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「中華人民共和国におけるLGBTの権利」の版間の差分

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それでも[[1978年]]以降の[[トウ小平|鄧小平]]による[[改革開放]]の潮流は止められず、[[1997年]]の刑法改定で流氓罪の適用が取り消され、同性愛行為は非犯罪化<!--(同性愛者の権利を尊重すると定めた法律があるわけではなく「合法」は不適切。「違法とされなくなった」の方が客観的で適切) 合法化され-->された<ref>ただし同性愛行為をした者同士の一方が18歳未満の場合は、成年のパートナーが起訴対象となる。[[2002年]]の判例では、未成年と肛門性交を行った男性が3年半の実刑を受けた記録がある {{Citation needed|date=2011年3月}}。</ref> 。そして[[2001年]]には[[中華人民共和国衛生部]]の「精神疾患リスト」から除外された。
それでも[[1978年]]以降の[[鄧小平]]による[[改革開放]]の潮流は止められず、[[1997年]]の刑法改定で流氓罪の適用が取り消され、同性愛行為は非犯罪化<!--(同性愛者の権利を尊重すると定めた法律があるわけではなく「合法」は不適切。「違法とされなくなった」の方が客観的で適切) 合法化され-->された<ref>ただし同性愛行為をした者同士の一方が18歳未満の場合は、成年のパートナーが起訴対象となる。[[2002年]]の判例では、未成年と肛門性交を行った男性が3年半の実刑を受けた記録がある {{Citation needed|date=2011年3月}}。</ref> 。そして[[2001年]]には[[中華人民共和国衛生部]]の「精神疾患リスト」から除外された。


;現在
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2020年6月17日 (水) 21:38時点における版

中華人民共和国の旗 中華人民共和国におけるLGBTの権利
中華人民共和国
同性間の
性交渉
中国本土:1997年より非犯罪化
香港:1991年より非犯罪化
マカオ:1996年より非犯罪化
性自認/性表現 中国本土:トランスジェンダーは法的な性別の変更可
香港:トランスジェンダーは法的な性別の変更可
同性間の
関係性の承認
なし
同性カップルによる
養子縁組の引受
なし
同性愛者を
公表しての
軍隊勤務
不明
差別保護 なし

中華人民共和国LGBTレズビアンゲイバイセクシャルおよびトランスジェンダー)には、非LGBTの人々には存在しない法的課題が存在している。

同性愛は違法ではないが、同性カップルや、同性カップルを長とする家族は異性間のカップルが享受できる法的保護を得ることができない。

概要

中国には同性愛者が4000万人居り、その内3000万人が男性だと見積もられている。

同性愛者を意味する隠語として「同志」という言葉が使われることがある。戦後、共産主義国家であった中国では、本来「同志、某(相手の名前)」と呼びかけるように敬称として使われていたが、近年ではその意味が薄れ、台湾なので同性愛者を揶揄して同志と呼んでいた用法が若者の間で広がっているので、使用に注意が必要な言葉になっている。 「中国における同性愛英語版」も参照。

法的地位

中国本土

古来

中国における同性愛の歴史は数千年に及ぶが、日本史上にも存在した男色を表す言葉に、竜陽君断袖zh[1]分桃[2]などがある。

中世

中世の頃の中国は欧州と比較しても同性愛への敵視も少なく、福建省のように同性愛が顕著な地域もあった。清初の福建ではzh:兎児神(男色の縁結びの神)という言葉も生まれている。だが同時に清朝1647年に成立した「清律」には、ソドミーの中で㚻姦(又は鶏姦、肛門性交)を禁ずる「㚻姦罪條」が設けられた。代末期の社会の混乱に対応させたもので、㚻姦條では違反した者に1ヶ月の懲役と100回の重い打撃刑が科せられた。

共産主義中国建国後

1980年代より前の中国共産党政府の公式な同性愛に関する政策は殆ど知られていないが、1957年最高人民法院は「自発的行為に基づくソドミーは犯罪行為ではない」とする判断を下している[3]。これによれば、成年同性間の合意に基づく私的な性行為はいかなるものも法に触れないとした[4]

文革以降

しかし文化大革命後の1979年中華人民共和国刑法では、成人男性間の私的で非商業的な合意に基づく性行為も「流氓罪」[5]として、拘留や労働教育刑、罰金の対象になった[6]。(但しこの時代も流氓罪という漠然とした罪名であり、一部イスラム圏のように同性愛自体を明確に違法化した法律があるわけではなかった)。『Conduct Unbecoming』によると毛沢東は、同性愛者を含む「性的な逸脱者」の性的な去勢を信じていた[7]。また1980年代、政府や家族から性的指向による虐待や組織的な嫌がらせに直面し、亡命による保護を求める男性がいた。当時、中国政府は同性愛を病気とみなして、男性同性愛者(ゲイ)に性的指向を異性愛に転換させるために電気ショック療法などを受けさせていた[8]

1997年 - 非犯罪化へ

それでも1978年以降の鄧小平による改革開放の潮流は止められず、1997年の刑法改定で流氓罪の適用が取り消され、同性愛行為は非犯罪化された[9] 。そして2001年には中華人民共和国衛生部の「精神疾患リスト」から除外された。

現在

現在(2013年時点)、同性愛行為は非犯罪化されたが、同性結婚シビル・ユニオンなどの同性間のリレーションシップや、同性カップルの養子縁組は法的に承認されておらず、性的指向性自認に基づく差別を禁止する法律も存在しない。

2010年時点ではテレビ番組や映画における同性間のリレーションシップに関する表現は検閲が行われ、同性愛映画も公式上映は容認されていない[10]。また同性間の買春には警察による逮捕者が出ている[要出典]。この様に大陸系一般メディアでは同性愛は未だ非公然のものである。

香港

香港では1984年、ゲイとレズビアンの団体「10パーセント・クラブ」が組織された。1991年には同性愛が非犯罪化され、性的同意年齢2006年に異性間と同性間の差が是正された。同性間の関係性に関する法的承認はないが、トランスジェンダーの人は公的書類に記載されている性別欄の殆どを変更することができる。1991年の香港権利章典条例により政府による差別は違法化されたが、法適用外の私的範囲では違法化されていない。

1990年代ころから自身もゲイであるレスリー・チャンが主演した「ブエノスアイレス」などゲイ映画が比較的多くつくられ始めている。

マカオ

マカオにおいて同性結婚は法制度化されていない。2005年より性的指向に基づく差別の禁止は、個人情報の保護領域(2005年)、労使関係(2008年)、オンブズマン2000年2012年に法改正)と段階的に法的整備が進められた。

中華人民共和国における同性結婚

歴史

人物

中国にて同性愛をカミングアウトしたりLGBTの権利擁護活動に携わる著名な人々の一例として以下が挙げられる。

関連項目

脚注

  1. ^ 董賢と一緒に寝ていた哀帝が、哀帝の衣の袖の上に寝ていた董賢を起こさないようにするため衣を切って起きたことから同性愛を指すようになった。
  2. ^ 韓非子の故事であり、それによると衛に弥子瑕という主君から寵愛された少年がいた。ある日に主君とともに果樹園に遊びに行き、桃の食べかけを主君に献じた所、大いに喜ばれた。これにより分桃は同性愛を指すようになった。しかし、年を経ると主君の弥子瑕への寵愛は薄れ、かつて食べかけの桃を食べさせたことを理由に罰を受けた。このことを君主の寵愛の気まぐれなことを意味して「余桃の罪」という。
  3. ^ http://www.law-lib.com/Law/law_view.asp?id=1218 最高人民法院关于成年人间自愿鸡奸是否犯罪问题的批复
  4. ^ 但し最高人民法院が犯罪ではないと判断を下したということは、同性愛行為は違法だとする声が強くあったからなのかなどについては未検証である。
  5. ^ 流氓罪=(騒ぎを起こしたり喧嘩を吹きかけたり、女性にいたずらしたりして)社会の治安を乱し人身の安全を脅かす罪(中国語辞書-Weblio日中中日辞典より)。
  6. ^ 『人权视野下的同性恋权利』(著者:代敏 四川大学法学院)
  7. ^ 『Conduct Unbecoming』(Randy Shilts著)
  8. ^ 1990年1月29日ニューヨークタイムズ「China Using Electrodes To 'Cure' Homosexuals.」
  9. ^ ただし同性愛行為をした者同士の一方が18歳未満の場合は、成年のパートナーが起訴対象となる。2002年の判例では、未成年と肛門性交を行った男性が3年半の実刑を受けた記録がある [要出典]
  10. ^ 正確には香港のゲイ映画だが「藍宇 〜情熱の嵐〜」(2002年)は中国本土での正式上映は許可されなかった(2006年にDVDは発売された)。また台湾人監督がアカデミー監督賞を受賞した「ブロークバック・マウンテン」も公開されず、受賞ニュースも大陸系メディアはゲイの部分をカットして報じた(2006年3月7日ロイター)。

外部リンク