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日本の高校を卒業後渡米、[[南カリフォルニア大学]]卒業。[[アメリカ陸軍]]の兵士として[[朝鮮戦争]]で戦う。その後[[南米]]と[[南アフリカ]]で傭兵として転戦したのち、アメリカで興信所とガンスクールを起業。私立探偵とガンインストラクターの仕事をかけもちしながら、日本やアメリカの銃雑誌に多数の原稿を寄稿して有名になった。また日本の警察と海上保安、また[[ペルー]]の特殊部隊にてアドバイザーを務めたと言われている。 |
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しかし2007年2月5日、[[パラグアイ]]の首都[[アスンシオン]]で自動車を運転中に信号待ちで強盗に襲われ、格闘の末、強盗犯に至近距離から射殺された。 |
しかし2007年2月5日、[[パラグアイ]]の首都[[アスンシオン]]で自動車を運転中に信号待ちで強盗に襲われ、格闘の末、強盗犯に至近距離から射殺された。 |
2019年5月22日 (水) 11:13時点における版
テッド あらい テッド・新井 | |
---|---|
生誕 |
新井 国右 1931年 日本 |
死没 |
2007年2月5日 パラグアイ アスンシオン |
死因 | 銃殺 |
職業 | 傭兵、軍事アドバイザー、作家 |
テッド・新井(テッド あらい、本名:新井 国右〈あらい くにすけ〉1931年(昭和6年)- 2007年(平成19年)2月5日)は、日本の傭兵、軍事アドバイザー、作家。
経歴
日本の高校を卒業後渡米、南カリフォルニア大学卒業。アメリカ陸軍の兵士として朝鮮戦争で戦う。その後南米と南アフリカで傭兵として転戦したのち、アメリカで興信所とガンスクールを起業。私立探偵とガンインストラクターの仕事をかけもちしながら、日本やアメリカの銃雑誌に多数の原稿を寄稿して有名になった。また日本の警察と海上保安、またペルーの特殊部隊にてアドバイザーを務めたと言われている。
しかし2007年2月5日、パラグアイの首都アスンシオンで自動車を運転中に信号待ちで強盗に襲われ、格闘の末、強盗犯に至近距離から射殺された。
著作
- 『テッド・アライのコンバット・シューティング』 並木書房 1990年
- 『テッド・アライの拳銃護身術』 並木書房 1993年
- 『プロフェッショナル・ファイターズ』 並木書房 1994年