「村井吉兵衛」の版間の差分
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2019年7月11日 (木) 22:17時点における版
村井 吉兵衛(むらい きちべえ、文久4年1月22日(1864年2月29日) - 大正15年(1926年)1月2日)は、日本の実業家。明治時代に「煙草王」と呼ばれた。事業を多角化し村井財閥を形成。東京府平民[1]。村井銀行社長[1]、日本赤十字社常議員。
来歴・人物
慶應義塾出身。文久4年(1864年)、京都の煙草商の次男として誕生。家は貧しく、9歳で叔父の養子となり、煙草の行商を始める。
明治5年(1872年)先代叔父吉右衛門の養子となり明治11年(1878年)家督を相続す[1]。
明治初期、行商でお金を得た吉兵衛は、煙草の製造に踏み出す。日本初の両切り紙巻き煙草を製造し、明治24年(1891年)、「サンライス」と名付けて発売。その後自ら米国に渡って葉を輸入、続いて明治27年(1894年)に発売された「ヒーロー」は、5年後に年間生産量日本一を達成する大ヒットとなった。
煙草界で頭角を現した吉兵衛は、競合の岩谷松平と激しい競争を繰り広げた。早くから米国での見聞を広めた吉兵衛は、ハイカラなモダンで洗練されたデザインを世に送り出した。明治32年(1899年)、東山区本町に東洋印刷を開業、始めは石版印刷、後に煙草の箱などの自家印刷のためにアルミ版印刷を始めた。また同年、大阪カタン糸を完全買収した(後述)。
1900年には清水建設の施工による村井兄弟商会京都支店、1901年には東京支店(工事費15万円)の建設に着工した。
約30年続いたたばこの民営時代は、日露戦争の戦費調達のため、明治37年(1904年)7月に施行された「煙草専売法」により終焉を迎えたが、民間が担っていたたばこ産業がすべて国家による専売制に切り替えられるにあたり、吉兵衛は莫大な補償金を手にした。その資金を元手に村井銀行を設立し、日本石鹸、村井カタン糸などの事業を進めて財閥を形成していった。
製糸事業
1898年7月、村井は破綻した製糸会社の買収に参加し、日本カタン糸から名称変更された大阪カタン糸(合資会社)の所有者の一人となった。1899年11月には単独所有者となり、同社を村井カタン糸株式会社と名称変更した。アメリカから設備を購入したり、1903年には京都の平安紡績を買収して原糸自給体制を整え、日露戦争時には、イギリスのハワード・バロー社からも設備を購入して事業を拡大した。
しかしその後の不景気により不振に陥り、ライバル会社であったイギリスの多国籍企業J. & P.コーツとの提携を模索し、1906年に義弟の貞之介が交渉に渡英した後、1907年に村井カタン糸の株式60%をコーツに売却してその子会社とし、社名も帝国製糸と改称した。同社は1913年からはコーツの輸入代理店としての役割を持ち、全国の大日本帝国陸軍被服廠への直接販売や、日本現地生産品の中国への輸出なども扱っていた。
1920年には大久保利武、石塚英藏、服部金太郎と共に日本赤十字社の常議員に選出された。
没後
吉兵衛没後の1927年、昭和金融恐慌により村井銀行が破産した(昭和銀行→安田銀行へ吸収。本店は日本橋御幸ビルへ建替えられている)。永田町の邸宅跡には1929年、子息らも通った府立一中が入った。
栄典
家族
- 先妻・宇野子(先代村井吉兵衛の長女)
- 1916年に47歳で没
- 子・久子(宇野子との子)
- 婿に村井弥吉(三島通庸子爵の子)
- 孫・弘忠
- 孫・禎子(久子と弥吉の子[4])
- 薫子の養女となり、婿に村井資長(薫子の甥)
長楽館
長楽館は、京都市東山区にある建築。京都市の指定有形文化財。1909年に竣工した村井吉兵衛の旧京都別邸である。2015年現在、カフェの他、2008年開業のオーベルジュホテルとして利用されている。
脚注
- ^ a b c d e 『人事興信録. 7版』(大正14年)む一三
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1915年11月10日。
- ^ 知られざる歌舞伎座の名画インターネットミュージアム、2011年9月20日
- ^ 私の履歴書 早稲田大学学長村井資長社団法人全国大学体育連合 体育・スポーツ・レクリエーション 4(1), 22-25, 1977-11-01
参考文献
- 佐和隆研 ほか編集 『京都大事典』 淡交社 1984.11 ISBN 4-473-00885-1
- 『初期多国籍企業の対日投資:J.&P.コーツ、1907~49年』 (PDF) (The Japanese Operation of Early Multinationals: J.&P.Coats, 1907-49)、2000年05月。『国民経済雑誌』、神戸大学。
外部リンク
ウィキソースには、日本赤十字社録事(1920年6月26日官報)の原文があります。
- 長楽館 旧京都別邸