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* 田村博、「[https://doi.org/10.3169/itej1978.44.961 ヒューマンインタフェースの展望]」 『テレビジョン学会誌』 1990年 44巻 8号 p.961-966、[[テレビジョン学会]]
* 田村博、「[https://doi.org/10.3169/itej1978.44.961 ヒューマンインタフェースの展望]」 『テレビジョン学会誌』 1990年 44巻 8号 p.961-966、[[テレビジョン学会]]
* 田村博、「[https://doi.org/10.1541/ieejias.111.1000 人間中心のシステムと人間活動の活性化]」『電気学会論文誌D』 1991年 111巻 12号 p.1000-1002、[[電気学会]]
* 田村博、「[https://doi.org/10.1541/ieejias.111.1000 人間中心のシステムと人間活動の活性化]」『電気学会論文誌D』 1991年 111巻 12号 p.1000-1002、[[電気学会]]
* 田村博、「[https://doi.org/10.11499/sicejl1962.31.242 ヒューマン・インタフェースのめざすもの]」 『計測と制御』 1992年 31巻 1号 p.242-245、[[計測自動制御学会]
* 田村博、「[https://doi.org/10.11499/sicejl1962.31.242 ヒューマン・インタフェースのめざすもの]」 『計測と制御』 1992年 31巻 1号 p.242-245、[[計測自動制御学会]]


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2019年7月29日 (月) 00:08時点における版

田村 博(たむら ひろし、1935年昭和10年)4月14日 - 2010年平成22年)8月28日)は、日本の人間工学者、工学博士モバイル学会初代会長、ヒューマンインタフェース学会名誉会員、京都工芸繊維大学名誉教授。

略歴

新潟県新潟市出身[1]1954年昭和29年)に新潟高等学校を卒業、1958年(昭和33年)に京都大学工学部電気工学科を卒業、1963年(昭和38年)に京都大学大学院工学研究科電気工学専攻を修了[1][注 1]

1963年(昭和38年)に京都大学工学部助手に就任、同年に大阪大学基礎工学部助手に就任、1964年(昭和39年)に同講師に就任、1966年(昭和41年)に同助教授に就任、1988年(昭和63年)に京都工芸繊維大学工芸学部教授に就任[1]

1999年(平成11年)に京都工芸繊維大学を定年退官、京都工芸繊維大学名誉教授の称号を受称、2001年(平成13年)に広島国際大学人間環境学部特任教授および感性情報学科長に就任[1]

2005年(平成17年)に広島国際大学を退職、2006年(平成18年)にモバイル学会初代会長に就任[2]

2010年(平成22年)にモバイル学会会長を退任。

ヒューマンインタフェースという分野を確立して日本および海外でヒューマンインタフェースの概念の普及に努めた。また、数多くのヒューマンインタフェースの技術者や研究者を育成した[1][3][4]

著書

編書

  • 『ヒューマン・インタフェース』コロナ社、1987年。
  • 『ヒューマン インタフェース』オーム社、1998年。

監訳書

  • 『利用者インタフェース・ソフトウェア設計ガイドライン』1984年版、S. L. SmithJ. N. Mosier[編]、インタフェース・ソフトウェア研究会、1986年。
    • 『利用者インタフェース・ソフトウェア設計ガイドライン』1986年最終版、S. L. Smith・J. N. Mosier[編]、インタフェース・ソフトウェア研究会、1988年。

論文

脚注

注釈

  1. ^ 1965年(昭和40年)に京都大学から工学博士号を取得。

出典

参考文献

外部リンク

学職
先代
設立
モバイル学会会長
初代:2006年 - 2010年
次代
赤松幹之