「子供」の版間の差分
書誌情報 |
編集の要約なし |
||
67行目: | 67行目: | ||
日本では、子供は親の所有物という感覚が強かった。子供は家を継ぐことが当たり前であり、親に絶対服従しなければならなかった。農村など貧しい家では、貧困に見舞われると[[身売り]]や奉公に出されたり、[[捨て子]]や[[子殺し|間引き]]が行われたりした<ref name=Sugi63>[[#杉本ら2004|杉本ら (2004)、pp.63-64、第5章 児童問題と社会福祉、第1節 児童福祉の理念と意義、(1)児童観の変遷]]</ref>。 |
日本では、子供は親の所有物という感覚が強かった。子供は家を継ぐことが当たり前であり、親に絶対服従しなければならなかった。農村など貧しい家では、貧困に見舞われると[[身売り]]や奉公に出されたり、[[捨て子]]や[[子殺し|間引き]]が行われたりした<ref name=Sugi63>[[#杉本ら2004|杉本ら (2004)、pp.63-64、第5章 児童問題と社会福祉、第1節 児童福祉の理念と意義、(1)児童観の変遷]]</ref>。 |
||
[[ジャン=ジャック・ルソー]]は1762年の著書『エミール』で展開した消極教育論において、子供を「小さな大人」と扱う事の非を説いた。彼は、誕生してから12歳になるまでの期間は、子供時代という<ref name=Fushi>{{cite web|title=ルソーの教育論|url= http://cert.shinshu-u.ac.jp/gp/el/e04b1/class04/rousseau.htm |author=伏木久始|publisher=[[信州大学]]教育学部|accessdate=2012-03-03 |
[[ジャン=ジャック・ルソー]]は1762年の著書『エミール』で展開した消極教育論において、子供を「小さな大人」と扱う事の非を説いた。彼は、誕生してから12歳になるまでの期間は、子供時代という<ref name=Fushi>{{cite web|title=ルソーの教育論|url= http://cert.shinshu-u.ac.jp/gp/el/e04b1/class04/rousseau.htm |author=伏木久始|publisher=[[信州大学]]教育学部|accessdate=2012-03-03}}</ref>[[能力]]と[[器官]]が内部的に発展する段階であると述べ<ref name=Kimura>{{cite web|title=ルソーの「消極教育」論について|url= http://repository.lib.juen.ac.jp/dspace/bitstream/10513/1111/1/kiyo12_1-24.pdf |format=PDF|author=木村吉彦|publisher[[上越教育大学]] |accessdate=2012-03-03}}</ref>、多く施される発展した能力や器官を利用する方法を教える教育(人間の教育)は逆効果であり<ref name=Fushi />、能力と器官を伸ばし完成させる教育(自然の教育)<ref name=Fushi />を行わなければならないと主張した<ref name=Kimura />。 |
||
成年ではない者としての子供という概念は、中世において男子に限り発生したが、[[女子]]については形成されなかった<ref name=Tsunoda />。幼児と成年の間としての子供観は、[[近世]]になってから確立された<ref name=Tsunoda />。16-17世紀頃から現れる[[家族]]意識の中で、家庭内などにおいて幼児は、その愛らしさから可愛がられる対象という視線が醸成された。また社会的にも、[[聖職者]]や[[モラリスト]]らによる理性的な習俗を実現させようとするグループから、子供に対する配慮が生まれた。これらが18世紀頃には結びついて、社会は子供を「小さな大人」という見方から、[[保護|庇護]]し、[[愛情]]を傾け、[[学校]]による<ref name=Tsunoda />[[教育]]を施してやらなければならない存在という風に認識が形成された<ref name=Watanabe />。 |
成年ではない者としての子供という概念は、中世において男子に限り発生したが、[[女子]]については形成されなかった<ref name=Tsunoda />。幼児と成年の間としての子供観は、[[近世]]になってから確立された<ref name=Tsunoda />。16-17世紀頃から現れる[[家族]]意識の中で、家庭内などにおいて幼児は、その愛らしさから可愛がられる対象という視線が醸成された。また社会的にも、[[聖職者]]や[[モラリスト]]らによる理性的な習俗を実現させようとするグループから、子供に対する配慮が生まれた。これらが18世紀頃には結びついて、社会は子供を「小さな大人」という見方から、[[保護|庇護]]し、[[愛情]]を傾け、[[学校]]による<ref name=Tsunoda />[[教育]]を施してやらなければならない存在という風に認識が形成された<ref name=Watanabe />。 |
||
124行目: | 124行目: | ||
=== 日本 === |
=== 日本 === |
||
日本で子供が工場労働を担うようになったのは、[[明治]]時代の[[富国強兵]]や[[殖産興業]]の元、製糸・織物業などを中心とした工業化が広がり始まった<ref name=Sugi63 />。その中で子供も一般的に雇われたが、労働環境は大人よりも劣悪で、また不況時には解雇されるなど便利使いされていた。農工務省が纏めた1903年(明治36年)の「職工事情」第一巻には、単純作業の長時間労働が時に徹夜にまで至り、ろくな休憩も無く粉塵まみれになって働き続ける様子が報告された<ref name=Nozawa>{{cite |
日本で子供が工場労働を担うようになったのは、[[明治]]時代の[[富国強兵]]や[[殖産興業]]の元、製糸・織物業などを中心とした工業化が広がり始まった<ref name=Sugi63 />。その中で子供も一般的に雇われたが、労働環境は大人よりも劣悪で、また不況時には解雇されるなど便利使いされていた。農工務省が纏めた1903年(明治36年)の「職工事情」第一巻には、単純作業の長時間労働が時に徹夜にまで至り、ろくな休憩も無く粉塵まみれになって働き続ける様子が報告された<ref name=Nozawa>{{cite web|title=戦前の日本における児童の公的保護論の形成過程|author=野澤正子|url= http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10466/7070/1/2009000668.pdf |format=PDF|publisher=[[大阪府立大学]]学術情報リポジトリ |year=1986|accessdate=2012-03-10}}</ref>。[[横山源之助]]は大阪の工場を見て廻った記録を残したが、それによると15歳以下の少女が紡績分野で多く使われ、中には7・8歳の子供もいたという。既に1872年(明治5年)の学制はあったが、彼女らは満足な教育を受けていなかった<ref name=Ishihara />。1916年([[大正]]5年)に工場法が施行<ref group="注">公布は1911年(明治44年)。([http://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/m44_1911_02.html 国立公文書館「公文書にみる日本のあゆみ、明治44年(1911)3月」])</ref>されたが、依然として長い就労制限時間や小規模事業所が適用除外になるなど充分なものではなかった<ref name=Ishihara />。 |
||
20世紀に入ると、[[世界恐慌]]に端を発した不況と社会不安が子供にも襲い掛かり、親子[[心中]]、[[児童虐待]]や[[子殺し]]、児童労働環境の悪化や[[少年犯罪]]の増加が問題化した<ref name=Nozawa /><ref name=Sugi63 />。また、乳児死亡率の高さや国際的な児童の公的保護の機運が高まった事もあり、1926年から全国児童保護事業会議が開催されて児童保護に向けた法整備が話し合われ、[[児童虐待の防止等に関する法律|児童虐待防止法]]や各扶助法・[[託児所]]関連の法律、また[[不就学]]対応など児童保護法の成立に繋がった<ref name=Nozawa />。 |
20世紀に入ると、[[世界恐慌]]に端を発した不況と社会不安が子供にも襲い掛かり、親子[[心中]]、[[児童虐待]]や[[子殺し]]、児童労働環境の悪化や[[少年犯罪]]の増加が問題化した<ref name=Nozawa /><ref name=Sugi63 />。また、乳児死亡率の高さや国際的な児童の公的保護の機運が高まった事もあり、1926年から全国児童保護事業会議が開催されて児童保護に向けた法整備が話し合われ、[[児童虐待の防止等に関する法律|児童虐待防止法]]や各扶助法・[[託児所]]関連の法律、また[[不就学]]対応など児童保護法の成立に繋がった<ref name=Nozawa />。 |
||
140行目: | 140行目: | ||
[[File:Hyozu-jinja_兵主神社例祭(西脇市黒田庄町岡)2011.10.9_DSCF1166.jpg|thumb|right|200px|子供と[[浴衣]]、[[兵主神社]]例祭(2011年)]] |
[[File:Hyozu-jinja_兵主神社例祭(西脇市黒田庄町岡)2011.10.9_DSCF1166.jpg|thumb|right|200px|子供と[[浴衣]]、[[兵主神社]]例祭(2011年)]] |
||
教育、法律、行政文書などの世界では「'''子供'''」という表記を避けて「'''子ども'''」という表記を用いることが多い<ref name="Seino">{{Cite journal |
教育、法律、行政文書などの世界では「'''子供'''」という表記を避けて「'''子ども'''」という表記を用いることが多い<ref name="Seino">{{Cite journal ja-jp|author=清野 隆|year=2008|title=国語科教育の基礎学の構築(I) 漢字の基礎-「子ども」・「子供」の表記を基にして-|url=http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/899/1/59-1-kyoiku-01.pdf|format=PDF|journal=北海道教育大学紀要(教育科学編)|volume=59|issue=1|publisher=北海道教育大学}}</ref>。一方で、文部科学省では[[2013年]]([[平成]]25年)[[5月]]に、省内で多用されてきた「子ども」の表記の経緯について調査。表記についての内規が存在しないことを確認した上で、省内で表記を統一するようにとの[[文部科学大臣]][[下村博文]]の指示により、[[6月]]下旬から文部科学省の公用文に用いられる表記を「子供」に統一した<ref group="注">交ぜ書き廃止を求める団体が「子ども」表記の廃止を文科相に請願したことや、国会(衆議院文部科学委員会)で交ぜ書き表記の是正についてたびたび取り上げられたことが一因とされる。日本教育新聞2013年7月15日</ref><ref>『「子ども」表記を「子供」に 下村文科相 公用文の統一指示』 日本教育新聞2013年7月15日</ref>。 |
||
小中学校の国語の[[教科書]]では、学年や出版社によって「子供」「子ども」両方の表記がみられる。「子」は小学校1年生で、「供」は小学校6年生でそれぞれ読みを学ぶ漢字であり、小学校の5年生までは[[教育漢字#交ぜ書き|交ぜ書き]]の「子ども」表記である<ref name="Seino" />。しかし、中学3年生の全社の検定教科書に収録されている[[魯迅]]の『故郷』では、[[学校図書]]、[[教育出版]]、[[光村図書]]が「子供」としているのに対して、[[東京書籍]]と[[三省堂]]は「子ども」と表記している<ref name="Seino" />。 |
小中学校の国語の[[教科書]]では、学年や出版社によって「子供」「子ども」両方の表記がみられる。「子」は小学校1年生で、「供」は小学校6年生でそれぞれ読みを学ぶ漢字であり、小学校の5年生までは[[教育漢字#交ぜ書き|交ぜ書き]]の「子ども」表記である<ref name="Seino" />。しかし、中学3年生の全社の検定教科書に収録されている[[魯迅]]の『故郷』では、[[学校図書]]、[[教育出版]]、[[光村図書]]が「子供」としているのに対して、[[東京書籍]]と[[三省堂]]は「子ども」と表記している<ref name="Seino" />。 |
2020年3月31日 (火) 14:35時点における版
子供(こども)とは次のような意味で使われている言葉である。
考え方によっては、胎児も出生前発育をしている生命として子供に含める場合もある[3]。
また、親子や権威を持つ人物との相対的関係を表したり、氏族・民族または宗教内での関係を示す場合にも使われる。何らかの概念との関係を示すためにも使われ、「自然児」や「1960年代の子供」のように特定の時や場所または環境等の状況を受けている人の集団を指して用いられることもある[4]。
思慮や行動などが幼く足りない者のことも指して使われる用語もあり[2]、幼稚さや要領・主体性の無さを表す言葉として「子供っぽい」「子供らしい」「子供の使い」等の慣用句もある[5]。
なお、子供という単語は人間以外の動物にも使われたり[6]、生物に限らない、大きいものと小さいものが組みになっている状態を指して「子持ち」という表現にも使われる[7]。
自分の子、親と対になる意味の子
「子供」という言葉は、自分がもうけた子も指している[1]。広辞苑第五版では「子供」の解説の第一にその意味を挙げている[1]。大辞泉もむすこやむすめを挙げている[2]。
書簡において、「子供」は謙譲語として用いられる[8]。相手方を示すためには、「御子様」などの尊敬語が使われる[8]。
法的・社会的な基準
国際連合の児童の権利に関する条約では、子供を
18歳未満のすべての者、ただし子供に適用される法律の下でより早く成年に達する場合は、この限りでない
と定めている[9]。この条約は加盟194カ国中192カ国で批准されている。英語の用法では、胎児も子供の範疇に含める場合がある[3]。
しかし本来「子供」とその発達段階は明確に区分できない漸進的なものであり、その概念は歴史的に構築され、また社会や文化の違いが反映される。法律で大人と子供を定める際には、個人の成熟度合いを考慮していては法的安定性が損なわれるため一律の線引きを置く必要に迫られる[2- 1]。そのため各法律の目的に沿って、様々な用語を使いながら「子供」に対する個別の定義を行っている[10]。
日本での定義・区分
日本では、1896年(明治29年)制定の民法によって、20歳からを成年と定めており(第4条)[11]、被選挙権など一部の権利を除いて飲酒(未成年者飲酒禁止法第1条)・喫煙(未成年者喫煙禁止法第1条)などを含む成人の権利が与えられる[10][12]。
- 未成年者 - 20歳未満の男女[13][10]。ただし2022年4月1日以降は18歳未満の男女。
- 少年・少女 - 少年法第2条第1項の定義では20歳未満の男女[14]。児童福祉法第4条第1項の定義では小学校就学の始期から、満18歳に達するまでの男女[15]。
- 児童 - 児童福祉法第4条第1項の定義では満18歳に達するまでの者[15]。母子及び父子並びに寡婦福祉法第6条第3項の定義では満20歳に達するまでの者[16]。児童手当法第3条第1項や児童扶養手当法第3条第1項の定義では基本的に満18歳に達してから最初の3月31日を過ぎるまでの者[17][18]。児童の権利に関する条約第1条、児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律第2条第1項の定義では18歳未満の者[10]。労働基準法第56条の定義では満15歳に達してから最初の3月31日を過ぎるまでの者[10]。学校教育法第17条・第18条の定義では「学齢児童」とし満6歳になった翌日が属する学年の始まりから満12歳となった日が属する学年の終わりまでの期間にある子供[19]。道路交通法第14条第3項の定義では6歳以上13歳未満の者[10]。
- 幼児 - 児童福祉法第4条第1項及び母子保健法第6条第3項の定義では満1歳以上就学前の者[10][15]。道路交通法第14条第3項の定義では6歳未満の者[10]。
- 乳児 - 児童福祉法第4条第1項及び母子保健法第6条第2項の定義では生後1年未満の者[10][15]。
- 青少年 - 中学校卒業後20代前半くらいまでの男女(青少年保護育成条例の定義では18歳未満の男女)
- 青年 - 中学校卒業後20代後半くらいまでの男性(JICAの青年海外協力隊募集年齢では20歳から39歳まで)
- 婚姻適齢 - 民法第731条の定義では男性は18歳、女性は16歳から。ただし未成年者は父母の同意が必要(第753条)[10]。なお2022年4月1日以降は、男女とも18歳以降で、父母の同意は不要となる。
- 刑事未成年 - 刑法第41条の定義では14歳以上[10]。
- 年少者 - 労働基準法第57条、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律第18条の定義では18歳未満の者[10]。
- 子ども - 国立国会図書館法第22条、独立行政法人国立青少年教育振興機構法第10条の定義ではおおむね18歳以下の者[10]。
- 新生児 - 母子保健法第6条第5項の定義では、生後28日を経過しない者[10]。
- 勤労青少年 - 青少年の雇用の促進等に関する法律に基づく青少年雇用対策基本方針(平成28年厚生労働省告示第4号)ではおおむね35歳未満の者(おおむね45歳未満の者を対象とすることを妨げない)[20][21][10]。
世界の定義・区分
国立国会図書館の調査によると、世界186か国中、成人となる年齢を18歳としている国は162にのぼる。これには、日本を除く主要国首脳会議対象国すべてが当てはまる[12]。ただし、18歳成人は欧米諸国では1960-70年代に起こった若年層の活発な社会行動を反映して引き下げられたもので、イギリスでは1968年に定められた[12]。一方、アジアやアフリカの開発途上国では事情が異なり、早いうちに負わせられる徴兵の義務に対応して選挙等の権利を与えるために成人年齢が設定されたとの意見もある[12]。
労働という観点から、国際労働機関 (ILO) は、ILO138号条約にて就業最低年齢をその労働内容に応じて3種類設定している。最低の年齢は、義務教育が修了する年齢とし、基本的には15歳と置くが、発展途上国では14歳とすることもできる。その一方で軽易な労働はもっと若い13歳(発展途上国では12歳)を最低年齢とする。逆に、危険な労働への就業年齢は18歳または適切な職業訓練を条件に16歳とする。なお、家庭内の農業や手伝い、アルバイトなどは対象外とする[22]。
イニシエーション
何かしらの儀礼を以って子供と大人を区分けする習慣があり、これらはイニシエーション(通過儀礼)の一つに上げられる。多くは試練や苦行、また身なりの変更などであった[23]。
日本では元服もこれらのひとつに相当した[24]が、現在社会では廃れてしまっている。成人式も儀礼としては形骸化していると言えよう。
河合隼雄はイニシエーションの欠如が問題になっていると述べ[2- 2]、ピーターパン・シンドロームや心理社会的モラトリアム発生の一因とも考えられている[23]。
歴史的概念
古代ギリシア
古代ギリシア時代のアレクサンドリアのフィロンが著した『世界の創造』の中には、エレジーの形式で書かれたソロンの子供観を載せた部分がある。これは、人の一生を7年刻みの段階で表した。男子の場合、身体が成熟する時期は第4の7年(22-28歳)、精神が成熟する時期は第6の7年(31-42歳)であり、これに満たない年齢は成年とはみなしていない。フィロンは、同じ7年刻みによるヒポクラテスの見解も採録しており、7歳以下は小児 (παιδιον)、14歳までは子供 (παις)、21歳までは少年 (μειρακιον)、28歳までを若者 (νεανισκος) と呼んだ[25]。ただし、当時の子供を指す用語は、παιςとτεκνονの2つが主流であったと考えられる。παιςは子供以外にも「奴隷」や「同性愛者たち」など他の概念も指す広い用語で、その意味はインド・ヨーロッパ語系の「小さい」「重要ではない」が語源である。τεκνονは「生む」のτικτωから派生した単語である。例外はあるが、παιςは子供と父親の、τεκνονは子供と母親の関係を元に作られた言葉と考えられる[25][2- 3]。そして概念的には、男子の場合は「デモス」(人民)登録以前、女子の場合は結婚前を「子供」と考えることが一般的だった[25]。
プラトンやアリストテレスは、この7年段階での成熟を基礎に子供が大人になる時期を考察した。プラトンの『法律』や『政治学』では、結婚可能となる年齢を男性では30-35歳、女性は16-20歳に法律で定めるべきと論じられている。その根拠には、それぞれの性においてこの年齢時から生殖能力が充実するためであり、また男子の場合は父親が生殖限界となる70歳を迎え、相続に適するタイミングになる点を挙げた[25]。アリストテレスは『動物誌』にて、人間の成長を7年刻みの説で人間の成長段階を表し、大人とはアテネの五百人評議会 (βουλη) に名を連ねて公職に就く資格を持つ者を指し、それ以前の段階では「想定上の」または「見習い」市民に過ぎないと述べた。そして『ニコマコス倫理学』の中で、子供と動物は自発的行動を取る事は可能だが節度に欠き、選択を行使することはできず、欲望や激情に左右される。そのため理性を持つ者に監視されなければならないと言った[25]。
子供という概念の形成
フランスの歴史学者フィリップ・アリエスが著書『〈子供〉の誕生』で述べたところによると、ヨーロッパでは中世に至るまで、「子供」という概念は存在しなかったという。年少時の死亡率が高い社会だったので、生まれ出ただけでは家族の一員とみなされなかった。やがてある程度の成長を遂げると、今度は徒弟や奉公など労働に勤しむようになり、「小さな大人」として扱われる。そのため、服装や娯楽等において成長した大人と区別される事は無く、性道徳に関しても何らかの配慮がされることも無かった[27]。ただし、13世紀イギリスでは、宗教および法律の観点から、大人とは異なる子供の概念があったという主張もある[10]。
日本では、子供は親の所有物という感覚が強かった。子供は家を継ぐことが当たり前であり、親に絶対服従しなければならなかった。農村など貧しい家では、貧困に見舞われると身売りや奉公に出されたり、捨て子や間引きが行われたりした[28]。
ジャン=ジャック・ルソーは1762年の著書『エミール』で展開した消極教育論において、子供を「小さな大人」と扱う事の非を説いた。彼は、誕生してから12歳になるまでの期間は、子供時代という[29]能力と器官が内部的に発展する段階であると述べ[30]、多く施される発展した能力や器官を利用する方法を教える教育(人間の教育)は逆効果であり[29]、能力と器官を伸ばし完成させる教育(自然の教育)[29]を行わなければならないと主張した[30]。
成年ではない者としての子供という概念は、中世において男子に限り発生したが、女子については形成されなかった[10]。幼児と成年の間としての子供観は、近世になってから確立された[10]。16-17世紀頃から現れる家族意識の中で、家庭内などにおいて幼児は、その愛らしさから可愛がられる対象という視線が醸成された。また社会的にも、聖職者やモラリストらによる理性的な習俗を実現させようとするグループから、子供に対する配慮が生まれた。これらが18世紀頃には結びついて、社会は子供を「小さな大人」という見方から、庇護し、愛情を傾け、学校による[10]教育を施してやらなければならない存在という風に認識が形成された[27]。
この変貌は絵画の変遷を追うことで確認できる。16世紀、子供たちのイメージにはっきりした幼い見かけが現れ始める。17世紀後半からは、遊戯を愉しむ姿が描かれるようになる。玩具や児童文学が発展を見せたのも、この頃である[31]。
家族の意味と教育の変化
アリエスは同書にて、子供に教育を施す主体の変化にも触れている。中世まで、子供は家庭から出されるか、家庭内でも労働を課せられ、見習い修行の中で一人前に成長した。それは、家族が共同体の一部という性格を強く持っていたためであり、実の親子関係を醸成するような環境ではなかった[27]。これが近世になると、仕事・社交・私生活の分離が進み、ひとつの家屋の中で家族のみが生活をするようになる。ここでは共同体よりも家族という単位が重視され、その中で子供が占める位置が高まりを見せた。また、裕福な階層の子弟のために学校が作られるとともに、「教師」と「生徒」という区分がそのまま「大人」と「子供」の分離となった。学校は社会生活に必要な教育を施す通過点となり、学校を出れば「大人」、それまでは「子供」という区切りをつけるものになった[27]。
子供に対する社会的態度
子供に向けられる社会的態度は、世界中の文化圏によって違いがあり、また時代によっても異なる。1988年にヨーロッパ諸国を対象に行われた調査では、イタリアは子供中心の傾向が強くオランダでは弱い。オーストリア、イギリス、アイルランド、西ドイツなど他の国々は中間的な位置を占めた[32]。
子供の社会化
遊び
一般に「遊び」とは気晴らしであったり[33]非生産的と捉えがち[26]だが、これはあくまで大人の遊びに対するものであり、子供にとって遊びとは生活の中心にあり[33]、特に幼児期には、生活の全てが遊びと言える[34]。そして子供は遊びを通じて様々なことを学ぶ[35]。1959年の児童権利宣言第7条には「児童は遊びおよびレクリエーションのための充分な機会を与えられる権利を有する[36]。」と、子供にとって遊びが大切な要素である事を謳っている[26]。
ヨハン・ホイジンガは、遊びを「自発的な行為・活動であり、規則を受け入れ従う中で、緊張や歓びを感じつつ行う行為」と定めた[2- 4]。子供は遊びの中で、規則を破って遊びそのものが破綻させないよう、自主・自立的に学習を重ねる[35]。大人を模倣するようなごっこ遊びは社会生活への興味を喚起し、態度や性格を形成するとともに、演劇的性質を芸術的創造へ発展させる事もできるとも論じられる[37]。
仲間の形成
すべての子供は成長・発達に伴い社交性を身につける。幼児やとても小さな子供はひとり遊びでも満足する[38]。このような子供が他者との関わり合いを持つ最初の相手は養育者であり、多くの場合それは母親である[39]。
もしそこに他の子供がいたら、ぶつかり合ったり排除しようとすることもあり得る。しかしやがて一緒に遊ぶようになり、共有や交流の中に楽しさを見出す。そして遊び相手も3人、4人と増え、仲間という集団を形成するようになる[38]。子供に兄や姉がいる場合、彼らが初期の仲間関係をつくる相手となる。この兄弟姉妹関係は社会生活を通じて直面する競争や協同を経験する重要な役割を担う人間関係である[2- 5][39]。幼稚園に入園する頃には、子供たちは仲間の輪に加わり、集団での経験を楽しめるようになる[38]。ここで子供は就学前教育を受け、さまざまな遊びを通して理解力や思考・創造力または問題解決力だけでなく、表現力や社会性・協調性も身につける[40][41]。
教育
多くの国で、一定の年齢に達した子供には義務教育が施される。ここでは国家や社会の一員として必要最低限の言語・文化・規範を教わり、また個性・能力や人格形成の醸成を促す[42]。日本では、学校教育法によって義務教育期間を満6歳から15歳としており[19]、モザンビークやモンゴルのような例外もあるが、その他多くの国でも6歳前後から9-10年間の教育制度を設定している[43][44]。
注意欠陥・多動性障害 (ADHD) や学習障害にある子供たちには、社会技能を身につけるための訓練を行うために、特別な支援が求められる場合がある。ADHDの子供は良好な友人関係を築きにくい可能性がある。注意欠陥の子供は、周囲に存在する社交のきっかけをつかみにくく、経験を通した社会技能習得に難点を抱えている可能性がある[38]。
責任を持つ年齢
人間が、結婚や投票など社会的な約束事に対して責任を負うことができるようになると受け取られる年齢は時代とともに変化し、現在では法律が制定する問題となっている。古代ローマでは子供は罪を犯しても責任がないとみなされ、後にキリスト教会もこの位置づけを取り入れた。19世紀に入ると、犯罪に対する責任を持たない年齢は7歳未満とみなされ、7歳以上の人間は自分の行動に責任を負わされるようになった。つまり、7歳以上の人間が告発されれば、大人と同じ刑務所に送られ、鞭打ちや烙印、そして絞首刑などの刑罰が大人と何ら変わりなく執行された[45]。現代では、カナダやアメリカなど多くの国で刑事責任を負う年齢は12歳以上とされるが、罪に問われた際には成人とは別の少年収容施設に収容することとしている例が多い。
ある調査によると、世界中の少なくとも25の国で義務教育を受ける子供の年齢を定めていない。そして、雇用や結婚の最低年齢もまちまちである。少なくとも125の国では、7 – 15歳の子供でも犯罪行為に対して裁判や収監を受けさせるようになっている。いくつかの国では、14 – 15歳まで就学するよう法律で定められているが、もっと若い時期から就労は認められている。子供の教育を受ける権利を脅かすものは、早婚や児童労働または監禁などである[46]。
子供の死亡率
1600年代のイギリスでは、2/3の子供は4歳未満で死去していたため、平均寿命は35歳前後にとどまっていた[47]。これが劇的に改善され子供の生存率が伸びたのは産業革命期である[48]。
人口健康専門家委員会 (population health experts) によると、1990年代に比べ乳幼児死亡率は急速に低下している。20年前と比較すると、アメリカでは5歳未満の子供の死亡者数が4.2%まで下がった。セルビアやマレーシアも死亡者数を7.0%まで減少させた[49]。
子供と労働
イギリス
児童労働が社会問題化され始めたのは、イギリスに始まる18-19世紀の産業革命期であった。未熟練労働者として低賃金で雇われ[10]、粗末な住環境に置かれながら工場での長時間労働を強いられた子供たちの様子は、フリードリヒ・エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』で触れられ、チャールズ・ディケンズの小説などでも描かれる[2- 6]。カール・マルクスも『資本論』の中で、4歳の工場労働者の存在に触れた[52]。
イギリスでは1833年に工場法が制定され、子供の労働に制限が加えられたが、就労年齢9歳以上、労働は一日12時間以下という緩さだった。また、身体の小ささから危険で健康被害も懸念される煙突掃除のような過酷な労働にも使役された[52]。
転機は、1870年に施行された小学教育令であり、13歳以下の子供を対象に義務教育が制定された事に始まる。これはすぐに成果を上げた訳ではなかったが、生産性向上と相まって20世紀前半には子供を搾取されがちな工場労働から近代的な教育を施す学校へ移す役割を果たした[52]。
日本
日本で子供が工場労働を担うようになったのは、明治時代の富国強兵や殖産興業の元、製糸・織物業などを中心とした工業化が広がり始まった[28]。その中で子供も一般的に雇われたが、労働環境は大人よりも劣悪で、また不況時には解雇されるなど便利使いされていた。農工務省が纏めた1903年(明治36年)の「職工事情」第一巻には、単純作業の長時間労働が時に徹夜にまで至り、ろくな休憩も無く粉塵まみれになって働き続ける様子が報告された[53]。横山源之助は大阪の工場を見て廻った記録を残したが、それによると15歳以下の少女が紡績分野で多く使われ、中には7・8歳の子供もいたという。既に1872年(明治5年)の学制はあったが、彼女らは満足な教育を受けていなかった[52]。1916年(大正5年)に工場法が施行[注 1]されたが、依然として長い就労制限時間や小規模事業所が適用除外になるなど充分なものではなかった[52]。
20世紀に入ると、世界恐慌に端を発した不況と社会不安が子供にも襲い掛かり、親子心中、児童虐待や子殺し、児童労働環境の悪化や少年犯罪の増加が問題化した[53][28]。また、乳児死亡率の高さや国際的な児童の公的保護の機運が高まった事もあり、1926年から全国児童保護事業会議が開催されて児童保護に向けた法整備が話し合われ、児童虐待防止法や各扶助法・託児所関連の法律、また不就学対応など児童保護法の成立に繋がった[53]。
現状
国際労働機関 (ILO) が発表した2000年の統計によると、世界で児童労働をしている子供は2億4600万人。うち15歳未満は1億8600万人であった。ILOが第182号条約で定める、人身取引・債務奴隷・強制された少年兵・強制労働・買春・児童ポルノ・麻薬関連等の不正活動・路上で働くストリート・チルドレン[54]など無条件に最悪の労働[22]に従事する子供は840万人にのぼる[55]。この他にも、家事使用人に従事する子供の中には統計に現れにくい虐待や強制労働または児童性的虐待があるものと考えられている[56]。
弱者としての子供
キャロル・コープは、「子供は35秒で騙される」と述べた[2- 7][57]。子供は一般に、思慮や判断力が成熟しておらず、感受性の強さから外的な刺激に対する抵抗力が身についていない[10]。
この特性が、少年兵を生む要因になっている。集めやすい上、子供は教育や訓練に従順で、特定の思想を植えつけやすい。そのため少年兵は一般兵よりも命令に忠実で、残忍にもなる。地雷排除のために子供を歩かせた例もあった。また、武器の軽量化や敵に警戒心を抱かせにくい点を利用し、自爆テロのような「使い捨て」に利用される例も多い[58]。子どもの権利条約やさまざまな国際条約では子供の徴兵を禁じているが、貧困や共同体崩壊等の理由もあり、地域紛争や内戦が多発する状態では実効性に乏しいのが現状である[58]。
日本語における表記について
教育、法律、行政文書などの世界では「子供」という表記を避けて「子ども」という表記を用いることが多い[59]。一方で、文部科学省では2013年(平成25年)5月に、省内で多用されてきた「子ども」の表記の経緯について調査。表記についての内規が存在しないことを確認した上で、省内で表記を統一するようにとの文部科学大臣下村博文の指示により、6月下旬から文部科学省の公用文に用いられる表記を「子供」に統一した[注 2][60]。
小中学校の国語の教科書では、学年や出版社によって「子供」「子ども」両方の表記がみられる。「子」は小学校1年生で、「供」は小学校6年生でそれぞれ読みを学ぶ漢字であり、小学校の5年生までは交ぜ書きの「子ども」表記である[59]。しかし、中学3年生の全社の検定教科書に収録されている魯迅の『故郷』では、学校図書、教育出版、光村図書が「子供」としているのに対して、東京書籍と三省堂は「子ども」と表記している[59]。
北海道教育大学で学生(114名)と小・中・高校等の教師(48名)を対象に行われた調査によると、「小・中・高等学校の指導」で最も適切なものを選ばせる質問では、「子ども」「子供」「両方よい」のうちで「子ども」を選んだ者が一番多く、学生では約72%、教師では約77%であった[59]。教員採用試験の参考書でも、かつての文部科学省の表記を根拠に「子ども」表記を推奨しているものがある[59]。なお当て字ないしは誤表記として「小供」[59]や「子共」も見られる。
北海道教育大学教授の清野隆は「子ども」という表記が利用される理由として
- 「供」が小学校6年生で学ぶ漢字に含まれていることを知らない教師が多く、「子ども」と表記するものであると思いこんでいる。
- 小学校の教科書では「子ども」と表記されている事が多いため、教師がそれを学校教育における表記の基準だと思いこんでいる。
- 上記のような教師に指導を受けてきた児童・生徒は社会に出ても「子ども」と表記する。
- 社会に出てメディアなど公共性の高い職に就いた者が「子ども」と表記することで、この表記が一般化されていく。結果的に、教師を含めた多くの人がこの表記に疑問を持たなくなる。
- 「供」という字は当て字の色彩が濃いから用いないほうがよいという説がある[注 3]。
- 「供」という字は、漢和辞典などで「人を付して供える」と成り立ちが説明されており、語源を考えると良くない文字であるという説がある[注 3]。
などを挙げている[59]。
注釈
- ^ 公布は1911年(明治44年)。(国立公文書館「公文書にみる日本のあゆみ、明治44年(1911)3月」)
- ^ 交ぜ書き廃止を求める団体が「子ども」表記の廃止を文科相に請願したことや、国会(衆議院文部科学委員会)で交ぜ書き表記の是正についてたびたび取り上げられたことが一因とされる。日本教育新聞2013年7月15日
- ^ a b なお、清野はこれらの説について「学術的な記述は現段階で発見できなかった」旨を述べている
脚注
- ^ a b c d 広辞苑 第五版 p.988 「子供」
- ^ a b c d e デジタル大辞泉「子供」[1]
- ^ a b 『Shorter Oxford English Dictionary』、2007年、6版、p.397、第一定義によると、"A fetus; an infant;..."(胎児; 幼児)。『The Compact Edition of the Oxford English Dictionary: Complete Text Reproduced Micrographically’, Vol. I』、オックスフォード大学出版局、1971年、p.396、‘The unborn or newly born human being; foetus, infant’.(未出生または出生間近の人間; 胎児, 幼児)
- ^ “【child】in American Heritage Dictionary”. Your Dictionary. 2012年3月10日閲覧。
- ^ 「【子供っぽい】【子供らしい】【子供の使い】」『日本語大辞典』(第一刷)講談社、1989年、715頁。ISBN 4-06-121057-2。
- ^ 「【子供】」『日本語大辞典』(第一刷)講談社、1989年、715頁。ISBN 4-06-121057-2。
- ^ 「【子持ち】」『日本語大辞典』(第一刷)講談社、1989年、726頁。ISBN 4-06-121057-2。
- ^ a b 書翰文研究 P.103 中川静 1905年
- ^ “Convention on the Rights of the Child” (PDF) (英語). The Policy Press, Office of the United Nations High Commissioner for Human Rights. 2010年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 角田巌、綾牧子. “子どもの存在における二重性” (PDF). 文教大学図書館. 2012年3月10日閲覧。
- ^ “民法”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2016年4月11日閲覧。
- ^ a b c d 田中治彦. “18歳成人を考える”. 立教大学. 2012年3月10日閲覧。
- ^ 松岡久和. “能力(2)-行為能力の制限と補充” (PDF). 京都大学法学部. 2012年3月10日閲覧。
- ^ “少年法”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2016年4月11日閲覧。
- ^ a b c d “児童福祉法”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2016年4月11日閲覧。
- ^ “母子及び父子並びに寡婦福祉法”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2016年4月11日閲覧。
- ^ “児童手当法”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2016年4月11日閲覧。
- ^ “児童扶養手当法”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2016年4月11日閲覧。
- ^ a b “学校教育法”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2016年4月11日閲覧。
- ^ “青少年雇用対策基本方針を定める件(厚生労働四) 平成28年1月14日”. 独立行政法人労働政策研究・研修機構. 2016年4月11日閲覧。
- ^ “青少年の雇用の促進等に関する法律(若者雇用促進法)などが平成27年10月から順次施行されます!”. 厚生労働省. 2016年4月11日閲覧。
- ^ a b “定義 「児童労働」とは?”. ILO駐日事務所. 2012年3月25日閲覧。
- ^ a b 四宮ふみ子. “大人になることの拒否”. 北星学園大学. 2012年3月31日閲覧。
- ^ 丹羽建夫. “大人になることの拒否”. 河合文化教育研究所. 2012年3月31日閲覧。
- ^ a b c d e 柿木昭人. “大人/子供‐古代ギリシアからの眺め” (PDF). 同志社大学. 2012年3月3日閲覧。
- ^ a b c 一番ヶ瀬ら(1984)、pp.64-65、学習と遊び
- ^ a b c d 渡辺朋昭. “バダンテール『母性という神話』コメント アリエス『<子供>の誕生‐アンシャンレジーム期の子供と家族』”. 慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス 小熊英二研究会. 2012年3月3日閲覧。
- ^ a b c 杉本ら (2004)、pp.63-64、第5章 児童問題と社会福祉、第1節 児童福祉の理念と意義、(1)児童観の変遷
- ^ a b c 伏木久始. “ルソーの教育論”. 信州大学教育学部. 2012年3月3日閲覧。
- ^ a b 木村吉彦. “ルソーの「消極教育」論について” (PDF). 2012年3月3日閲覧。
- ^ Heather Thomas. “To what extent were there important changes in the way that children were brought up in this period?” (英語). elizabethi.org. 2012年3月3日閲覧。
- ^ Rachel K. Jones and April Brayfield. “Life's greatest joy?: European attitudes toward the centrality of children.” (PDF) (英語). Social Forces, Vol. 75, No. 4, Jun 1997. 1,239-69 pp.. 2012年3月3日閲覧。
- ^ a b 一番ヶ瀬ら(1984)、pp.65-66、遊び軽視の観念
- ^ 一番ヶ瀬ら(1984)、p.70、子どもの生活の中心-遊び
- ^ a b 一番ヶ瀬ら(1984)、pp.67-68、遊びを通しての成長
- ^ “児童権利宣言”. 国際連合第14回総会採択. 2012年3月31日閲覧。
- ^ 一番ヶ瀬ら(1984)、p.77、遊びの発展
- ^ a b c d “Helping Your Child with Socialization” (英語). Child Development Institute. 2014年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月3日閲覧。
- ^ a b 高橋江梨子. “児童の対人認知と社会的スキルに関する研究” (PDF). 2012年3月10日閲覧。
- ^ “カリキュラム”. 2012年3月10日閲覧。
- ^ “取得できる資格”. 帝京短期大学. 2012年3月10日閲覧。
- ^ “教育義務費に係る経費負担の在り方について(中間報告)”. 文部科学省. 2012年3月10日閲覧。
- ^ “各国の義務教育制度の概要” (PDF). 文部科学省. 2012年3月10日閲覧。
- ^ “世界の学校を見てみよう”. 外務省. 2012年3月10日閲覧。
- ^ Juvenile Justice. “Changing Social Attitudes Toward Children” (英語). 2012年3月3日閲覧。
- ^ Melchiorre, A.. “At What Age?...are school-children employed, married and taken to court?” (英語). Right to Education Project. 2012年3月3日閲覧。
- ^ W. J. Rorabaugh, Donald T. Critchlow, Paula C. Baker (2004). "America's promise: a concise history of the United States". Rowman & Littlefield. p.47. ISBN 0742511898
- ^ “Modernization - Population Change” (英語). Encyclopædia Britannica. 2012年3月3日閲覧。
- ^ “Child mortality rates dropping” (英語). Los Angeles Times. 2012年3月3日閲覧。
- ^ 松岡光治. “ディケンズと芸術” (PDF). 名古屋大学大学院・国際言語文化研究科. 2012年3月31日閲覧。
- ^ 鬼塚雅子. “煙突掃除夫たちの詩”. 埼玉女子短期大学. 2012年3月31日閲覧。
- ^ a b c d e 石原静子 (1998年). “アジアに羽ばたけトットちゃん 現代子ども労働の一考察”. 和光大学人間関係学部. 2012年3月10日閲覧。
- ^ a b c 野澤正子 (1986年). “戦前の日本における児童の公的保護論の形成過程” (PDF). 大阪府立大学学術情報リポジトリ. 2012年3月10日閲覧。
- ^ “2.児童労働の実態 路上で働く子どもたち:ストリートチルドレン”. ILO駐日事務所. 2012年3月25日閲覧。
- ^ “統計”. ILO駐日事務所. 2012年3月25日閲覧。
- ^ “2.児童労働の実態 家事使用人として働かされる子どもたち”. ILO駐日事務所. 2012年3月25日閲覧。
- ^ 碓井真史. “東京小6女児4人監禁事件の犯罪心理”. 新潟青陵大学大学院臨床心理学研究科. 2012年3月10日閲覧。
- ^ a b 小野圭司. “子ども兵士問題の解決に向けて” (PDF). 防衛省防衛研究所. 2012年3月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g 清野 隆、2008、「国語科教育の基礎学の構築(I) 漢字の基礎-「子ども」・「子供」の表記を基にして- (PDF) 」 、『北海道教育大学紀要(教育科学編)』59巻1号、北海道教育大学
- ^ 『「子ども」表記を「子供」に 下村文科相 公用文の統一指示』 日本教育新聞2013年7月15日
出典
ここでは、注釈・脚注内で提示されている「出典」を示しています。
- ^ 『現代法学入門』、伊東正己、加藤一郎、有斐閣、3版補訂版、1999年、p.22
- ^ 河合隼雄『母性社会日本の病理』講談社、1997年。ISBN 978-4062562195。
- ^ Mark Golden, Children and Childhood in Classical Athens, Johns Hopkins Univ. Pr., 1993 (1990), p. 12-13.
- ^ ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス 人類文化と遊戯』
- ^ 吉田俊和(1987)「きょうだいの存在意義」長田雅喜編『家族関係の社会心理学』福村出版、p.107
- ^ 松永巌「オリヴァー・トゥウィトに見るロンドンの下層社会」和光大学総合文化研究所年報『東西南北』1997年
- ^ キャロル・S ・コープ『変質者の罠から子どもを守る法』人間と歴史社、1997年。ISBN 978-4890071029。
参考文献
- 一番ヶ瀬康子、泉順、小川信子、窪田暁子、宍戸健夫『子どもの生活圏』(第10版)日本放送出版協会、1984年。ISBN 4-14-001086-X。
- 杉本敏夫、小尾義則、宮川数君『新・社会福祉学講義』ふくろう出版、2004年。ISBN 4-86186-174-8。
- 林邦雄、谷田貝公昭『図解・子ども事典』一藝社、2005年。ISBN 4-901253-60-3 。
- マリーア・モンテッソーリ『子どもの発見』国土社、2001年。ISBN 4-337-65871-8 。
- 林邦雄『チルドレンワールド』一藝社、2006年。ISBN 4-901253-00-X 。