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'''清田 文武'''(せいた ふみたけ、[[1939年]]([[昭和]]14年) - )は、[[日本文学|日本近代文学研究者]]、[[新潟大学]][[名誉教授]]。
'''清田 文武'''(せいた ふみたけ、[[1939年]]([[昭和]]14年) - )は、[[日本文学|日本近代文学研究者]]、[[新潟大学]][[名誉教授]]。


1962年新潟大学[[教育学部]]中学校教育科卒、1969年[[東北大学]][[大学院]]文学研究科国文学[[博士]]課程満期退学。1992年「[[森外|鷗外]]文芸の研究 -青年期篇・中年期篇-」で東北大学[[博士(文学)]]。1969年[[秋田工業高等専門学校]][[講師 (教育)|講師]]、1971年新潟大学教育学部[[准教授|助教授]]、教育人間科学部[[教授]]、2005年[[定年]]退官、名誉教授、[[新潟中央短期大学]]教授。1998年中国・[[東北師範大学]]客座教授。
1962年新潟大学[[教育学部]]中学校教育科卒、1969年[[東北大学]][[大学院]]文学研究科国文学[[博士]]課程満期退学。1992年「[[森外|鷗外]]文芸の研究 -青年期篇・中年期篇-」で東北大学[[博士(文学)]]。1969年[[秋田工業高等専門学校]][[講師 (教育)|講師]]、1971年新潟大学教育学部[[准教授|助教授]]、教育人間科学部[[教授]]、2005年[[定年]]退官、名誉教授、[[新潟中央短期大学]]教授。1998年中国・[[東北師範大学]]客座教授。


[[2019年]]春の叙勲で[[瑞宝中綬章]]を受章<ref>『官報』号外第14号、2019年(令和元年)5月21日</ref>。
[[2019年]]春の叙勲で[[瑞宝中綬章]]を受章<ref>『官報』号外第14号、2019年(令和元年)5月21日</ref>。

2020年6月18日 (木) 11:51時点における版

清田 文武(せいた ふみたけ、1939年昭和14年) - )は、日本近代文学研究者新潟大学名誉教授

1962年新潟大学教育学部中学校教育科卒、1969年東北大学大学院文学研究科国文学博士課程満期退学。1992年「鷗外文芸の研究 -青年期篇・中年期篇-」で東北大学博士(文学)。1969年秋田工業高等専門学校講師、1971年新潟大学教育学部助教授、教育人間科学部教授、2005年定年退官、名誉教授、新潟中央短期大学教授。1998年中国・東北師範大学客座教授。

2019年春の叙勲で瑞宝中綬章を受章[1]

著書

  • 『鷗外文芸の研究 青年期篇』有精堂出版、1991
  • 『鷗外文芸の研究 中年期篇』有精堂出版、1991
  • 『鷗外文芸とその影響』翰林書房、2007
  • 『近代作家の構想と表現 漱石未明から安吾茨木のり子まで』翰林書房、2009

編著

脚注

  1. ^ 『官報』号外第14号、2019年(令和元年)5月21日

参考

  • 清田文武先生御略歴・著作目録 (清田文武先生退官記念号) 新大国語、2005 - 03
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