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2020年6月18日 (木) 10:59時点における版
第2軍 | |
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創設 | 1894年(明治27年)9月25日 |
廃止 | 1895年(明治28年)5月31日 |
再編成 |
1904年(明治37年)3月6日 (廃止)1906年(明治39年)1月12日 (再編成)1937年(昭和12年)8月23日 (廃止)1938年(昭和13年)12月15日 (再編成)1942年(昭和17年)7月4日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 軍 |
所在地 | 朝鮮-満州/満州/北支/満州-ニューギニア-セレベス島 |
通称号/略称 | 勢(いきおい) |
最終上級単位 | 南方軍 |
最終位置 | セレベス島 |
戦歴 | 日清戦争/日露戦争/支那事変/太平洋戦争 |
第2軍(だいにぐん)は、大日本帝国陸軍の軍の一つ。日清戦争、日露戦争、支那事変及び太平洋戦争時に編成された。
日清戦争における第2軍
日清戦争において1894年(明治27年)9月25日に編成され、戦後の1895年5月31日に解散した。
第2軍の人事
- 司令官 大山巌 大将(1894年9月25日 - 1895年5月26日)
- 参謀長 井上光 大佐(1894年10月1日 - 1895年5月14日)
- 砲兵部長 黒瀬義門 砲兵大佐
- 工兵部長 勝田四方蔵 工兵大佐
- 監督部長 中村宗助 一等監督
- 軍医部長 土岐頼徳 軍医監(土岐は陸軍軍医のなかで序列第三位)
- 参謀副長 伊地知幸介 砲兵中佐(1894年9月24日 - 1896年5月)
- 参謀
- 高級副官 山田保永 歩兵中佐
兵站部
- 兵站監 古川宣誉 工兵大佐(1894年10月3日 - 1895年5月)
- 参謀長 山根武亮 工兵中佐
- 憲兵隊長 糸賀虎次郎 憲兵少佐
- 監督部 青柳忠次 三等監督
- 軍医部長 森林太郎 一等軍医正
- 兵站電信部長 吉見精 中佐
所属部隊
日露戦争における第2軍
日露戦争において1904年(明治37年)3月6日に編成され、戦後の1906年1月12日に解散した。
第2軍の人事
- 司令官 奥保鞏 大将(1904年3月6日 -)
- 参謀長
- 砲兵部長 税所篤文 少将
- 工兵部長 阿部貞次郎 大佐
- 経理部長 片山中行 主計監
- 軍医部長 森林太郎[注釈 1] 軍医監
- 参謀副長
- 諜報参謀
- 山梨半造 少佐
- 石坂善次郎 少佐
- 作戦参謀
- 鈴木荘六 中佐
- 高柳保太郎 少佐
- 兵站参謀 小野寺重太郎 少佐
- 参謀
兵站部
- 兵站監
- 兵站参謀長 吉田恕 中佐(1904年3月6日 - 1905年9月14日)
- 高級副官 河村正彦 少佐
- 管理部長 橘周太 少佐(1904年3月6日 - 1905年8月10日)、石光真清 少佐(1904年11月 -)
支那事変における第2軍
支那事変勃発後の1937年(昭和12年)8月23日に編成され、新設された北支那方面軍の戦闘序列に入った。主に華北方面を作戦地域とし、1938年12月15日に廃止された。
第2軍の人事
歴代司令官
歴代参謀長
参謀副長
- 青木重誠 大佐(陸士25期:1938年7月7日 - 11月21日)
最終時の隷下部隊
太平洋戦争における第2軍
太平洋戦争勃発後の1942年(昭和17年)7月4日に編成され、第1方面軍の戦闘序列に入った。主に満州方面を作戦地域としたが、1943年10月30日、第2方面軍の戦闘序列に入り、西部ニューギニアに転用された。1945年2月28日の第19軍司令部復員に伴い、同軍の作戦地域の大部分が追加され、4月に司令部をセラム島に移転した。6月13日の第2方面軍司令部復員に伴い同軍の全作戦地域を継承し、司令部をセレベス島に移転した。6月30日、南方軍の直属となり終戦を迎えた。
軍概要
歴代司令官
歴代参謀長
- 磯矢伍郎 大佐:1942年7月1日 - 1943年4月1日
- 堀毛一麿 少将:1943年4月8日 - 10月23日
- 藤塚止戈夫 少将:1943年10月29日 -
- 欠員:1944年12月26日 - 1945年2月1日
- 深堀游亀 少将:1945年2月1日 -(未赴任)
- 今田新太郎 少将:1945年4月7日 -(未赴任)
- 欠員:1945年5月24日 -
- 吉田茂登彦 少将:1945年7月5日 -
最終司令部構成
- 司令官:豊嶋房太郎中将
- 参謀長:吉田茂登彦少将
- 高級参謀:了戒次男中佐
- 兵器部長:荒井武男中佐
- 経理部長:井上米雄主計大佐
- 軍医部長:竹内文次軍医少将
- 法務部長:高橋和夫法務大佐
- 情報班長:小森正夫少佐
最終所属部隊
- 第5師団
- 第32師団
- 第35師団
- 第36師団
- 独立混成第57旅団
- 独立混成第128旅団
- 海上機動第2旅団
- 第10派遣隊:能島武繁大佐
- 第10歩兵団:能島武繁大佐
- 独立守備歩兵第23大隊:大西寿良少佐
- 独立守備歩兵第30大隊
- 第14師団海上輸送隊:井上征夫大佐
- 第1遊撃隊
- 第20野戦高射砲隊:中田秀平大佐
- 野戦高射砲第44大隊:伊達宗克中佐 (最終位置:ケイヅラ島)
- 野戦高射砲第49大隊:真田徳太郎少佐
- 野戦高射砲第53大隊:栗田恒治大尉
- 野戦高射砲第54大隊:(最終位置:ソロン)
- 野戦高射砲第57大隊:(最終位置:マノクワリ)
- 野戦高射砲第73大隊:国武常利少佐
- 野戦照空第4大隊:森学少佐
- 第10歩兵団:能島武繁大佐
- 第4工兵隊司令部:山田茂少将
- 独立工兵第3連隊:河野通義中佐
- 独立工兵第15連隊:大久保正路中佐
- 船舶工兵第4連隊:石田愛之助中佐
- 船舶工兵第7連隊:荻原吉少佐
- 船舶工兵第18連隊:加賀本俊博少佐
- 通信部隊
- 電信第24連隊:岡本覚次郎中佐
- 電信第26連隊:阿久根悠中佐
- 南方軍第4通信隊
- 憲兵部隊
- 第5野戦憲兵隊:中村通則大佐
- 第8野戦憲兵隊:阿部起吉大佐
- 第10野戦憲兵隊:谷口春二中佐
- 兵站部隊
- 第2特設水路輸送隊
- 第51野戦道路隊
- 第13野戦郵便隊
- 南方第15陸軍病院
- 第125兵站病院
- 第126兵站病院
- 第150兵站病院
- 第18患者輸送隊
- 第2防疫給水部
- 第2軍補給廠
- 第2軍野戦兵器廠
- 第2軍野戦自動車廠
- 第2軍野戦貨物廠
- 航空関連地上部隊
- 第18航空地区司令部
- 第4野戦飛行場設定司令部
- 第16野戦飛行場設定隊
- 第18野戦飛行場設定隊
- 第19野戦飛行場設定隊
- 第22飛行場大隊
- 第107飛行場大隊
- 第108飛行場大隊
- 第209飛行場大隊