ヴァン・クライバーン
ヴァン・クライバーン Van Cliburn | |
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基本情報 | |
出生名 | Harvey Lavan Cliburn, Jr. |
別名 | Van Cliburn |
生誕 |
1934年7月12日 アメリカ合衆国 ルイジアナ州 シュリーブポート |
死没 |
アメリカ合衆国 テキサス州 フォートワース |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
活動期間 | 1946–2013 |
レーベル | RCAビクター |
ヴァン・クライバーン(Van Cliburn、1934年7月12日 - 2013年2月27日)は、アメリカ合衆国のピアニスト[1]である。
略歴
[編集]アメリカ合衆国ルイジアナ州のシュリーブポートという町の生まれで[2]、本名はハーヴィー・ラヴァン・クライバーン・ジュニア(Harvey Lavan Cliburn Jr.)[3]。
6歳でテキサス州に家族とともに引っ越した。12歳で州のコンクールに優勝してヒューストン交響楽団と共演した。ロジーナ・レヴィーンに師事[4]した後、1958年、23歳で世界的に権威のある第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝。このコンクールは1957年10月のスプートニク1号打ち上げによる科学技術での勝利に続く芸術面でのソビエトの優越性を誇るために企画された。クライバーンのチャイコフスキー協奏曲第1番とラフマニノフ協奏曲第3番の演奏後はスタンディングオベーション[5]が8分間も続いた。審査員一同は審査終了後、ニキータ・フルシチョフに向かって、アメリカ人に優勝させてもよいか、慎重に聞いた。フルシチョフは「彼が一番なのか?」と確認し、「それならば賞を与えよ」と答えた[6]。冷戦下のソ連のイベントに赴き優勝したことにより、一躍アメリカの国民的英雄となる。このコンクールに審査員として参加していたスヴャトスラフ・リヒテルは、クライバーンに満点の25点を、他の者すべてに0点をつけた。凱旋公演では、コンクール本選で指揮を担当したキリル・コンドラシンを帯同させている[注釈 1]。この優勝を祝してヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールが1962年より開催されている。1966年には初来日も果たした。
クライバーンの『チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番』(コンドラシン指揮RCA交響楽団)(1958年)は全世界で100万枚以上を売り上げ[7]、ビルボードのポップアルバムチャートで1位(7週連続[8])を獲得した唯一のクラシック作品である(2007年現在)。キャッシュボックスのポップアルバムチャートでも最高2位を記録。続く『ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番』(コンドラシン指揮シンフォニー・オブ・ジ・エア[9] )もビルボードのポップアルバムチャートで最高10位を獲得している。
そのあとクライバーンは父とマネージャーの死をショックに1978年から長期間のブランクに入り、8年ほど演奏する機会をほとんど失ってしまったものの1987年にカムバックした。1989年にモスクワへ赴き[10]1991年には再来日を果たした。ただしピアニストの中村紘子は「その演奏はもはや正面きってどうのこうの、といえるような対象ではありませんでした」と論じ、「彼が芸術家として成熟することなく終わってしまったのは、結局アメリカのこの豊かさ、楽しい生活に問題があったのではないか、と考えたものです」と述べた[11]。黒田恭一もNHK-FM「20世紀の名演奏」のクライバーン特集会で、彼の挫折の件について番組の最後に手短に触れた。
2003年に大統領自由勲章[12]、2004年に親善勲章(ロシア)を受章[13]。2013年に骨癌で死去[14]。
参考文献
[編集]- 中村紘子 - 『チャイコフスキー・コンクール』 (新潮文庫)[注釈 2]
- 中村紘子 - 『コンクールでお会いしましょう―名演に飽きた時代の原点』 (中公文庫)
- 中村紘子 - NHK人間講座 2003年-4・5月期 中村紘子 国際コンクールの光と影 (NHK出版)
- 吉澤ヴィルヘルム - 『ピアニストガイド』 (青弓社)
ディスコグラフィー
[編集]ヴァン・クライバーンのディスコグラフィーも参照のこと。
コンチェルト
[編集]- Van Cliburn, Kyrill Kondraschin - Tchaikovsky's Concerto No. 1
- Van Cliburn, Fritz Reiner - Schumann's Concerto
- Van Cliburn, Walter Hendl - Prokofieff's Concerto No. 3 / MacDowell's Concerto No. 2
- Van Cliburn, Fritz Reiner - Rachmaninoff's Concerto No. 2
- Van Cliburn, Kyrill Kondraschin, Walter Hendl - Rachmaninoff's Concerto No. 3 / Prokofiev's Concerto No. 3
- Van Cliburn, Fritz Reiner - Brahms's Concerto No. 2
- Van Cliburn, Erich Leinsdorf - Brahms's Concerto No. 1
- Van Cliburn, Eugene Ormandy - Chopin's Concerto No.1
- Van Cliburn, Eugene Ormandy - Liszt's Concerto No. 2 / Rachmaninoff's Rhapsody On A Theme Of Paganini
- Van Cliburn, Fritz Reiner - Rachmaninoff's Concerto No. 2 / Beethoven's Concerto No. 5
- Van Cliburn, Fritz Reiner - Beethoven's Concertos No. 4 & 5
- Van Cliburn, Eugene Ormandy - Grieg's Concerto In A Minor / Liszt's Concerto No. 1 In E-Flat
ソロ
[編集]- Van Cliburn - Rachmaninoff Sonata No.2 In B-Flat Minor (and Preludes)
- Van Cliburn - Chopin's Sonata In B-Flat Minor Op. 35, "Funeral March" / Sonata In B Minor, Op. 58
- Van Cliburn - Beethoven's "Les Adieux" Sonata / Mozart's Sonata In C, K. 330
- Van Cliburn, Two 20th-Century Masterpieces - Prokofieff's Sonata No. 6 / Barber's Sonata
- Van Cliburn - Beethoven's 3 Great Sonatas
- Van Cliburn - Van Cliburn Plays Liszt
- Van Cliburn - My Favorite Debussy
- Van Cliburn - My Favorite Chopin
- Van Cliburn - The World's Favorite Piano Music
- Van Cliburn - A Romantic Collection
- Van Cliburn - My Favorite Encores
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ キリル・コンドラシンの国外デビューである。
- ^ 一介の「田舎のピアニスト」だった彼が、チャイコフスキーコンクールの第一位になり、文字通りの「アメリカン・ドリーム」を実現するまでと、その後の停滞と挫折までが、アメリカのクラシック事情と共に詳しく述べられている。
出典
[編集]- ^ “A Great Man has Fallen–Van Cliburn is a homosexual”. truediscipleship.com. Truediscipleship. 2020年2月16日閲覧。
- ^ 吉澤ヴィルヘルム『ピアニストガイド』青弓社、印刷所・製本所厚徳所、2006年2月10日、94ページ、ISBN 4-7872-7208-X
- ^ “Harvey Lavan Cliburn Jr.”. tshaonline.org. TSHA Online. 2020年2月16日閲覧。
- ^ “Rosina Lhévinne”. jwa.org. jwa.org. 2021年8月4日閲覧。
- ^ “Remembering Van Cliburn, the most Russian of American pianists”. www.rbth.com. Russia Beyond. 2020年2月16日閲覧。
- ^ “Van Cliburn, Nikita Khrushchev, and a Lull in the Cold War”. theimaginativeconservative.org. The Imaginative Conservative (2017年7月19日). 2020年2月17日閲覧。
- ^ 『音・その歩み・その夢 : ビクター音の開発史 (ポケット社史)』ダイヤモンド社、1967年、170頁。NDLJP:3444712/96
- ^ “Tchaikovsky: Piano Concerto No. 1”. www.number1albums.com. number 1 albums. 2020年2月16日閲覧。
- ^ “Kondrashin&Cliburn's Rachmaninoff Concerto 3”. books.google.com. google. 2020年2月16日閲覧。
- ^ “Van Cliburn - Moscow - July 2, 1989”. www.youtube.com. Youtube. 2021年8月4日閲覧。
- ^ NHK『人間講座』2003年4月 - 5月期「国際コンクールの光と影」63ページ
- ^ “アメリカの名ピアニスト、ヴァン・クライバーン氏、逝去”. tower.jp. Tower Records (2013年2月28日). 2020年2月16日閲覧。
- ^ “What is the Russian Order of Friendship, and why does Rex Tillerson have one?”. www.washingtonpost.com. Washington Post. 2020年2月17日閲覧。
- ^ “Van Cliburn, Cold War Musical Envoy, Dies at 78”. www.nytimes.com. The New York Times. 2020年2月16日閲覧。