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「鍛冶町 (北九州市)」の版間の差分

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鍛冶町は、小倉北区の町名であり、同地の[[歓楽街]]の名称でもある。[[城下町]]の町割りの名残で[[碁盤の目]]状の区画になっているが、区画道路の道幅が狭く、幹線道路以外は全て[[一方通行]]になっている。幹線道路沿いは[[オフィスビル]]が建ち並んでいるが、内部の区画道路沿いは[[居酒屋]]や[[クラブ (接待飲食店)|クラブ]]などが非常に多く軒を連ね、小倉の夜の中心地となっている。[[堺町 (北九州市)|堺町]]と明確な区別がなく一体化している。鍛冶町地区はどちらかというと大人向きであり、地元では有名な[[寿司]]店など高級店が多いが、近隣歓楽街である[[紺屋町 (北九州市)|紺屋町]]は、逆に若者向けの店舗が多く見られる。
鍛冶町は、小倉北区の町名であり、同地の[[歓楽街]]の名称でもある。[[城下町]]の町割りの名残で[[碁盤の目]]状の区画になっているが、区画道路の道幅が狭く、幹線道路以外は全て[[一方通行]]になっている。幹線道路沿いは[[オフィスビル]]が建ち並んでいるが、内部の区画道路沿いは[[居酒屋]]や[[クラブ (接待飲食店)|クラブ]]などが非常に多く軒を連ね、小倉の夜の中心地となっている。[[堺町 (北九州市)|堺町]]と明確な区別がなく一体化している。鍛冶町地区はどちらかというと大人向きであり、地元では有名な[[寿司]]店など高級店が多いが、近隣歓楽街である[[紺屋町 (北九州市)|紺屋町]]は、逆に若者向けの店舗が多く見られる。


名所として、[[森外]]旧居がある。[[1899年]](明治32年)6月、[[第12師団 (日本軍)|第12師団]][[軍医]]部長として[[小倉市|小倉]]に赴任し、[[1900年]](明治33年)暮れまで居住していた借家が保存されたものであり、森鴎外旧居前の通りは「オーガイストリート」と名づけられている<ref>その後森鴎外は[[京町 (北九州市)|京町]]の現[[小倉駅 (福岡県)|小倉駅]]前(当時小倉駅は[[西小倉駅]]付近にあり、駅前ではなかった)に転居し、[[1902年]](明治35年)3月東京に転任した。なお、現在[[マクドナルド]]小倉駅前店が建っているビルの向かいに、鴎外の住居があったことを示す「森鴎外京町住居跡碑」が建っている</ref>。
名所として、[[森外]]旧居がある。[[1899年]](明治32年)6月、[[第12師団 (日本軍)|第12師団]][[軍医]]部長として[[小倉市|小倉]]に赴任し、[[1900年]](明治33年)暮れまで居住していた借家が保存されたものであり、森鴎外旧居前の通りは「オーガイストリート」と名づけられている<ref>その後森鴎外は[[京町 (北九州市)|京町]]の現[[小倉駅 (福岡県)|小倉駅]]前(当時小倉駅は[[西小倉駅]]付近にあり、駅前ではなかった)に転居し、[[1902年]](明治35年)3月東京に転任した。なお、現在[[マクドナルド]]小倉駅前店が建っているビルの向かいに、鴎外の住居があったことを示す「森鴎外京町住居跡碑」が建っている</ref>。


==広域地名==
==広域地名==

2020年6月18日 (木) 10:28時点における版

鍛冶町
鍛冶町の街並み(浅香通り)
鍛冶町の街並み(浅香通り
鍛冶町の位置(福岡県内)
鍛冶町
鍛冶町
鍛冶町の位置
北緯33度53分0.07秒 東経130度53分5.83秒 / 北緯33.8833528度 東経130.8849528度 / 33.8833528; 130.8849528
日本
都道府県 福岡県
市町村 北九州市
小倉北区
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
802-0004
市外局番 093
ナンバープレート 北九州
※座標は鍛冶町二丁目交差点付近
区画道路沿いの街並み(オーガイストリート)
森鴎外旧居

鍛冶町(かじまち)は、福岡県北九州市小倉北区の地名。郵便番号は802-0004。

地理

鍛冶町は、小倉北区の町名であり、同地の歓楽街の名称でもある。城下町の町割りの名残で碁盤の目状の区画になっているが、区画道路の道幅が狭く、幹線道路以外は全て一方通行になっている。幹線道路沿いはオフィスビルが建ち並んでいるが、内部の区画道路沿いは居酒屋クラブなどが非常に多く軒を連ね、小倉の夜の中心地となっている。堺町と明確な区別がなく一体化している。鍛冶町地区はどちらかというと大人向きであり、地元では有名な寿司店など高級店が多いが、近隣歓楽街である紺屋町は、逆に若者向けの店舗が多く見られる。

名所として、森鷗外旧居がある。1899年(明治32年)6月、第12師団軍医部長として小倉に赴任し、1900年(明治33年)暮れまで居住していた借家が保存されたものであり、森鴎外旧居前の通りは「オーガイストリート」と名づけられている[1]

広域地名

歓楽街としての鍛冶町は平和通り北九州モノレール平和通駅の東側および勝山通りの南側を指すが、隣接する米町や堺町と一つにまとめられることも多い。

歴史

地名の由来

小倉城下の町名に由来し、鍛冶町とは、近世城下町において、職業別集住制が行われ、鍛冶屋が多く住んだ地区を指す。魚町馬借なども城下町の町名に由来する。

施設

商業施設・企業拠点

金融機関

交通

脚注

  1. ^ その後森鴎外は京町の現小倉駅前(当時小倉駅は西小倉駅付近にあり、駅前ではなかった)に転居し、1902年(明治35年)3月東京に転任した。なお、現在マクドナルド小倉駅前店が建っているビルの向かいに、鴎外の住居があったことを示す「森鴎外京町住居跡碑」が建っている

関連項目