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'''ヴァン・クライバーン'''(Van Cliburn、[[1934年]][[7月12日]] - [[2013年]][[2月27日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[ピアニスト]]<ref>{{Cite web |url = https://truediscipleship.com/a-great-man-has-fallen-van-cliburn-is-a-homosexual/|title = A Great Man has Fallen–Van Cliburn is a homosexual|website = truediscipleship.com|publisher = Truediscipleship|date = |accessdate = 2020-02-16}}</ref>である。 |
'''ヴァン・クライバーン'''(Van Cliburn、[[1934年]][[7月12日]] - [[2013年]][[2月27日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[ピアニスト]]<ref>{{Cite web |url = https://truediscipleship.com/a-great-man-has-fallen-van-cliburn-is-a-homosexual/|title = A Great Man has Fallen–Van Cliburn is a homosexual|website = truediscipleship.com|publisher = Truediscipleship|date = |accessdate = 2020-02-16}}</ref>である。 |
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== 略歴 == |
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[[アメリカ合衆国]][[ルイジアナ州]]のシューレーヴポートという町の生まれで<ref>吉澤ヴィルヘルム『ピアニストガイド』[[青弓社]]、印刷所・製本所厚徳所、2006年2月10日、94ページ、{{ISBN2|4-7872-7208-X}}</ref>、本名はハーヴィー・ラヴァン・クライバーン・ジュニア(Harvey Lavan Cliburn Jr.)<ref>{{Cite web |url = https://tshaonline.org/handbook/online/articles/fclib-0|title = Harvey Lavan Cliburn Jr. |website = tshaonline.org|publisher = TSHA Online|date = |accessdate = 2020-02-16}}</ref>。 |
[[アメリカ合衆国]][[ルイジアナ州]]のシューレーヴポートという町の生まれで<ref>吉澤ヴィルヘルム『ピアニストガイド』[[青弓社]]、印刷所・製本所厚徳所、2006年2月10日、94ページ、{{ISBN2|4-7872-7208-X}}</ref>、本名はハーヴィー・ラヴァン・クライバーン・ジュニア(Harvey Lavan Cliburn Jr.)<ref>{{Cite web |url = https://tshaonline.org/handbook/online/articles/fclib-0|title = Harvey Lavan Cliburn Jr. |website = tshaonline.org|publisher = TSHA Online|date = |accessdate = 2020-02-16}}</ref>。 |
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クライバーンの『[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]:[[ピアノ協奏曲第1番 (チャイコフスキー)|ピアノ協奏曲第1番]]』(コンドラシン指揮RCA交響楽団)(1958年)は、[[ビルボード]]のポップアルバムチャートで1位(7週連続<ref>{{Cite web |url = http://www.number1albums.com/tchaikovsky_piano_concerto_no-_1_-_van_cliburn_august_11_1958/|title = Tchaikovsky: Piano Concerto No. 1|website = www.number1albums.com|publisher = number 1 albums|date = |accessdate = 2020-02-16}}</ref>)を獲得した唯一のクラシック作品である(2007年現在)。[[キャッシュボックス]]のポップアルバムチャートでも最高2位を記録。続く『[[セルゲイ・ラフマニノフ|ラフマニノフ]]:[[ピアノ協奏曲第3番 (ラフマニノフ)|ピアノ協奏曲第3番]]』(コンドラシン指揮[[シンフォニー・オブ・ジ・エア]]<ref>{{Cite web |url = https://books.google.com/books?id=lx0EAAAAMBAJ&pg=PA23&lpg=PA23&dq=cliburn+van+billboard+Kondrashin+rachmaninoff+no3&source=bl&ots=aAfn0Fygpx&sig=ACfU3U0hyWRqbPxmEXnzU-MmW7p-Hu2hBg&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjRhdb-hdXnAhWdyjgGHfKgB5M4ChDoATAAegQIBhAB|title = Kondrashin&Cliburn's Rachmaninoff Concerto 3|website = books.google.com|publisher = google|date = |accessdate = 2020-02-16}}</ref> |
クライバーンの『[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]:[[ピアノ協奏曲第1番 (チャイコフスキー)|ピアノ協奏曲第1番]]』(コンドラシン指揮RCA交響楽団)(1958年)は、[[ビルボード]]のポップアルバムチャートで1位(7週連続<ref>{{Cite web |url = http://www.number1albums.com/tchaikovsky_piano_concerto_no-_1_-_van_cliburn_august_11_1958/|title = Tchaikovsky: Piano Concerto No. 1|website = www.number1albums.com|publisher = number 1 albums|date = |accessdate = 2020-02-16}}</ref>)を獲得した唯一のクラシック作品である(2007年現在)。[[キャッシュボックス]]のポップアルバムチャートでも最高2位を記録。続く『[[セルゲイ・ラフマニノフ|ラフマニノフ]]:[[ピアノ協奏曲第3番 (ラフマニノフ)|ピアノ協奏曲第3番]]』(コンドラシン指揮[[シンフォニー・オブ・ジ・エア]]<ref>{{Cite web |url = https://books.google.com/books?id=lx0EAAAAMBAJ&pg=PA23&lpg=PA23&dq=cliburn+van+billboard+Kondrashin+rachmaninoff+no3&source=bl&ots=aAfn0Fygpx&sig=ACfU3U0hyWRqbPxmEXnzU-MmW7p-Hu2hBg&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjRhdb-hdXnAhWdyjgGHfKgB5M4ChDoATAAegQIBhAB|title = Kondrashin&Cliburn's Rachmaninoff Concerto 3|website = books.google.com|publisher = google|date = |accessdate = 2020-02-16}}</ref> |
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)もビルボードのポップアルバムチャートで最高10位を獲得している。 |
)もビルボードのポップアルバムチャートで最高10位を獲得している。[[フリッツ・ライナー]]指揮[[シカゴ交響楽団]]との共演で、ラフマニノフの[[ピアノ協奏曲第2番 (ラフマニノフ)|ピアノ協奏曲第2番]]、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の[[ピアノ協奏曲第4番 (ベートーヴェン)|ピアノ協奏曲第4番]]と[[ピアノ協奏曲第5番 (ベートーヴェン)|ピアノ協奏曲第5番「皇帝」]]、[[ワルター・ヘンドル]]指揮[[シカゴ交響楽団]]との共演で[[セルゲイ・プロコフィエフ|プロコフィエフ]]の[[ピアノ協奏曲第3番 (プロコフィエフ)|ピアノ協奏曲第3番]]なども録音した。 |
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そのあとクライバーンは健康上の理由で長期間のブランクに入り、1980年代には公の場で演奏する機会をほとんど失ってしまうが、1990年代にカムバックして再来日を果たした。ただしピアニストの[[中村紘子]]は「その演奏はもはや正面きってどうのこうの、といえるような対象ではありませんでした<ref group="注釈">この影響でクライバーン国際の入賞者が日本をツアーから外す傾向が一時みられたが、現在は元に戻っており優勝者は来日している。</ref>」と論じ、「彼が芸術家として成熟することなく終わってしまったのは、結局アメリカのこの豊かさ、楽しい生活に問題があったのではないか、と考えたものです」と述べた<ref>NHK『人間講座』2003年4月 - 5月期「国際コンクールの光と影」63ページ</ref>。 |
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[[2003年]]に[[大統領自由勲章]]<ref>{{Cite web |url = https://tower.jp/article/feature_item/2013/02/28/1101|title = アメリカの名ピアニスト、ヴァン・クライバーン氏、逝去|website = tower.jp|publisher = Tower Records|date = 2013-02-28|accessdate = 2020-02-16}}</ref>、[[2004年]]に[[親善勲章]]([[ロシア]])を受章<ref>{{Cite web |url = https://www.washingtonpost.com/news/worldviews/wp/2016/12/13/what-is-the-russian-order-of-friendship-and-why-does-trumps-pick-for-secretary-of-state-have-one/|title = What is the Russian Order of Friendship, and why does Rex Tillerson have one?|website = www.washingtonpost.com|publisher = Washington Post|date = |accessdate = 2020-02-17}}</ref>。[[2013年]]に[[骨癌]]で死去<ref>{{Cite web |url = https://www.nytimes.com/2013/02/28/arts/music/van-cliburn-pianist-dies-at-78.html|title = Van Cliburn, Cold War Musical Envoy, Dies at 78|website = www.nytimes.com|publisher = The New York Times|date = |accessdate = 2020-02-16}}</ref>。 |
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*[[中村紘子]] - NHK人間講座 2003年-4・5月期 中村紘子 国際コンクールの光と影 ([[NHK出版]]) |
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*[[吉澤ヴィルヘルム]] - 『ピアニストガイド』 ([[青弓社]]) |
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== 外部リンク == |
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*[https://cliburn.org/ Van Cliburn Foundation] |
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*[https://web.archive.org/web/20210520171056/http://www.bruceduffie.com/cliburn.html ブルース・ダフィーによるインタビュー] |
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2021年8月2日 (月) 16:35時点における版
Van Cliburn | |
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基本情報 | |
出生名 | Harvey Lavan Cliburn, Jr. |
別名 | Van Cliburn |
生誕 |
1934年7月12日 ルイジアナ州シュリーブポート |
死没 |
テキサス州フォートワース |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
活動期間 | 1946–2013 |
レーベル | RCAビクター |
ヴァン・クライバーン(Van Cliburn、1934年7月12日 - 2013年2月27日)は、アメリカ合衆国のピアニスト[1]である。
略歴
アメリカ合衆国ルイジアナ州のシューレーヴポートという町の生まれで[2]、本名はハーヴィー・ラヴァン・クライバーン・ジュニア(Harvey Lavan Cliburn Jr.)[3]。
6歳でテキサス州に家族とともに引っ越した。12歳で州のコンクールに優勝してヒューストン交響楽団と共演した。ロジーナ・レヴィーンに師事した後、1958年、23歳で世界的に権威のある第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝。このコンクールは1957年10月のスプートニク1号打ち上げによる科学技術での勝利に続く芸術面でのソビエトの優越性を誇るために企画された。クライバーンのチャイコフスキー協奏曲第1番とラフマニノフ協奏曲第3番の演奏後はスタンディングオベーション[4]が8分間も続いた。審査員一同は審査終了後、ニキータ・フルシチョフに向かって、アメリカ人に優勝させてもよいか、慎重に聞いた。フルシチョフは「彼が一番なのか?」と確認、「それならば賞を与えよ」と答えた[5]。冷戦下のソ連のイベントに赴き優勝したことにより、一躍アメリカの国民的英雄となる。このコンクールに審査員として参加していたスヴャトスラフ・リヒテルは、クライバーンに満点の25点を、他の者すべてに0点[注釈 1]をつけた。凱旋公演では、コンクール本選で指揮を担当したキリル・コンドラシンを帯同させている[注釈 2]。この優勝を祝してヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールが1962年より開催されている。1966年には初来日も果たした。
クライバーンの『チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番』(コンドラシン指揮RCA交響楽団)(1958年)は、ビルボードのポップアルバムチャートで1位(7週連続[6])を獲得した唯一のクラシック作品である(2007年現在)。キャッシュボックスのポップアルバムチャートでも最高2位を記録。続く『ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番』(コンドラシン指揮シンフォニー・オブ・ジ・エア[7] )もビルボードのポップアルバムチャートで最高10位を獲得している。フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団との共演で、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番とピアノ協奏曲第5番「皇帝」、ワルター・ヘンドル指揮シカゴ交響楽団との共演でプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番なども録音した。
そのあとクライバーンは健康上の理由で長期間のブランクに入り、1980年代には公の場で演奏する機会をほとんど失ってしまうが、1990年代にカムバックして再来日を果たした。ただしピアニストの中村紘子は「その演奏はもはや正面きってどうのこうの、といえるような対象ではありませんでした[注釈 3]」と論じ、「彼が芸術家として成熟することなく終わってしまったのは、結局アメリカのこの豊かさ、楽しい生活に問題があったのではないか、と考えたものです」と述べた[8]。
2003年に大統領自由勲章[9]、2004年に親善勲章(ロシア)を受章[10]。2013年に骨癌で死去[11]。
参考文献
- 中村紘子 - 『チャイコフスキー・コンクール』 (新潮文庫)[注釈 4]
- 中村紘子 - 『コンクールでお会いしましょう―名演に飽きた時代の原点』 (中公文庫)
- 中村紘子 - NHK人間講座 2003年-4・5月期 中村紘子 国際コンクールの光と影 (NHK出版)
- 吉澤ヴィルヘルム - 『ピアニストガイド』 (青弓社)
関連項目
脚注
注釈
- ^ この操作がなかった場合、クライバーンが優勝だったのかどうかは疑問視されているが、クライバーンの演奏が聴衆に大いに受けているのは録音で確認できる。
- ^ キリル・コンドラシンの国外デビューである。
- ^ この影響でクライバーン国際の入賞者が日本をツアーから外す傾向が一時みられたが、現在は元に戻っており優勝者は来日している。
- ^ 一介の「田舎のピアニスト」だった彼が、チャイコフスキーコンクールの第一位になり、文字通りの「アメリカン・ドリーム」を実現するまでと、その後の停滞と挫折までが、アメリカのクラシック事情と共に詳しく述べられている。
出典
- ^ “A Great Man has Fallen–Van Cliburn is a homosexual”. truediscipleship.com. Truediscipleship. 2020年2月16日閲覧。
- ^ 吉澤ヴィルヘルム『ピアニストガイド』青弓社、印刷所・製本所厚徳所、2006年2月10日、94ページ、ISBN 4-7872-7208-X
- ^ “Harvey Lavan Cliburn Jr.”. tshaonline.org. TSHA Online. 2020年2月16日閲覧。
- ^ “Remembering Van Cliburn, the most Russian of American pianists”. www.rbth.com. Russia Beyond. 2020年2月16日閲覧。
- ^ “Van Cliburn, Nikita Khrushchev, and a Lull in the Cold War”. theimaginativeconservative.org. The Imaginative Conservative (2017年7月19日). 2020年2月17日閲覧。
- ^ “Tchaikovsky: Piano Concerto No. 1”. www.number1albums.com. number 1 albums. 2020年2月16日閲覧。
- ^ “Kondrashin&Cliburn's Rachmaninoff Concerto 3”. books.google.com. google. 2020年2月16日閲覧。
- ^ NHK『人間講座』2003年4月 - 5月期「国際コンクールの光と影」63ページ
- ^ “アメリカの名ピアニスト、ヴァン・クライバーン氏、逝去”. tower.jp. Tower Records (2013年2月28日). 2020年2月16日閲覧。
- ^ “What is the Russian Order of Friendship, and why does Rex Tillerson have one?”. www.washingtonpost.com. Washington Post. 2020年2月17日閲覧。
- ^ “Van Cliburn, Cold War Musical Envoy, Dies at 78”. www.nytimes.com. The New York Times. 2020年2月16日閲覧。