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山田辰五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山田辰五郎
生誕 下総国(千葉県)
所属組織 陸軍軍医学校大日本帝国陸軍
軍歴 1894年-1895年 日清戦争
1904年-1905年 日露戦争
最終階級 大日本帝国陸軍軍医
青色桐葉章
指揮 軍医総監 森鴎外
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山田 辰五郎(やまだ たつごろう、生没年不詳)は、明治時代大日本帝国陸軍軍医

下総国木野崎村生まれ[注釈 1]陸軍軍医学校出身[注釈 2]1894年1895年に軍医として日清戦争に従軍した後、再び1904年1905年に軍医として日露戦争で従軍した。日清・日露戦争で多くの人命を救い、戦勝後、軍医総監森鷗外により高く評価され、青色桐葉章が授与された。退役後[注釈 3]は、学校医村会議員を務めた。

関連項目

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出典

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『祖父・山田辰五郎』(松戸市・山田氏子孫)[要文献特定詳細情報]

外部リンク

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脚注

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注釈

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  1. ^ 後の1889年に千葉縣東葛飾郡福田村、 1957年から千葉県野田市へ合併。
  2. ^ 当時の陸軍軍医学校長は、森鷗外である
  3. ^ 出身地近隣で福田村事件野田醤油労働争議があった。
  4. ^ タレントの武田航平の祖先にあたる人物である。