コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ブラック・ダリア事件」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
(2人の利用者による、間の10版が非表示)
1行目: 1行目:
{{Otheruses|1947年にアメリカ合衆国で発生した殺人事件|この事件を元にした2006年の映画|ブラック・ダリア (映画)|この事件がバンド名の由来となっているアメリカのデスメタルバンド|ザ・ブラック・ダリア・マーダー}}
{{Infobox 事件・事故

| 名称 = ブラック・ダリア事件<br />Black Dahlia Murder
{{Infobox person
| 画像 = Black Dahlia Mugshot.jpg
| 脚注 = ブラック・ダリア」ことエリザベス・ショートの写真 ([[1943年]]に未成年の飲酒で[[検挙]]された時のもの)
| name = ブラック・ダリア
| image = File:Elizabeth Short photo from police bulletin.jpg
| 場所 = {{USA}} [[カリフォルニア州]]<br />[[ロサンゼルス郡]] [[ロサンゼルス]]
| image_size= 200px
| 緯度度 = |緯度分 = |緯度秒 =
| caption = エリザベス・ショート (ブラック・ダリア) (1946年頃)
| 経度度 = |経度分 = |経度秒 =
| 日付 = [[1947年]][[1月15日]]
| birth_date = {{birth date|1924|7|29}}
| birth_name= エリザベス・ショート
| 時間 =
| birth_place = [[アメリカ合衆国]][[マサチューセッツ州]][[ボストン]]
| 開始時刻 =
| alias = ブラック・ダリア
| 終了時刻 =
| death_date = {{nowrap|1947年1月14日または15日 (22歳)}}
| 時間帯 =
| death_place = アメリカ合衆国[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]
| 概要 = [[俳優|女優]]志願の女性が惨殺された
| 原因 =
| occupation = [[ウェイトレス]]
| death_cause= 暴行による[[脳内出血]]{{sfn|Gilmore|2006|pages=137–8}}
| 手段 =
| known_for= 殺人被害者
| 武器 =
| 兵器 =
| height= 165cm
| weight= 52kg
| 攻撃人数 =
| 標的 =
| parents = {{plainlist|
*クリオ・ショート (父、{{lang-en-short|Cleo Short|links=no}})
| 死亡 = [[エリザベス・ショート]]
*フィービ・メイ・ソーヤー (母、{{lang-en-short|Phoebe Mae Sawyer|links=no}}) }}
| 負傷 =
| 行方不明 =
| children =
| resting place = アメリカ合衆国カリフォルニア州[[オークランド (カリフォルニア州)|オークランド]]の{{仮リンク|マウンテン・ビュー共同墓地|en|Mountain View Cemetery (Oakland, California)}}
| 被害者 =
| resting place coordinates = {{coord|37|50|07|N|122|14|13|W}}
| 損害 =
| 犯人 = 不明
| 容疑 =
| 動機 =
| 関与 =
| 防御 =
| 対処 =
| 謝罪 =
| 賠償 =
}}
}}
'''ブラック・ダリア事件'''(-じけん、''Black Dahlia Murder'')とは、[[1947年]][[1月15日]]に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で発生した[[殺人事件]]。


'''ブラック・ダリア事件'''(-じけん、{{Lang-en|'''Black Dahlia Murder'''}})とは、[[1947年]]に[[アメリカ合衆国]]で発生した[[殺人事件]]である。'''エリザベス・ショート''' ({{Lang-en-short|'''Elizabeth Short'''|links=no}}、1924年7月29日 - 1947年1月14日または15日) という女性が[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]近辺の{{仮リンク|レイマート・パーク (ロサンゼルス)|en|Leimert Park, Los Angeles|label=レイマート・パーク}}で遺体となって発見された。ショートの遺体は腰の部分で両断されるという痛ましい状態だった。この惨状から事件は非常に話題となり、ショートは死後に「'''ブラック・ダリア'''」という呼び名で知られるようになった。
[[ジェイムズ・エルロイ]]が[[1987年]]に発表した小説『[[ブラック・ダリア (小説)|ブラック・ダリア]]』、同作を映画化した『[[ブラック・ダリア (映画)|ブラック・ダリア]]』のモチーフとなった。


ショートは[[ボストン]]出身で、幼少の頃は[[マサチューセッツ州]][[メドフォード (マサチューセッツ州)|メドフォード]]や[[フロリダ州|フロリダ]]に住んでいた。後に父の住むカリフォルニアへ転居した。一般にショートは[[俳優|女優]]志望だったことが知られているが、ロサンゼルスで過ごしていた間に何らかの女優の仕事をしていたかは不明である。ショートは死後、「ブラック・ダリア」というニックネームで呼ばれるようになるが、これは当時の新聞は特に陰惨な犯罪にしばしばニックネームを付けていたためである。ニックネームは記者がカリフォルニア州[[ロングビーチ (カリフォルニア州)|ロングビーチ]]の薬局の店主から聞いた話に由来するらしく、薬局の男性客がショートのことをそのようなニックネームで呼んでいたという。1946年4月に公開された[[ヴェロニカ・レイク]]と[[アラン・ラッド]]が主演の[[フィルム・ノワール]]『{{仮リンク|ブルー・ダリア|en|The Blue Dahlia}}』のもじりであると考えられる。1947年1月15日にショートの遺体が発見されてから、[[ロサンゼルス市警察]]は大規模な捜査を開始した。被疑者は150人以上いたが、誰も逮捕することはなかった。
== 概要 ==
1947年1月15日、黒い服を好んだことから「ブラック・ダリア」の通称([[アラン・ラッド]]主演の映画『The Blue Dahlia』のもじりである)で知られていた[[俳優|女優]]志願の女性、[[エリザベス・ショート]]の死体が[[ロサンゼルス]]の[[:en:Leimert Park, Los Angeles|Leimert Park]]で発見された。


事件そのものや事件にまつわる様々なことが長く人々の注目を惹き付け、様々な説が生まれている。数多くの書籍や映画がショートの生涯と死を元としている。ショート殺害事件はアメリカの歴史上、最も有名な[[未解決事件|未解決]]殺人事件の一つであり、[[ロサンゼルス郡 (カリフォルニア州)|ロサンゼルス郡]]で最も昔に起こった未解決事件の一つでもあることから、頻繁に引き合いに出される{{sfn|Scott|2017|p=9}}。歴史家からは、[[第二次世界大戦]]後のアメリカで国中の関心を集めた最初の主要な犯罪の一つとして評されている{{efn|犯罪歴史家のダーク・ギブソン ({{lang-en-short|Dirk Gibson|links=no}}) はこの事件を、第二次世界大戦後に国中の関心を惹き付け、非常に話題になった最初の事件の一つと評している{{sfn|Gibson|2004|p=191}}。一方で、著述家の{{仮リンク|ジーニ・グレアム・スコット|en|Gini Graham Scott}} ({{lang-en-short|Gini Graham Scott|links=no}}) は著書''American Murder''で、この事件を1990年代中頃に起きた[[O・J・シンプソン事件]]という非常に話題になった事件になぞらえている{{sfn|Scott|2007|p=106}}。}}。
[[死体]]は激しく損壊しており、胴の部分で2つに切断されていたが、洗い清められており、[[犯人]]につながる[[証拠]]は発見されなかった。また、事件発覚後に新聞社にブラック・ダリアの所持品が送りつけられてきたが、[[指紋]]は検出されなかった。


==ショートの生涯==
事件は非常に注目を集め、約1ヶ月にわたって『[[:en:Los Angeles Herald-Examiner|ロサンゼルス・エグザミナー]]』のトップ記事を飾り、500人に及ぶ自称犯人やその関係者が出頭するほどだったが決め手に欠けたために迷宮入りし、現在も未解決である。
===幼少期===
エリザベス・ショート{{efn|様々な情報源でショートの正式な氏名は単に"Elizabeth Short"と表記されている。公式の出生証明書の複写もこの表記である。このことから、ショートは誕生時にミドルネームが与えられなかったと考えられる<ref>{{cite web|url=http://blackdahlia.info/modules/myalbum/photo.php?lid=33 |archive-url=https://archive.is/20071014125152/http://blackdahlia.info/modules/myalbum/photo.php?lid=33 |dead-url=yes |archive-date=October 14, 2007 |title=Investigation: Birth Certificate |publisher=Blackdahlia.info |accessdate=February 2, 2010 |quote=Copy of Short's registered birth certificate showing that no middle name was included }}</ref><ref name=myths>{{cite web |url=http://www.lmharnisch.com/myths.html|title=Common Myths About the Black Dahlia and Their Origins|author=Harnisch, Larry |accessdate=September 9, 2017|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161230030202/http://www.lmharnisch.com/myths.html|archivedate=December 30, 2016}}</ref><ref>{{cite web|url=http://articles.latimes.com/2006/sep/15/entertainment/et-dahlia15|work=Los Angeles Times|title=Haunting images and details of death|date=September 15, 2006|accessdate=September 9, 2017|author=Harnisch, Larry}}</ref>。}}はマサチューセッツ州ボストンの一区画である{{仮リンク|ハイド・パーク (ボストン)|en|Hyde Park, Boston|label=ハイド・パーク}}で、クレオ・ショート ({{Lang-en-short|Cleo Short|links=no}}) とフィービ・メイ・ショート ({{Lang-en-short|Phoebe May Short|links=no}}、旧姓ソーヤー、{{Lang-en-short|Sawyer|links=no}}) の5人中3番目の娘として生まれた{{sfn|Gilmore|2006|pages=1–4}}{{sfn|Haugen|2010|p=15}}。1927年頃、ショート一家は[[メイン州]][[ポートランド (メイン州)|ポートランド]]へ転居し<ref name="maine">{{cite web|url=http://mainetoday.com/from-the-archives/the-black-dahlia-lived-on-munjoy-hill-an-unsolved-murder-from-the-vaults/|work=Maine Today|title=The Black Dahlia lived on Munjoy Hill: An unsolved murder from the vaults|accessdate=December 29, 2016|author=Steeves, Heather|date=February 14, 2014}}</ref>、同年にボストン近郊のマサチューセッツ州[[メドフォード (マサチューセッツ州)|メドフォード]]に落ち着いた。この場所でショートは育ち、生涯のほとんどを過ごした{{sfn|Scott|2017|p=222}}。ショートの父は[[パターゴルフ]]のコースの造成を行っていたが、1929年の[[ウォール街大暴落 (1929年)|ウォール街大暴落]]で貯蓄のほとんどを失い、一家は破産した{{sfn|Haugen|2010|p=15}}。1930年、父の自動車がチャールズタウン橋で乗り捨てられているのが発見された。父は[[チャールズ川]]へ飛び込んで[[自殺]]を図ったと推測された。母は夫が死亡したと信じ、5人の娘とともにメドフォードの小さなアパートへ転居して、娘を養うために[[簿記]]の仕事を始めた{{sfn|Haugen|2010|p=18}}。


ショートは[[気管支炎]]や重度の[[気管支喘息]]の発作を患い、15歳で[[胸部外科学|肺の手術]]を受けた。その後、呼吸器の問題の悪化を防ぐため、冬季は気候の穏やかな場所に転居することを医師から提案された{{sfn|Haugen|2010|p=19}}。それから、ショートの母は冬の間はショートをフロリダ州[[マイアミ]]に送り届け、家族ぐるみの友人とともにその地で過ごすようにさせた{{sfn|Haugen|2010|pages=19–20}}。その後の3年間、ショートは冬季をマイアミで過ごし、それ以外の季節を母や姉妹とともにメドフォードで暮らした。ショートは2年生のときに{{仮リンク|メドフォード・ハイスクール (マサチューセッツ州)|en|Medford High School (Massachusetts)|label=メドフォード・ハイスクール}}を中退した{{sfn|Haugen|2010|p=20}}。
== 経緯 ==
{| class="wikitable" border="1"
|-
! style="width:8%" | 日時
! style="width:46%" | 出来事
! style="width:46%" | 備考
|-
|1月15日早朝
| [[新聞配達]]の男性が空き地に止まる[[フォード・モーター|フォード]]を目撃。
|
|-
|1月15日10時半
|散歩中の女性が死体を発見、[[警察]]に「女性が倒れている」とのみ通報。
|警察は酩酊者と判断して、パトロール中の[[警察官]]に連絡。無線を傍受していた新聞記者が先回りして現場に到着し、現場の写真を撮影した。
|-
|1月15日10時半過ぎ
| 散歩中の少年が死体を発見。相前後して警察官が到着し、本部に死体発見の報告を入れる。
| 死体発見の報を受けた新聞記者や野次馬が現場に集まり、現場の保存が適切に行われていなかったことから、犯人のものと見られる足跡やタイヤ跡が失われた。
|-
|1月15日午後
| 死体が検死局に送られ、[[ヘラルド・エクスプレス]]およびロサンゼルス・エグザミナーに第一報が掲載。
| [[被害者]]は15-16歳の女性とされる。
|-
|[[1月16日]]
|ロサンゼルス・エグザミナー社の協力によって、被害者の指紋を[[FBI]]に電送。身元判明。
|
|-
|[[1月18日]]
|ロサンゼルス・エグザミナー社の記者がブラック・ダリアのトランクを発見、警察が中を開けてボーイフレンドの写真や手紙が多数見つかる。
| 独占記事と引き換えに警察に引き渡したことから、警察に先んじてトランクを開けていたのではないかとの疑惑が持たれた。またボーイフレンドの一人が拘束されたものの、無関係と判明。
|-
|[[1月23日]]
|ロサンゼルス・エグザミナー社の記者が、犯人と思われる人物から'''ブラック・ダリアの所持品を送る'''との電話を受ける。
|25日に[[郵便局]]でロサンゼルス・エグザミナー社宛の小包を発見、ブラック・ダリアの所持品が入っていた。
|-
|[[1月24日]]
|ゴミ集積所からブラック・ダリアの靴を発見。
|
|-
|[[1月26日]]
|ロサンゼルス・エグザミナー社に'''29日に[[自首]]する'''という[[葉書]]が届く。
|29日には警察とロサンゼルス・エグザミナー社に'''刑期が10年なら自首する'''という葉書が届く。結局、翌30日に警察へ'''自首を取りやめる'''という葉書が届く。
|-
|[[1月30日]]
|33歳の男性がブラック・ダリア殺害を自供。
|その後の取り調べで無関係と判明。
|-
|[[1月31日]]
|[[ヘラルド・エクスプレス]]社に『犯人の写真』が送られる。ヘラルド・エクスプレス紙に写真を掲載。
|翌日、『写真』の人物が名乗りを挙げる。近所に住む少年で、数ヶ月前に強盗に盗まれた写真の一部を使用されたものと判明。
|-
|[[2月1日]]
|ヘラルド・エクスプレス社に再度『犯人の写真』が送られる。
|
|-
|[[2月6日]]
|陸軍の伍長がブラック・ダリア殺害を自供したと新聞各紙が[[報道]]。
|10日に、犯人をおびき出すための嘘だったことが判明。
|-
|[[2月16日]]
|別の[[バラバラ殺人|バラバラ殺人事件]]の犯人がブラック・ダリア殺害を自供。
|後に嘘と判明。
|}


===カリフォルニアへの転居===
== 関連作品 ==
[[File:Black Dahlia Mugshot.jpg|thumb|right|200px|[[1943年]]に未成年飲酒で[[検挙]]されたときのショートの写真]]
*切断—ブラック・ダリア殺人事件の真実(ISBN 4-88135-275-X) - 事件をもとにしたノンフィクション。
[[File:Matt Gordon, Flying Tiger c. 1943.jpg|thumb|left|upright|160px|マシュー・マイケル・ゴードン・ジュニア少佐]]
*ブラック・ダリアの真実(ISBN 4-15-050314-1) - (自称)犯人の息子による、父親を告発する内容のノンフィクション。
1942年後半、ショートの母は死亡したと思われていた夫から謝罪の手紙を受け取った。手紙には、夫は実は生きており、カリフォルニアで新しい生活を始めたと記されていた{{sfn|Haugen|2010|p=20}}。1942年12月、つまり18歳のとき、ショートは6歳のときから会っていなかった父と一緒に暮らすため、[[ヴァレーホ (カリフォルニア州)|ヴァレーホ]]へ転居した{{sfn|Haugen|2010|p=23}}。当時、父は[[サンフランシスコ湾]]の[[メア・アイランド海軍造船所]]の近くで働いていた。しかし、ショートと父との間で口論が起こり、1943年1月にショートは父の元を立ち去った{{sfn|Haugen|2010|p=25}}。それから間もなく、ショートは{{仮リンク|ロンポック (カリフォルニア州)|en|Lompoc, California|label=ロンポック}}の近くのキャンプ・クーク (現在の[[ヴァンデンバーグ空軍基地]]) の[[酒保]]で仕事を見つけ、数名の友人と一緒に暮らした。短い間、[[アメリカ陸軍航空軍|陸軍航空軍]]の下士官と一緒に暮らしたこともあったが、その人物はショートを虐待していたと言われている{{sfn|Haugen|2010|p=25}}。1943年中頃にショートはロンポックを離れて[[サンタバーバラ]]へ転居した。その地では、1943年9月23日に地元の酒場で未成年飲酒で逮捕されている{{sfn|Katz|2010|p=186}}。ショートは少年犯罪ということで当局によりメドフォードへ送還されたが{{efn|アメリカでは、未成年と扱われなくなる[[成年]]は長年の標準では21歳だったが、現在は18歳である。1970年代になるまで成年は21歳のままだった<ref>{{cite web|url=http://www.governing.com/topics/public-justice-safety/What-is-the-Age.html|work=[[Governing (magazine)|Governing]]|title=What is the Age of Responsibility?|author=Greenblatt, Alan|date=September 30, 2009|accessdate=September 12, 2017|quote=Arbitrary as such reasoning may sound to modern Americans, 21 stuck as a threshold age through the 19th century and into the 20th.}}</ref>{{sfn|Haugen|2010|p=29}}。}}、結局フロリダへ戻った。マサチューセッツへはときどき来るだけだった{{sfn|Haugen|2010|pages=29–31}}。
*Daddy Was the Black Dahlia Killer(ISBN 0-671-88084-5) - (自称)犯人の娘による、父親を告発する内容のノンフィクション。
*[[Acid Black Cherry]]のアルバム「[[Q.E.D. (Acid Black Cherryのアルバム)|Q.E.D.]]」-封入されているブックレットにこの事件を題材にした「ブラック・マリア事件」という物語が綴られている。
*[[L.A.ノワール]] - 2011年5月に発売された推理ゲーム。殺人課の捜査で、ブラック・ダリア[[殺人事件]]が登場する。
*[[犯罪捜査官 アナ・トラヴィス]] - 2009年~2010年にイギリスで放映された刑事ドラマ。ブラック・ダリア殺人事件を模倣した犯罪者が登場した。日本では[[WOWOW]]で放映された。


ショートはフロリダにいる間、マシュー・マイケル・ゴードン・ジュニア ({{Lang-en-short|Matthew Michael Gordon, Jr.|links=no}}) [[少佐]]に出会った。ゴードンは{{仮リンク|第352特殊作戦航空団|en|352nd Special Operations Wing|label=第2航空遊撃隊}}の陸軍航空軍将校であり、叙勲を受けている。第二次世界大戦の{{仮リンク|中国・ビルマ・インド戦域|en|China Burma India Theater}}への配置に向けた訓練を受けていた。ショートは友人に、ゴードンがインドでの飛行機の墜落の負傷で療養している間に結婚を申し込む手紙を送ってきたと語った{{sfn|Knowlton|Newton|1995|p=30}}。ショートはゴードンの求婚を受け入れたが、ゴードンは1945年8月10日の2度目の墜落で死亡した。それから1週間足らずで[[日本の降伏|日本が降伏]]して戦争は終わった{{sfn|Katz|2010|p=188}}。
== 影響 ==

*[[アメリカ]]の[[ヘヴィメタル]][[バンド (音楽)|バンド]]、[[ザ・ブラック・ダリア・マーダー]] (The Black Dahlia Murder)は、このブラック・ダリア事件に由来して名づけられた。
ショートは1946年7月にロサンゼルスへ転居し、陸軍航空軍のジョセフ・ゴードン・フィックリング ({{Lang-en-short|Joseph Gordon Fickling|links=no}}) [[中尉]]の元を訪れた。フィックリングとはフロリダで知り合っていた{{sfn|Gilmore|2006|p=113}}。フィックリングはロングビーチにある海軍予備航空基地に配属されていた{{Sfn|Knowlton|Newton|1995|p=118}}。ショートは人生の最期の6ヶ月を[[南カリフォルニア]]で過ごし、そのほとんどを[[ロサンゼルス大都市圏|ロサンゼルス地域]]で過ごした。死の直前、ショートはウェイトレスとして働いており、{{仮リンク|ハリウッド大通り|en|Hollywood Boulevard}}にあるフロレンティン・ガーデンズ・ナイトクラブの裏の部屋を借りていた{{Sfn|Scott|2017|p=221}}。ショートは女優志願者、もしくは「えせ」女優として様々に描写されている{{sfn|Knowlton|Newton|1995|p=140}}。いくつかの情報源によれば、ショートには本当に映画スターになるという大望があったと描写されている{{sfn|Haugen|2010|pages=19, 23}}が、女優の仕事をしていたかは不明である{{efn|ショートはしばしば女優志願者として言及されたり特徴付けられたりする{{sfn|Gilmore|2006|pages=2–5}}{{sfn|Haugen|2010|p=19}}。しかし、女優の仕事をしていた、クレジットに名前が出ていた、というような事例は知られていない。}}。

==殺人事件==
===殺人事件発生前===
1947年1月9日、ショートは[[サンディエゴ]]への短い旅行の後にロサンゼルスの自宅へ戻った。旅行には、ショートが交際していた25歳の既婚者のセールスマンのロバート・M・"レッド"・マンリー ({{Lang-en-short|Robert M. "Red" Manley|links=no}}) と一緒だった{{sfn|Scott|2017|p=221}}。マンリーによれば、マンリーは[[ダウンタウン (ロサンゼルス)|ダウンタウン]]のサウス・{{仮リンク|グランド・アベニュー (ロサンゼルス)|en|Grand Avenue (Los Angeles)|label=グランド・アベニュー}}506番地にある{{仮リンク|ミレニアム・ビルトモア・ホテル|en|Millennium Biltmore Hotel|label=ビルトモア・ホテル}}でショートを車から降ろし、ショートはその日の午後にボストンから来ていた姉妹に会いに行ったという{{sfn|Scott|2017|p=221}}。一部の記述によれば、ビルトモア・ホテルの従業員が、ショートがロビーの電話を使っていたのを目撃したという{{efn|1=ジーニ・グレアム・スコットは著書''American Crime''で、1月9日にショートがビルトモア・ホテルで目撃されたと記している{{sfn|Scott|2017|p=221}}。しかし、1997年の[[ロサンゼルス・タイムズ]]の記事でこの説の信憑性に疑問が呈されている。記事によれば、当時、死の直前のいわゆる「ミッシング・ウィーク」で誰かがショートと接触したという話は考えられる限り全てがニュースで報じられていたが、加熱していたニュースの中に、ショートがビルトモア・ホテルで目撃されたという話は発見できなかったという<ref name=harnisch/>。}}。それから間もなく、ビルトモア・ホテルから約800メートル離れたところにある、サウス・オリーブ・ストリート754番地のクラウン・グリル・コックテール・ラウンジの常連客がショートを目撃したと言われている{{sfn|Scott|2017|p=221}}。

===遺体の発見===
1947年1月15日の朝、ロサンゼルスのレイマート・パークのコリシアム・ストリートとウェスト39番ストリートの中間にある、サウス・ノートン・アベニューの西側の空地で、2つに切断されたショートの半裸の遺体が発見された。当時、近隣はほとんどが未開発だった<ref name="bbc17">{{cite web|url=https://www.bbc.com/news/world-us-canada-38513320|work=BBC|title=The Black Dahlia: Los Angeles' most famous unsolved murder|date=January 8, 2017|accessdate=September 11, 2017|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170912090521/http://www.bbc.com/news/world-us-canada-38513320|archivedate=September 12, 2017}}</ref>。午前10時頃、3歳の娘と一緒に歩いていた地元の住民のベティ・バーシンガー ({{Lang-en-short|Betty Bersinger|links=no}}) が遺体を発見した<ref name=":0">{{cite web|url=http://www.trutv.com/library/crime/notorious_murders/famous/dahlia/2.html|archive-url=https://web.archive.org/web/20080601035712/http://www.trutv.com/library/crime/notorious_murders/famous/dahlia/2.html|dead-url=yes|archive-date=June 1, 2008|title=Black Dahlia (Notorious Murders, Most Famous)|work=TruTV|accessdate=July 22, 2010|author=Scheeres, Julia|df=mdy-all}}</ref>。バーシンガーは最初、[[マネキン]]が投棄されていると思った{{sfn|Katz|2010|p=185}}。それが死体だと気付くと、近隣の家へ駆け込んで警察へ通報した{{sfn|Knowlton|Newton|1995|p=8}}。

ショートの遺体は腰の部分で完全に切断されており、血液が全て抜かれていた。肌は青ざめた白色になっていた<ref name=":1">{{cite news|url=http://articles.latimes.com/2003/jan/09/local/me-asdel9|title=Obituaries: Ralph Asdel, 82; Detective in the Black Dahlia Case|newspaper=Los Angeles Times|accessdate=February 25, 2010|first=Dennis|last=McLellan|date=January 9, 2003}}</ref>{{sfn|Scott|2007|p=107}}。[[監察医]]は、ショートは遺体として発見される約10時間前に死亡したと断定し、死亡時刻は1月14日の夜または1月15日の早朝とした{{sfn|Katz|2010|p=185}}。遺体は明らかに洗い清められていた<ref name="Scheeres">{{cite web|last=Scheeres|first=Julia|title=Macabre Discovery|url=http://www.trutv.com/library/crime/notorious_murders/famous/dahlia/2.html|archive-url=https://web.archive.org/web/20080601035712/http://www.trutv.com/library/crime/notorious_murders/famous/dahlia/2.html|dead-url=yes|archive-date=June 1, 2008|work=The Black Dahlia|accessdate=October 8, 2013|df=mdy-all|publisher=|deadlinkdate=19 March 2019}}</ref>。また、口角から耳までが切り裂かれ、いわゆる「[[グラスゴースマイル|グラスゴー・スマイル]]」になっていた<ref name="bbc17" />。腿や胸にも数箇所に切られた傷が見られ、その部分の肉は全体的に薄くスライスされていた{{sfn|Newton|2009|pages=44–6}}。遺体の下半身は上半身から足が遠くなる向きで置かれ、腸は臀部の下に完全に押し込まれていた<ref name="Scheeres" />。遺体は両手が頭の上に置かれ、両肘が直角に曲げられ、両脚は広げられていた{{sfn|Katz|2010|p=185}}{{sfn|Scott|2007|p=107}}。

遺体が発見されてすぐに、通りすがりの人や記者たちが集まり始めた。{{仮リンク|ロサンゼルス・ヘラルド・エクスプレス|en|Los Angeles Herald-Express}}の記者の{{仮リンク|アギー・アンダーウッド|en|Aggie Underwood}} ({{Lang-en-short|Aggie Underwood|links=no}}) も現場に最初に到着した人々の中にいた。アンダーウッドは遺体や犯罪現場の写真を数枚撮影した{{Sfn|Gilmore|2006|p=7}}。遺体のそばでは、刑事がタイヤ痕の中にヒールの足跡を発見した{{sfn|Hodel|2003|pages=14–16}}。水が混じった血液の入ったセメント袋も近くで見つかった<ref name=":2">{{cite article|author1=Nelson, Mark|author2=Bayliss, Sarah Hudson|date=December 5, 2008|url=http://www.exquisitecorpsebook.com/GeorgeHodel_CementSack01.pdf|title=George Hodel, Lloyd Wright, the Black Dahlia Murder, and the J. A. Konrad bill for cement work|accessdate=September 12, 2017|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120916000012/http://www.exquisitecorpsebook.com/GeorgeHodel_CementSack01.pdf|archivedate=September 16, 2012|work=Exquisitecorpsebook.com}}</ref>{{sfn|Nelson|Bayliss|2006|pages=14, 27}}。

===検死と身元特定===
ショートの遺体の検死は1947年1月16日に実施され、[[ロサンゼルス郡 (カリフォルニア州)|ロサンゼルス郡]]の[[検視官]]のフレドリック・ニューバー ({{Lang-en-short|Frederick Newbarr|links=no}}) が担当した{{sfn|Newton|2009|p=44}}。検死報告書には、ショートは身長165センチメートル、体重52キログラム、目は[[ヒトの虹彩の色|明青色]]、髪は[[茶髪|茶色]]、歯はひどい[[う蝕|虫歯]]と記されていた{{sfn|Katz|2010|p=187}}{{efn|ショートの検死の結果によると、下歯は著しく悪化した虫歯になっていたという。ジョン・ギルモアは著書''Severed''で、ショートは虫歯の穴に蝋を詰めていたと言われていると記した。懐疑論があるものの、この記述は1997年のロサンゼルス・タイムズの記事にも転載されている<ref name=harnisch/>。}}。足首や手首、首に[[結紮]]の痕跡があり、右の乳房は裂傷により体表の組織が失われていた{{sfn|Newton|2009|p=45}}。右の前腕や左の上腕、胸の左下側でも体表が切り裂かれていた{{sfn|Newton|2009|p=45}}。

[[File:Elizabeth Short death certificate.png|left|thumb|upright|ショートの公式の死亡証明書 (1947年、ロサンゼルス郡)]]
遺体は完全に真っ二つに切断されていた。切断に用いられた技術は、1930年代に教えられていた"{{仮リンク|Hemicorporectomy|en|Hemicorporectomy|label=hemicorporectomy}}"と呼ばれる手法だった。2番目と3番目の[[脊椎|腰椎]]の間を横に切開することで下半身と上半身が分断されていた。つまりは[[十二指腸]]の部分で切断されていたということである。切開した線に沿って非常に小さな{{仮リンク|斑状出血|en|Ecchymosis}} (打撲傷) が見られることから、体が切断されたのは死後のことであると示唆されている{{sfn|Newton|2009|p=46}}。これとは別に、[[へそ|臍]]から恥骨上の部分にかけて縦に108ミリメートルの長さの大きく開いた裂傷があった{{sfn|Newton|2009|p=46}}。顔の両面についた裂傷は、唇の端から右側へは76ミリメートル、左側へは64ミリメートルにまで延びていた{{sfn|Newton|2009|p=45}}。頭蓋骨は挫傷していなかったが、頭皮の前面と右面に打撲傷が見られ、右側の[[髄膜|くも膜下]]で少量の出血が見られた。これは頭を殴打されたときに生じる負傷と一致する{{sfn|Newton|2009|p=45}}。死因は、顔面の裂傷による[[出血]]と、頭や顔への殴打によるショックと断定された{{sfn|Gilmore|2006|p=138}}。また、肛門管が44ミリメートルのところで拡張されており、[[強姦]]された可能性が示唆されている{{sfn|Newton|2009|p=46}}。遺体から[[精液]]の存在を調査するための試料が採取されたが、結果は陰性だった{{sfn|Gilmore|2006|pages=124–5}}。

警察は検死の前からすぐに被害者がショートであると特定できていた。当時の初期の[[ファクシミリ]]であるSoundphotoを使って[[ワシントンD.C.]]に指紋の複写を送付したところ、1943年に逮捕されたときの指紋と合致したのである{{sfn|U.S. Federal Bureau of Investigation|2008|p=43}}。身元特定の後、すぐに[[ウィリアム・ランドルフ・ハースト]]が所有する{{仮リンク|ロサンゼルス・イグザミナー|en|Los Angeles Examiner}}の記者たちがボストンにいるショートの母のフィービに接触した。その際、フィービは娘が[[ミス・コンテスト|美人コンテスト]]で勝ったと聞かされた<ref name="bbc17" />{{sfn|Haugen|2010|pages=11–12}}。記者たちはできる限り多くの個人情報を引き出してから、ようやく娘が実際は殺害されたことをフィービに明かした<ref name="bbc17" />。ロサンゼルス・イグザミナーは、警察の捜査に協力するためにロサンゼルスへ行く場合の航空料金と宿泊費をフィービに提供した。しかし、それもスクープを渡さないようにするためにフィービを警察や他の記者から遠ざけておくための策略だった{{sfn|Haugen|2010|pages=9–12}}。ロサンゼルス・イグザミナーとハーストの所有する別の新聞であるロサンゼルス・ヘラルド・エクスプレスは後にこの事件を[[扇情主義|センセーショナル]]に扱った。ロサンゼルス・イグザミナーのある記事では、黒い男仕立てのスーツを着ていたショートが、最後に目撃されたときは「タイトスカートと透けたブラウス」を着ていたと説明された<ref name="torture">{{cite news|title=Girl Torture Slaying Victim Identified by Examiner, FBI|date=January 17, 1947|work=Los Angeles Herald-Examiner|page=1}}</ref>。このメディアにより、ショートには「ブラック・ダリア」というニックネームが与えられ<ref name=":3">{{cite news|work=Los Angeles Times|author=Harnisch, Larry|date=November 1, 1999|url=http://articles.latimes.com/1999/nov/01/local/me-28619|title=A Crossroads of Murder and Myth in Hollywood|accessdate=September 12, 2017}}</ref>、「ハリウッド大通りを徘徊する女山師」として描写された。別の新聞の報道でも、[[ロサンゼルス・タイムズ]]が1月17日に出版した記事のように、殺人事件は「色魔による惨殺」であると報道した<ref name=":4">{{cite news|work=Los Angeles Times|date=January 17, 1947|title=Sex Fiend Slaying Victim Identified by Fingerprint Records of F.B.I.|page=2}} [http://blackdahlia.web.unc.edu/becoming-the-black-dahlia/ Scans] available at [http://blackdahlia.web.unc.edu ''The Black Dahlia''] historical archive from the University of North Carolina.</ref>。

==捜査==
===初期捜査===
====手紙と尋問====
1947年1月21日{{sfn|Katz|2010|p=189}}、ロサンゼルス・イグザミナーの編集者であるジェームズ・リチャードソン ({{Lang-en-short|James Richardson|links=no}}) の事務所に、ショート殺害の犯人を称する人物から電話が来た。その人物はロサンゼルス・イグザミナーによるこの事件の報道についてリチャードソンを祝福し、最終的には自首するつもりだが、警察による追及がさらに及ぶ前には自主しないつもりでもあると述べた。さらに、"expect some souvenirs of Beth Short in the mail" (ベス・ショートの形見が郵送されるのを期待しろ) とも発言した{{sfn|Scott|2017|p=221}}。

1月24日、怪しげなマニラ紙の封筒が[[アメリカ合衆国郵便公社]]の職員により発見された。封筒は「ロサンゼルス・イグザミナーおよび他のロサンゼルスの新聞社」に宛てられており、文は新聞の切り抜きを切り貼りして作られていた。そのうえ、封筒の前面には大きく"Here is Dahlia's belongings [,] letter to follow" (ダリアの所持品在中、手紙は追って) と書かれていた{{Sfn|Scott|2017|p=221}}。封筒の中にはショートの出生証明書、仕事用の名刺、写真、名前の書かれた紙片、表紙にマーク・ハンセン ({{Lang-en-short|Mark Hansen|links=no}}) という名前が浮き彫りされた住所録が入っていた{{sfn|Gilmore|2006|pages=165–9}}。封筒は[[ガソリン]]で慎重に洗浄されており、その様相はショートの遺体と同様だった。これにより、警察は封筒は殺人者が直接送付したものと疑った{{sfn|Gilmore|2006|pages=167-8}}。しかし、封筒は洗浄こそされていたが、それでも指紋が部分的に数箇所検出され、[[連邦捜査局]] (FBI) に検査のために送付された。しかし、指紋は運搬の過程で薄れており、適切に分析することができなかった{{sfn|Scott|2007|p=113}}。ロサンゼルス・イグザミナーが封筒を受け取った同日、ハンドバッグと黒いスエードの靴がショートの遺体が発見された場所から3.2キロメート離れた場所である、ノース・アベニューから少し離れた小道のゴミ箱の上で発見されたと報じられた。これらの物品は警察が回収したが、ガソリンで綺麗に拭われており、指紋が残っていなかった{{sfn|Scott|2017|p=222}}。

警察は封筒の中にあった住所録の持ち主であるマーク・ハンセンを被疑者とした{{sfn|Gilmore|2006|pages=148–50}}。ハンセンは裕福な人物で、地元のナイトクラブや劇場の所有者であり<ref name="Rolling">{{cite web|url=https://www.rollingstone.com/culture/features/has-the-black-dahlia-murder-finally-been-solved-w515848|title=Has the Black Dahlia Murder Finally been Solved?|work=[[Rolling Stone]]|first=Laura|last=Barcella|date=January 26, 2018|accessdate=January 28, 2018}}</ref>、ハンセンの自宅にショートが友人たちと滞在したことがあった{{sfn|Gilmore|2006|p=169}}。また、一部の情報源{{efn|ジャニス・ノールトンは、ロバート・マンリーがこれらの物品がショートのものであると確認したと主張している{{sfn|Knowlton|Newton|1995|p=30}}。一方で、キャシー・スコット ({{lang-en-short|Cathy Scott|links=no}}) は、それはハンセンが行ったことだと述べている{{sfn|Scott|2017|p=221}}。}}によれば、ハンセンは小道で発見されたハンドバッグと靴が実際にショートのものであることも確認したという{{sfn|Scott|2017|p=221}}。ショートの友人でありルームメイトでもあるアン・トス ({{Lang-en-short|Ann Toth|links=no}}) は、ショートは最近、ハンセンから関係を迫られたが拒絶していたと証言し、これが殺害の動機になりうるという説を唱えた{{Sfn|Scott|2017|p=222}}。しかし、ハンセンは殺害の疑いが晴れた{{Sfn|Katz|2010|p=190}}。ロサンゼルス市警察はハンセンだけでなく、その後の数週間で被疑者と見なされた150人以上の男性を尋問した{{sfn|Scott|2017|pages=222–3}}。マンリーは生きているショートを見た最後の人物の一人だったが、彼も捜査の対象となった。しかし、多数の[[ポリグラフ]]による検査をパスして疑いが晴れた{{sfn|Scott|2017|p=222}}。警察はハンセンの住所録に記載されていた数名の人物も尋問した。その中にはショートの知り合いだったマーティン・ルイス ({{Lang-en-short|Martin Lewis|links=no}}) も含まれていた{{sfn|Gilmore|2006|p=149}}。ルイスはショートが殺害された日の[[アリバイ]]を証明できた。[[オレゴン州]][[ポートランド (オレゴン州)|ポートランド]]に住む義父が腎臓の不調で死の縁にあり、会いに行っていたのである{{sfn|Gilmore|2006|p=150}}。

ロサンゼルス市警察や他の部局の合計750人の捜査官が初期段階の捜査に取り組んだ。その中には450人の保安官代理や250人の{{仮リンク|カリフォルニア・ハイウェイ・パトロール|en|California Highway Patrol}}の局員も含まれていた{{sfn|Scott|2007|p=113}}{{sfn|Gilmore|2006|p=139}}。証拠を求めて様々な場所が捜索された。その中にはロサンゼルス中の雨水の排水管や遺棄された建造物、[[ロサンゼルス|ロサンゼルス川]]沿岸の様々な場所も含まれる。しかし、捜査では更なる証拠は得られなかった{{sfn|Gilmore|2006|p=139}}。市議会議員のロイド・G・デーヴィス ({{Lang-en-short|Lloyd G. Davis|links=no}}) は殺人者につながる情報の褒賞として10,000ドル (2017年現在の{{Inflation|US|10000|1947|fmt=c|end_year=2017}}ドルに相当) を出すことを広告した{{sfn|Gilmore|2006|p=140}}。褒賞が出るという告知の後、様々な人物が出頭したが、そのほとんどは警察により嘘として却下された。そのうちの数名は公務執行妨害で告発された{{sfn|Gilmore|2006|p=141}}。

====メディアの反応、捜査の停滞====
1月26日、ロサンゼルス・イグザミナーは別の手紙を受け取った。今回の手紙は手書きであり、"Here it is. Turning in Wed., Jan. 29, 10 am. Had my fun at police. Black Dahlia Avenger" (この場所だ。1月29日水曜日午前10時に自首する。警察は楽しかった。ブラック・ダリアの復讐者) という内容だった。手紙は自首する予定の場所も指定されていた。1月29日の朝、警察は手紙に指定されていた場所で犯人が来るのを待ったが、犯人を称する人物は現れなかった{{sfn|Katz|2010|p=190}}。その代わりに、午後1時になるとロサンゼルス・イグザミナーの事務所に別の手紙が送られてきた。そちらは新聞の切り抜きで書かれており、"Have changed my mind. You would not give me a square deal. Dahlia killing was justified." (考えを変えた。俺に公平な処遇をしないつもりだっただろう。ダリア殺しは正当と認められた) という内容だった{{sfn|Newton|2009|p=47}}。

凄惨な犯行とその後にロサンゼルス・イグザミナーに送られた手紙から、ショート殺害事件を取り巻いてメディアは熱狂した{{sfn|Gilmore|2006|p=134}}。地元やアメリカ中の新聞がこの事件を大きく取り上げた。増刷されたセンセーショナルな報道の多くが、ショートは死ぬ前に4時間もの間[[拷問]]を受けていたと報じた。その情報は誤りだったが、警察はショートの真の死因が[[脳内出血]]であることを人々に隠すため、そのような報道が横行するのを放置していた{{sfn|Scott|2007|p=113}}。また、ショートの生涯についても報道され、その中にはハンセンが関係を迫ったが断ったとされる話の詳細も報じされていた。また、ショートと知り合いだったストリッパーが、ショートは男たちと付き合っても最後まで相手をしないのが常だったと警察に話した<!-- a stripper who was an acquaintance of Short's told police that she "liked to get guys worked up over her, but she'd leave them hanging dry." -->{{sfn|Gilmore|2006|p=154}}。これにより、一部の記者 (特にロサンゼルス・ヘラルド・エクスプレスのベボ・ミーンズ、{{Lang-en-short|Bevo Means|links=no}}) や刑事たちはショートが[[レズビアン|同性愛者]]である可能性を探るようになり、ロサンゼルスの[[ゲイバー]]の従業員や常連客に尋問を始めた。しかし、同性愛者という説は立証されずに終わっている{{sfn|Scott|2007|p=113}}{{sfn|Gilmore|2006|p=141}}。ヘラルド・エクスプレスもまた、殺人者を称する人物からいくつかの手紙を受け取っていた。それもまた新聞の切り抜きで作られており、その中の1つは"I will give up on Dahlia killing if I get 10 years. Don't try to find me." (10年たったらダリア殺しに見切りをつもりだ。探そうとするな) と書かれていた{{sfn|Hodel|Pezzullo|2009|pages=28–9}}。

2月1日、[[デイリーニューズ (ロサンゼルス)|ロサンゼルス・デイリーニューズ]]は、捜査官に追及すべき新しい手掛かりがなく、事件の捜査は越えられない壁に突き当たったと報じた{{sfn|Scott|2007|p=113}}。ロサンゼルス・イグザミナーは殺害事件と捜査の報道を続け、遺体の発見から35日間1面で報道し続けた{{sfn|Katz|2010|p=185}}。ロサンゼルス・イグザミナーのインタビューで主任捜査官のジャック・ドナヒュー ({{Lang-en-short|Jack Donahue|links=no}}) 警部は、ショートの殺害はロサンゼルスの外れの人里離れた建物で行われ、それから遺体が遺棄された場所に運ばれたと考えていると述べた{{Sfn|Scott|2007|p=114}}。遺体が精密に切開されていたことから、ロサンゼルス市警察は殺人者が外科医などの医療の知識のある人物である可能性を調査した。1947年2月中旬、ロサンゼルス市警察は、ショートの遺体発見現場の近くにある[[南カリフォルニア大学]]医学部に対して令状を執行して捜査を実施し、受講している学生の完全な一覧を要求した{{sfn|Katz|2010|p=190}}。大学は学生の身元を秘匿するという条件で受け入れた。経歴の調査が行われたが、成果は無かった{{sfn|Katz|2010|p=190}}。

===大陪審とその余波===
{{quote box|width=22%|align=right|bgcolor=lavender|quote=結論に結びつく手掛かりは無かった。一旦何かを発見しても、それは目の前で消滅したようだった。|source= —フィニス・ブラウン巡査部長、様々な行き詰った事件の捜査について{{sfn|Gilmore|2006|p=173}}}}

ショート殺害事件は1947年の春までには新しい手掛かりが乏しくて迷宮入りとなっていた{{sfn|Scott|2007|p=114}}。事件の主任捜査官の一人だったフィニス・ブラウン ({{Lang-en-short|Finis Brown|links=no}}) 巡査部長は、記者が事件の詳細を調査したり、確証のない報道をしたりして、捜査を妨害したということで報道関係者を批判した{{sfn|Gilmore|2006|p=173}}。1949年9月、[[大陪審]]が開かれ、ロサンゼルス市警察の殺人事件捜査班が、過去数年間で数多くの殺人事件、特に女性や子供が殺害された事件を解決できなかったことについて審議された。審議の対象にはショートの事件も含まれていた<ref name=":5">{{cite news|via=[[California Digital Newspaper Collection]]|date=September 7, 1949|url=https://cdnc.ucr.edu/cgi-bin/cdnc?a=d&d=MT19490907.2.43|work=Madera Daily News-Tribune|title=LA Grand Jury Sifts Unsolved 'Black Dahlia' Type Murders|page=2|number=55}} {{open access}}</ref>{{sfn|Gilmore|2006|pages=170–3}}。大陪審の影響で、ショートの過去についての更なる調査が実施され、刑事たちはマサチューセッツ、カリフォルニア、フロリダ間のショートの行動を追跡し、[[テキサス州|テキサス]]や[[ニューオーリンズ]]でショートと知り合っていた人々の尋問も実施した。しかし、この尋問でも捜査に使えそうな情報は得られなかった{{sfn|Gilmore|2006|p=173}}。

==被疑者と自白==
ショートの殺害は有名になり、それが原因で数年にわたって数多くの人々が出頭していった。その多くは嘘であると考えられた。初期捜査では合計して60回の出頭があった。そのほとんどが男性によるものだった<ref name="bray">{{cite web|url=https://www.telegraph.co.uk/culture/books/3652732/Hell-someones-cut-this-girl-in-half.html|work=The Telegraph|title='Hell, someone's cut this girl in half!'|author=Bray, Christopher|date=June 3, 2006|accessdate=September 9, 2017}}</ref>。それ以来、500名以上の人々が犯行を自白してきた。その中にはショート殺害の時点では生まれていない人さえもいた<ref name=":6">{{cite web|url=http://articles.latimes.com/1996-03-25/news/mn-51081_1_false-confession|work=Los Angeles Times|title=False Confessions and Tips Still Flow in Simpson Case|date=March 25, 1996|author=Corwin, Miles|accessdate=September 9, 2017}}</ref>。引退するまでこの事件に取り組んだ{{仮リンク|ジョン・P・セント・ジョン (警察官)|en|John P. St. John (police officer)|label=ジョン・P・セント・ジョン}} ({{Lang-en-short|John P. St. John|links=no}}) 巡査部長は、これほどまで多くの人が自分は殺人者であると名乗り出るのは驚くべきことだと述べた{{sfn|Repetto|2013|p=154}}。

2003年、事件を担当した刑事の一人であるラルフ・アスデル ({{Lang-en-short|Ralph Asdel|links=no}}) はロサンゼルス・タイムズに、ショートを殺したと思しき人物を尋問したことがあると語った。その男性は、1947年1月15日の早朝に、遺体が発見された空地の近くでセダンを駐車しているのを目撃された。その日、近隣住民が刈り取った芝を空地に捨てに車で立ち寄ったときに、駐車されたセダンを見かけた。セダンは右後方のドアが開いており、セダンの運転手が空地の中に立っていたという。運転手は近隣住民が現れたことに驚いていたようで、近隣住民の車に近付き、窓の中を凝視すると、セダンの方へ戻って去っていった<ref name="asdel">{{cite web|url=http://articles.latimes.com/2003/jan/09/local/me-asdel9|work=Los Angeles Times|title=Ralph Asdel, 82; Detective in the Black Dahlia Case|date=January 9, 2003|accessdate=September 15, 2017|author=McLellan, Dennis}}</ref>。セダンの持ち主は地元の料理店で働いていることまで追跡されたが、最終的には容疑から外れた<ref name="asdel" />。

様々な著述家や専門家の間で依然として議論の対象となっている被疑者の中には、ウォルター・ベイリー ({{Lang-en-short|Walter Bayley|links=no}}) という医師もいる。ベイリーが犯人であるという説は、かつてロサンゼルス・タイムズの原稿整理編集者だったラリー・ハーニッシュ ({{Lang-en-short|Larry Harnisch|links=no}}) により提案された{{sfn|Newton|2009|p=47}}。伝記作家のドナルド・ウォルフ ({{Lang-en-short|Donald Wolfe|links=no}}) は、ロサンゼルス・タイムズの経営者である{{仮リンク|ノーマン・チャンドラー|en|Norman Chandler}} ({{Lang-en-short|Norman Chandler|links=no}}) がショートを妊娠させ、後に殺害したと主張している{{sfn|Newton|2009|p=48}}。他にも被疑者として、レスリー・ディロン ({{Lang-en-short|Leslie Dillon|links=no}}){{sfn|Gilmore|2006|p=150–70}}、ジョセフ・A・デュメー ({{Lang-en-short|Joseph A. Dumais|links=no}})<ref name=":7">{{cite news|url=https://cdnc.ucr.edu/cgi-bin/cdnc?a=d&d=MT19480920.2.26|via=California Digital Newspaper Collection|work=Madera Daily News|date=September 20, 1948|title=Man Jailed as Suspect in 'Black Dahlia' Murder|number=52|p=2}} {{open access}}</ref>、アーティ・レーン ({{Lang-en-short|Artie Lane|links=no}}、またの名をジェフ・コナーズ <{{Lang-en-short|Jeff Connors|links=no}}>)<ref name="Rolling" />、マーク・ハンセン{{sfn|Gilmore|2006|pages=148–50}}、フランシス・E・スウィーニー ({{Lang-en-short|Francis E. Sweeney|links=no}}) 医師{{sfn|Badal|2001|p=215}}、{{仮リンク|ジョージ・ホーデル|en|George Hodel|label=ジョージ・ヒル・ホーデル・ジュニア}} ({{Lang-en-short|George Hill Hodel Jr|links=no}})<ref name="dance">{{cite web|url=http://articles.latimes.com/2003/apr/13/local/me-lopez13|title=Another Dance With L.A.'s Black Dahlia Case|author=Lopez, Steve|date=April 13, 2003|work=Los Angeles Times|accessdate=September 13, 2017}}</ref>、ホーデルの友人{{仮リンク|フレッド・セクストン|en|Fred Sexton}} ({{Lang-en-short|Fred Sexton|links=no}})<ref name=":8">{{cite web|title=L.A. Confidential|work=[[The New York Times]]|author=Thomson, David|date=May 18, 2003|accessdate=September 16, 2017|url=https://www.nytimes.com/2003/05/18/books/la-confidential.html}}</ref>、ジョージ・ノールトン ({{Lang-en-short|George Knowlton|links=no}}){{sfn|Knowlton|Newton|1995|p=3}}、ロバート・M・"レッド"・マンリー{{sfn|Scott|2017|p=222}}、パトリック・S・オライリー ({{Lang-en-short|Patrick S. O'Reilly|links=no}})<ref name=":9">{{cite web|title=A Kinder, Simpler Time Dept.: The Office of Tomorrow|work=The Daily Mirror|publisher=''Los Angeles Times''|accessdate=September 17, 2017|url=http://latimesblogs.latimes.com/thedailymirror/page/345/|series=Los Angeles History}}</ref>、ジャック・アンダーソン・ウィルソン ({{Lang-en-short|Jack Anderson Wilson|links=no}}、またの名をアーノルド・スミス <{{Lang-en-short|Arnold Smith|links=no}}>)<ref name=":10">{{cite news|url=http://lmharnisch.com/herex_820117.html|work=Los Angeles Herald Examiner|date=January 17, 1982|author=Suzan Nightingale|title=Black Dahlia: Author Claims to Have Found 1947 Killer}}</ref>{{sfn|Newton|2009|p=47}}が挙げられている。

警察はジョージ・ヒル・ホーデル・ジュニアを被疑者と考えたことがあったが、正式に告発することはなかった。ホーデルの死後、その息子がホーデルを告発したことで注目を集めた。ホーデルの息子のスティーヴ・ホーデル ({{Lang-en-short|Steve Hodel|links=no}}) はロサンゼルスで殺人事件を担当する刑事であり、父はショートの他にも数名を殺害したと主張した。ブラック・ダリア事件の前にも、ホーデルは自身の秘書のルース・スポールディング ({{Lang-en-short|Ruth Spaulding|links=no}}) を殺害した容疑で疑われていたが、告発されなかった。しかし、自身の娘のテーマー ({{Lang-en-short|Tamar|links=no}}) を強姦した容疑で告発されたことはあり、その犯行は認めていた。ホーデルは数回アメリカから逃亡していたことがあり、1950年から1990年は[[フィリピン]]に住んでいた。

==事件の仮説と関係する可能性のある犯罪==
[[File:Kingsbury Run investigations, sept 1936.jpg|thumb|left|警察が1936年の[[キングズベリー・ランの屠殺者|クリーブランド胴体殺人事件]]の被害者の遺体を捜索している。一部の記者や警察はこの事件とショート殺害事件は関係があると推測していた。]]
数名の犯罪著述家やクリーブランドの刑事のピーター・メリロ ({{Lang-en-short|Peter Merylo|links=no}}) は、ショート殺害事件と[[キングズベリー・ランの屠殺者|クリーブランド胴体殺人事件]]との間に関係性があると疑っている。クリーブランド胴体殺人事件は1934年から1938年にかけて[[オハイオ州]][[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド]]で発生した<ref name=":11">{{cite web|last=Bardsley|first=Marilyn|url=http://www.crimelibrary.com/serial_killers/unsolved/kingsbury/index_1.html|title=The Cleveland Torso Murders aka Kingsbury Run Murders - Eliot Ness Case|work=Crime Library|date=|accessdate=July 14, 2014|deadurl=yes|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140724184549/http://www.crimelibrary.com/serial_killers/unsolved/kingsbury/index_1.html|archivedate=July 24, 2014|df=}}</ref>{{sfn|Nickel|2001|pages=189–90}}。当時のロサンゼルス市警察の捜査官たちはショート殺害事件の前後に発生した別の殺人事件の捜査の一環で、1947年にクリーブランド胴体殺人事件について調べている。しかし、後にこの2つの事件の関連性は否定された。1980年に、かつてクリーブランド胴体殺人事件の被疑者だったジャック・アンダーソン・ウィルソンと関係する新しい証拠について、セント・ジョン刑事がショート殺害との関連性を調査した。セント・ジョンはウィルソンをショート殺害で立件できるところまであと少しのところだったと主張しているが、ウィルソンは1982年2月4日に火事で死亡した{{sfn|Rasmussen|2005|pages=80–97}}。ショート殺害がクリーブランド胴体殺人事件と関係がある可能性は新たにメディアの注目を集め、1992年に[[NBC]]のテレビシリーズ{{仮リンク|Unsolved Mysteries|en|Unsolved Mysteries|label=''Unsolved Mysteries''}}で紹介された。番組中で、[[エリオット・ネス]]の伝記を書いた{{仮リンク|オスカー・フレイリー|en|Oscar Fraley}} ({{Lang-en-short|Oscar Fraley|links=no}}) は、ネスは両方の殺人事件の犯人である人物の正体を知っていたとする説を出した<ref name="um">{{cite episode|series=[[Unsolved Mysteries]]|date=December 9, 1992|network=Lifetime|title=Black Dahlia & Torso Slayer|publisher=Cosgrove-Meurer Productions|season=5|number=13|url=https://unsolved.com/gallery/black-dahlia-torso-slayer/}}</ref>。

1947年2月10日にロサンゼルスで発生したジェーン・フレンチ ({{Lang-en-short|Jeanne French|links=no}}) 殺害事件も、メディアや刑事たちはショート殺害事件と結びつけて考えていた可能性がある。フレンチの遺体はロサンゼルス西部のグランド・ビュー大通りで発見された。遺体は裸にされ、ひどく殴打されていた。遺体の腹部には口紅で"Fuck You B.D." ({{Lang-ja-short|くたばれB.D.|no}}) と読める文字が書かれており、その下には"TEX"と書かれていた<ref name="meares">{{cite web|url=http://www.laweekly.com/arts/in-1947-a-month-after-the-black-dahlia-the-lipstick-murder-shocked-la-7759115|work=LA Weekly|title=In 1947, a Month After the Black Dahlia, the 'Lipstick Murder' Shocked L.A.|author=Meares, Hadley|date=January 4, 2017|accessdate=September 12, 2017}}</ref>。ロサンゼルス・ヘラルド・エクスプレスはこの事件を大きく取り上げ、その少し前に起きていたショート殺害事件と比較し、"B.D."という頭文字が「ブラック・ダリア」を表していると推測した<ref name=":12">{{cite news|work=Los Angeles Herald-Express|date=February 10, 1947|page=1|volume=LXXVI|number=198|title=Werewolf Strikes Again! Kills L.A. Woman, Writes B.D. on Her Body}}</ref>。しかし、歴史家のジョン・ルイス ({{Lang-en-short|Jon Lewis|links=no}}) によれば、その口紅の落書きは実際には"P.D."と書かれており、表向きには"police department" ({{Lang-ja-short|警察|no}}) を表しているという{{sfn|Lewis|2017|p=38}}。

スティーヴ・ホーデル (ジョージ・ホーデルの息子) やウィリアム・ラスムセン ({{Lang-en-short|William Rasmussen|links=no}}) などの犯罪著述家は、ショート殺害事件と1946年に[[イリノイ州]][[シカゴ]]で発生した殺人事件に関連性があるという説を出している。この事件では、6歳のスザンヌ・デグナン ({{Lang-en-short|William Rasmussen|links=no}}) が殺害され、遺体はばらばらに切断された<ref name=":13">{{cite web|url=http://www.trutv.com/library/crime/notorious_murders/famous/dahlia/avenger_book_review.html|archive-url=https://web.archive.org/web/20100109033336/http://www.trutv.com/library/crime/notorious_murders/famous/dahlia/avenger_book_review.html|dead-url=yes|archive-date=January 9, 2010|title=The Black Dahlia: The Unsolved Murder of Elizabeth Short — Black Dahlia Intro — Crime Library on|publisher=Trutv.com|date=April 11, 2003|accessdate=August 10, 2010}}</ref>。ロサンゼルス市警察のドナヒュー警部は、ブラック・ダリア事件はこの事件と関係している可能性があると考えていると公言した{{sfn|Rasmussen|2005|p=101}}。この説の根拠の一つが、ショートの遺体が発見されたノートン・アベニューはデグナン大通りの3ブロック西にあり、そのデグナンという言葉が被害者の少女の姓と同じであるというものである。デグナンの身代金を要求するメモに書かれた手書きの文字と、ショート殺害犯を称する人物が送った"Black Dahlia Avenger"の手紙の文字に顕著な類似性が見られるという根拠もある。どちらの文章でも大文字と小文字が入り混じって使われていた (デグナンの身代金要求のメモの一部は"BuRN This FoR heR SAfTY" {{sic}}と書かれていた) 。また、どちらでもPの文字が似たように不恰好に書かれており、ある単語は正確に一致した{{sfn|Rasmussen|2005|p=122}}。デグナンの事件については、連続殺人犯{{仮リンク|ウィリアム・ヘイレンズ|en|William Heirens}} ({{Lang-en-short|William Heirens|links=no}}) がデグナン殺害で有罪となり終身刑に服している。ヘイレンズは最初、デグナンの家の近くの住居に侵入した容疑で17歳で逮捕された。ヘイレンズは警察から拷問されて自白を強要され、殺人犯に仕立て上げられたと主張していた{{sfn|Rasmussen|2005|pages=48–70}}。2012年2月26日に健康上の問題でディクソン刑務所の診療所から[[イリノイ大学]]病院へ搬送され、2012年3月5日にその病院で83歳で死亡した。

また、スティーヴ・ホーデルは自分の父のジョージ・ホーデルがショート殺害犯であると考えている。状況証拠として、父が外科医としての訓練を受けていたことを挙げている<ref name="fitts">{{cite web|url=https://www.theguardian.com/us-news/2016/may/26/black-dahlia-murder-steve-hodel-elizabeth-short|work=The Guardian|title=I know who killed the Black Dahlia: my own father|author=Fitts, Alexis Sobel|date=May 26, 2016|accessdate=September 9, 2017}}</ref>。2003年に、1949年の大陪審の報告からの記録で、捜査官がホーデルの家を[[盗聴]]し、正体不明の訪問者と次のような会話をしていたという記録を得ていたことが判明している。"Supposin' I did kill the Black Dahlia. They couldn't prove it now. They can't talk to my secretary because she's dead." (もし自分がブラック・ダリアを殺したとしよう。連中にはもう証明できなかった。自分の秘書とは話せない。あいつは死んだからな)<ref name="dance" />

1991年、ショート殺害事件当時は10歳だったジャニス・ノールトン ({{Lang-en-short|Janice Knowlton|links=no}}) が、自分の父のジョージ・ノールトンがショートを殺害したのを目撃したと主張した。[[ウェストミンスター]]にあるノールトン宅の離れのガレージで、父がショートを釘抜き付き金槌で撲殺したという{{sfn|Knowlton|Newton|1995|p=147, 244}}。ノールトンは1995年に''Daddy was the Black Dahlia Killer''という題名の書籍を出版し、著書の中で父が自分に[[性的虐待]]を加えていたとも主張した{{sfn|Knowlton|Newton|1995|p=3}}。2004年にノールトンの義理の姉妹のジョレン・エマーソン ({{Lang-en-short|Jolane Emerson|links=no}}) は、ノールトンの著書を「ゴミ」と評し、ノールトンはそのように信じているが、16年間ジョージと暮らした自分には偽りであると分かると述べた。また、セント・ジョン刑事はロサンゼルス・タイムズに、ノールトンの主張は事件の実情と一致していないと語った<ref name="trash">{{cite web|url=http://articles.latimes.com/2004/dec/19/local/me-knowlton19|work=Los Angeles Times|date=December 19, 2004|accessdate=September 16, 2017|title=Janice Knowlton, 67; Believed That Her Father Killed the Black Dahlia|author=McLellan, Dennis}}</ref>。

{{仮リンク|ジョン・ギルモア (作家)|en|John Gilmore (writer)|label=ジョン・ギルモア}} ({{Lang-en-short|John Gilmore|links=no}}) は1994年の著書{{仮リンク|Severed: The True Story of the Black Dahlia Murder|en|Severed: The True Story of the Black Dahlia Murder|label=''Severed: The True Story of the Black Dahlia Murder''}} ({{Lang-ja-short|切断―ブラック・ダリア殺人事件の真実|no}}) で、ショート殺害事件と{{仮リンク|ジョーゼット・バウアードルフ|en|Georgette Bauerdorf}} ({{Lang-en-short|Georgette Bauerdorf|links=no}}) 殺害事件との間に関連性があるという説を唱えた{{sfn|Gilmore|2006|pages=152–9}}。ギルモアは、ショートは{{仮リンク|ハリウッド酒保|en|Hollywood Canteen}}で雇われていたが、バウアードルフもそこでホステスとして働いており、2人の間で繋がりがあった可能性があると述べた{{sfn|Gilmore|2006|pages=152–9}}。しかし、ショートがハリウッド酒保で働いていたことがあるという説については、かつてロサンゼルス・タイムズに在籍したラリー・ハーニッシュなどから反論されている。

{{仮リンク|ピウ・イートウェル|en|Piu Eatwell}} ({{Lang-en-short|Piu Eatwell|links=no}}) は2017年の著書''Black Dahlia, Red Rose''で、レスリー・ディロンに焦点を当てている。ディロンはベルボーイで、以前は葬儀店の助手だった。ディロンはマーク・ハンセンやジェフ・コナーズ、事件の主任捜査官だったフィニス・ブラウン巡査部長と交友関係があった。ブラウンはハンセンとの繋がりがあり、不正を働いたのではないかと言われている<ref name="Rolling" />。イートウェルは、この4人がホテル強盗の計画に関与していることについて深く知りすぎたために殺害されたと推測している。さらに、ショートはロサンゼルスのアスター・モーテルで殺害されたという説を唱えている。ショートの遺体が発見された朝、モーテルの所有者たちは、モーテルの部屋の1つに血や糞便が散らばっていたと報告した<ref name="Rolling" />。1949年にロサンゼルス・イグザミナーは、ロサンゼルス市警察のウィリアム・A・ウォートン ({{Lang-en-short|WIlliam A. Worton|links=no}}) 署長はフラワー・ストリート・(アスター)・モーテルの件とショート殺害との関係性を否定したと報じた。しかし、ライバルのロサンゼルス・ヘラルドは殺害はそこで起きたと主張した<ref name=":14">{{cite news|title=Los Angeles Examiner|date=December 7, 1949}}</ref>。

2000年、ロングビーチ警察の元刑事のバズ・ウィリアムズ ({{Lang-en-short|Buz Williams|links=no}}) は、ロングビーチ警察の回報''The Rap Sheet''でショート殺害についての記事を執筆した。ウィリアムズの父のリチャード・F・ウィリアムズ ({{Lang-en-short|Richard F. Williams|links=no}}) とその友人のコン・ケラー ({{Lang-en-short|Con Keller|links=no}}) は、どちらもロサンゼルスのギャング捜査班の一員であり、ショート殺害の捜査を行っていた。ウィリアムズの父は、ディロンが殺人者であり、ディロンがオクラホマの自宅に戻ったとき、元妻のジョージア・スティーヴンソン ({{Lang-en-short|Georgia Stevenson|links=no}}) はイリノイ州知事の[[アドレー・スティーブンソン|アドレー・スティーヴンソン2世]]のまたいとこで、アドレーがオクラホマ州知事に連絡をとったため、ディロンはカリフォルニアへの[[犯罪人引渡し|犯罪者引渡し]]を回避することができたと考えていた。ケラーはハンセンが犯人と考えていた。ハンセンは[[スウェーデン]]の外科学校で勉強していたことがあり、ロサンゼルス市警察の著名人が出席した手の込んだパーティを開いていたためである。ウィリアムズの記事によると、ディロンは300万ドルの賠償を求めてロサンゼルス市警察を訴えたが、その訴訟は後に撤回されたという<ref name=":15">{{cite news|work=The Rap Sheet (Long Beach Police Department)|date=2000|pages=16, 17, 32, 33, 34, 35|title=The Second Black Dahlia Investigation, Parts 1, 2, and 3}}</ref>。ハーニッシュはこの説に反論し、ディロンは警察の徹底的な捜査により容疑が晴れており、地方検事の記録でもショート殺害時には[[サンフランシスコ]]にいたことが確認されていると主張した<ref name=":16">{{cite web|url=https://ladailymirror.com/2017/12/22/black-dahlia-5-reasons-leslie-dillon-didnt-kill-elizabeth-short/|title=Black Dahlia: 5 Reasons Leslie Dillon Didn’t Kill Elizabeth Short|date=September 10, 2017|accessdate=September 22, 2017|publisher=|last=Harnisch|first=Larry|website=The Daily Mirror}}</ref>。また、ロサンゼルス市警察は隠蔽工作を行っておらず、ディロンは実際はロサンゼルス市から金銭による示談を受けていたとも主張した<ref name="The Daily Mirror">{{cite web|url=https://ladailymirror.com/2017/09/10/black-dahlia-piu-eatwells-black-dahlia-red-rose-exhumes-leslie-dillon/|title=Black Dahlia – Piu Eatwell’s ‘Black Dahlia, Red Rose’ Exhumes Leslie Dillon|date=September 10, 2017|accessdate=September 22, 2017|publisher=|website=The Daily Mirror|last=Harnisch|first=Larry}}</ref>。

==噂とその反論==
ショートの生涯とその死については人々の間で議論されていることが数多くある{{efn|ショートの生活が自身の死に繋がったと主張する説は様々ある。例えば、ショートは売春婦だったとする説がある。これらの説は情報源によって肯定されたり反論されたりしてきた{{sfn|Nickel|2001|p=289}}<ref name=fitts/>。2016年のニューヨーク・デイリーニューズの記事によると、「ブラック・ダリア」という名前と、ショートが1947年1月9日から15日にかけてどこにいたかという点が、人々の論争を招き、興味を沸き立たせた鍵であるという<ref name=harnisch>{{cite news|first=Larry|last=Harnisch|work=Los Angeles Times|url=http://articles.latimes.com/1997-01-06/news/mn-15889_1_black-dahlia|title=A Slaying Cloaked in Mystery and Myths|date=January 6, 1997|accessdate=September 11, 2017}}</ref><ref name=blakinger/>。}}。大衆や報道機関のショート殺害事件解明に携わりたいという熱意が、捜査をひどく複雑にし、事件についての複雑な、そしてときには矛盾した説話が生み出される一因となったと評されている{{sfn|Scott|2007|p=111}}。{{仮リンク|ポートランド・トリビューン|en|Portland Tribune}}のアン・マリー・ディステファノ ({{Lang-en-short|Anne Marie DiStefano|links=no}}) によれば、ショート殺害にまつわる根拠のない話が数多く数年間にわたって流布されてきたとという。ディステファノは、ショートの事件は時間の経過で忘れ去られず、それどころか、売春婦だった、性交が嫌いだった、妊娠していた、同性愛者だったというように、ブラック・ダリアの伝説は徐々に複雑になっていったと語った<ref name=":17">{{cite web|url=http://portlandtribune.com/component/content/article?id=102369|work=Portland Tribune|publisher=Pamplin Media Group|title=The Dahlia, divined|date=September 11, 2006|accessdate=September 12, 2017|author=DiStefano, Anne Marie}}</ref>。ハーニッシュは、ショートやその死にまつわる真実と思われている噂や俗説のいくつかに対して反論しており、ギルモアの著書''Severed''の信憑性についても「25%は誤り、50%は創作」と評している<ref name="myths" />。ハーニッシュは地方検事の記録についても調査している。ハーニッシュによれば、スティーヴ・ホーデルは自分の父についての調査で地方検事の記録の一部を調べており、ロサンゼルス・タイムズのコラムニストの{{仮リンク|スティーヴ・ロペス|en|Steve Lopez}} ({{Lang-en-short|Steve Lopez|links=no}}) も同じ文献で調査しているという。この記録によれば、イートウェルの説とは反対に、ディロンは徹底的に捜査されており、ショートが殺害されたときはサンフランシスコにいたことが確認されているという。ハーニッシュは、イートウェルはその記録の存在を知らなかったか、敢えてその内容を無視したのだろうと推測した<ref name="The Daily Mirror" />。

===殺害までの経緯と遺体の状態について===
ショートと知り合いではなかった数多くの人々が、警察や新聞社に接触し、いわゆる「ミッシング・ウィーク」 ({{Lang-en-short|missing week|links=no}}) にショートを目撃したと主張した。「ミッシング・ウィーク」とは、ショートが失踪した1月9日から遺体が発見された1月15日の間の期間のことである。警察や地方検事局の捜査官たちは目撃したという主張を全て退けた。一部の事例では別の女性がショートと勘違いされていた<ref name=":18">{{cite web|archiveurl=https://archive.is/20120527024802/http://blackdahlia.info/modules/news2/article.php?storyid=2|url=http://blackdahlia.info/modules/news2/article.php?storyid=2|title=Excerpts From Grand Jury Summary|work=BlackDahlia website|accessdate=November 4, 2007|archivedate=May 27, 2012}}</ref>。ショートがミッシング・ウィークの間にどこにいたかは不明である<ref name="blakinger">{{cite web|url=http://www.nydailynews.com/news/national/don-black-dahlia-article-1.2498088|work=New York Daily News|title=Nearly 70 years after her murder, here are the things we still don't know about Black Dahlia|date=January 16, 2016|accessdate=September 10, 2017|author=Blakinger, Keri}}</ref>。

ショートの遺体が発見されてから、ロサンゼルスの新聞の数多くで、ショートは拷問されて死に至ったと主張された<ref name="torture" />。この説は当時の警察により否認されていたが、ショートの実際の死因を人々に知られないようにするため、敢えて報道を放置した{{sfn|Scott|2007|p=113}}。オリバー・サイリアックス ({{Lang-en-short|Oliver Cyriax|links=no}}) の1993年の著書''Crime: An Encyclopedia''のような一部の情報源では、ショートの遺体には生きているときに付けられた[[たばこ|タバコ]]の火傷が数多く見られたと書かれているが{{sfn|Cyriax|1993|p=123}}、公式の検死の報告にはそのような記述は存在しない{{sfn|Newton|2009|pages=44–6}}。

ギルモアの著書''Severed''には、ショートの検死を行った検視官が、胃の内容物の調査結果を見るに、ショートは大便を食べさせられたようだと語ったと書かれている{{sfn|Gilmore|2006|p=125}}。しかし、この説はハーニッシュにより否定されている<ref name="myths" />。公式の検死の記録にも書かれていない{{sfn|Newton|2009|pages=44–6}}。それでも、いくつかの出版物{{sfn|Chancellor|Graham|2016|p=59}}やインターネット・メディア<ref name=":19">{{cite web|url=https://www.mirror.co.uk/news/world-news/tortured-hacked-half-drained-blood-11161233|work=[[Daily Mirror]]|title=Tortured, hacked in half and drained of blood: Horrific Black Dahlia murder mystery is finally 'solved' 70 years on|author=Carter, Claire|date=September 14, 2017|accessdate=September 17, 2017}}</ref>でこの話が転載されている。

===「ブラック・ダリア」というニックネームについて===
[[File:Lake-ladd-trailer.jpg|thumb|right|一部の情報源によれば、『ブラック・ダリア』という名前は1946年のフィルム・ノワール『ブルー・ダリア』に由来するという。写真の出典:<ref name="summers">{{cite web|url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/americas/5294114.stm|work=[[BBC]]|date=August 31, 2006|title=The enduring legend of Black Dahlia|author=Summers, Chris|accessdate=September 10, 2017}}</ref>]]
ショート殺害から間もない頃に出版された新聞の報道によると、ショートは1946年中頃にロングビーチの薬局の従業員や常連客から「ブラック・ダリア」と呼ばれており、その名前は1946年の映画『ブルー・ダリア』をもじったものであるという<ref name="summers" />{{sfn|Hare|2004|p=212}}。また、人々の間で信じられている噂に、ショートが自分の髪に[[ダリア]]を飾ったことから、メディアが「ブラック・ダリア」という名前を付けたというものがある<ref name="blakinger" />。FBIの公式ウェブサイトによると、「ショートは透けた黒い服を好んだという噂がある」という報道から、ニックネームに「ブラック」と付いているという<ref name=":20">{{Cite web|url=https://www.fbi.gov/history/famous-cases/the-black-dahlia|title=The Black Dahlia|website=Federal Bureau of Investigation|language=en-us|access-date=2019-01-01}}</ref>。

しかし、地方検事局の捜査官の報告によると、「ブラック・ダリア」というニックネームは事件を報道していた新聞記者が創作したものだという。薬局にいたショートの知り合いとインタビューしたロサンゼルス・ヘラルド・エクスプレスの記者のベボ・ミーンズが、「ブラック・ダリア」というニックネームを最初に使用した人物であるという{{sfn|Mancall|2013|p=39}}。しかし、記者のアンダーウッドや{{仮リンク|ジャック・スミス (コラムニスト)|en|Jack Smith (columnist)|label=ジャック・スミス}} ({{Lang-en-short|Jack Smith|links=no}}) もニックネームの創作者として名前が挙がっている<ref name="blakinger" />。ショートは生きていたときからその名前で通っていたと主張する情報源もあるが、別の情報源がそれに反論している{{efn|ハーニッシュは、ショートは生きていたときに「ブラック・ダリア」という名前で通っていたと主張している。一方で、2016年のニューヨーク・デイリーニューズの記事のようにこの主張に反論する情報源もある<ref name=blakinger/>。それでも、一部の情報源は依然としてショートは生きているときからその名前で通っていたと主張している{{sfn|Newton|2009|p=44}}。}}。ギルモア{{sfn|Gilmore|2006|p=15, 56}}とハーニッシュの両名が、このニックネームはショートが生きていたときからそのように呼ばれており、報道による創作ではないという点では同じ主張をしている。ハーニッシュは、ショートが頻繁に通っていたロングビーチの薬局で、従業員からそのニックネームで呼ばれていたと述べている<ref name="myths" />。ギルモアは著書''Severed''で、薬局の店主としてA・L・ランダーズ ({{Lang-en-short|A.L. Landers|links=no}}) の名前を挙げているが、薬局の名前は出していない{{sfn|Gilmore|2006|p=56}}。「ブラック・ダリア」という名前が流布される以前、ロサンゼルス・ヘラルド・エクスプレスは事件の残酷さから、ショート殺害事件を"Werewolf Murder" ({{Lang-ja-short|狼人間殺人|no}}) と呼称していた{{sfn|Gilmore|2006|p=139}}<ref name="blakinger" />。

===売春や性の経歴について===
多くの犯罪について扱う書籍で、ショートは1940年代中頃にロサンゼルスに住んでいた、もしくは何度も来ていたと書かれており、ギルモアの著書''Severed''も含め、ショートはハリウッド酒保で働いていたと主張されている。この説はハーニッシュにより反論されており、ショートは実際は1945年にハリウッド酒保が閉店した後になって初めてロサンゼルスに住むようになったという<ref name=myths/>。ショートの知り合いの一部や数名の著述家、記者は、ショートはロサンゼルスにいたときに売春婦やコールガールだったと述べている{{efn|スティーヴ・ニッケル ({{lang-en-short|Steve Nickel|links=no}}) は2001年の著書''Torso: The Story of Eliot Ness and the Search for a Psychopathic Killer''に、ショートはよくある街の売春婦で、アルコールや薬物に病み付きであり、写真撮影のためにヌードになったり、レズビアンの恋人と同棲したりしていたと記した{{sfn|Nickel|2001|p=289}}。このような主張は、ショートにまつわる犯罪の伝記には根強く残っているが、ロサンゼルス・タイムズのハーニッシュなどのジャーナリストはその説の信憑性に異議を唱えている。アレクシス・フィッツ ({{lang-en-short|Alexis Fitts|links=no}}) は2016年のガーディアンの記事<ref name=fitts/>で、ボブ・カルフーン ({{lang-en-short|Bob Calhoun|links=no}}) は{{仮リンク|SF Weekly|en|SF Weekly|label=''SF Weekly''}}<ref name=calhoun>{{cite web|url=http://www.sfweekly.com/news/snitch/yesterdays-crimes/yesterdays-crimes-the-black-dahlia-lies-in-oakland/|work=SF Weekly|title=Yesterday's Crimes: The Black Dahlia Lies in Oakland|last=Calhoun|first=Bob|date=July 3, 2017|accessdate=September 11, 2017}}</ref>で同じく反論している。}}。ハーニッシュによると、当時の大陪審により、ショートが売春婦だったことがあることを示す現存する証拠は存在していないことが証明されたという。また、ショートが売春婦だったという噂は、一部がこの事件を元にしている{{仮リンク|ジョン・グレゴリー・ダン|en|John Gregory Dunne}} ({{Lang-en-short|John Gregory Dunne|links=no}}) の1977年の小説''True Confessions''に由来するとも主張している<ref name="myths" />。

広く流布している別の噂で、ときにはショートが売春婦だったという噂の反証にもされているものに{{sfn|Wilkes|2006|p=174}}、ショートは生まれつきの欠陥で性器が発育不全 (いわゆる「小児生殖器」) であり、そのために[[性行為]]をする能力がなかったというものがある{{efn|ギルモアは著書''Severed''で、検死を担当した代理検視官の話によれば、ショートの性器は見たところ余りにも未発達で、性行為ができそうになかったらしいと記している{{sfn|Gilmore|2006|p=140}}。
この説に対して、ヘレナ・カッツ ({{lang-en-short|Hélèna Katz|links=no}}) は著書''Cold Cases: Famous Unsolved Mysteries, Crimes, and Disappearances in America''{{sfn|Katz|2010|p=187}}で、マイケル・ニュートンは著書''The Encyclopedia of Unsolved Crimes''{{sfn|Newton|2009|p=46}} で反論している。}}。ロサンゼルス郡地方検事の記録によると、捜査官が3人の男性に対してショートと性交したか質問しており<ref name="fact">[http://blackdahlia.info/modules/news/article.php?storyid=21 "Fact Versus Fiction"] BlackDahlia.info. {{webarchive|url=https://archive.is/20130218051257/http://blackdahlia.info/modules/news/article.php?storyid=21|date=February 18, 2013}}</ref>、その中には被疑者と見なされていたシカゴの警察官も含まれている。FBIの記録にも、ショートの恋人と称する人物による発言が含まれている<ref name=":21">[https://archive.is/20120527024802/http://blackdahlia.info/modules/news2/article.php?storyid=4 "District Attorney Suspects"] BlackDahlia.info.</ref>。ショートの検死記録は、マイケル・ニュートン ({{Lang-en-short|Michael Newton|links=no}}) の2009年の著書''The Encyclopedia of Unsolved Crimes''に全文が転載されており{{sfn|Newton|2009|pages=44–6}}、そこにはショートの[[子宮]]は「小さい」と書かれている。しかし、ショートの生殖器が通常とは解剖学的に異なる部分が他にあるという記述は存在しない{{sfn|Katz|2010|p=187}}{{sfn|Newton|2009|p=46}}。検死記録には、ショートは妊娠したことがないとも書かれており、ショートの生前や死後に語られていた話と反している<ref name="fact" />。

ショートは同性愛者だったという噂もよく流布された。グリモアによれば、この噂は代理検視官がロサンゼルス・ヘラルド・エクスプレスのベボ・ミーンズに、ショートは性器が小さいため男性と性交していなかったと語った後に広まったという{{sfn|Gilmore|2006|pages=141–2}}。ミーンズはこの話をショートは女性と性交すると解釈し、ミーンズと記者のシド・ヒューズ ({{Lang-en-short|Sid Hughes|links=no}}) の両名は更なる情報を求めてロサンゼルスのゲイバーを調査し始めたが、成果は無かったという{{sfn|Gilmore|2006|p=141}}。

==事件のその後から現在まで==
[[File:ElizabethShortGrave.jpg|thumb|right|カリフォルニア州オークランドにあるショートの墓]]
ショートはカリフォルニア州[[オークランド (カリフォルニア州)|オークランド]]の{{仮リンク|マウンテン・ビュー共同墓地 (カリフォルニア州オークランド)|en|Mountain View Cemetery (Oakland, California)|label=マウンテン・ビュー共同墓地}}に埋葬されている<ref name="calhoun" />。ショートの妹たちが成長して結婚した後、ショートの母のフィーべは娘の墓の近くで暮らすためにオークランドへ転居した。その後、1970年代に[[アメリカ合衆国東海岸|東海岸]]へ戻り、その地で90代まで生きた<ref name="harnisch" />。1947年2月2日、ショートが殺害されてからちょうど2週間後、[[共和党 (アメリカ)|共和党]]の州議会議員のC・ドン・フィールド ({{Lang-en-short|C. Don Field|links=no}}) はこの事件を受けて{{仮リンク|性犯罪者登録|en|Sex offender registry}}の作成を求める議案を提出した。カリフォルニア州は性犯罪者の登録を義務付けた最初のアメリカの州となった{{sfn|Katz|2010|p=190}}。

ショート殺害事件はアメリカの歴史上、最も残忍な犯罪と評されている<ref name="fitts" />。[[タイム (雑誌)|タイム]]誌は世界で最も有名な未解決事件の一つとしてこの事件を挙げている<ref name=":22">{{cite web|url=http://content.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,1867198_1867170_1867291,00.html|work=[[Time (magazine)|Time]]|title=The Black Dahlia|series=Top 10 Unsolved Crimes|accessdate=September 10, 2017|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151229043627/http://content.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,1867198_1867170_1867291,00.html|archivedate=December 29, 2015}}</ref>。

ショートの生涯と死は、フィクションやノンフィクションに関わらず数多くの書籍や映画が元としている。ショートの死を元とした最も有名なフィクションの一つが、[[ジェイムズ・エルロイ|ジェームズ・エルロイ]]の1987年の小説『{{仮リンク|ブラック・ダリア (小説)|en|The Black Dahlia (novel)|label=ブラック・ダリア}}』である。文化評論家のデヴィッド・M・ファイン ({{Lang-en-short|David M. Fine|links=no}}) によると、この小説は殺人事件だけでなく、戦後のロサンゼルスの政治や犯罪、汚職、パラノイアというより幅広い分野を探る内容になっているという{{sfn|Fine|2004|pages=209–10}}。このエルロイの小説は[[ブライアン・デ・パルマ]]監督により[[ブラック・ダリア (映画)|2006年に同名の映画]]に翻案された<ref name="summers" />。エルロイの小説と翻案された映画はどちらも、事件の実情とはほとんど関係がない{{sfn|Mayo|2008|p=316}}。また、1975年のテレビ映画''Who Is the Black Dahlia?''では{{仮リンク|ルーシー・アーナズ|en|Lucie Arnaz}}がショートを演じている<ref name=":23">{{cite journal|year=1976|title=Who Is the Black Dahlia?|volume=45|issue=33–8|publisher=North American Publishing Company|work=Cue|p=101}}</ref>。テレビシリーズ『[[アメリカン・ホラー・ストーリー]]』では[[ミーナ・スヴァーリ]]がショートを演じており、2011年のエピソード"Spooky Little Girl" ({{Lang-ja-short|双子の真実|no}}) と2018年のエピソード"Return to Murder House"に登場する<ref name=":24">{{cite web|url=http://starrymag.com/american-horror-story-return-to-murder-house/|title=American Horror Story – Return to Murder House|website=starrymag.com|date=October 24, 2018|accessdate=November 23, 2018|dead-url=no|archive-url=https://web.archive.org/web/20181025120959/http://starrymag.com/american-horror-story-return-to-murder-house/|archive-date=October 25, 2018}}</ref>。

他にも、イギリスのテレビドラマ『{{仮リンク|犯罪捜査官 アナ・トラヴィス|en|Above Suspicion (TV series)}}』の2010年に放送されたエピソードはこの事件を元にしている<ref>{{Cite news|title=Above Suspicion: the Red Dahlia, ITV1, review|date=05 January 2010|newspaper=[[The Telegraph]]|url=https://www.telegraph.co.uk/culture/tvandradio/6936917/Above-Suspicion-the-Red-Dahlia-ITV1-review.html|accessdate=21 March 2019}}</ref>。日本のロックミュージシャンの[[yasu]]が[[Acid Black Cherry]]という企画で制作した2009年のアルバム『[[Q.E.D. (Acid Black Cherryのアルバム)|Q.E.D.]]』もこの事件を題材としている<ref>{{Cite news|title=Acid Black Cherry、2ndアルバム『Q.E.D.』の裏にミステリアスな殺人事件|date=27 August 2009|newspaper=[[BARKS]]|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000052421|accessdate=21 March 2019}}</ref>。[[Rockstar Games]]から2011年に発売された[[コンピュータゲーム]]『[[L.A.ノワール]]』では作中でこの事件を扱う場面がある<ref>{{Cite news|title=『L.A.ノワール』もっとも凶悪で恐ろしい事件を担当する“殺人課”|date=2011-06-29|newspaper=[[ファミ通.com]]|accessdate=21 March 2019|url=https://www.famitsu.com/news/201106/29045950.html}}</ref>。アメリカの[[デスメタル]]バンド「[[ザ・ブラック・ダリア・マーダー]]」のバンド名はこの事件に由来する<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/artist/the-black-dahlia-murder-mn0000040648/biography|title=The Black Dahlia Murder {{!}} Biography & History|accessdate=21 March 2019|publisher=|website=[[AllMusic]]|last=Rivadavia|first=Eduardo}}</ref>。

==脚注==
{{noteslist|3}}

==出典==
{{Reflist|30em}}

==引用文献==
{{ref begin|3}}
*{{cite book|last=Badal|first=James Jessen|title=In the Wake of the Butcher: Cleveland's Torso Murders|publisher=Kent State University Press|year=2001|isbn=978-0-873-38689-0|ref=harv}}
*{{cite book|last1=Chancellor|first1=Arthur S.|last2= Graham|first2= Grant D.|title=Crime Scene Staging: Investigating Suspect Misdirection of the Crime Scene|publisher=Charles C. Thomas|year=2016|isbn=978-0-398-09139-2|ref=harv}}
*{{cite book|last=Cyriax|first=Oliver|title=Crime: An Encyclopedia|year=1993|publisher=Andre Deutsch|isbn=978-0-233-98821-4|ref=harv}}
*{{cite book|last=Fine|first= David M. |year=2004| title=Imagining Los Angeles: A City in Fiction|publisher= University of Nevada Press|isbn=0-87417-603-4|ref=harv}}
*{{cite book|last=Gibson|first=Dirk Cameron|title=Clues from Killers: Serial Murder and Crime Scene Messages|year=2004|publisher=Greenwood|isbn= 978-0-275-98360-4|ref=harv}}
* {{cite book | last = Gilmore | first = John | title = Severed: The True Story of the Black Dahlia Murder | origyear = 1994 | location = Los Angeles | publisher = Amok Books | year = 2006 | isbn = 978-1-878-92310-3 |edition=Second | ref=harv}}
*{{cite book|last=Hare|first=William|title=L.A. Noir: Nine Dark Visions of the City of Angels|publisher=McFarland|isbn= 978-0-786-41801-5 |year=2004|ref=harv}}
*{{cite book|last=Haugen|first=Brenda|title=The Black Dahlia: Shattered Dreams|year=2010|publisher=Capstone Publishers|isbn=978-0-7565-4358-7|ref=harv}}
* {{cite book| last = Hodel| first = Steve | title = Black Dahlia Avenger: A Genius for Murder | url = https://books.google.com/books?id=a7Te2BbKW7oC&pg=PP1&dq=black%20dahlia#v=onepage | location = New York | publisher = Arcade Publishing | year = 2003 | isbn = 1-55970-664-3 | ref=harv}}
*{{cite book|last1=Hodel|first1=Steve|last2=Pezzullo|first2= Ralph|title=Most Evil: Avenger, Zodiac, and the Further Serial Murders of Dr. George Hill Hodel|publisher=Penguin|year=2009|isbn= 978-1-101-14035-2|ref=harv}}
*{{cite book|last=Katz|first= Hélèna| year= 2010 | title=Cold Cases: Famous Unsolved Mysteries, Crimes, and Disappearances in America|publisher=ABC-CLIO|isbn= 978-0-313-37692-4 |ref=harv}}
* {{cite book | last1 = Knowlton | first1 = Janice | last2 = Newton | first2 = Michael| title = Daddy Was the Black Dahlia Killer | url = https://books.google.com/books?id=HkNeuv9HCxQC&pg=PR1&dq=black%20dahlia#v=onepage | location = New York | publisher = Simon and Schuster | year = 1995| ref=harv | isbn = 0-671-88084-5}}
*{{cite book|last=Lewis|first=Jon|title=Hard-Boiled Hollywood: Crime and Punishment in Postwar Los Angeles|publisher=University of California Press|year=2017|isbn= 978-0-520-28432-6|ref=harv}}
*{{cite book|last=Mancall|first=Jim|title=James Ellroy: A Companion to the Mystery Fiction|publisher=McFarland|year=2013|isbn= 978-0-786-433070|ref=harv}}
*{{cite book|last=Mayo|first= Mike|year=2008|title=American Murder: Criminals, Crimes, and the Media|publisher=Visible Ink Press|isbn=1-57859-256-9|ref=harv}}
* {{cite book | last1 = Nelson| first1 = Mark | last2 = Bayliss | first2 = Sarah Hudson | title = Exquisite Corpse: Surrealism and the Black Dahlia Murder| location = New York | publisher = Bulfinch Press | year = 2006 | url=https://books.google.com/books?id=kYRuQgAACAAJ | ref=harv | isbn = 0-8212-5819-2}}
*{{cite book|last=Newton|first=Michael|year=2009|title=The Encyclopedia of Unsolved Crimes|publisher=Infobase Publishing|ref=harv|isbn= 978-1-438-11914-4}}
*{{cite book|last=Nickel | first=Steve| year=2001 | title=Torso: The Story of Eliot Ness and the Search for a Psychopathic Killer | publisher=John F. Blair| ref=harv|isbn= 978-0-895-87246-3}}
* {{cite book| last = Rasmussen| first = William T. | title = Corroborating Evidence: The Black Dahlia Murder | url = https://books.google.com/books?id=G8v-moyT8w0C&lpg=PP1 | location = Santa Fe, NM | publisher = Sunstone Press| year = 2005 | isbn = 0-86534-536-8|ref=harv}}
*{{cite book|last=Reppetto|first=Thomas A. |title=American Police, A History: 1945–2012: The Blue Parade|volume=II|url=https://books.google.com/books?id=Rty1HDVX3UMC&pg=PT154|year=2013|publisher=Enigma Books|isbn=978-1-936274-44-4|ref=harv}}
*{{cite book|last=Scott|first=Gini Graham|year=2007|title=American Murder: Homicide in the Early 20th Century|publisher=Greenwood|isbn= 0-275-99977-7|ref=harv}}
*{{cite book|last=Scott|first=Cathy|year=2017|series=DK|publisher=Penguin|title=The Crime Book|isbn= 978-1-465-46667-9|ref=harv}}
*{{cite book|title=The FBI: A Centennial History, 1908–2008|year=2008|publisher=Government Printing Office|isbn=978-0-160-80954-5|author=U.S. Federal Bureau of Investigation|ref={{SfnRef|U.S. Federal Bureau of Investigation|2008}}}}
*{{cite book|last=Wilkes|first=Roger|title=Giant Book of Unsolved Crimes|publisher=Magpie Books|year=2006|isbn= 978-1-845-29205-8|edition=Revised|ref=harv}}
{{refend}}

==参考文献==
{{columns-list|colwidth=30em|
* {{cite book |author = ジョン・ギルモア | title = 切断―ブラック・ダリア殺人事件の真実 | publisher = [[翔泳社]] | year =1995 | isbn = 978-4-881-35275-5 |1=和書|translator=[[沢万里子]]|location=東京}}
* {{cite book
| last = Daniel
| first = Jacque
| title = The Curse of the Black Dahlia
| location = Los Angeles
| publisher = Digital Data Werks
| year = 2004
| isbn = 0-9651604-2-4
}}
* {{cite book
| last = Fowler
| first = Will
| title = Reporters: Memoirs of a Young Newspaperman
| location = Minneapolis
| publisher = Roundtable Publishing
| year = 1991
| isbn = 0-915677-61-X
}}
* {{cite book
| last = Pacios
| first = Mary
| title = Childhood Shadows: The Hidden Story of the Black Dahlia Murder
| location = Bloomington, IN
| publisher = Authorhouse
| year = 1999
| isbn = 1-58500-484-7
}}
* {{cite book
| last = Richardson
| first = James
| title = For the Life of Me: Memoirs of a City Editor
| location = New York
| publisher = G.P. Putnam's Sons
| year = 1954
| id = (ISBN unavailable)
}}
* {{cite book
| last = Smith
| first = Jack
| title = Jack Smith's L.A
| location = New York
| publisher = Pinnacle Books
| year = 1981
| isbn = 0-523-41493-5
}}
* {{cite book
| last = Underwood
| first = Agness
| title = Newspaperwoman
| location = New York
| publisher = Harper and Brothers
| year = 1949
| id = (ISBN unavailable)
}}
* {{cite book
| last = Wagner
| first = Rob Leicester
| title = Red Ink, White Lies: The Rise and Fall of Los Angeles Newspapers, 1920–1962
| location = Upland, Calif.
| publisher = Dragonflyer Press
| year = 2000
| isbn = 0-944933-80-7
}}
* {{cite book
| last = Webb
| first = Jack
| title = The Badge: The Inside Story of One of America's Great Police Departments
| location = Upper Saddle River, NJ
| publisher = Prentice-Hall
| year = 1958
| isbn = 0-09-949973-8
}}
* {{cite book
| last = Wolfe
| first = Donald H.
| title = The Black Dahlia Files: The Mob, the Mogul, and the Murder That Transfixed Los Angeles
| location = New York
| publisher = ReganBooks
| year = 2005
| isbn = 0-06-058249-9
}}
}}


==関連項目==
==関連項目==
{{Commons category|Black Dahlia}}

*[[ブラック・ダリア (映画)]] - 2006年に公開された、この事件を元にした映画。
*{{仮リンク|ブルー・ダリア|en|The Blue Dahlia}} - 1946年に公開された映画で、「ブラック・ダリア」というニックネームの元となったとされる。
*{{仮リンク|アーネスト・E・デブス|en|Ernest E. Debs}}
*{{仮リンク|アグネス・アンダーウッド|en|Agness Underwood}}
*[[未解決事件]]
*[[未解決事件]]
* [[バラバラ殺人]]
*[[ブラック・ダリア (映画)]]


== 外部リンク ==
==外部リンク==
*[https://www.fbi.gov/history/famous-cases/the-black-dahlia The Black Dahlia] - FBI
* [http://vault.fbi.gov/Black%20Dahlia%20%28E%20Short%29%20/ The FBI's Black Dahlia files] from the FBI's [[Freedom of Information Act (United States)|Freedom of Information Act]] site.
*[http://vault.fbi.gov/Black%20Dahlia%20%28E%20Short%29%20/ The Black Dahlia case files] - FBIによる情報公開
* [http://ia360928.us.archive.org/2/items/Singles_And_Doubles_Singles_O-S/50-08-24epxxxxSomebodyKnows-UnsolvedMurderOfElizabethShort.mp3 "Somebody Knows" episode] a 1950 radio program on the case.
*[https://archive.org/download/Singles_And_Doubles_Singles_O-S/50-08-24epxxxxSomebodyKnows-UnsolvedMurderOfElizabethShort.mp3 "Somebody Knows" episode] - 事件についての1950年のラジオ番組
* {{Find a Grave|4490|accessdate=June 7, 2016}}
*{{Find a Grave|4490|name=Elizabeth 'Black Dahlia' Short|accessdate=2013-06-10}}
*{{IMDb name|1274122}}


{{Crime-stub}}
{{Normdaten}}


{{リダイレクトの所属カテゴリ
| redirect1 = エリザベス・ショート
| 1-1 = 1924年生
| 1-2 = 1947年没
| 1-3 = ボストン出身の人物
| 1-4 = 殺人被害者
}}

{{coord|34.0164| -118.333|region:US_scale:10000|display=title}}
{{DEFAULTSORT:ふらつくたりあしけん}}
{{DEFAULTSORT:ふらつくたりあしけん}}
{{Normdaten}}
[[Category:アメリカ合衆国の未解決殺人事件]]
[[Category:アメリカ合衆国の未解決殺人事件]]
[[Category:アメリカ合衆国の事件 (1945年-1989年)]]
[[Category:アメリカ合衆国の事件 (1945年-1989年)]]
[[Category:1947年のアメリカ合衆国]]
[[Category:1947年のアメリカ合衆国]]
[[Category:カリフォルニア州の事件]]
[[Category:ハリウッドの歴史と文化]]
[[Category:バラバラ殺人]]
[[Category:バラバラ殺人]]
[[Category:ロサンゼルスの歴史]]
[[Category:1947年1月]]
[[Category:1947年1月]]
[[Category:未査読の翻訳があるページ]]

2019年3月28日 (木) 01:04時点における版

ブラック・ダリア
エリザベス・ショート (ブラック・ダリア) (1946年頃)
生誕 エリザベス・ショート
(1924-07-29) 1924年7月29日
アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン
死没 1947年1月14日または15日 (22歳)
アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス
死因 暴行による脳内出血[1]
墓地 アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランドマウンテン・ビュー共同墓地英語版
北緯37度50分07秒 西経122度14分13秒 / 北緯37.83528度 西経122.23694度 / 37.83528; -122.23694
別名 ブラック・ダリア
職業 ウェイトレス
著名な実績 殺人被害者
身長 165 cm (5 ft 5 in)
体重 52 kg (115 lb)
  • クリオ・ショート (父、英: Cleo Short)
  • フィービ・メイ・ソーヤー (母、英: Phoebe Mae Sawyer)
テンプレートを表示

ブラック・ダリア事件(-じけん、英語: Black Dahlia Murder)とは、1947年アメリカ合衆国で発生した殺人事件である。エリザベス・ショート (英: Elizabeth Short、1924年7月29日 - 1947年1月14日または15日) という女性がカリフォルニア州ロサンゼルス近辺のレイマート・パーク英語版で遺体となって発見された。ショートの遺体は腰の部分で両断されるという痛ましい状態だった。この惨状から事件は非常に話題となり、ショートは死後に「ブラック・ダリア」という呼び名で知られるようになった。

ショートはボストン出身で、幼少の頃はマサチューセッツ州メドフォードフロリダに住んでいた。後に父の住むカリフォルニアへ転居した。一般にショートは女優志望だったことが知られているが、ロサンゼルスで過ごしていた間に何らかの女優の仕事をしていたかは不明である。ショートは死後、「ブラック・ダリア」というニックネームで呼ばれるようになるが、これは当時の新聞は特に陰惨な犯罪にしばしばニックネームを付けていたためである。ニックネームは記者がカリフォルニア州ロングビーチの薬局の店主から聞いた話に由来するらしく、薬局の男性客がショートのことをそのようなニックネームで呼んでいたという。1946年4月に公開されたヴェロニカ・レイクアラン・ラッドが主演のフィルム・ノワールブルー・ダリア英語版』のもじりであると考えられる。1947年1月15日にショートの遺体が発見されてから、ロサンゼルス市警察は大規模な捜査を開始した。被疑者は150人以上いたが、誰も逮捕することはなかった。

事件そのものや事件にまつわる様々なことが長く人々の注目を惹き付け、様々な説が生まれている。数多くの書籍や映画がショートの生涯と死を元としている。ショート殺害事件はアメリカの歴史上、最も有名な未解決殺人事件の一つであり、ロサンゼルス郡で最も昔に起こった未解決事件の一つでもあることから、頻繁に引き合いに出される[2]。歴史家からは、第二次世界大戦後のアメリカで国中の関心を集めた最初の主要な犯罪の一つとして評されている[注釈 1]

ショートの生涯

幼少期

エリザベス・ショート[注釈 2]はマサチューセッツ州ボストンの一区画であるハイド・パーク英語版で、クレオ・ショート (英: Cleo Short) とフィービ・メイ・ショート (英: Phoebe May Short、旧姓ソーヤー、英: Sawyer) の5人中3番目の娘として生まれた[8][9]。1927年頃、ショート一家はメイン州ポートランドへ転居し[10]、同年にボストン近郊のマサチューセッツ州メドフォードに落ち着いた。この場所でショートは育ち、生涯のほとんどを過ごした[11]。ショートの父はパターゴルフのコースの造成を行っていたが、1929年のウォール街大暴落で貯蓄のほとんどを失い、一家は破産した[9]。1930年、父の自動車がチャールズタウン橋で乗り捨てられているのが発見された。父はチャールズ川へ飛び込んで自殺を図ったと推測された。母は夫が死亡したと信じ、5人の娘とともにメドフォードの小さなアパートへ転居して、娘を養うために簿記の仕事を始めた[12]

ショートは気管支炎や重度の気管支喘息の発作を患い、15歳で肺の手術を受けた。その後、呼吸器の問題の悪化を防ぐため、冬季は気候の穏やかな場所に転居することを医師から提案された[13]。それから、ショートの母は冬の間はショートをフロリダ州マイアミに送り届け、家族ぐるみの友人とともにその地で過ごすようにさせた[14]。その後の3年間、ショートは冬季をマイアミで過ごし、それ以外の季節を母や姉妹とともにメドフォードで暮らした。ショートは2年生のときにメドフォード・ハイスクール英語版を中退した[15]

カリフォルニアへの転居

1943年に未成年飲酒で検挙されたときのショートの写真
マシュー・マイケル・ゴードン・ジュニア少佐

1942年後半、ショートの母は死亡したと思われていた夫から謝罪の手紙を受け取った。手紙には、夫は実は生きており、カリフォルニアで新しい生活を始めたと記されていた[15]。1942年12月、つまり18歳のとき、ショートは6歳のときから会っていなかった父と一緒に暮らすため、ヴァレーホへ転居した[16]。当時、父はサンフランシスコ湾メア・アイランド海軍造船所の近くで働いていた。しかし、ショートと父との間で口論が起こり、1943年1月にショートは父の元を立ち去った[17]。それから間もなく、ショートはロンポック英語版の近くのキャンプ・クーク (現在のヴァンデンバーグ空軍基地) の酒保で仕事を見つけ、数名の友人と一緒に暮らした。短い間、陸軍航空軍の下士官と一緒に暮らしたこともあったが、その人物はショートを虐待していたと言われている[17]。1943年中頃にショートはロンポックを離れてサンタバーバラへ転居した。その地では、1943年9月23日に地元の酒場で未成年飲酒で逮捕されている[18]。ショートは少年犯罪ということで当局によりメドフォードへ送還されたが[注釈 3]、結局フロリダへ戻った。マサチューセッツへはときどき来るだけだった[21]

ショートはフロリダにいる間、マシュー・マイケル・ゴードン・ジュニア (英: Matthew Michael Gordon, Jr.) 少佐に出会った。ゴードンは第2航空遊撃隊英語版の陸軍航空軍将校であり、叙勲を受けている。第二次世界大戦の中国・ビルマ・インド戦域英語版への配置に向けた訓練を受けていた。ショートは友人に、ゴードンがインドでの飛行機の墜落の負傷で療養している間に結婚を申し込む手紙を送ってきたと語った[22]。ショートはゴードンの求婚を受け入れたが、ゴードンは1945年8月10日の2度目の墜落で死亡した。それから1週間足らずで日本が降伏して戦争は終わった[23]

ショートは1946年7月にロサンゼルスへ転居し、陸軍航空軍のジョセフ・ゴードン・フィックリング (英: Joseph Gordon Fickling) 中尉の元を訪れた。フィックリングとはフロリダで知り合っていた[24]。フィックリングはロングビーチにある海軍予備航空基地に配属されていた[25]。ショートは人生の最期の6ヶ月を南カリフォルニアで過ごし、そのほとんどをロサンゼルス地域で過ごした。死の直前、ショートはウェイトレスとして働いており、ハリウッド大通りにあるフロレンティン・ガーデンズ・ナイトクラブの裏の部屋を借りていた[26]。ショートは女優志願者、もしくは「えせ」女優として様々に描写されている[27]。いくつかの情報源によれば、ショートには本当に映画スターになるという大望があったと描写されている[28]が、女優の仕事をしていたかは不明である[注釈 4]

殺人事件

殺人事件発生前

1947年1月9日、ショートはサンディエゴへの短い旅行の後にロサンゼルスの自宅へ戻った。旅行には、ショートが交際していた25歳の既婚者のセールスマンのロバート・M・"レッド"・マンリー (英: Robert M. "Red" Manley) と一緒だった[26]。マンリーによれば、マンリーはダウンタウンのサウス・グランド・アベニュー英語版506番地にあるビルトモア・ホテル英語版でショートを車から降ろし、ショートはその日の午後にボストンから来ていた姉妹に会いに行ったという[26]。一部の記述によれば、ビルトモア・ホテルの従業員が、ショートがロビーの電話を使っていたのを目撃したという[注釈 5]。それから間もなく、ビルトモア・ホテルから約800メートル離れたところにある、サウス・オリーブ・ストリート754番地のクラウン・グリル・コックテール・ラウンジの常連客がショートを目撃したと言われている[26]

遺体の発見

1947年1月15日の朝、ロサンゼルスのレイマート・パークのコリシアム・ストリートとウェスト39番ストリートの中間にある、サウス・ノートン・アベニューの西側の空地で、2つに切断されたショートの半裸の遺体が発見された。当時、近隣はほとんどが未開発だった[31]。午前10時頃、3歳の娘と一緒に歩いていた地元の住民のベティ・バーシンガー (英: Betty Bersinger) が遺体を発見した[32]。バーシンガーは最初、マネキンが投棄されていると思った[33]。それが死体だと気付くと、近隣の家へ駆け込んで警察へ通報した[34]

ショートの遺体は腰の部分で完全に切断されており、血液が全て抜かれていた。肌は青ざめた白色になっていた[35][36]監察医は、ショートは遺体として発見される約10時間前に死亡したと断定し、死亡時刻は1月14日の夜または1月15日の早朝とした[33]。遺体は明らかに洗い清められていた[37]。また、口角から耳までが切り裂かれ、いわゆる「グラスゴー・スマイル」になっていた[31]。腿や胸にも数箇所に切られた傷が見られ、その部分の肉は全体的に薄くスライスされていた[38]。遺体の下半身は上半身から足が遠くなる向きで置かれ、腸は臀部の下に完全に押し込まれていた[37]。遺体は両手が頭の上に置かれ、両肘が直角に曲げられ、両脚は広げられていた[33][36]

遺体が発見されてすぐに、通りすがりの人や記者たちが集まり始めた。ロサンゼルス・ヘラルド・エクスプレス英語版の記者のアギー・アンダーウッド英語版 (英: Aggie Underwood) も現場に最初に到着した人々の中にいた。アンダーウッドは遺体や犯罪現場の写真を数枚撮影した[39]。遺体のそばでは、刑事がタイヤ痕の中にヒールの足跡を発見した[40]。水が混じった血液の入ったセメント袋も近くで見つかった[41][42]

検死と身元特定

ショートの遺体の検死は1947年1月16日に実施され、ロサンゼルス郡検視官のフレドリック・ニューバー (英: Frederick Newbarr) が担当した[43]。検死報告書には、ショートは身長165センチメートル、体重52キログラム、目は明青色、髪は茶色、歯はひどい虫歯と記されていた[44][注釈 6]。足首や手首、首に結紮の痕跡があり、右の乳房は裂傷により体表の組織が失われていた[45]。右の前腕や左の上腕、胸の左下側でも体表が切り裂かれていた[45]

ショートの公式の死亡証明書 (1947年、ロサンゼルス郡)

遺体は完全に真っ二つに切断されていた。切断に用いられた技術は、1930年代に教えられていた"hemicorporectomy英語版"と呼ばれる手法だった。2番目と3番目の腰椎の間を横に切開することで下半身と上半身が分断されていた。つまりは十二指腸の部分で切断されていたということである。切開した線に沿って非常に小さな斑状出血英語版 (打撲傷) が見られることから、体が切断されたのは死後のことであると示唆されている[46]。これとは別に、から恥骨上の部分にかけて縦に108ミリメートルの長さの大きく開いた裂傷があった[46]。顔の両面についた裂傷は、唇の端から右側へは76ミリメートル、左側へは64ミリメートルにまで延びていた[45]。頭蓋骨は挫傷していなかったが、頭皮の前面と右面に打撲傷が見られ、右側のくも膜下で少量の出血が見られた。これは頭を殴打されたときに生じる負傷と一致する[45]。死因は、顔面の裂傷による出血と、頭や顔への殴打によるショックと断定された[47]。また、肛門管が44ミリメートルのところで拡張されており、強姦された可能性が示唆されている[46]。遺体から精液の存在を調査するための試料が採取されたが、結果は陰性だった[48]

警察は検死の前からすぐに被害者がショートであると特定できていた。当時の初期のファクシミリであるSoundphotoを使ってワシントンD.C.に指紋の複写を送付したところ、1943年に逮捕されたときの指紋と合致したのである[49]。身元特定の後、すぐにウィリアム・ランドルフ・ハーストが所有するロサンゼルス・イグザミナー英語版の記者たちがボストンにいるショートの母のフィービに接触した。その際、フィービは娘が美人コンテストで勝ったと聞かされた[31][50]。記者たちはできる限り多くの個人情報を引き出してから、ようやく娘が実際は殺害されたことをフィービに明かした[31]。ロサンゼルス・イグザミナーは、警察の捜査に協力するためにロサンゼルスへ行く場合の航空料金と宿泊費をフィービに提供した。しかし、それもスクープを渡さないようにするためにフィービを警察や他の記者から遠ざけておくための策略だった[51]。ロサンゼルス・イグザミナーとハーストの所有する別の新聞であるロサンゼルス・ヘラルド・エクスプレスは後にこの事件をセンセーショナルに扱った。ロサンゼルス・イグザミナーのある記事では、黒い男仕立てのスーツを着ていたショートが、最後に目撃されたときは「タイトスカートと透けたブラウス」を着ていたと説明された[52]。このメディアにより、ショートには「ブラック・ダリア」というニックネームが与えられ[53]、「ハリウッド大通りを徘徊する女山師」として描写された。別の新聞の報道でも、ロサンゼルス・タイムズが1月17日に出版した記事のように、殺人事件は「色魔による惨殺」であると報道した[54]

捜査

初期捜査

手紙と尋問

1947年1月21日[55]、ロサンゼルス・イグザミナーの編集者であるジェームズ・リチャードソン (英: James Richardson) の事務所に、ショート殺害の犯人を称する人物から電話が来た。その人物はロサンゼルス・イグザミナーによるこの事件の報道についてリチャードソンを祝福し、最終的には自首するつもりだが、警察による追及がさらに及ぶ前には自主しないつもりでもあると述べた。さらに、"expect some souvenirs of Beth Short in the mail" (ベス・ショートの形見が郵送されるのを期待しろ) とも発言した[26]

1月24日、怪しげなマニラ紙の封筒がアメリカ合衆国郵便公社の職員により発見された。封筒は「ロサンゼルス・イグザミナーおよび他のロサンゼルスの新聞社」に宛てられており、文は新聞の切り抜きを切り貼りして作られていた。そのうえ、封筒の前面には大きく"Here is Dahlia's belongings [,] letter to follow" (ダリアの所持品在中、手紙は追って) と書かれていた[26]。封筒の中にはショートの出生証明書、仕事用の名刺、写真、名前の書かれた紙片、表紙にマーク・ハンセン (英: Mark Hansen) という名前が浮き彫りされた住所録が入っていた[56]。封筒はガソリンで慎重に洗浄されており、その様相はショートの遺体と同様だった。これにより、警察は封筒は殺人者が直接送付したものと疑った[57]。しかし、封筒は洗浄こそされていたが、それでも指紋が部分的に数箇所検出され、連邦捜査局 (FBI) に検査のために送付された。しかし、指紋は運搬の過程で薄れており、適切に分析することができなかった[58]。ロサンゼルス・イグザミナーが封筒を受け取った同日、ハンドバッグと黒いスエードの靴がショートの遺体が発見された場所から3.2キロメート離れた場所である、ノース・アベニューから少し離れた小道のゴミ箱の上で発見されたと報じられた。これらの物品は警察が回収したが、ガソリンで綺麗に拭われており、指紋が残っていなかった[11]

警察は封筒の中にあった住所録の持ち主であるマーク・ハンセンを被疑者とした[59]。ハンセンは裕福な人物で、地元のナイトクラブや劇場の所有者であり[60]、ハンセンの自宅にショートが友人たちと滞在したことがあった[61]。また、一部の情報源[注釈 7]によれば、ハンセンは小道で発見されたハンドバッグと靴が実際にショートのものであることも確認したという[26]。ショートの友人でありルームメイトでもあるアン・トス (英: Ann Toth) は、ショートは最近、ハンセンから関係を迫られたが拒絶していたと証言し、これが殺害の動機になりうるという説を唱えた[11]。しかし、ハンセンは殺害の疑いが晴れた[62]。ロサンゼルス市警察はハンセンだけでなく、その後の数週間で被疑者と見なされた150人以上の男性を尋問した[63]。マンリーは生きているショートを見た最後の人物の一人だったが、彼も捜査の対象となった。しかし、多数のポリグラフによる検査をパスして疑いが晴れた[11]。警察はハンセンの住所録に記載されていた数名の人物も尋問した。その中にはショートの知り合いだったマーティン・ルイス (英: Martin Lewis) も含まれていた[64]。ルイスはショートが殺害された日のアリバイを証明できた。オレゴン州ポートランドに住む義父が腎臓の不調で死の縁にあり、会いに行っていたのである[65]

ロサンゼルス市警察や他の部局の合計750人の捜査官が初期段階の捜査に取り組んだ。その中には450人の保安官代理や250人のカリフォルニア・ハイウェイ・パトロール英語版の局員も含まれていた[58][66]。証拠を求めて様々な場所が捜索された。その中にはロサンゼルス中の雨水の排水管や遺棄された建造物、ロサンゼルス川沿岸の様々な場所も含まれる。しかし、捜査では更なる証拠は得られなかった[66]。市議会議員のロイド・G・デーヴィス (英: Lloyd G. Davis) は殺人者につながる情報の褒賞として10,000ドル (2017年現在の109,776ドルに相当) を出すことを広告した[67]。褒賞が出るという告知の後、様々な人物が出頭したが、そのほとんどは警察により嘘として却下された。そのうちの数名は公務執行妨害で告発された[68]

メディアの反応、捜査の停滞

1月26日、ロサンゼルス・イグザミナーは別の手紙を受け取った。今回の手紙は手書きであり、"Here it is. Turning in Wed., Jan. 29, 10 am. Had my fun at police. Black Dahlia Avenger" (この場所だ。1月29日水曜日午前10時に自首する。警察は楽しかった。ブラック・ダリアの復讐者) という内容だった。手紙は自首する予定の場所も指定されていた。1月29日の朝、警察は手紙に指定されていた場所で犯人が来るのを待ったが、犯人を称する人物は現れなかった[62]。その代わりに、午後1時になるとロサンゼルス・イグザミナーの事務所に別の手紙が送られてきた。そちらは新聞の切り抜きで書かれており、"Have changed my mind. You would not give me a square deal. Dahlia killing was justified." (考えを変えた。俺に公平な処遇をしないつもりだっただろう。ダリア殺しは正当と認められた) という内容だった[69]

凄惨な犯行とその後にロサンゼルス・イグザミナーに送られた手紙から、ショート殺害事件を取り巻いてメディアは熱狂した[70]。地元やアメリカ中の新聞がこの事件を大きく取り上げた。増刷されたセンセーショナルな報道の多くが、ショートは死ぬ前に4時間もの間拷問を受けていたと報じた。その情報は誤りだったが、警察はショートの真の死因が脳内出血であることを人々に隠すため、そのような報道が横行するのを放置していた[58]。また、ショートの生涯についても報道され、その中にはハンセンが関係を迫ったが断ったとされる話の詳細も報じされていた。また、ショートと知り合いだったストリッパーが、ショートは男たちと付き合っても最後まで相手をしないのが常だったと警察に話した[71]。これにより、一部の記者 (特にロサンゼルス・ヘラルド・エクスプレスのベボ・ミーンズ、英: Bevo Means) や刑事たちはショートが同性愛者である可能性を探るようになり、ロサンゼルスのゲイバーの従業員や常連客に尋問を始めた。しかし、同性愛者という説は立証されずに終わっている[58][68]。ヘラルド・エクスプレスもまた、殺人者を称する人物からいくつかの手紙を受け取っていた。それもまた新聞の切り抜きで作られており、その中の1つは"I will give up on Dahlia killing if I get 10 years. Don't try to find me." (10年たったらダリア殺しに見切りをつもりだ。探そうとするな) と書かれていた[72]

2月1日、ロサンゼルス・デイリーニューズは、捜査官に追及すべき新しい手掛かりがなく、事件の捜査は越えられない壁に突き当たったと報じた[58]。ロサンゼルス・イグザミナーは殺害事件と捜査の報道を続け、遺体の発見から35日間1面で報道し続けた[33]。ロサンゼルス・イグザミナーのインタビューで主任捜査官のジャック・ドナヒュー (英: Jack Donahue) 警部は、ショートの殺害はロサンゼルスの外れの人里離れた建物で行われ、それから遺体が遺棄された場所に運ばれたと考えていると述べた[73]。遺体が精密に切開されていたことから、ロサンゼルス市警察は殺人者が外科医などの医療の知識のある人物である可能性を調査した。1947年2月中旬、ロサンゼルス市警察は、ショートの遺体発見現場の近くにある南カリフォルニア大学医学部に対して令状を執行して捜査を実施し、受講している学生の完全な一覧を要求した[62]。大学は学生の身元を秘匿するという条件で受け入れた。経歴の調査が行われたが、成果は無かった[62]

大陪審とその余波

結論に結びつく手掛かりは無かった。一旦何かを発見しても、それは目の前で消滅したようだった。
—フィニス・ブラウン巡査部長、様々な行き詰った事件の捜査について[74]

ショート殺害事件は1947年の春までには新しい手掛かりが乏しくて迷宮入りとなっていた[73]。事件の主任捜査官の一人だったフィニス・ブラウン (英: Finis Brown) 巡査部長は、記者が事件の詳細を調査したり、確証のない報道をしたりして、捜査を妨害したということで報道関係者を批判した[74]。1949年9月、大陪審が開かれ、ロサンゼルス市警察の殺人事件捜査班が、過去数年間で数多くの殺人事件、特に女性や子供が殺害された事件を解決できなかったことについて審議された。審議の対象にはショートの事件も含まれていた[75][76]。大陪審の影響で、ショートの過去についての更なる調査が実施され、刑事たちはマサチューセッツ、カリフォルニア、フロリダ間のショートの行動を追跡し、テキサスニューオーリンズでショートと知り合っていた人々の尋問も実施した。しかし、この尋問でも捜査に使えそうな情報は得られなかった[74]

被疑者と自白

ショートの殺害は有名になり、それが原因で数年にわたって数多くの人々が出頭していった。その多くは嘘であると考えられた。初期捜査では合計して60回の出頭があった。そのほとんどが男性によるものだった[77]。それ以来、500名以上の人々が犯行を自白してきた。その中にはショート殺害の時点では生まれていない人さえもいた[78]。引退するまでこの事件に取り組んだジョン・P・セント・ジョン英語版 (英: John P. St. John) 巡査部長は、これほどまで多くの人が自分は殺人者であると名乗り出るのは驚くべきことだと述べた[79]

2003年、事件を担当した刑事の一人であるラルフ・アスデル (英: Ralph Asdel) はロサンゼルス・タイムズに、ショートを殺したと思しき人物を尋問したことがあると語った。その男性は、1947年1月15日の早朝に、遺体が発見された空地の近くでセダンを駐車しているのを目撃された。その日、近隣住民が刈り取った芝を空地に捨てに車で立ち寄ったときに、駐車されたセダンを見かけた。セダンは右後方のドアが開いており、セダンの運転手が空地の中に立っていたという。運転手は近隣住民が現れたことに驚いていたようで、近隣住民の車に近付き、窓の中を凝視すると、セダンの方へ戻って去っていった[80]。セダンの持ち主は地元の料理店で働いていることまで追跡されたが、最終的には容疑から外れた[80]

様々な著述家や専門家の間で依然として議論の対象となっている被疑者の中には、ウォルター・ベイリー (英: Walter Bayley) という医師もいる。ベイリーが犯人であるという説は、かつてロサンゼルス・タイムズの原稿整理編集者だったラリー・ハーニッシュ (英: Larry Harnisch) により提案された[69]。伝記作家のドナルド・ウォルフ (英: Donald Wolfe) は、ロサンゼルス・タイムズの経営者であるノーマン・チャンドラー英語版 (英: Norman Chandler) がショートを妊娠させ、後に殺害したと主張している[81]。他にも被疑者として、レスリー・ディロン (英: Leslie Dillon)[82]、ジョセフ・A・デュメー (英: Joseph A. Dumais)[83]、アーティ・レーン (英: Artie Lane、またの名をジェフ・コナーズ <英: Jeff Connors>)[60]、マーク・ハンセン[59]、フランシス・E・スウィーニー (英: Francis E. Sweeney) 医師[84]ジョージ・ヒル・ホーデル・ジュニア英語版 (英: George Hill Hodel Jr)[85]、ホーデルの友人フレッド・セクストン英語版 (英: Fred Sexton)[86]、ジョージ・ノールトン (英: George Knowlton)[87]、ロバート・M・"レッド"・マンリー[11]、パトリック・S・オライリー (英: Patrick S. O'Reilly)[88]、ジャック・アンダーソン・ウィルソン (英: Jack Anderson Wilson、またの名をアーノルド・スミス <英: Arnold Smith>)[89][69]が挙げられている。

警察はジョージ・ヒル・ホーデル・ジュニアを被疑者と考えたことがあったが、正式に告発することはなかった。ホーデルの死後、その息子がホーデルを告発したことで注目を集めた。ホーデルの息子のスティーヴ・ホーデル (英: Steve Hodel) はロサンゼルスで殺人事件を担当する刑事であり、父はショートの他にも数名を殺害したと主張した。ブラック・ダリア事件の前にも、ホーデルは自身の秘書のルース・スポールディング (英: Ruth Spaulding) を殺害した容疑で疑われていたが、告発されなかった。しかし、自身の娘のテーマー (英: Tamar) を強姦した容疑で告発されたことはあり、その犯行は認めていた。ホーデルは数回アメリカから逃亡していたことがあり、1950年から1990年はフィリピンに住んでいた。

事件の仮説と関係する可能性のある犯罪

警察が1936年のクリーブランド胴体殺人事件の被害者の遺体を捜索している。一部の記者や警察はこの事件とショート殺害事件は関係があると推測していた。

数名の犯罪著述家やクリーブランドの刑事のピーター・メリロ (英: Peter Merylo) は、ショート殺害事件とクリーブランド胴体殺人事件との間に関係性があると疑っている。クリーブランド胴体殺人事件は1934年から1938年にかけてオハイオ州クリーブランドで発生した[90][91]。当時のロサンゼルス市警察の捜査官たちはショート殺害事件の前後に発生した別の殺人事件の捜査の一環で、1947年にクリーブランド胴体殺人事件について調べている。しかし、後にこの2つの事件の関連性は否定された。1980年に、かつてクリーブランド胴体殺人事件の被疑者だったジャック・アンダーソン・ウィルソンと関係する新しい証拠について、セント・ジョン刑事がショート殺害との関連性を調査した。セント・ジョンはウィルソンをショート殺害で立件できるところまであと少しのところだったと主張しているが、ウィルソンは1982年2月4日に火事で死亡した[92]。ショート殺害がクリーブランド胴体殺人事件と関係がある可能性は新たにメディアの注目を集め、1992年にNBCのテレビシリーズUnsolved Mysteries英語版で紹介された。番組中で、エリオット・ネスの伝記を書いたオスカー・フレイリー英語版 (英: Oscar Fraley) は、ネスは両方の殺人事件の犯人である人物の正体を知っていたとする説を出した[93]

1947年2月10日にロサンゼルスで発生したジェーン・フレンチ (英: Jeanne French) 殺害事件も、メディアや刑事たちはショート殺害事件と結びつけて考えていた可能性がある。フレンチの遺体はロサンゼルス西部のグランド・ビュー大通りで発見された。遺体は裸にされ、ひどく殴打されていた。遺体の腹部には口紅で"Fuck You B.D." (日: くたばれB.D.) と読める文字が書かれており、その下には"TEX"と書かれていた[94]。ロサンゼルス・ヘラルド・エクスプレスはこの事件を大きく取り上げ、その少し前に起きていたショート殺害事件と比較し、"B.D."という頭文字が「ブラック・ダリア」を表していると推測した[95]。しかし、歴史家のジョン・ルイス (英: Jon Lewis) によれば、その口紅の落書きは実際には"P.D."と書かれており、表向きには"police department" (日: 警察) を表しているという[96]

スティーヴ・ホーデル (ジョージ・ホーデルの息子) やウィリアム・ラスムセン (英: William Rasmussen) などの犯罪著述家は、ショート殺害事件と1946年にイリノイ州シカゴで発生した殺人事件に関連性があるという説を出している。この事件では、6歳のスザンヌ・デグナン (英: William Rasmussen) が殺害され、遺体はばらばらに切断された[97]。ロサンゼルス市警察のドナヒュー警部は、ブラック・ダリア事件はこの事件と関係している可能性があると考えていると公言した[98]。この説の根拠の一つが、ショートの遺体が発見されたノートン・アベニューはデグナン大通りの3ブロック西にあり、そのデグナンという言葉が被害者の少女の姓と同じであるというものである。デグナンの身代金を要求するメモに書かれた手書きの文字と、ショート殺害犯を称する人物が送った"Black Dahlia Avenger"の手紙の文字に顕著な類似性が見られるという根拠もある。どちらの文章でも大文字と小文字が入り混じって使われていた (デグナンの身代金要求のメモの一部は"BuRN This FoR heR SAfTY" 〔ママ〕と書かれていた) 。また、どちらでもPの文字が似たように不恰好に書かれており、ある単語は正確に一致した[99]。デグナンの事件については、連続殺人犯ウィリアム・ヘイレンズ英語版 (英: William Heirens) がデグナン殺害で有罪となり終身刑に服している。ヘイレンズは最初、デグナンの家の近くの住居に侵入した容疑で17歳で逮捕された。ヘイレンズは警察から拷問されて自白を強要され、殺人犯に仕立て上げられたと主張していた[100]。2012年2月26日に健康上の問題でディクソン刑務所の診療所からイリノイ大学病院へ搬送され、2012年3月5日にその病院で83歳で死亡した。

また、スティーヴ・ホーデルは自分の父のジョージ・ホーデルがショート殺害犯であると考えている。状況証拠として、父が外科医としての訓練を受けていたことを挙げている[101]。2003年に、1949年の大陪審の報告からの記録で、捜査官がホーデルの家を盗聴し、正体不明の訪問者と次のような会話をしていたという記録を得ていたことが判明している。"Supposin' I did kill the Black Dahlia. They couldn't prove it now. They can't talk to my secretary because she's dead." (もし自分がブラック・ダリアを殺したとしよう。連中にはもう証明できなかった。自分の秘書とは話せない。あいつは死んだからな)[85]

1991年、ショート殺害事件当時は10歳だったジャニス・ノールトン (英: Janice Knowlton) が、自分の父のジョージ・ノールトンがショートを殺害したのを目撃したと主張した。ウェストミンスターにあるノールトン宅の離れのガレージで、父がショートを釘抜き付き金槌で撲殺したという[102]。ノールトンは1995年にDaddy was the Black Dahlia Killerという題名の書籍を出版し、著書の中で父が自分に性的虐待を加えていたとも主張した[87]。2004年にノールトンの義理の姉妹のジョレン・エマーソン (英: Jolane Emerson) は、ノールトンの著書を「ゴミ」と評し、ノールトンはそのように信じているが、16年間ジョージと暮らした自分には偽りであると分かると述べた。また、セント・ジョン刑事はロサンゼルス・タイムズに、ノールトンの主張は事件の実情と一致していないと語った[103]

ジョン・ギルモア英語版 (英: John Gilmore) は1994年の著書Severed: The True Story of the Black Dahlia Murder英語版 (日: 切断―ブラック・ダリア殺人事件の真実) で、ショート殺害事件とジョーゼット・バウアードルフ英語版 (英: Georgette Bauerdorf) 殺害事件との間に関連性があるという説を唱えた[104]。ギルモアは、ショートはハリウッド酒保英語版で雇われていたが、バウアードルフもそこでホステスとして働いており、2人の間で繋がりがあった可能性があると述べた[104]。しかし、ショートがハリウッド酒保で働いていたことがあるという説については、かつてロサンゼルス・タイムズに在籍したラリー・ハーニッシュなどから反論されている。

ピウ・イートウェル英語版 (英: Piu Eatwell) は2017年の著書Black Dahlia, Red Roseで、レスリー・ディロンに焦点を当てている。ディロンはベルボーイで、以前は葬儀店の助手だった。ディロンはマーク・ハンセンやジェフ・コナーズ、事件の主任捜査官だったフィニス・ブラウン巡査部長と交友関係があった。ブラウンはハンセンとの繋がりがあり、不正を働いたのではないかと言われている[60]。イートウェルは、この4人がホテル強盗の計画に関与していることについて深く知りすぎたために殺害されたと推測している。さらに、ショートはロサンゼルスのアスター・モーテルで殺害されたという説を唱えている。ショートの遺体が発見された朝、モーテルの所有者たちは、モーテルの部屋の1つに血や糞便が散らばっていたと報告した[60]。1949年にロサンゼルス・イグザミナーは、ロサンゼルス市警察のウィリアム・A・ウォートン (英: WIlliam A. Worton) 署長はフラワー・ストリート・(アスター)・モーテルの件とショート殺害との関係性を否定したと報じた。しかし、ライバルのロサンゼルス・ヘラルドは殺害はそこで起きたと主張した[105]

2000年、ロングビーチ警察の元刑事のバズ・ウィリアムズ (英: Buz Williams) は、ロングビーチ警察の回報The Rap Sheetでショート殺害についての記事を執筆した。ウィリアムズの父のリチャード・F・ウィリアムズ (英: Richard F. Williams) とその友人のコン・ケラー (英: Con Keller) は、どちらもロサンゼルスのギャング捜査班の一員であり、ショート殺害の捜査を行っていた。ウィリアムズの父は、ディロンが殺人者であり、ディロンがオクラホマの自宅に戻ったとき、元妻のジョージア・スティーヴンソン (英: Georgia Stevenson) はイリノイ州知事のアドレー・スティーヴンソン2世のまたいとこで、アドレーがオクラホマ州知事に連絡をとったため、ディロンはカリフォルニアへの犯罪者引渡しを回避することができたと考えていた。ケラーはハンセンが犯人と考えていた。ハンセンはスウェーデンの外科学校で勉強していたことがあり、ロサンゼルス市警察の著名人が出席した手の込んだパーティを開いていたためである。ウィリアムズの記事によると、ディロンは300万ドルの賠償を求めてロサンゼルス市警察を訴えたが、その訴訟は後に撤回されたという[106]。ハーニッシュはこの説に反論し、ディロンは警察の徹底的な捜査により容疑が晴れており、地方検事の記録でもショート殺害時にはサンフランシスコにいたことが確認されていると主張した[107]。また、ロサンゼルス市警察は隠蔽工作を行っておらず、ディロンは実際はロサンゼルス市から金銭による示談を受けていたとも主張した[108]

噂とその反論

ショートの生涯とその死については人々の間で議論されていることが数多くある[注釈 8]。大衆や報道機関のショート殺害事件解明に携わりたいという熱意が、捜査をひどく複雑にし、事件についての複雑な、そしてときには矛盾した説話が生み出される一因となったと評されている[111]ポートランド・トリビューン英語版のアン・マリー・ディステファノ (英: Anne Marie DiStefano) によれば、ショート殺害にまつわる根拠のない話が数多く数年間にわたって流布されてきたとという。ディステファノは、ショートの事件は時間の経過で忘れ去られず、それどころか、売春婦だった、性交が嫌いだった、妊娠していた、同性愛者だったというように、ブラック・ダリアの伝説は徐々に複雑になっていったと語った[112]。ハーニッシュは、ショートやその死にまつわる真実と思われている噂や俗説のいくつかに対して反論しており、ギルモアの著書Severedの信憑性についても「25%は誤り、50%は創作」と評している[6]。ハーニッシュは地方検事の記録についても調査している。ハーニッシュによれば、スティーヴ・ホーデルは自分の父についての調査で地方検事の記録の一部を調べており、ロサンゼルス・タイムズのコラムニストのスティーヴ・ロペス英語版 (英: Steve Lopez) も同じ文献で調査しているという。この記録によれば、イートウェルの説とは反対に、ディロンは徹底的に捜査されており、ショートが殺害されたときはサンフランシスコにいたことが確認されているという。ハーニッシュは、イートウェルはその記録の存在を知らなかったか、敢えてその内容を無視したのだろうと推測した[108]

殺害までの経緯と遺体の状態について

ショートと知り合いではなかった数多くの人々が、警察や新聞社に接触し、いわゆる「ミッシング・ウィーク」 (英: missing week) にショートを目撃したと主張した。「ミッシング・ウィーク」とは、ショートが失踪した1月9日から遺体が発見された1月15日の間の期間のことである。警察や地方検事局の捜査官たちは目撃したという主張を全て退けた。一部の事例では別の女性がショートと勘違いされていた[113]。ショートがミッシング・ウィークの間にどこにいたかは不明である[110]

ショートの遺体が発見されてから、ロサンゼルスの新聞の数多くで、ショートは拷問されて死に至ったと主張された[52]。この説は当時の警察により否認されていたが、ショートの実際の死因を人々に知られないようにするため、敢えて報道を放置した[58]。オリバー・サイリアックス (英: Oliver Cyriax) の1993年の著書Crime: An Encyclopediaのような一部の情報源では、ショートの遺体には生きているときに付けられたタバコの火傷が数多く見られたと書かれているが[114]、公式の検死の報告にはそのような記述は存在しない[38]

ギルモアの著書Severedには、ショートの検死を行った検視官が、胃の内容物の調査結果を見るに、ショートは大便を食べさせられたようだと語ったと書かれている[115]。しかし、この説はハーニッシュにより否定されている[6]。公式の検死の記録にも書かれていない[38]。それでも、いくつかの出版物[116]やインターネット・メディア[117]でこの話が転載されている。

「ブラック・ダリア」というニックネームについて

一部の情報源によれば、『ブラック・ダリア』という名前は1946年のフィルム・ノワール『ブルー・ダリア』に由来するという。写真の出典:[118]

ショート殺害から間もない頃に出版された新聞の報道によると、ショートは1946年中頃にロングビーチの薬局の従業員や常連客から「ブラック・ダリア」と呼ばれており、その名前は1946年の映画『ブルー・ダリア』をもじったものであるという[118][119]。また、人々の間で信じられている噂に、ショートが自分の髪にダリアを飾ったことから、メディアが「ブラック・ダリア」という名前を付けたというものがある[110]。FBIの公式ウェブサイトによると、「ショートは透けた黒い服を好んだという噂がある」という報道から、ニックネームに「ブラック」と付いているという[120]

しかし、地方検事局の捜査官の報告によると、「ブラック・ダリア」というニックネームは事件を報道していた新聞記者が創作したものだという。薬局にいたショートの知り合いとインタビューしたロサンゼルス・ヘラルド・エクスプレスの記者のベボ・ミーンズが、「ブラック・ダリア」というニックネームを最初に使用した人物であるという[121]。しかし、記者のアンダーウッドやジャック・スミス英語版 (英: Jack Smith) もニックネームの創作者として名前が挙がっている[110]。ショートは生きていたときからその名前で通っていたと主張する情報源もあるが、別の情報源がそれに反論している[注釈 9]。ギルモア[122]とハーニッシュの両名が、このニックネームはショートが生きていたときからそのように呼ばれており、報道による創作ではないという点では同じ主張をしている。ハーニッシュは、ショートが頻繁に通っていたロングビーチの薬局で、従業員からそのニックネームで呼ばれていたと述べている[6]。ギルモアは著書Severedで、薬局の店主としてA・L・ランダーズ (英: A.L. Landers) の名前を挙げているが、薬局の名前は出していない[123]。「ブラック・ダリア」という名前が流布される以前、ロサンゼルス・ヘラルド・エクスプレスは事件の残酷さから、ショート殺害事件を"Werewolf Murder" (日: 狼人間殺人) と呼称していた[66][110]

売春や性の経歴について

多くの犯罪について扱う書籍で、ショートは1940年代中頃にロサンゼルスに住んでいた、もしくは何度も来ていたと書かれており、ギルモアの著書Severedも含め、ショートはハリウッド酒保で働いていたと主張されている。この説はハーニッシュにより反論されており、ショートは実際は1945年にハリウッド酒保が閉店した後になって初めてロサンゼルスに住むようになったという[6]。ショートの知り合いの一部や数名の著述家、記者は、ショートはロサンゼルスにいたときに売春婦やコールガールだったと述べている[注釈 10]。ハーニッシュによると、当時の大陪審により、ショートが売春婦だったことがあることを示す現存する証拠は存在していないことが証明されたという。また、ショートが売春婦だったという噂は、一部がこの事件を元にしているジョン・グレゴリー・ダン英語版 (英: John Gregory Dunne) の1977年の小説True Confessionsに由来するとも主張している[6]

広く流布している別の噂で、ときにはショートが売春婦だったという噂の反証にもされているものに[125]、ショートは生まれつきの欠陥で性器が発育不全 (いわゆる「小児生殖器」) であり、そのために性行為をする能力がなかったというものがある[注釈 11]。ロサンゼルス郡地方検事の記録によると、捜査官が3人の男性に対してショートと性交したか質問しており[126]、その中には被疑者と見なされていたシカゴの警察官も含まれている。FBIの記録にも、ショートの恋人と称する人物による発言が含まれている[127]。ショートの検死記録は、マイケル・ニュートン (英: Michael Newton) の2009年の著書The Encyclopedia of Unsolved Crimesに全文が転載されており[38]、そこにはショートの子宮は「小さい」と書かれている。しかし、ショートの生殖器が通常とは解剖学的に異なる部分が他にあるという記述は存在しない[44][46]。検死記録には、ショートは妊娠したことがないとも書かれており、ショートの生前や死後に語られていた話と反している[126]

ショートは同性愛者だったという噂もよく流布された。グリモアによれば、この噂は代理検視官がロサンゼルス・ヘラルド・エクスプレスのベボ・ミーンズに、ショートは性器が小さいため男性と性交していなかったと語った後に広まったという[128]。ミーンズはこの話をショートは女性と性交すると解釈し、ミーンズと記者のシド・ヒューズ (英: Sid Hughes) の両名は更なる情報を求めてロサンゼルスのゲイバーを調査し始めたが、成果は無かったという[68]

事件のその後から現在まで

カリフォルニア州オークランドにあるショートの墓

ショートはカリフォルニア州オークランドマウンテン・ビュー共同墓地英語版に埋葬されている[124]。ショートの妹たちが成長して結婚した後、ショートの母のフィーべは娘の墓の近くで暮らすためにオークランドへ転居した。その後、1970年代に東海岸へ戻り、その地で90代まで生きた[30]。1947年2月2日、ショートが殺害されてからちょうど2週間後、共和党の州議会議員のC・ドン・フィールド (英: C. Don Field) はこの事件を受けて性犯罪者登録英語版の作成を求める議案を提出した。カリフォルニア州は性犯罪者の登録を義務付けた最初のアメリカの州となった[62]

ショート殺害事件はアメリカの歴史上、最も残忍な犯罪と評されている[101]タイム誌は世界で最も有名な未解決事件の一つとしてこの事件を挙げている[129]

ショートの生涯と死は、フィクションやノンフィクションに関わらず数多くの書籍や映画が元としている。ショートの死を元とした最も有名なフィクションの一つが、ジェームズ・エルロイの1987年の小説『ブラック・ダリア英語版』である。文化評論家のデヴィッド・M・ファイン (英: David M. Fine) によると、この小説は殺人事件だけでなく、戦後のロサンゼルスの政治や犯罪、汚職、パラノイアというより幅広い分野を探る内容になっているという[130]。このエルロイの小説はブライアン・デ・パルマ監督により2006年に同名の映画に翻案された[118]。エルロイの小説と翻案された映画はどちらも、事件の実情とはほとんど関係がない[131]。また、1975年のテレビ映画Who Is the Black Dahlia?ではルーシー・アーナズ英語版がショートを演じている[132]。テレビシリーズ『アメリカン・ホラー・ストーリー』ではミーナ・スヴァーリがショートを演じており、2011年のエピソード"Spooky Little Girl" (日: 双子の真実) と2018年のエピソード"Return to Murder House"に登場する[133]

他にも、イギリスのテレビドラマ『犯罪捜査官 アナ・トラヴィス英語版』の2010年に放送されたエピソードはこの事件を元にしている[134]。日本のロックミュージシャンのyasuAcid Black Cherryという企画で制作した2009年のアルバム『Q.E.D.』もこの事件を題材としている[135]Rockstar Gamesから2011年に発売されたコンピュータゲームL.A.ノワール』では作中でこの事件を扱う場面がある[136]。アメリカのデスメタルバンド「ザ・ブラック・ダリア・マーダー」のバンド名はこの事件に由来する[137]

脚注

  1. ^ 犯罪歴史家のダーク・ギブソン (英: Dirk Gibson) はこの事件を、第二次世界大戦後に国中の関心を惹き付け、非常に話題になった最初の事件の一つと評している[3]。一方で、著述家のジーニ・グレアム・スコット英語版 (英: Gini Graham Scott) は著書American Murderで、この事件を1990年代中頃に起きたO・J・シンプソン事件という非常に話題になった事件になぞらえている[4]
  2. ^ 様々な情報源でショートの正式な氏名は単に"Elizabeth Short"と表記されている。公式の出生証明書の複写もこの表記である。このことから、ショートは誕生時にミドルネームが与えられなかったと考えられる[5][6][7]
  3. ^ アメリカでは、未成年と扱われなくなる成年は長年の標準では21歳だったが、現在は18歳である。1970年代になるまで成年は21歳のままだった[19][20]
  4. ^ ショートはしばしば女優志願者として言及されたり特徴付けられたりする[29][13]。しかし、女優の仕事をしていた、クレジットに名前が出ていた、というような事例は知られていない。
  5. ^ ジーニ・グレアム・スコットは著書American Crimeで、1月9日にショートがビルトモア・ホテルで目撃されたと記している[26]。しかし、1997年のロサンゼルス・タイムズの記事でこの説の信憑性に疑問が呈されている。記事によれば、当時、死の直前のいわゆる「ミッシング・ウィーク」で誰かがショートと接触したという話は考えられる限り全てがニュースで報じられていたが、加熱していたニュースの中に、ショートがビルトモア・ホテルで目撃されたという話は発見できなかったという[30]
  6. ^ ショートの検死の結果によると、下歯は著しく悪化した虫歯になっていたという。ジョン・ギルモアは著書Severedで、ショートは虫歯の穴に蝋を詰めていたと言われていると記した。懐疑論があるものの、この記述は1997年のロサンゼルス・タイムズの記事にも転載されている[30]
  7. ^ ジャニス・ノールトンは、ロバート・マンリーがこれらの物品がショートのものであると確認したと主張している[22]。一方で、キャシー・スコット (英: Cathy Scott) は、それはハンセンが行ったことだと述べている[26]
  8. ^ ショートの生活が自身の死に繋がったと主張する説は様々ある。例えば、ショートは売春婦だったとする説がある。これらの説は情報源によって肯定されたり反論されたりしてきた[109][101]。2016年のニューヨーク・デイリーニューズの記事によると、「ブラック・ダリア」という名前と、ショートが1947年1月9日から15日にかけてどこにいたかという点が、人々の論争を招き、興味を沸き立たせた鍵であるという[30][110]
  9. ^ ハーニッシュは、ショートは生きていたときに「ブラック・ダリア」という名前で通っていたと主張している。一方で、2016年のニューヨーク・デイリーニューズの記事のようにこの主張に反論する情報源もある[110]。それでも、一部の情報源は依然としてショートは生きているときからその名前で通っていたと主張している[43]
  10. ^ スティーヴ・ニッケル (英: Steve Nickel) は2001年の著書Torso: The Story of Eliot Ness and the Search for a Psychopathic Killerに、ショートはよくある街の売春婦で、アルコールや薬物に病み付きであり、写真撮影のためにヌードになったり、レズビアンの恋人と同棲したりしていたと記した[109]。このような主張は、ショートにまつわる犯罪の伝記には根強く残っているが、ロサンゼルス・タイムズのハーニッシュなどのジャーナリストはその説の信憑性に異議を唱えている。アレクシス・フィッツ (英: Alexis Fitts) は2016年のガーディアンの記事[101]で、ボブ・カルフーン (英: Bob Calhoun) はSF Weekly英語版[124]で同じく反論している。
  11. ^ ギルモアは著書Severedで、検死を担当した代理検視官の話によれば、ショートの性器は見たところ余りにも未発達で、性行為ができそうになかったらしいと記している[67]。 この説に対して、ヘレナ・カッツ (英: Hélèna Katz) は著書Cold Cases: Famous Unsolved Mysteries, Crimes, and Disappearances in America[44]で、マイケル・ニュートンは著書The Encyclopedia of Unsolved Crimes[46] で反論している。

出典

  1. ^ Gilmore 2006, pp. 137–8.
  2. ^ Scott 2017, p. 9.
  3. ^ Gibson 2004, p. 191.
  4. ^ Scott 2007, p. 106.
  5. ^ Investigation: Birth Certificate”. Blackdahlia.info. October 14, 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。February 2, 2010閲覧。 “Copy of Short's registered birth certificate showing that no middle name was included”
  6. ^ a b c d e f Harnisch, Larry. “Common Myths About the Black Dahlia and Their Origins”. December 30, 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。September 9, 2017閲覧。
  7. ^ Harnisch, Larry (September 15, 2006). “Haunting images and details of death”. Los Angeles Times. September 9, 2017閲覧。
  8. ^ Gilmore 2006, pp. 1–4.
  9. ^ a b Haugen 2010, p. 15.
  10. ^ Steeves, Heather (February 14, 2014). “The Black Dahlia lived on Munjoy Hill: An unsolved murder from the vaults”. Maine Today. December 29, 2016閲覧。
  11. ^ a b c d e Scott 2017, p. 222.
  12. ^ Haugen 2010, p. 18.
  13. ^ a b Haugen 2010, p. 19.
  14. ^ Haugen 2010, pp. 19–20.
  15. ^ a b Haugen 2010, p. 20.
  16. ^ Haugen 2010, p. 23.
  17. ^ a b Haugen 2010, p. 25.
  18. ^ Katz 2010, p. 186.
  19. ^ Greenblatt, Alan (September 30, 2009). “What is the Age of Responsibility?”. Governing. September 12, 2017閲覧。 “Arbitrary as such reasoning may sound to modern Americans, 21 stuck as a threshold age through the 19th century and into the 20th.”
  20. ^ Haugen 2010, p. 29.
  21. ^ Haugen 2010, pp. 29–31.
  22. ^ a b Knowlton & Newton 1995, p. 30.
  23. ^ Katz 2010, p. 188.
  24. ^ Gilmore 2006, p. 113.
  25. ^ Knowlton & Newton 1995, p. 118.
  26. ^ a b c d e f g h i Scott 2017, p. 221.
  27. ^ Knowlton & Newton 1995, p. 140.
  28. ^ Haugen 2010, pp. 19, 23.
  29. ^ Gilmore 2006, pp. 2–5.
  30. ^ a b c d Harnisch, Larry (January 6, 1997). “A Slaying Cloaked in Mystery and Myths”. Los Angeles Times. http://articles.latimes.com/1997-01-06/news/mn-15889_1_black-dahlia September 11, 2017閲覧。 
  31. ^ a b c d The Black Dahlia: Los Angeles' most famous unsolved murder”. BBC (January 8, 2017). September 12, 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。September 11, 2017閲覧。
  32. ^ Scheeres, Julia. “Black Dahlia (Notorious Murders, Most Famous)”. TruTV. June 1, 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。July 22, 2010閲覧。
  33. ^ a b c d Katz 2010, p. 185.
  34. ^ Knowlton & Newton 1995, p. 8.
  35. ^ McLellan, Dennis (January 9, 2003). “Obituaries: Ralph Asdel, 82; Detective in the Black Dahlia Case”. Los Angeles Times. http://articles.latimes.com/2003/jan/09/local/me-asdel9 February 25, 2010閲覧。 
  36. ^ a b Scott 2007, p. 107.
  37. ^ a b Scheeres, Julia. “Macabre Discovery”. The Black Dahlia. June 1, 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。October 8, 2013閲覧。
  38. ^ a b c d Newton 2009, pp. 44–6.
  39. ^ Gilmore 2006, p. 7.
  40. ^ Hodel 2003, pp. 14–16.
  41. ^ Nelson, Mark; Bayliss, Sarah Hudson (December 5, 2008). “George Hodel, Lloyd Wright, the Black Dahlia Murder, and the J. A. Konrad bill for cement work”. Exquisitecorpsebook.com. オリジナルのSeptember 16, 2012時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120916000012/http://www.exquisitecorpsebook.com/GeorgeHodel_CementSack01.pdf September 12, 2017閲覧。 
  42. ^ Nelson & Bayliss 2006, pp. 14, 27.
  43. ^ a b Newton 2009, p. 44.
  44. ^ a b c Katz 2010, p. 187.
  45. ^ a b c d Newton 2009, p. 45.
  46. ^ a b c d e Newton 2009, p. 46.
  47. ^ Gilmore 2006, p. 138.
  48. ^ Gilmore 2006, pp. 124–5.
  49. ^ U.S. Federal Bureau of Investigation 2008, p. 43.
  50. ^ Haugen 2010, pp. 11–12.
  51. ^ Haugen 2010, pp. 9–12.
  52. ^ a b “Girl Torture Slaying Victim Identified by Examiner, FBI”. Los Angeles Herald-Examiner: p. 1. (January 17, 1947) 
  53. ^ Harnisch, Larry (November 1, 1999). “A Crossroads of Murder and Myth in Hollywood”. Los Angeles Times. http://articles.latimes.com/1999/nov/01/local/me-28619 September 12, 2017閲覧。 
  54. ^ “Sex Fiend Slaying Victim Identified by Fingerprint Records of F.B.I.”. Los Angeles Times: p. 2. (January 17, 1947)  Scans available at The Black Dahlia historical archive from the University of North Carolina.
  55. ^ Katz 2010, p. 189.
  56. ^ Gilmore 2006, pp. 165–9.
  57. ^ Gilmore 2006, pp. 167–8.
  58. ^ a b c d e f Scott 2007, p. 113.
  59. ^ a b Gilmore 2006, pp. 148–50.
  60. ^ a b c d Barcella, Laura (January 26, 2018). “Has the Black Dahlia Murder Finally been Solved?”. Rolling Stone. January 28, 2018閲覧。
  61. ^ Gilmore 2006, p. 169.
  62. ^ a b c d e Katz 2010, p. 190.
  63. ^ Scott 2017, pp. 222–3.
  64. ^ Gilmore 2006, p. 149.
  65. ^ Gilmore 2006, p. 150.
  66. ^ a b c Gilmore 2006, p. 139.
  67. ^ a b Gilmore 2006, p. 140.
  68. ^ a b c Gilmore 2006, p. 141.
  69. ^ a b c Newton 2009, p. 47.
  70. ^ Gilmore 2006, p. 134.
  71. ^ Gilmore 2006, p. 154.
  72. ^ Hodel & Pezzullo 2009, pp. 28–9.
  73. ^ a b Scott 2007, p. 114.
  74. ^ a b c Gilmore 2006, p. 173.
  75. ^ “LA Grand Jury Sifts Unsolved 'Black Dahlia' Type Murders”. Madera Daily News-Tribune (55): p. 2. (September 7, 1949). https://cdnc.ucr.edu/cgi-bin/cdnc?a=d&d=MT19490907.2.43  オープンアクセス
  76. ^ Gilmore 2006, pp. 170–3.
  77. ^ Bray, Christopher (June 3, 2006). “'Hell, someone's cut this girl in half!'”. The Telegraph. September 9, 2017閲覧。
  78. ^ Corwin, Miles (March 25, 1996). “False Confessions and Tips Still Flow in Simpson Case”. Los Angeles Times. September 9, 2017閲覧。
  79. ^ Repetto 2013, p. 154.
  80. ^ a b McLellan, Dennis (January 9, 2003). “Ralph Asdel, 82; Detective in the Black Dahlia Case”. Los Angeles Times. September 15, 2017閲覧。
  81. ^ Newton 2009, p. 48.
  82. ^ Gilmore 2006, p. 150–70.
  83. ^ “Man Jailed as Suspect in 'Black Dahlia' Murder”. Madera Daily News (52). (September 20, 1948). https://cdnc.ucr.edu/cgi-bin/cdnc?a=d&d=MT19480920.2.26  オープンアクセス
  84. ^ Badal 2001, p. 215.
  85. ^ a b Lopez, Steve (April 13, 2003). “Another Dance With L.A.'s Black Dahlia Case”. Los Angeles Times. September 13, 2017閲覧。
  86. ^ Thomson, David (May 18, 2003). “L.A. Confidential”. The New York Times. September 16, 2017閲覧。
  87. ^ a b Knowlton & Newton 1995, p. 3.
  88. ^ A Kinder, Simpler Time Dept.: The Office of Tomorrow”. The Daily Mirror. Los Angeles Times. September 17, 2017閲覧。
  89. ^ Suzan Nightingale (January 17, 1982). “Black Dahlia: Author Claims to Have Found 1947 Killer”. Los Angeles Herald Examiner. http://lmharnisch.com/herex_820117.html 
  90. ^ Bardsley, Marilyn. “The Cleveland Torso Murders aka Kingsbury Run Murders - Eliot Ness Case”. Crime Library. July 24, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。July 14, 2014閲覧。
  91. ^ Nickel 2001, pp. 189–90.
  92. ^ Rasmussen 2005, pp. 80–97.
  93. ^ "Black Dahlia & Torso Slayer". Unsolved Mysteries. シーズン5. Episode 13. Cosgrove-Meurer Productions. 9 December 1992. Lifetime。
  94. ^ Meares, Hadley (January 4, 2017). “In 1947, a Month After the Black Dahlia, the 'Lipstick Murder' Shocked L.A.”. LA Weekly. September 12, 2017閲覧。
  95. ^ “Werewolf Strikes Again! Kills L.A. Woman, Writes B.D. on Her Body”. Los Angeles Herald-Express LXXVI (198): p. 1. (February 10, 1947) 
  96. ^ Lewis 2017, p. 38.
  97. ^ The Black Dahlia: The Unsolved Murder of Elizabeth Short — Black Dahlia Intro — Crime Library on”. Trutv.com (April 11, 2003). January 9, 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。August 10, 2010閲覧。
  98. ^ Rasmussen 2005, p. 101.
  99. ^ Rasmussen 2005, p. 122.
  100. ^ Rasmussen 2005, pp. 48–70.
  101. ^ a b c d Fitts, Alexis Sobel (May 26, 2016). “I know who killed the Black Dahlia: my own father”. The Guardian. September 9, 2017閲覧。
  102. ^ Knowlton & Newton 1995, p. 147, 244.
  103. ^ McLellan, Dennis (December 19, 2004). “Janice Knowlton, 67; Believed That Her Father Killed the Black Dahlia”. Los Angeles Times. September 16, 2017閲覧。
  104. ^ a b Gilmore 2006, pp. 152–9.
  105. ^ “Los Angeles Examiner”. (December 7, 1949) 
  106. ^ “The Second Black Dahlia Investigation, Parts 1, 2, and 3”. The Rap Sheet (Long Beach Police Department): pp. 16, 17, 32, 33, 34, 35. (2000年) 
  107. ^ Harnisch, Larry (September 10, 2017). “Black Dahlia: 5 Reasons Leslie Dillon Didn’t Kill Elizabeth Short”. The Daily Mirror. September 22, 2017閲覧。
  108. ^ a b Harnisch, Larry (September 10, 2017). “Black Dahlia – Piu Eatwell’s ‘Black Dahlia, Red Rose’ Exhumes Leslie Dillon”. The Daily Mirror. September 22, 2017閲覧。
  109. ^ a b Nickel 2001, p. 289.
  110. ^ a b c d e f Blakinger, Keri (January 16, 2016). “Nearly 70 years after her murder, here are the things we still don't know about Black Dahlia”. New York Daily News. September 10, 2017閲覧。
  111. ^ Scott 2007, p. 111.
  112. ^ DiStefano, Anne Marie (September 11, 2006). “The Dahlia, divined”. Portland Tribune. Pamplin Media Group. September 12, 2017閲覧。
  113. ^ Excerpts From Grand Jury Summary”. BlackDahlia website. May 27, 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。November 4, 2007閲覧。
  114. ^ Cyriax 1993, p. 123.
  115. ^ Gilmore 2006, p. 125.
  116. ^ Chancellor & Graham 2016, p. 59.
  117. ^ Carter, Claire (September 14, 2017). “Tortured, hacked in half and drained of blood: Horrific Black Dahlia murder mystery is finally 'solved' 70 years on”. Daily Mirror. September 17, 2017閲覧。
  118. ^ a b c Summers, Chris (August 31, 2006). “The enduring legend of Black Dahlia”. BBC. September 10, 2017閲覧。
  119. ^ Hare 2004, p. 212.
  120. ^ The Black Dahlia” (英語). Federal Bureau of Investigation. 2019年1月1日閲覧。
  121. ^ Mancall 2013, p. 39.
  122. ^ Gilmore 2006, p. 15, 56.
  123. ^ Gilmore 2006, p. 56.
  124. ^ a b Calhoun, Bob (July 3, 2017). “Yesterday's Crimes: The Black Dahlia Lies in Oakland”. SF Weekly. September 11, 2017閲覧。
  125. ^ Wilkes 2006, p. 174.
  126. ^ a b "Fact Versus Fiction" BlackDahlia.info. Archived February 18, 2013, at Archive.is
  127. ^ "District Attorney Suspects" BlackDahlia.info.
  128. ^ Gilmore 2006, pp. 141–2.
  129. ^ The Black Dahlia”. Time. December 29, 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。September 10, 2017閲覧。
  130. ^ Fine 2004, pp. 209–10.
  131. ^ Mayo 2008, p. 316.
  132. ^ “Who Is the Black Dahlia?”. Cue (North American Publishing Company) 45 (33–8). (1976). 
  133. ^ American Horror Story – Return to Murder House”. starrymag.com (October 24, 2018). October 25, 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。November 23, 2018閲覧。
  134. ^ “Above Suspicion: the Red Dahlia, ITV1, review”. The Telegraph. (05 January 2010). https://www.telegraph.co.uk/culture/tvandradio/6936917/Above-Suspicion-the-Red-Dahlia-ITV1-review.html 21 March 2019閲覧。 
  135. ^ “Acid Black Cherry、2ndアルバム『Q.E.D.』の裏にミステリアスな殺人事件”. BARKS. (27 August 2009). https://www.barks.jp/news/?id=1000052421 21 March 2019閲覧。 
  136. ^ “『L.A.ノワール』もっとも凶悪で恐ろしい事件を担当する“殺人課””. ファミ通.com. (2011年6月29日). https://www.famitsu.com/news/201106/29045950.html 21 March 2019閲覧。 
  137. ^ Rivadavia, Eduardo. “The Black Dahlia Murder | Biography & History”. AllMusic. 21 March 2019閲覧。

引用文献

参考文献

  • ジョン・ギルモア 著、沢万里子 訳『切断―ブラック・ダリア殺人事件の真実』翔泳社、東京、1995年。ISBN 978-4-881-35275-5 
  • Daniel, Jacque (2004). The Curse of the Black Dahlia. Los Angeles: Digital Data Werks. ISBN 0-9651604-2-4 
  • Fowler, Will (1991). Reporters: Memoirs of a Young Newspaperman. Minneapolis: Roundtable Publishing. ISBN 0-915677-61-X 
  • Pacios, Mary (1999). Childhood Shadows: The Hidden Story of the Black Dahlia Murder. Bloomington, IN: Authorhouse. ISBN 1-58500-484-7 
  • Richardson, James (1954). For the Life of Me: Memoirs of a City Editor. New York: G.P. Putnam's Sons. (ISBN unavailable) 
  • Smith, Jack (1981). Jack Smith's L.A. New York: Pinnacle Books. ISBN 0-523-41493-5 
  • Underwood, Agness (1949). Newspaperwoman. New York: Harper and Brothers. (ISBN unavailable) 
  • Wagner, Rob Leicester (2000). Red Ink, White Lies: The Rise and Fall of Los Angeles Newspapers, 1920–1962. Upland, Calif.: Dragonflyer Press. ISBN 0-944933-80-7 
  • Webb, Jack (1958). The Badge: The Inside Story of One of America's Great Police Departments. Upper Saddle River, NJ: Prentice-Hall. ISBN 0-09-949973-8 
  • Wolfe, Donald H. (2005). The Black Dahlia Files: The Mob, the Mogul, and the Murder That Transfixed Los Angeles. New York: ReganBooks. ISBN 0-06-058249-9 

関連項目

外部リンク

座標: 北緯34度00分59秒 西経118度19分59秒 / 北緯34.0164度 西経118.333度 / 34.0164; -118.333