墓地
フランス、ペール・ラシェーズ墓地

法律・マナー

墓所は私有地であり、故人を偲ぶ場所である。そのため、法律を遵守し、敬意と墓地に対するマナーが求められる[3][30]

日本では、「亡くなった有名人の墓を訪ね歩く「墓マイラー」 法的な問題はないのか?」という弁護士ドットコムの記事において、「お墓にあるものを持って帰ることは窃盗罪(刑法235条)、墓前で騒ぐことは、不敬な態様であれば礼拝所不敬罪(刑法188条)にあたる可能性があります」という回答がある[30]

脚注

注釈

  1. ^ ただし、彼らとほぼ同時期を生きた根岸鎮衛の『耳嚢』巻之八に、苔むした各墓を手入れすることを楽しみとしていた岡野某という旗本が、久留米藩有馬家の打ち捨てられていた姫君の墓を見出した際の話が収録されているが、その題名は岡野を評して「奇なる癖ある人の事」とあり、また文中で彼の墓掃除は「隠徳」と記されていることから、必ずしも掃苔という概念が広まっていたわけではなかったことも窺える[20]
  2. ^ 墓マイラーは、文芸研究家のカジポン・マルコ・残月が使用したのが最初である[25]1999年〈平成11年〉に自身のウェブサイト上で「墓マイラー」を自称しているのが確認できる[26])。また、彼は日本のみならず海外の墓も多く訪ねており、2010年(平成22年)までの時点で墓参り歴23年、51か国へ赴き、1400人の墓を訪れているとのことである[25]
  3. ^ 東京都霊園の公式ウェブサイトでは、各霊園内の著名人墓所を記載した案内図が公開されている[28]
  4. ^ 文学者掃苔録など。なお、同サイトは2015年(平成27年)に『文学者掃苔録図書館』として書籍化されている。

出典

  1. ^ Rogak (2004).
  2. ^ 歴史の謎研究会 (2010), p. 3.
  3. ^ a b 知恵蔵mini墓マイラー』 - コトバンク
  4. ^ Catherine Richards (2005年). “London's Victorian Garden Cemeteries”. Timetravel-britain.com. 4 October 2014閲覧。
  5. ^ 内海 (2005), p. 1.
  6. ^ 岩坪 (1999a), p. 158.
  7. ^ 大辞林 第三版『掃苔』 - コトバンク
  8. ^ 阿部 (2014), p. 57.
  9. ^ 岩坪 (1999a), pp. 158–159.
  10. ^ 岩坪 (1999b), pp. 167–168.
  11. ^ 中川 (1992a).
  12. ^ 中川 (1992b).
  13. ^ a b 佐藤 (2019), p. 52.
  14. ^ 藤浪 (1940), 序の1.
  15. ^ a b 小栗 (2008), p. 6.
  16. ^ 内海 (2005), pp. 1–2.
  17. ^ 岩坪 (1999b), p. 166.
  18. ^ 阿部 (2014), pp. 55–56.
  19. ^ a b c 内海 (2005), p. 2.
  20. ^ 根岸 (1972), pp. 171–173.
  21. ^ 阿部 (2014), pp. 56–57.
  22. ^ 小栗 (2008), p. 7.
  23. ^ 『東京の墓地・霊園』の巻”. 東京都立図書館. 2019年7月5日閲覧。
  24. ^ 1973年、八木書店から1982年、『続日本史籍協会叢書』として東京大学出版会から2000年、『日本人物情報大系 第57巻』に収録、皓星社から、2019年7月5日閲覧。
  25. ^ a b カジポン・マルコ・残月 (2010), p. 126.
  26. ^ カジポン・マルコ・残月 (1999年5月12日). “墓をたずねて三千里”. 2019年7月5日閲覧。
  27. ^ a b c 阿部 (2014), p. 55.
  28. ^ 資料ダウンロード”. 都立霊園公式サイト TOKYO霊園さんぽ. 2019年7月10日閲覧。
  29. ^ 青山霊園散策が捗る無料iPhoneアプリ (@acwalker_app) - X(旧Twitter)
  30. ^ a b 亡くなった有名人の墓を訪ね歩く「墓マイラー」 法的な問題はないのか?”. 弁護士ドットコム (2015年9月7日). 2019年7月3日閲覧。

参考文献

雑誌

  • 岩坪, 充雄「「掃苔」の新しい楽しみ」『歴史と旅』第26巻第1号、秋田書店、1999年1月1日、158-159頁。 
  • 岩坪, 充雄「掃苔 先人と対面し、書を鑑賞する楽しみ」『歴史と旅』第26巻第11号、秋田書店、1999年7月10日、166-169頁、NAID 40003985194 
  • 内海, 寧子「明和-享和期の大坂における墓碑探訪と「掃苔文化」」『史泉』第101号、関西大学史学・地理学会、2005年1月31日、1-15頁、ISSN 03869407NAID 110002337286OCLC 835510062 
  • カジポン・マルコ・残月「元祖墓マイラーが語る お墓参りの尽きない魅力」『日経ビジネスAssocie』第9巻第13号、日経BP社、2010年8月3日、126-130頁、ISSN 13472844NAID 40017237467OCLC 835263486 
  • 阿部, 純「江戸の墓所録からフェイスブックまで メディアにみる掃苔の変容。」『東京人』第29巻第4号、都市出版、2014年3月3日、55-57頁、ISSN 09120173NAID 40019965362OCLC 835546536 
  • 佐藤, 康智「東京掃苔録々」『望星』第50巻第11号、東海教育研究所、2019年10月15日、50-55頁、ISSN 02889862NAID 40022047397 

書籍

関連項目

外部リンク

掃苔関連