「ナウル」の版間の差分
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大統領の氏名を日本外務省のサイト https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/nauru/data.html#section2 に基づき、「ライノル・エニミア」に変えてみる。 |
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2019年10月8日 (火) 16:19時点における版
座標: 南緯0度32分 東経166度56分 / 南緯0.533度 東経166.933度
- ナウル共和国
- Republik Naoero (ナウル語)
Republic of Nauru (英語) -
(国旗) (国章) - 国の標語:God's Will First
(英語: 神意を第一に) - 国歌:ナウル我が祖国
-
公用語 英語、ナウル語[1] 首都 ヤレン地区(政庁所在地) 1 最大の都市 デニゴムドゥ地区(最大の居住地) 1 独立
- 日付英豪新の信託統治から
1968年1月31日通貨 オーストラリア・ドル(AUD) 時間帯 UTC+12 (DST:なし) ISO 3166-1 NR / NRU ccTLD .nr 国際電話番号 674 - 注1 : 政庁所在地、最大の居住地のいずれも「都市」ではなく「地区」であり、ナウルには自治体や公式の首都は存在しない。
ナウル共和国(ナウルきょうわこく)、通称ナウルは、太平洋南西部に浮かぶ珊瑚礁のナウル島にある共和国で、イギリス連邦加盟国である。国土面積は21km2であり、バチカン市国、モナコ公国に次いで面積が小さい。また、人口も、国際連合経済社会局人口部の作成した『世界の人口推計 2010年版[2]』によると10,210人であり、バチカン市国、ニウエ、ツバルに次いで人口が少ない。
概要
アホウドリを始めとする海鳥の糞の堆積によってできたリン鉱石の輸出によって栄えた。1968年の独立以降、世界で最も高い生活水準を享受し、税金を徴収されずに医療や教育は無料、ベーシックインカムとして全年齢層に対する給与としての年金支給を始めとした手厚い社会福祉を提供していた。
しかし1989年以降に鉱石が枯渇し、20世紀末に基本的なインフラの維持さえ困難となる深刻な経済崩壊が発生。オーストラリアやニュージーランドなどの近隣先進国や日本からの援助に依存している。
国名
正式名称は、Republik Naoero (ナウル語)。「ナウル」とはナウル語の「Anáoero(「私は砂浜に行く」の意)」が由来とされる。
公式の英語表記は、Republic of Nauru。通称、Nauru。
日本語による表記は、ナウル共和国。通称、ナウル。旧称はプレザント島 (Pleasant Island)。
歴史
- ポリネシア人とメラネシア人がナウル島の先住民である。
- 1798年 イギリスの捕鯨船ハンター号の船長ジョン・ファーンがナウル島を発見、プレザント島と命名。
- 1888年 ドイツ領となる。翌年、豊富なリン鉱石が発見された。
- 1906年 リン鉱石の採掘が始まる。
- 1914年 第一次世界大戦の過程でオーストラリアが島を占領。イギリスの支配下に入る。
- 1920年 国際連盟委任統治領となる。イギリス、オーストラリア、ニュージーランド3国の委任統治下にあったが、リン鉱石はイギリスが採掘していた。
- 1940年 第二次世界大戦が始まり、ドイツの仮装巡洋艦がナウルのイギリス商船を攻撃。
- 1942年 大日本帝国が占領。陸上航空基地が設営され、第六十七警備隊と横須賀鎮守府第二特別陸戦隊がおかれた。
- 1946年 1月1日にアメリカ合衆国が占領。
- 1947年 国際連合信託統治領になる。
- 1968年 1月31日、イギリス連邦内の共和国として独立(1970年まではリン鉱石の権利がイギリスに残っていた)。ナウルの首長、ハマー・デロバートが初代大統領になる。
- 1976年 バーナード・ドウィヨゴが大統領に就任(- 1978年)。
- 1987年 南太平洋非核地帯設置条約に調印。
- 1989年 初めてリン鉱石の産出量が減少する。
- 1999年 地球温暖化による海面上昇を解決するため国連に加盟。ただし、ナウルは中華民国(台湾)を国家承認しているため、同国と対立する中華人民共和国の妨害にあって加盟が危うかった。隣国のキリバスと同時加盟だが、キリバスは中華人民共和国と国交を持っていたにもかかわらず、ナウル加盟を支持していたため、巻き添えになりかけた(キリバスも後に中華人民共和国と断交し中華民国と国交を結ぶ)。このころには唯一の収入源ともいえるリン鉱石がほぼ枯渇したため、諸外国からの援助取り付けのための外交活動を活発化させる。
- 2001年 オーストラリアに向かったアフガニスタン難民を受け入れる。その見返りとして、オーストラリアから援助を引き出した。しかし、難民はオーストラリア入りを希望していたため、2003年末にはハンガーストライキによる抗議が始まる。結局、難民はオーストラリアに引き渡された。
- 2002年 中華民国との国交を断絶し、中華人民共和国と国交樹立。中華人民共和国から1億3000万ドルの援助を引き出した。
- 2003年 2月21日、BBC放送が諸外国からナウルへの通信が途絶したとのニュースを配信。政変やクーデターが推測されたが、資金的な事情で通信設備が維持できなくなったことが後に判明。3月に1月就任した大統領がアメリカで客死しこの年だけで大統領が4回も変わった。[3][4]
- 2004年 オーストラリアから1,700万ドルの無償資金供与を受ける。
- 2005年 5月、中華民国と復交。同時に中華人民共和国と再び国交断絶した。
- 2006年 4月、中華民国の援助でエア・ナウルのボーイング737旅客機を購入。なお、以前所有していた旅客機は財政危機によりオーストラリアで差し押さえられていた。
- 2007年 12月、マーカス・スティーブン前海洋資源庁担当大臣兼通信大臣兼スポーツ大臣が新大統領に選出された。
- 2016年 4月、IMFに加盟。
地理
ニューギニア島から東に2,000 kmの位置にある周囲19 kmのナウル島が国土である。赤道よりわずかに40 km南に位置し、ミクロネシアに属する。周囲の島からは孤立している。例えば北東のギルバート諸島からは約500 km、南西のソロモン諸島からは約1,000 km離れている。
面積は21 km2。
ナウル島はサンゴ礁であるが、形態としては裾礁にあたる。島の中央部は良質のリン鉱石(グアノ)からなる台地であり、採鉱用の一時的な施設を除くほぼすべての建造物は海岸沿いに並んでいる。台地は島の面積の約80 %を占めており、標高は約70 mである。
リン鉱石は数百万年の間堆積した海鳥の糞に由来する。掘削跡は下層基岩の石灰岩が露出しており、90年に及ぶ風化と浸食により広大なカルスト地形を形成した。特に浸食のひどい所ではピナクルという柱状の岩が多数そびえ立ち、島の中央部は耕作はおろか一切の車両が通行できないほど荒廃している。
気候
南緯0度32分 東経166度55分 / 南緯0.533度 東経166.917度 にあり、ケッペンの気候区分では熱帯雨林気候 (Af) に属しており、一年中気温、降水量ともに変化がない。ただし、年ごとの降水量の差は大きい。1月の平均気温は27.9 ℃、7月は27.8 ℃である。年間降水量は1,994 mm。
ナウル島には河川が存在せず、水資源は有史以来雨水に頼っていた。雨水は屋上に設置された貯水タンクに集められている。ナウル公益庁 (Nauru's Utilities Agency) が運用する3つの海水淡水化プラント稼働後はこれらに大半を依存している。
地方行政区分
ナウルは14の地区に分けられる。地区は以下の通り。
ヤレン地区に政庁があることから、一般にナウルの首都はヤレンとされる。しかしナウルには行政上都市は存在せず、従って公的に定められた首都も存在しない。ヤレン地区の人口は2004年現在で1,100人。
政治
内政
国会の定数は19人で[5]、国会議員の任期は3年。共和制で、国会議員の中から大統領を選出する。大統領が内閣を任命する。ナエオロ・アモが議会に議席を有する唯一の国政政党であるが、外務省の情報では「政党は存在せず、政策課題よりも親類関係や個人の人脈が重視され、派閥が形成される傾向にある。」と表記されているなど、対外的な広報が少ないため情報が錯綜している。選挙権は20歳以上である。国会議員の選挙方法は初代法務大臣のデスモンド・ダウダールが考案した「ダウダールルール」と呼ばれる手法を用いる[6]。
長年デ・ロバートが大統領と評議会議長を独占してきたが、1989年に行われた選挙で、ドウィヨゴが新大統領に就任した。その後2004年にはルドウィグ・スコティ大統領が選出されたが、2007年12月に、マーカス・スティーブン前海洋資源庁担当大臣兼通信大臣兼スポーツ大臣が新大統領に選出された。
なお、マーカス・スティーブンはアトランタオリンピックにナウル共和国代表として出場した元ウエイトリフティング選手でもある [7]。
2015年現在の大統領は2013年6月に就任したバロン・ワカ(バロン・ディバベシ・ワンガ)である。2016年7月ワカ大統領は再任された。
大統領は、公務員大臣、警察・緊急業務大臣、内務大臣、気候変動大臣、外務・貿易大臣及びナウル・リン鉱石採掘権信託大臣を兼務する。
外交
- オーストラリア、日本、インド、中華民国、韓国、などが主要貿易相手国である。特にオーストラリアとの関係が強く、多額の援助を継続しナウル国民に市民権を付与する旨申し出ている。なお、ナウル政府は回答を保留している。
- 日本とはリン鉱石の輸出と機械の輸入などで経済的な結びつきがあり、1989年に在京ナウル領事館が財政上の理由により閉鎖されるなどしているものの、経済的な援助が継続されている。2011年10月現在で在留邦人は0名、在日ナウル人は4名と発表されている。
- ロシア、ベネズエラ、ニカラグアに続いてジョージアにあるアブハジア共和国と南オセチア共和国の独立を認めた。
- 1995年にフランスがフランス領ポリネシアで核実験を再開したため、外交を停止した。
- 中華民国と中華人民共和国の国家承認の相互承認を行うことで援助金を得ている。2019年現在は中華民国と国交を結んでいる。
軍事
警察はあるが軍隊は存在しないため、国防に関してはオーストラリアに依存している。
経済
実質経済成長率は4.2%(2017年、世界銀行)となっているが、主要産業が崩壊し国営の銀行すら機能していないため、経済活動の詳細は不明。
通貨
オーストラリアドルを使用している。自国の通貨は存在しないため、通貨を発行する中央銀行も存在しない。
リンと対外援助
輸出品目はリンの他、魚介類があるが小規模にとどまる。1995年時点の輸出金額は3,000万米ドル。2016年時点での輸出金額は3,680万ドル、輸入金額は5,990万ドルと貿易赤字になっている(2016年、アジア開発銀行)。輸入品目は、80パーセント以上が食料品。主要輸出相手国はナイジェリア、オーストラリア、日本であり、主要輸入国は、オーストラリア、フィジー、日本となっており、輸入の過半をオーストラリアが占める。
主な産業は鉱業。2002年時点でも5万5000トンのリンを採掘しており、99パーセント以上を輸出している。他の産業分野には特筆すべきものはなく、例えば農業はココナツ栽培と養豚がわずかに見られる程度である。周辺を海に囲まれているにもかかわらず漁業はほとんど行われておらず、2002年時点の漁獲高はわずか20トンに過ぎない。
繁栄
かつては漁業と農業で生計を立てる(自給自足)というミクロネシアの伝統的な生活スタイルであり、前近代的ではあるが貧富の差もなく平穏な生活を送っていた。しかし20世紀初頭から開始した鉱石の輸出によってオーストラリアとニュージーランドを除くオセアニア諸国のなかではもっとも経済的に繁栄し、特に1960年代後半から本格的なリン鉱石の輸出によってもたらされた莫大な収入でレンティア国家となり、国民の生活や文化を大きく変化させた。
最盛期の1980年代中頃には世界で最も高い国民所得を誇っており、国民は完全な無税、医療や教育も無料である他、アメリカのハワイ州に政府の投資用マンションが建てられ、莫大な収入を財源に全年齢層に年金が支給されていた。当時は、ほぼすべての食料品と工業製品の調達はもちろん、政府職員を除くほぼすべての労働者も中華民国や近隣のミクロネシア諸国から来た出稼ぎ外国人に依存しており、貿易依存度は輸出、輸入とも110 %という値だった。
また一本しかない島の道路には採掘権で富を得た者が持ち込んだフェラーリやメルセデス・ベンツなどの高級車が走っており[8]、食事も労働者相手に店を出した中国人のレストランで三食済ますといった生活だった。このような単一の資源産業に依存し、大半の国民は働く必要がない状態が長期間続いたことは、後に問題を深刻化させることになった。
高い失業率
1990年代後半からリン鉱石採掘の衰退による経済崩壊と財政破綻により、電力不足や燃料不足、飲料水不足が深刻化し、以降は諸外国からの援助が主要な外貨獲得源となっている。
2007年に日本テレビの『世界の果てまでイッテQ!』が「地球の歩き方」のナウル版を制作する企画で取材班が訪れた際には、日中の街中をうろつき回る多数の島民の姿が映し出されていた[9]。これは一世紀近くにわたり、働かずに収入を得ていたため、ほとんどの国民が勤労意欲以前に労働そのものを知らないためである。取材班が訪れた当時は、政府が小学校の高学年で働き方を教える授業を行い、将来の国を担う子供たちの労働意欲を与えようという対策がなされていた。しかし、鉱業だけに頼る産業構造だったため一定規模の民間企業が存在しないこと、インフラ整備が後回しにされていることなど悪条件が重なっているため、現地での起業も外国企業の誘致も進んでいない。外務省の情報では、日本からの民間投資は存在しない。
2011年の統計によると、島内の失業率は95 %に達しているとされる。
経済的奇策
1989年にリン鉱石の採掘量がはじめて減少し、21世紀に入ってリン鉱石がほぼ枯渇すると、政治的、経済的な奇策に走った。海外からの資金流入と国際金融業の参入を狙って、ほぼすべての規制を廃したが、マネーロンダリングの抜け穴になることを理由としてアメリカ合衆国から批判を浴び、頓挫した。対テロ戦争以降はアフガニスタンからオーストラリアに向かう難民を、外国政府による経済的支援の見返りに受け入れており、2005年時点ではイラク難民の比率が高かった。
裕福だった時代から、グアムやサイパン、ハワイやオーストラリアなどの国外のリゾート地に、土地やホテル、マンションを所有している。平時には現地の企業等に貸しているが、これらの物件を所有する第一の目的は、非常時にナウル国民を避難させるためであった。しかし経済の行き詰まりから資産の整理売却が進んでいる。
リン鉱石
最盛期には年間200万トンの鉱石を輸出していたナウルも資源の枯渇が進み、2002年時点で数万トン、2004年時点で数千トン規模にまで採掘量は減少した。枯渇した資源の回復は見込めないが、かつて掘削した岩滓を整理すれば、なお総量100万トン程度の資源量は確保できるという識者もいる。ただし、毎年のように続く政変、公務員への給料未払いなど混沌としたナウルの政治・経済情勢下では、長期的な視野を持って問題を整理、解決できる能力は全くないものと思われ、このまま閉山に向かうものと考えられていた。
国営のナウル・リン鉱石会社は「ナウル共和国リン鉱石会社(Republic of Nauru Phosphate、略称: RONPhos)」と改名。既に第一層のリンは掘り尽くされた(約1億トン)とされるが、第二層のリン地層(約2,000万トン)が存在すると予想されている。これらの情報を基に、RONPhosは2008年より採掘計画を策定中である。
情報・通信
放送は国営ラジオ局があるほか、産業開発省管轄の国営テレビ局の「ナウルテレビ」がある。 インターネットはCenpacNetというプロバイダが主流である。 新聞は売店などでの販売が主流。
難民受け入れ
ナウルはオーストラリアに向かう難民を受け入れる事でオーストラリアから資金援助を受けている[10]。オーストラリアの難民受け入れのアウトソーシングは人権擁護団体等から批判されている。
交通
国内
自動車と自転車、スクーターが主な移動手段となっている。高速道路や地下鉄などは存在していない。鉱石を運ぶための鉄道は、資源の枯渇と共に廃線となっている。
路線バスについては、日中は約1 - 2時間おきに島の海岸部を1周する巡回バスが、運賃無料で運行している。タクシーの乗車と同じ方式で、手を上げると止まり、乗車できる。
国外
フラッグ・キャリアのナウル航空(旧称: アワー航空)がナウル国際空港をベースにオーストラリアのブリスベンやフィジーのナンディなどの近隣諸国に運航している。かつては鹿児島との間に定期便が存在した。
国民
楽観的で温和な国民性であり、経済は崩壊しているにもかかわらず、デモや暴動もなく平和な生活が続いている。
人種構成
人口は2011年時点で9,322人。住民はナウル人が58 %、その他の太平洋の島の出身者が26 %、華人が8 %、ヨーロッパ人が8 %である。
言語
宗教
宗教は、ほとんどがキリスト教。2/3がプロテスタントで、1/3がローマ・カトリックである。
健康
2016年時点で、国民の肥満率が最も高い国であり、ナウル国民の10人に6人が肥満体型となる[11][12]。また、国民の30 %以上が糖尿病を患っており、人口比の罹患率は世界一である。南太平洋のほかの諸国全般と同様、太った人(特に女性)が魅力的とみなされる国民性がある。これは、「豊満な女性のほうが健康的で、子供をたくさん産める丈夫な体を持っている」と思われていることによる。また経済的に豊かだった頃に食の欧米化が進んだことも原因の一つとされる。
文化
スポーツ
オーストラリアの影響でオージーフットボールが盛んであり、国内リーグも存在する。場所は主に経済的に繁栄していた頃に建設されたサッカー兼用のスタジアム「Linkbelt Oval」を利用している。
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | New Year's Day | |
1月31日 | 独立記念日 | Independence Day | 1968年のこの日に独立したことに由来 |
3月か4月 | 復活祭 | Easter | 変動祝日 |
5月17日 | 憲法記念日 | Constitution Day | 1968年のこの日に憲法が制定されたことに由来 |
10月26日 | アンガム・デー | Angam Day | 第一次大戦後の人口調査で、民族の存続に必要な1,500人を下回っていることが判明したナウルの人口が、1932年のこの日に1,500人に達したことを記念 |
12月25・26日 | クリスマス | Christmas |
脚注
- ^ the Republic of Nauru
- ^ [1]
- ^ 世界年鑑2003
- ^ http://www.bbc.com/news/world-asia-pacific-15433901
- ^ 「ナウル」『世界年鑑2016』(共同通信社、2016年)226頁。
- ^ 南太平洋の島国ナウルでの選挙制度 ダウダールルール
- ^ 鉄挙げはナウル共和国で くぼたひでとし(著) 文芸社ビジュアルアート(2006/11)
- ^ [木村昭二のどんと来い!フロンティア投資]世界一の富裕国から破綻国へ大転落、リン鉱石の島・ナウルの未来はどうなうる?
- ^ 世界の果てまでイッテQ! 2007年6月24日放送「Q:日本に一番人気のない国ってどんな国?」より
- ^ 希望のない最小の島国ナウルの全人口をオーストラリアに移住させる計画はなぜ頓挫したか
- ^ 世界の男性肥満率 国別ランキング
- ^ 世界の女性肥満率 国別ランキング
参考文献
- ユートピアの崩壊 ナウル共和国―世界一裕福な島国が最貧国に転落するまで リュック・フォリエ (Luc Folliet)(著), 林 昌宏(翻訳)新泉社;(2011/1)
- アホウドリの糞でできた国 ナウル共和国物語 古田靖・文、寄藤文平・絵 株式会社アスペクト;(2005/1)
- 鉄挙げはナウル共和国で くぼたひでとし(著) 文芸社ビジュアルアート(2006/11)
関連項目
外部リンク
政府
日本政府
- 日本外務省 - ナウル
- 在フィジー日本国大使館 - 在ナウル大使館を兼轄
- ナウル政府(英語)
その他
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