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「小堀四郎」の版間の差分

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*[[1922年]]、画家を志して上京。[[東京美術学校 (旧制)|東京美術学校]](現、[[東京藝術大学]])西洋画科に入学。
*[[1922年]]、画家を志して上京。[[東京美術学校 (旧制)|東京美術学校]](現、[[東京藝術大学]])西洋画科に入学。
**同期に[[小磯良平]]、[[猪熊弦一郎]]、[[牛島憲之]]、[[荻須高徳]]、[[山口長男]]等。
**同期に[[小磯良平]]、[[猪熊弦一郎]]、[[牛島憲之]]、[[荻須高徳]]、[[山口長男]]等。
*[[1928年]]、[[フランス]]留学。帰国後[[森外]]の次女[[小堀杏奴|杏奴]](あんぬ)と結婚。
*[[1928年]]、[[フランス]]留学。帰国後[[森外]]の次女[[小堀杏奴|杏奴]](あんぬ)と結婚。
*[[1935年]]、[[日展#帝国芸術院時代|松田改組]]による美術界の混乱に大きく失望し、恩師・[[藤島武二]]の助言で、画道を貫くため表舞台からは退く。
*[[1935年]]、[[日展#帝国芸術院時代|松田改組]]による美術界の混乱に大きく失望し、恩師・[[藤島武二]]の助言で、画道を貫くため表舞台からは退く。
**以降、東京美術学校同期生による年1回の[[上杜会]](じょうとかい)展を主な発表の場とし、制作に専念。作品の多くは生涯作家の手元に置かれた。
**以降、東京美術学校同期生による年1回の[[上杜会]](じょうとかい)展を主な発表の場とし、制作に専念。作品の多くは生涯作家の手元に置かれた。

2020年6月18日 (木) 10:38時点における版

小堀 四郎(こぼり しろう、1902年7月20日 - 1998年8月9日)は、日本油彩画家愛知県名古屋市中区南呉服町生まれ。小堀遠州の子孫[1]

略歴

脚注

  1. ^ 動坂界隈の作家たち 大槻岐美さんインタビュー 早稲田大学図書館紀要