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中央部は桁長62.4メートルの[[アメリカン・ブリッジ]]社製鋼材を用いた上路式[[トラス橋#ボルチモアトラス|ボルチモアトラス橋]]を挟んでガーダー橋、南北両端は煉瓦橋の組み合わせだった<ref>[http://www.nakanihon.co.jp/gijyutsu/Shimada/BridgeData/F7ChicaSaia.pdf PDF版 橋の情報と資料 リンク目録>海外の橋の資料>F7東アジア圏]2017-04,中日本建設コンサルタント</ref> |
中央部は桁長62.4メートルの[[アメリカン・ブリッジ]]社製鋼材を用いた上路式[[トラス橋#ボルチモアトラス|ボルチモアトラス橋]]を挟んでガーダー橋、南北両端は煉瓦橋の組み合わせだった<ref>[http://www.nakanihon.co.jp/gijyutsu/Shimada/BridgeData/F7ChicaSaia.pdf PDF版 橋の情報と資料 リンク目録>海外の橋の資料>F7東アジア圏]2017-04,中日本建設コンサルタント</ref> |
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トラス部分は[[セオドア・クーパー]](Theodore Cooper)、[[チャールズ・シュナイダー]](Charles Schneider)による設計<ref name="文化部" />。 |
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2019年7月29日 (月) 00:00時点における版
龍騰断橋(魚藤坪断橋) Remains of Longteng Bridge[1] (Yutengping Bridge) | |
---|---|
中華民国 文化資産 | |
登録名称 | 龍騰断橋 |
その他の呼称 | 鯉魚潭橋 |
種類 | 橋梁 |
等級 | 苗栗県県定古蹟 |
文化資産登録 公告時期 | 2003年11月25日[2] |
位置 | 中華民国(台湾) 苗栗県三義郷龍騰村 |
建設年代 | 明治40年(1907年) |
龍騰断橋周辺図[3](p72-73) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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魚藤坪橋(内社川第二鉄橋) | |
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廃止前の鉄橋(1915年) | |
基本情報 | |
国 | 台湾 |
交差物件 | 魚藤坪渓(景山渓支流) |
用途 | 鉄道 |
路線名 | 台湾総督府鉄道台中線 |
管理者 | 台湾総督府交通局鉄道部→台湾鉄路管理局 |
設計者 | (総督府交通局鉄道部) |
着工 | 1906年4月30日 |
竣工 | 1907年6月1日 |
開通 | 1908年2月20日 |
閉鎖 | 1935年4月21日 |
座標 | 北緯24度21分30.4秒 東経120度46分25.8秒 / 北緯24.358444度 東経120.773833度 |
構造諸元 | |
形式 | 上路式ボルチモアトラス橋+上路式桁橋+煉瓦橋 |
材料 | 鋼材+煉瓦 |
全長 | 164.8メートル[4](pp323-324) |
高さ | 33メートル |
地図 | |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
龍騰断橋(りゅうとうだんきょう、繁体字中国語: 龍騰斷橋)は、台湾苗栗県三義郷龍騰村にある鉄道橋の遺構である。古くは魚藤坪断橋(ぎょとうへいだんきょう)と呼ばれた。 1908年に台湾総督府鉄道が縦貫線(後の台中線)を全線開通させた時に作られたレンガ製のアーチ橋であった。1935年の新竹・台中地震で破損、断橋となり、1999年の921大地震によって更に一部が崩壊した。三義郷の観光名所の一つである。中央の鉄橋部分については、渡河する影山渓(支流)の別称および数キロ南側にある内社川鉄橋に対しての呼称として『内社川第二鉄橋』とも[5]。
縦貫線は西側に新しい鉄橋(魚藤坪鉄橋)を架けて1938年に復旧した。1998年に台中線の複線化工事により三義 - 后里間が新線に切り替わり廃止された。この区間は旧山線と呼ばれ観光用鉄道として2010年6月5日に復活再開した。
名称
劇物ロテノンを天然に含むデリス属の植物は高砂族によって魚藤と呼ばれていた[注釈 1]。 原住民による開墾時に沼の主鯉による害を治めるために魚藤の毒で退治を試みた。山地で多用されていた地名としての『坪』を語尾につけてこの一帯は魚藤坪と呼ばれるようになった。 戦後に村を設立した際に『龍騰』へと改められた[7]。
構造
旧山線167信号場(廃止)南側に位置する。 1907年に当時の金額で総額122,514円を投じて建設された[4](p280)。全体で北から南に向かって下り勾配となっている[8]。 橋脚8本と桁5本で構成され全長は544.0フィート(164.8メートル)[4](p280)。 中央部は桁長62.4メートルのアメリカン・ブリッジ社製鋼材を用いた上路式ボルチモアトラス橋を挟んでガーダー橋、南北両端は煉瓦橋の組み合わせだった[9] トラス部分はセオドア・クーパー(Theodore Cooper)、チャールズ・シュナイダー(Charles Schneider)による設計[2]。 煉瓦アーチ橋の橋脚は北部が4本、南部が2本で構成され、北側のアーチ橋は緩いカーブになっていた[8](pp196-197)。側の橋脚と橋台は長年の放置で樹木の根や蔓が絡みついている[10](p79)
← 三義(北岸)
(南岸)泰安 →
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橋台 | 煉瓦アーチ橋 | 桁橋 | トラス橋 | 桁橋 | 煉瓦アーチ橋 | 橋台 | |||||||||||||||||
33.0 (ft) |
一 | 36.0 (ft) |
二 | 36.0 (ft) |
三 | 36.0 (ft) |
四 | 63.9 (ft) |
五 | 204.9 (ft) |
六 | 65.55 (ft) |
七 | 36.0 (ft) |
八 | 33.0 (ft) | |||||||
状態 | 現存 | 崩落(現存) | 道路 | 崩落(現存) | |||||||||||||||||||
表中の漢数字は橋脚の番号を、アラビア数字はスパン長[8](pp196-197)を表す。 |
南側煉瓦橋脚位置 | 南岸第7-8橋脚 |
沿革
[3](p67-69) この区間に限らないが、縦貫線は資材を全て日本から搬入したため、打狗港に近い南部と、基隆港に近く、清朝の軌道インフラを流用できた北部は比較的早く開通した。最も難易度が高かったのは現在の旧山線を含む苗栗と豊原の間だった。工事は総督府臨時台湾鉄道敷設部工務課三叉河出張所(所長:稲垣兵太郎)が担当した。三叉河(現・三義駅)と葫蘆墩(現・豊原駅)間に軍事速成線として軽便鉄道と資材運搬線が先に建設されることになり、それらを用いて日本から持ち込まれた資材が搬入された。 軽便鉄道は9kgレール、軌間495mmの複線で[4](p275)、内社川と大安渓北岸までの支線があった[4](p276)。
戦前
- 1904年(光緒30/明治37年)
- 1905年(光緒31/明治38年)5月15日 - 三叉河以南の軽便鉄道と後里庄以南の縦貫線営業開始[4](p284)。
- 1906年(光緒32/明治39年)4月30日 - 着工[4](p280)。
- 1907年(光緒33/明治40年)6月1日 - 竣工[4](p280)。
- 1908年(光緒34/明治41年)4月20日 - 縦貫線全通。軽便鉄道撤去[4](p276)。
- 1935年(昭和10年)
- 1938年(昭和13年)7月15日 - 当鉄橋の西側に魚藤坪鉄橋を新設し、山線全線復旧[4](p300)。
震災時全景(左側が北岸) | 亀裂が生じた北岸煉瓦橋 |
第7橋脚崩落で宙に浮いた南岸桁橋 |
廃止後
- 1999年9月21日 - 921大地震により残されていた煉瓦橋(北岸第4橋脚)のアーチが崩落[10](p81)。
- 2000年 - 内政部が震災紀念物に指定[11](p104)。
- 2001年 - 土木学界により台湾十大土木史蹟に選定[12]。
- 2003年11月25日 - 県定古蹟に登録[2]。
- 2010年~2011年 - 断橋前に臨時駅の龍騰駅が設置される。
- 2019年7月1日 - 龍騰駅が旧山線レールバイクの発着地として営業を再開[13]。
脚注
注釈
出典
- ^ Remains of Longteng Bridge”. 交通部観光局. 2019年7月8日閲覧。 “
- ^ a b c 魚藤坪斷橋 文化部文化資産局国家文化資産網
- ^ a b 台湾総督府鉄道部 (1911-12). 台湾鉄道史. 下. 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d e f g h i j k l m 三義鄉誌下冊(舊山線) 舊山線鐵路史話 縱覽三義篇 之肆”. 三義鄉公所. pp. 265-392 (2018年10月28日). 2019年6月1日閲覧。 “
- ^ 臺灣滊車博覽會紀念 臺灣內社川第二鐵橋(長320尺)”. 2019年6月30日閲覧。 国家図書館 “
- ^ “バルバスコとは”. コトバンク. 朝日新聞社. 2019年7月6日閲覧。
- ^ 舊山線鐵道小故事. 臺中縣立文化中心. p. 25. ISBN 9570238267 019-07-06閲覧。 国家図書館 蔡崇和 (1999-06-01).
- ^ a b c 台湾総督府鉄道部 (1911-12). 台湾鉄道史. 中. 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ PDF版 橋の情報と資料 リンク目録>海外の橋の資料>F7東アジア圏2017-04,中日本建設コンサルタント
- ^ a b c “見證地震的遺蹟 龍騰斷橋”. 地質 (中華民国経済部中央地質調査所) (第33期第3巻 抽絲剝繭 看歷史地震): pp.79-82. ISSN 0303092-X 2019年6月30日閲覧。. 江婉綺 (2014-09).
- ^ 内政部営建署 (2008-12-01). 懷念的殘缺之美 苗栗縣龍騰斷橋暨舊山線鐵道沿線地貌改造. pp. 103-107. ISBN 9789860160260
- ^ 尋找十大土木史蹟與史蹟作品競賽—成果揭曉”. 台灣省土木技師公會 技師報260期. 2014年1月1日閲覧。 陳振川 (2001年12月1日). “
- ^ 苗栗趴趴GO 上山下海體驗農村 2019年7月1日 中国時報
関連項目
外部リンク
- 龍騰斷橋 交通部観光局 (日本語)
- 記憶苗栗舊山線 - ウェイバックマシン(2018年10月24日アーカイブ分) (正体字中国語)
- 龍騰斷橋 - 殘缺之美 (正体字中国語)
- 詳細景點介紹 - 龍騰斷橋 三義郷公所 (正体字中国語)