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2019年8月21日 (水) 16:14時点における版
残飯シチゅー(ざんぱんシチゅー)は、太平洋戦争終戦直後(1945年[1]〈昭和20年〉から1946年[2]〈昭和21年〉頃)の日本の闇市で提供されていた料理の一つ。「シチュー」とは名ばかりで、当時の日本を占拠していた連合国軍最高司令官総司令部(以下、進駐軍と略)の残飯を再利用したものだが、東京都など各地の闇市で大変な人気を呼んだ。
概要
進駐軍の食堂から出た残飯が非正規のルートで闇市へ運ばれ、これを大鍋にあけ、水を加えて煮込み直すことで作られており[3]、調理器具は鍋の代りにドラム缶が用いられることもあった[1][4]。そのほかに手を加えることといえば、せいぜい量を増すために刻んだタマネギなどを加えるか[5]、調味料として塩を加えるか[3][5]、腐敗防止のために砂糖やカレー粉を加えるといった程度であった[6]。調理の手間はほとんどないが、当時としてはこれが正当な調理法であった[3]。値段は1杯10円程度であった[2][7]。名称は「栄養シチュー[5]」「ホルモン・シチュー[2]」「ゴッテリシチュー[7]」「栄養スープ[4]」などとも呼ばれた。
戦後の世相を綴った小説『自由学校』には、この残飯シチューのことが「戦後シチュウ」の名でリアルに描写されている。それによればひどく熱く、どろどろとした食感の濃い汁の中に、豚肉らしき塊、コンビーフ、鶏肉の骨、ジャガイモ、ニンジン、セロリの根、包装の銀紙の貼りついたままのチーズ、缶詰らしきトウモロコシ、グリーンピース、マッシュルーム、アズキ、うどんの欠片などが入っており、肉の量が非常に多く、戦前の安物の洋食のシチューよりはるかに上等だったとある[5]。
実際に食べた者の体験談によれば、肉や野菜の欠片[8]、コンビーフ[2][8]、ハンバーグの欠片[2]、チーズ[9]、ジャガイモ[9]、うずら豆[9]、スパゲッティなどの混ざった残飯を[9]、原型を留めないほど煮込んだもので、油気が大変強いものであった[2][4]。食べ物ならまだしも、チューインガムのかす[8]、セロファンの欠片[9]、たばこの空き箱[8][10]、たばこの吸い殻[11]、スプーンが入っていたともいい[6]、挙句には使用済みのコンドームが入っていたという話もある[1]。味については「美味[4][7][8]」という意見もあれば「食えた代物ではなかった[8]」との意見もあるなど、人によって評価が大きく分かれている[8]。元が残飯だけに、特有の饐えた臭気があり[10]、時間が経つにつれて酸味が漂ったともいう[12]。
真偽のほどは不明だが、これを精選したものが銀座で高級フランス料理と称して提供されていたともいい[3][5]、前述の『自由学校』によれば、ねっとりと甘く、油濃く、動物性の汁粉のような腹の張る味と述べられている[3]。
反響
復興後の日本の感覚では家畜の餌に等しいともいえる代物であり[5]、平成期の飽食時代においては到底考えられない食べ物だが[4]、当時は大人気を呼び、多くの人々がこれで飢えを凌いだ。
東京都内では、上野[12]、新宿[3]、新橋、池袋など主要各駅付近に闇市が乱立し、その多くで残飯シチューが大人気を博していた[13]。上野のアメヤ横丁にかつて存在した闇市でも残飯シチューは最も人気があり、客たちは大鍋の前に長い行列をなし、前述のように食べ物以外のものが混入することがあったにもかかわらず、皆が喜んで食べたという[12]。新宿東口の闇市を取り仕切った和田組でも残飯シチューは名物メニューとされた[14]。新宿の残飯の出所はもっぱら、当時進駐軍に接収されていた伊勢丹であり、専門の荷運びの者が伊勢丹から残飯を大袋で担ぎ、毎朝闇市へ運んできたという[3]。東京のほか、横浜の闇市でも売られていた[4]。闇市で食べるだけではなく、世帯持ちが鍋や飯盒を持参して、この残飯シチューを買いに来ることもあった[10]。
残飯シチューに類するものは、警察の夜食としても提供されている。小平事件の捜査本部が警視庁の高輪警察署に置かれたが、捜査員に提供する夜食の確保に困った高輪署は進駐軍に残飯の払い下げを申し出ている。ただし、残飯といっても食い残しではなく、調理の残り物の材料であった。払い下げられた残飯のなかには野菜も肉も入っていたが、それをすべてドラム缶に入れて一緒に煮込んだ。食べるときはそのドラム缶を捜査員全員で囲んでそのまま食したが、『最後の名刑事』と呼ばれた平塚八兵衛によれば味がしみ込んで美味しかったという。ある日、食べていた捜査員のひとりが、噛み切れないものがあったので、吐き出すとコンドームであった。警視庁が進駐軍の調理主任に抗議したが、混入した原因はわからなかったという[15]。小平事件では、被害者の一人を司法解剖したところ、胃の中から当時の日本では入手困難な、マカロニやソーセージが出てきたことで、進駐軍のランドリーに勤務していた犯人が捜査線上に上がっている。犯人は進駐軍の残飯をかき集めて女性を誘い込み犯行に及んでいた[16]。
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残飯シチューの復元品(昭和館) |
こうした人気の要因は、当時の成人の必須カロリーは2400キロカロリー、労働者で3000キロカロリー程度とされたにもかかわらず、配給の食事では1200キロカロリー程度しか賄うことができず、当時の人々にとっては貴重な栄養源であり[17]、蛋白源であったこと[10]、加えて安価であったことなどと考えられている[9]。
この人気ぶりは裏を返せば、残飯のような非衛生を気にしてはいられないほど、人々の食生活が悲惨な状況下にあったことにほかならず[11][18]、敗戦の象徴にふさわしい料理[5]、戦後の闇市の象徴として最も代表的な料理とも考えられている[8]。東京都千代田区の博物館・昭和館にも復元品が展示されており、飽食時代を生きた来館者からは「最も堪えた」との声もある[19]。
脚注
- ^ a b c 下川 2007, p. 15
- ^ a b c d e f 山本 1986, p. 68
- ^ a b c d e f g 松平 1995, pp. 91–94
- ^ a b c d e f 朝日新聞 1994, p. 5
- ^ a b c d e f g 大塚 1979, pp. 114–116
- ^ a b “特集 新宿のイコンたち 60's”. 紀伊國屋書店 (2005年). 2014年3月21日閲覧。
- ^ a b c 青柳 1965, p. 121
- ^ a b c d e f g h 西田他 1982, p. 207
- ^ a b c d e f 窪田 2006, pp. 111–112
- ^ a b c d 猪野編 1978, p. 62
- ^ a b 加藤 1990, p. 171
- ^ a b c “上野アメ横の歴史”. 舶来堂. 2014年3月21日閲覧。
- ^ “戦後60年・復興 何もない時代に、何でも買えた”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 38. (2005年12月14日)
- ^ 松平誠他『ヤミ市模型の調査と展示』 2巻、東京都江戸東京博物館、1994年、107頁。ISBN 978-4-924965-01-0。
- ^ 平塚 2004, p. 168
- ^ 平塚 2004, p. 167
- ^ 半藤一利『昭和史 戦後篇』平凡社、2006年、47頁。ISBN 978-4-582-45434-5。
- ^ 服部一馬・斉藤秀夫『占領の傷跡 第二次大戦と横浜』有隣堂、1983年、79頁。ISBN 978-4-89660-056-8。
- ^ 片岡友理「団塊ジュニアが見た昭和館」『別冊 正論』第11号、産業経済新聞社、2009年7月、120頁、NCID AA12115388。
参考文献
- 大塚力『食の近代史』教育社〈教育社歴史新書〉、1979年。ISBN 978-4-315-40262-9。
- 加藤祐三『横浜いまむかし 市政100周年・開港130周年』横浜市立大学、1990年。 NCID BA1093105X。
- 窪田良『ねりかんブルースが聞こえる 過ぎし日の残影に』文芸社、2006年。ISBN 978-4-286-02025-9。
- 西田禮一郎他 著、藤根井和夫他編 編『歴史への招待』 第21巻、日本放送協会、1982年。 NCID BN02945549。
- 松平誠『ヤミ市幻のガイドブック』筑摩書房〈ちくま新書〉、1995年。ISBN 978-4-480-05640-5。
- 山本明『戦後風俗史』大阪書籍、1986年。ISBN 978-4-7548-5002-9。
- 下川耿史他編著『性風俗史年表』 昭和戦後編、河出書房新社、2007年。ISBN 978-4-309-22466-4。
- 猪野健治編 編『東京闇市興亡史』草風社〈ふたばらいふ新書〉、1978年。 NCID BN04049834。
- 青柳淳郎編 編『明治九十九年』オリオン社、1965年。 NCID BN12666472。
- 平塚八兵衛 編『刑事一代―平塚八兵衛の昭和事件史』新潮社、2004年。ISBN 978-4-101-15171-7。
- “「栄養スープ」は占領軍の残飯 戦後50年・食糧難”. 朝日新聞 東京朝刊 (朝日新聞社). (1994年9月25日)