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父親が証券会社の社員だった関係で<ref>結城練太郎『野村証券残酷物語』15ページ</ref>小学生の頃から株を始め、[[滋賀県立彦根東高等学校]]時代から名古屋の投資顧問会社「三愛経済研究所」(犬塚芳嗣所長)の会員となり、投資を学ぶ。当時すでに信用取引をやっており、教師から「どの銘柄を買えばいいのか教えてくれ」と頼まれていたと自称している<ref>https://www.asagei.com/excerpt/53880</ref>。在学中は成績優秀で「数学は、全国模試で3番になったこともある」とも自称している<ref>https://www.dailyshincho.jp/article/2017/05090559/?all=1</ref>。
父親が証券会社の社員だった関係で<ref>結城練太郎『野村証券残酷物語』15ページ</ref>小学生の頃から株を始め、[[滋賀県立彦根東高等学校]]時代から名古屋の投資顧問会社「三愛経済研究所」(犬塚芳嗣所長)の会員となり、投資を学ぶ。当時すでに信用取引をやっており、教師から「どの銘柄を買えばいいのか教えてくれ」と頼まれていたと自称している<ref>https://www.asagei.com/excerpt/53880</ref>。在学中は成績優秀で「数学は、全国模試で3番になったこともある」とも自称している<ref>https://www.dailyshincho.jp/article/2017/05090559/?all=1</ref>。


同校卒業後は[[神戸大学経学部]]に進んだが、まもなく[[東京大学]]への進学を決意して中退したと結城練太郎『野村証券残酷物語』には書かれている<ref>結城練太郎『野村証券残酷物語』15ページ</ref>。ただし2018年現在の中江の公式プロフィールには「彦根東高校を卒業後、あまりに相場で儲かるので、大学進学がアホらしくなり、家出をして、名古屋市の証券会社で株価の推移を黒板に書く「黒板書き」と呼ばれるアルバイトを始める」としか書かれていない<ref>https://ameblo.jp/nakae-shigeki/entry-11582526993.html</ref>。<!--格上の大学への再受験に際し、先に在籍校をやめる奴はいないだろう-->
同校卒業後は[[大阪大学]][[学部]]に進んだが、まもなく[[東京大学]]への進学を決意して中退したと結城練太郎『野村証券残酷物語』には書かれている<ref>結城練太郎『野村証券残酷物語』15ページ</ref>。ただし2018年現在の中江の公式プロフィールには「彦根東高校を卒業後、大阪大学経済学部進学、あまりに相場で儲かるので、大学卒業がアホらしくなり、中退をして、名古屋市の証券会社で株価の推移を黒板に書く「黒板書き」と呼ばれるアルバイトを始める」としか書かれていない<ref>https://ameblo.jp/nakae-shigeki/entry-11582526993.html</ref>。<!--格上の大学への再受験に際し、先に在籍校をやめる奴はいないだろう-->


1972年(昭和47年)に始まった大相場にめぐり合い<ref>結城練太郎『野村証券残酷物語』15ページ</ref>、株で儲かっていたため投資家となり<ref>https://www.asagei.com/excerpt/53880</ref>、[[投資ジャーナル]]社を[[1978年]](昭和53年)に設立。投資ジャーナル、月刊投資家などを初めとした証券関連雑誌を発行し「絶対に儲かる」株式売買のテクニックを披露した。こうした雑誌は書店の経済、株式コーナーで平積みにされるほど発行部数が多く、後に[[投資ジャーナル事件]]の下敷きとなった。雑誌の売れ行きが良くなるとともに、多くの関連会社を設立、マスコミへの露出機会も増え「[[日本橋兜町|兜町]]の風雲児」といわれた。
1972年(昭和47年)に始まった大相場にめぐり合い<ref>結城練太郎『野村証券残酷物語』15ページ</ref>、株で儲かっていたため投資家となり<ref>https://www.asagei.com/excerpt/53880</ref>、[[投資ジャーナル]]社を[[1978年]](昭和53年)に設立。投資ジャーナル、月刊投資家などを初めとした証券関連雑誌を発行し「絶対に儲かる」株式売買のテクニックを披露した。こうした雑誌は書店の経済、株式コーナーで平積みにされるほど発行部数が多く、後に[[投資ジャーナル事件]]の下敷きとなった。雑誌の売れ行きが良くなるとともに、多くの関連会社を設立、マスコミへの露出機会も増え「[[日本橋兜町|兜町]]の風雲児」といわれた。

2019年6月21日 (金) 07:56時点における版

中江 滋樹 (なかえ しげき、1954年1月31日 - )は、滋賀県近江八幡市出身の元証券ジャーナリストである。

来歴・人物

父親が証券会社の社員だった関係で[1]小学生の頃から株を始め、滋賀県立彦根東高等学校時代から名古屋の投資顧問会社「三愛経済研究所」(犬塚芳嗣所長)の会員となり、投資を学ぶ。当時すでに信用取引をやっており、教師から「どの銘柄を買えばいいのか教えてくれ」と頼まれていたと自称している[2]。在学中は成績優秀で「数学は、全国模試で3番になったこともある」とも自称している[3]

同校卒業後は大阪大学経済学部に進んだが、まもなく東京大学への進学を決意して中退したと結城練太郎『野村証券残酷物語』には書かれている[4]。ただし2018年現在の中江の公式プロフィールには「彦根東高校を卒業後、大阪大学経済学部進学、あまりに相場で儲かるので、大学卒業がアホらしくなり、中退をして、名古屋市の証券会社で株価の推移を黒板に書く「黒板書き」と呼ばれるアルバイトを始める」としか書かれていない[5]

1972年(昭和47年)に始まった大相場にめぐり合い[6]、株で儲かっていたため投資家となり[7]投資ジャーナル社を1978年(昭和53年)に設立。投資ジャーナル、月刊投資家などを初めとした証券関連雑誌を発行し「絶対に儲かる」株式売買のテクニックを披露した。こうした雑誌は書店の経済、株式コーナーで平積みにされるほど発行部数が多く、後に投資ジャーナル事件の下敷きとなった。雑誌の売れ行きが良くなるとともに、多くの関連会社を設立、マスコミへの露出機会も増え「兜町の風雲児」といわれた。

投資ジャーナル事件で1985年(昭和60年)に逮捕され、1989年(平成元年)に懲役6年の実刑を受けた。1992年(平成4年)10月に仮釈放となったものの、1998年(平成10年)4月に暴力団関係者から集めた数十億円を持ち逃げして以降の中江の消息は不明であった。その時期があまりに長いため、その暴力団関係者から報復を受けて殺害されたという風説もささやかれていたが、次項の事件が発生したことにより消息が明らかになった。

2006年(平成18年)9月22日午後1時15分ごろ、近江八幡市小幡町の自宅1階に灯油のようなものをまき、マッチで火を付けたとして滋賀県警近江八幡署に非現住建造物等放火未遂容疑で現行犯で逮捕された。逮捕時に意味不明のことを話したため病院に入院となったが、同11月4日、退院とともに現住建造物放火未遂容疑で再逮捕となった[8]。このとき「飼い犬同士のトラブルを発端とした近隣住民とのいさかいを抱えるなど、地元のトラブルメーカーだった」、「中江容疑者の実母が同年(2004年(平成16年)、引用者注)12月、精神科に1度入院させたが、1か月で退院したという」とも報道された[9]

2012年(平成24年)には「今、おカネはほとんどありません」と発言している[10]

エピソード

  • 1985年の事件の際にタレント倉田まり子とのツーショット写真が写真週刊誌FRIDAY」の創刊号に掲載された。愛人騒動が持ち上がり、倉田は芸能界引退へと追い込まれた。倉田を芸能スカウトした事務所の実質経営者だった元テレビ朝日専務の三浦甲子二が中江と深い交友関係にあり[11][12]、ファンだった中江に倉田を紹介した[13]。後年、中江は「倉田まり子とは4、5回デートしただけ。男女の関係はないよ。もったいないことしたなあ。あんないい女、やっときゃよかったよ」と発言している[14]
  • 1985年の逮捕日の前日には似たような悪徳商法である豊田商事事件の中心人物であった永野一男会長が刺殺される事件(豊田商事会長刺殺事件)が発生していたため、中江の逮捕は「刺殺」の二の舞を避けるための駆け込み逮捕と言われた。

脚注

  1. ^ 結城練太郎『野村証券残酷物語』15ページ
  2. ^ https://www.asagei.com/excerpt/53880
  3. ^ https://www.dailyshincho.jp/article/2017/05090559/?all=1
  4. ^ 結城練太郎『野村証券残酷物語』15ページ
  5. ^ https://ameblo.jp/nakae-shigeki/entry-11582526993.html
  6. ^ 結城練太郎『野村証券残酷物語』15ページ
  7. ^ https://www.asagei.com/excerpt/53880
  8. ^ ただし、関西ローカルニュースとしての報道だったため、全国的には逮捕は知られなかった。
  9. ^ https://web.archive.org/web/20061009040356/http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20060924-OHT1T00085.htm
  10. ^ http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33565?page=5
  11. ^ 私の経歴|中江滋樹の金と女と相場人生
  12. ^ 倉田まり子事件の真相 -その1
  13. ^ 兜町の風雲児「中江滋樹」 国税に睨まれて頼った「田中角栄」の一言(「週刊新潮」 2017年6月1日号 〈新連載〉昭和とバブルの影法師 「狂乱時代」の目撃証言 第1回 中江滋樹 角栄が「兜町の風雲児」を一喝した目白御殿の夜)
  14. ^ https://www.dailyshincho.jp/article/2017/05090559/?all=1&page=2
  15. ^ 『日本を壊す政商 パソナ南部靖之の政・官・芸能人脈』森功 著)より

関連項目

外部リンク