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'''明治時代'''
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日清・日露戦争で多くの人命を救い、戦勝後、
日清・日露戦争で多くの人命を救い、戦勝後、
[[軍医総監]]・[[森外]]により高く評価され、[[旭日章|青色桐葉章]]が授与された。
[[軍医総監]]・[[森外]]により高く評価され、[[旭日章|青色桐葉章]]が授与された。


'''大正時代'''
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*[[軍医]]
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*[[足立寛]]
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*[[森外|森林太郎]]
*[[森外|森林太郎]]
*[[野口英世|野口清作]]
*[[野口英世|野口清作]]
*[[北里柴三郎]]
*[[北里柴三郎]]

2020年6月18日 (木) 12:06時点における版

山田辰五郎
生誕 下総国(千葉県)
所属組織 陸軍軍医学校大日本帝国陸軍
軍歴 1894年-1895年 日清戦争
1904年-1905年 日露戦争
最終階級 大日本帝国陸軍軍医
青色桐葉章
指揮 軍医総監 森鴎外
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山田 辰五郎(やまだ たつごろう、生没年不詳)は、明治時代大日本帝国陸軍軍医

略歴

下総国木野崎村生まれ[注釈 1]陸軍軍医学校出身[注釈 2]

明治時代 1894年1895年に軍医として日清戦争に従軍する。さらに、1904年1905年に軍医として日露戦争で再び従軍した。

日清・日露戦争で多くの人命を救い、戦勝後、 軍医総監森鷗外により高く評価され、青色桐葉章が授与された。

大正時代 退役後は、学校医村会議員を務めた。

出身地近隣で、野田醤油労働争議1922年)、福田村事件1923年)があった。

[1]

関連項目

出典

『祖父・山田辰五郎』(松戸市・山田氏子孫)

外部リンク

脚注

  1. ^ 後の1889年に千葉縣東葛飾郡福田村、 1957年から千葉県野田市へ合併。
  2. ^ 当時の陸軍軍医学校長は、森鷗外である
  1. ^ 俳優武田航平の祖先にあたる人物である。