コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ノート:相模原障害者施設殺傷事件」の版間の差分

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
削除された内容 追加された内容
193行目: 193行目:
::::::*{{コメント}} 見通しの観点から、勝手ながらインデントを修正させていただきました。ご容赦ください。
::::::*{{コメント}} 見通しの観点から、勝手ながらインデントを修正させていただきました。ご容赦ください。
::::::: 本件に関しては、「実名を記載してよい」という結論は正しいのだからそれでよい、という話ではないと私自身は考えています。IP利用者氏の方針その他についての理解度が極めて危ういことはこれまで何度となく指摘してきた通りであり、そのような方がルール解釈についての軌道修正を行わないまま個人のプライバシーに関わる重要な提案を行うこと自体が適切でない、というのが私の立場です。言い換えれば、各種ルールについての理解が十分であると判断しうる利用者の方による提案であれば、ということであるとご理解いただければと思います。--[[利用者:MaximusM4|MaximusM4]]([[利用者‐会話:MaximusM4|会話]]) 2018年9月11日 (火) 12:24 (UTC)
::::::: 本件に関しては、「実名を記載してよい」という結論は正しいのだからそれでよい、という話ではないと私自身は考えています。IP利用者氏の方針その他についての理解度が極めて危ういことはこれまで何度となく指摘してきた通りであり、そのような方がルール解釈についての軌道修正を行わないまま個人のプライバシーに関わる重要な提案を行うこと自体が適切でない、というのが私の立場です。言い換えれば、各種ルールについての理解が十分であると判断しうる利用者の方による提案であれば、ということであるとご理解いただければと思います。--[[利用者:MaximusM4|MaximusM4]]([[利用者‐会話:MaximusM4|会話]]) 2018年9月11日 (火) 12:24 (UTC)
::::::::結局そういった独裁をインナーサークルで続けていきたいだけなんですね。人を見下すことによってルール上許される範囲を逸脱して制限を加えたいだけで結果、論議からも逃げようとする。そしてIPなのでブロックもできないので論議そのものの終了をもって口を塞ごうとする。そのうえで自分の考えはそうではないと逃げもうつ。見苦しい限りです。結局は削除の対象とならない実名表記を虚偽のルールをでっちあげてまで拒絶したアルトクール氏の擁護の為に詭弁を弄して論議を打ち切り実名表記の口を塞ぐ。そういった管理者側の独裁的な態度が見えただけでも論議した価値があった。どうせこの後は、今まで反対者をコメント依頼ブロック依頼で口を閉ざしたのと同じ派閥闘争の見苦しい同類による投票にかけての論議の打ち切りでしょうから。どうぞご勝手に。次の段階にうつらさせていただきます。--[[特別:投稿記録/125.200.252.110|125.200.252.110]] 2018年9月12日 (水) 07:47 (UTC)


=== 本節議論の終了提案 ===
=== 本節議論の終了提案 ===

2018年9月12日 (水) 07:47時点における版

配信日補強???について

この差分を見ていて、えっと思ったのですが、「配信日補強」と言いつつも一つの出典について、出典情報を明らかに減らしているところがありました。確認時間の所です。今回の報道は、時間単位で状況分析が変わる可能性が高く、同日昼の時点、夕方の時点で変わっている可能性が高いです。それを防ぐために「同日7時55分確認」を追加したのですが削除されていました。元々、Cite news否定論者であるのですが、テンプレートに引数が無いから入れないのでは無く、必要に応じてテンプレートに無い情報の追加をお願いしたいと思います(もっとも、必要な情報があればオール手打ちでも問題ないと思います)。--Taisyo会話2016年7月25日 (月) 23:31 (UTC)[返信]

「同日7時55分確認」では意味が分からないと判断し削除しましたが、せめて「YYYY年MM月DD日HH時MM分閲覧」であれば閲覧日であると分かってaccessdateを入れてそれに組み込んでいました。そもそも同日ではなくYYYY年MM月DD日のほうがいいと思いますが…。とは言え「YYYY年MM月DD日 閲覧」でも意味が分からないものです。--ディークエステン会話2016年7月25日 (月) 23:53 (UTC)[返信]
難解な文章を駆使しているわけでは無いのですが・・・配信日の後に「同日」確認日を入れた時に、いつ確認したか分からないというのは無理がある様に思います。テンプレートに縛られすぎでは無いでしょうか。常識的かつ普遍的な日本語で記述している場合は、前後の文章から大体の意味は推測できると思います。逆に「閲覧」の方が難しい表現法に思います(「閲覧」を見て意味は分かると思います。ただ、この用語を使うことを思い浮かぶかどうかは別問題に思います)。今回の場合は、先の議論に出しませんでしたが「ニュースの配信された時間」も重要になってくると思います。前回の書き込みから2時間余りすぎましたが、現実に死傷者数の数は変化しています。よって、確認時間が重要なのは明白に思います。改めて書きますが、テンプレートに縛られすぎずに、普遍的な日本語であれば、出典情報について理解する努力は必要に思います(「確認」ではなく、「参照」なども言葉として出てくると思います。常識的な言葉であれば、表現法は縛られる必要は無いと思います)。--Taisyo会話2016年7月26日 (火) 01:56 (UTC)[返信]

被疑者実名記載について

僕が編集したこの版時点で15人が犠牲となっており、これは附属池田小事件の犠牲者を越えています。附属池田小事件においては被疑者が著書も積極的な活動もしておらずに記事の最初に実名が記載されながら甲記述と矛盾する記述をされており、こちらの削除依頼も存続となっていることから記事のノートでも議論されています。そのことから実名が記載されるとその人物と同じように存続となる可能性が高いとして記載される前に念のため議論を設けます。--ディークエステン会話2016年7月25日 (月) 23:53 (UTC)[返信]

コメント 単純に犠牲者数だけならば秋葉原通り魔事件附属池田小事件を上回る死者数(単独犯でかつ直接手を下した例では津山事件に次ぐとか…)が出ております。現時点ではWikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関してに抵触するため被疑者の実名記載はできませんが、仮にこの事件が「テロ」に該当するとすれば「テロリストの実名」という例外に該当するため実名記載も可能となります。この事件がテロに該当するかどうかはまだ定かではないとは思いますが、特定施設を襲撃した事件となれば池田小事件もテロ事件に該当しますので(現に宅間守の実名が記載されている)、この事件についても「テロ」かどうかの議論をした方が良いのではないでしょうか。ちなみに自分はWikipediaの基準に照らし合わせれば「報復(施設をクビになった恨み)を達成するために凶行に及んだ」ということから、十分テロ事件にも該当するかと思いますが、死刑判決が確定するまで待った方がいいというご意見が出るかもしれません…--要塞騎士会話2016年7月25日 (月) 23:57 (UTC)[返信]
一言二言。「『テロ』かどうか」はウィキペディア側が認定することではありません。あと日本では誤解されやすく、実際にそう扱われることもあることですが、本来的には「テロリズム」は「多数の人を殺害する行為」ではありません。--Muyo会話2016年7月26日 (火) 01:26 (UTC)[返信]
「テロ」という言葉の定義であれば「政治的な目的」によって行われた犯行を指す言葉ですからこの事件は「テロリズム」ではありません。「報復のため」であるなら明らかに私怨ですから単純に「殺人事件」とするべき。--以上の署名のないコメントは、Kazusugo会話投稿記録)さんが 2016年7月26日 (火) 04:20 (UTC) に投稿したものです(Geogieによる付記)。 , コメント位置移動(内容的に適当な位置に移動)--Taisyo会話2016年7月26日 (火) 10:23 (UTC)[返信]
コメント この事件は動機や目的の政治性が弱いため、「テロ」には該当しないでしょう。(「テロリズム」とは、政治的な要求を満たすために暴力や脅威に訴えること。)一部の海外メディアでは、「過激派テロ組織とは無関係」「テロと結び付けるようなサインは無い」などど報じられたようです。この事件を日本語版で「テロ」と位置づけてしまうと、他言語版でそのまま翻訳された場合に読者の誤解を招くおそれがあると思います。--Dumpty-Humpty会話2016年7月27日 (水) 09:22 (UTC)[返信]
コメント 今から考えられること。無差別殺人事件が起こった場合に、容疑者の精神鑑定が十分考えられます。その場合に、精神鑑定の結果によっては、裁判の結果が大きく変わる可能性があります。ウィキペディア日本語版の方針を考えたら、少なくとも裁判の結果が確定するまで、または容疑者が実名で手記を販売するまでは、実名記載を見合わせた方が無難なのではと思います。--Taisyo会話2016年7月26日 (火) 04:15 (UTC)[返信]
コメント 私の書き込み以降、こちらのニュースの様に、今年2月に措置入院していた報道が出ています。精神鑑定の結果次第とは思いますが、精神鑑定の結果如何では報道機関も実名報道を控える可能性が否定しきれない状態です。実名記載は、相当慎重に行う必要があると思われます。--Taisyo会話2016年7月26日 (火) 10:23 (UTC)[返信]
コメント 現時点ではWP:DP#B-2「犯罪の被疑者名または被告名または元被告名」に該当します。「逮捕歴などを本人が積極的に公開し、自作中で使用している著名人の逮捕歴」や「犯人または犯罪の被疑者・被告人・元被告人が、自著・刊行物などで公開し、本人による公開の意思が明らかに認められる実名」となるまでは実名記載は止めておいた方がいいと思われます。
なお、上和野勇氏の[2016年7月26日 (火) 11:47 (UTC) https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%3A%E7%9B%B8%E6%A8%A1%E5%8E%9F%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E6%96%BD%E8%A8%AD%E6%AE%BA%E5%82%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6&action=historysubmit&type=revision&diff=60562243&oldid=60561284]の編集で苗字の一部が記載されたのですが(直後にリバート)、版指定削除が必要でしょうか?(要約欄にも記載あり)。--124.108.255.147 2016年7月26日 (火) 12:11 (UTC)[返信]
コメント 私も被疑者の実名は現時点では控えるべきと考えます。現時点で被疑者自身が積極的な情報公開を行っていない点・事件前に警察沙汰や大麻の使用疑惑が有り、被疑者の障害者差別発言等から措置入院が行われており精神鑑定が行われる可能性がある点・心神耗弱心神喪失の可能性がある点など、判決が出るか被疑者自身が手記等でっ情報を公開するまでは実名の記載は行わないほうがいいと思います。--わたらせみずほ会話2016年7月26日 (火) 15:00 (UTC)[返信]
現状、被疑者の名前を苗字のみ、もしくは一部伏字にしたものは不適切と言わざるをえません。WP:DP#B-2案件が積み重なるだけです。被疑者が自身の手記を発売するなどして、自身の氏名を積極的に公開したがっているのが明白なら話は別ですが。また、出典元タイトルに被疑者の氏名が含まれている可能性もありますので、その場合は遠隔操作ウイルス事件などに倣って●などで置き換えるのがいいかと思います。--ぷんてぃ会話2016年7月26日 (火) 16:01 (UTC)[返信]
コメント 確かに皆様が仰る通り、現時点では起訴すらもされておらずWP:DP#B-2案件が積み重なるだけなので、現時点では見送るべきでしょうね。提案は現時点では取り下げます。--要塞騎士会話2016年7月30日 (土) 03:45 (UTC)[返信]

本人が「創」の連載に続いて自著を出版します。このタイミングをもって実名公開でいいのでは?--58.183.199.128 2018年6月21日 (木) 14:49 (UTC)[返信]

本人が手記を出版予定のニュースです。本人出版時点で記事での実名の公開を再度提案します([1])。--125.173.236.146 2018年6月23日 (土) 05:51 (UTC)[返信]

事件名に「19人殺害」を加えることを提案します

一度に19人を殺害したことは事件名に加えるべきであると考えます。殺人事件のバッケンレコードを超えていると思うので。 --上和野勇会話2016年7月26日 (火) 10:13 (UTC)[返信]

コメント それ以上の死者が出て欲しくないと思いますが、今後の重傷者の容態次第では変わる可能性があると思われます。死者数を記事名に入れるのは時期尚早に思います。--Taisyo会話2016年7月26日 (火) 10:23 (UTC)[返信]
コメント 現状では反対します。事件名はウィキペディアンの合意で決まるのではないからです。より多く使われているなどの出典が必要だからです。--124.108.255.150 2016年7月26日 (火) 10:26 (UTC)[返信]
コメント そもそも19人からさらに犠牲者が出たらどうするつもりなのでしょうか?その度に記事名を変更せねば無く僕としては反対です。それより提案者は本ノートや要約欄にどういう記述をしてくれたのでしょう。なお、提案者は本記事以外にも他記事で存命人物に対する無出典での不適切な加筆を行っており、何らかの対処が必要です。--ディークエステン会話2016年7月26日 (火) 12:15 (UTC)[返信]
コメント 人数を入れる必要性が分かりません。--Kyoyaku-25会話2016年7月26日 (火) 12:31 (UTC)[返信]
コメント - 裁判となり検察なりが表明したと言うのであればともかく、現状でなにゆえ書き加える必要があるのかは感じません。むろん、これ以上の最悪の犠牲者は増えていただきたくない、は小生も同じ思いです。--快速フリージア会話2016年7月27日 (水) 07:17 (UTC)[返信]
反対 -不幸にもこれ以上の犠牲者が重なろうが、別事件に記録を抜かされようがレコード的な意味合いで犠牲者数を冠する意義はないと思います。あるとすれば加害者が犯行理由や動機としての犠牲者数に何らかの拘りや意味を以って犯行に及んでいた場合くらいではないでしょうか。--ジャムリン会話2016年7月27日 (水) 08:19 (UTC)[返信]
反対 - 論外です。私はこの事件で結局何人の方が亡くなろうが全く関係の無い他人事ですが、純粋に記事名として、現状で特に問題はありません。そして同時に、ウィキペディアが独自に事件の名称を決めるべきではありません。絶対に。記事名がなければ記事が作れないため、現状は便宜上、無難なかたちで記事名がついていますが、今はこんなところでしょう。数年すれば、この事件は過去の事件となります。そして、この事件は九分九厘、犯罪関係の文献で多く触れられる事件と見てよいでしょう。マスコミで起訴や判決などの続報もあるでしょう。その時にどう言った名称でこの事件が報じられたか。数年後、数十年後にこの事件が世間一般にどう呼ばれているか。それに合わせれば良いだけのことで、性急に改名に動く必要性など絶無です。事件名などは後についてくるものです。もちろん数年後などと言うのは一例であり、数ヵ月後に世間での呼び名が固まっているのであれば、それに合わせればいいでしょう。仮に世間で「19人殺害事件」と呼ばれているのであれば、当然それに合わせればよろしい。そして死亡者の人数が事件名に入れるのが妥当なのであれば、感情的もしくは宗教的な理由でそれ拒んではいけません。信頼できる典拠に担保された事実をあるがままに受け入れることがウィキペディア編集者には必要です。提議者やウィキペディア編集者の考える事じゃないんですよ、事件名はね。もちろん将来改名が必要な時には、一般に事件名がそれに固まっていることを担保するために、相応の典拠が必要です。まあなんですか、もう少し落ち着いてください。ウィキペディア編集者はクレバーでなくてはいけない。思い入れの大きな記事を編集することは通常推奨されません。それは特定の記事にあまり思い入れを持つなと言い換えてもいいんじゃないでしょうかね。ただただ、作業の様に調査と執筆をこなしていればいいんです。それでちゃんと、記事は仕上がります。--133.232.161.160 2016年7月27日 (水) 19:19 (UTC)[返信]

出典修正のお願い

コメント NHKなどの放送局がニュース速報として出しているweb記事は、すぐに消えてしまいアーカイブからサルベージすることになってしまいます。ものによっては、サルベージ防止のため、著作権保護プログラムによりランダムパスワードがかけられてしまうこともあります。以上のことから、放送局のニュース速報を出典とするものにつきましては、新聞社や通信社などの「消えにくい」出典に貼り替えていただきますようお願い申し上げます。--Focus35mm会話2016年7月26日 (火) 14:18 (UTC)[返信]

井戸端でも申し上げましたが、ネットニュースはすぐに消えると考えてよいものです。それをソースとする際には、是非とも「Internet Archive: Wayback Machine」をご利用頂きたく思います(他のアーカイヴサイトでも良いのですが、長年続いているサイトですので、早晩無くなると言う心配が比較的薄いです)。トップページの右下に目的となるネットニュース記事のurlを入力すれば、ミラーを保存してくれます。本当はTemplate:Cite newsで両方のurlを併記するのがよいのですが、保存されたarchiveのurlを記述するだけでも咎められないでしょう。いわゆるわかればいいという奴ですね。これで、3日や7日で消える心配はしなくてよくなります(個人的には、3日や7日で出典が消えることが判っていながらそれをソースに記事を書くなど、有り得ないほどの乱暴さだと考えます。後で整理の手間がかかるだけで、そんなものは書かない方がマシです)。これはやむを得ずネット上の情報を出典とする際には有力な手段と考えます。
ただし当該アーカイヴサイトが未来永劫続くと言う保証は全くありませんし、50年続くとするのすら分の悪い賭けとなることでしょう。検証可能性を永く保つ意味で、同じ新聞を出典とするのであれば、紙の、本物の新聞を出典とする方が好ましい事は明らかです。全国紙およびお住まいの地方紙くらいは皆様の最寄の図書館にございますでしょうから、是非とももう一手間をかけて頂きたく思います。ウィキペディアには速報性は全く必要ありません。記事作成なんて極論すれば来年でも再来年でもよろしい。ニュースはニュースサイトに任せればいいんですからね。ウィキペディアは十分に情報が出揃ってから、まとめを書けばいいんですよ。
また、出来得るのであれば、ネットニュースを出典としている記事に出会いました時にお時間がございましたら、そしてまだネットニュースが残っているのであれば、Wayback Machine にアーカイヴし、urlを張り替えておいてあげてください。そして何かの折には以上の手法を、まだご存知でない方に出来るだけ広めて頂けますことを、期待したく存じます。「ついてる出典が全部ネットニュース、そしてほとんど全部消えている」なんて記事に、私は数え切れないほど出くわしました。いやもう最初から数える気がありません。無数と言っていいくらいあるのはわかりきっているのですから。修正は困難であり、私であれば諦めて放って置くか、自分で書き直すか、になります。
少々の手間がかかることは否めませんが、将来に渡る検証可能性のため、皆様に少しだけご配慮を頂ければ、そして広報を頂ければと思います。--133.232.161.160 2016年7月27日 (水) 19:01 (UTC)[返信]
ちょっと私の意図が伝わっていないようなので…。記事本文にて、紙の新聞の記事からの出典をNHKニュース速報に張り替えてしまった編集[2]があったのですが、こういう編集はなるべく控えていただきたいのです。先にも書いたとおり、放送局のニュース速報は3日と言わず、1日2日で消えてしまうこともありますし、著作権保護のためアーカイブからサルベージできないように処理されてしまうこともしばしばです。そのため、新聞社や通信社のニュース記事といった「消えにくい」記事を出典としてくださいと申し上げております。私が出典に紙の新聞記事を使っているのにはこういう理由があります。ご理解いただけるでしょうか?--Focus35mm会話2016年7月29日 (金) 15:37 (UTC)[返信]
どうも誤解を招いてしまったようです。保存性の問題から、出典は紙の新聞を使うべきと言うのは、それなりに慣れた利用者にとっては常識以前の問題であると認識していただいて結構ですし、私もそう考えています。もちろんできるだけ実行もしてきました。ですが、どうしてもネット出典を使うなら、せめて上記の様にしてくださいと言うお話なんですよ。ネットニュースだけで記事を書こうとするいわゆる速報厨については、昔から問題になっていますし、ほとんどの利用者は図書館すら利用しようとしませんから、すぐ消えるネット出典ばかり貼り付ける(5年もつネット出典など全体の何%なのでしょう?)。もっとも、紙の新聞を使おうが、速報厨は速報厨なんですけどね。--210.165.125.116 2016年7月30日 (土) 06:00 (UTC)[返信]

新聞出典について

新聞を出典とするのを否定して独自研究だと主張される人がいますが、新聞出典を否定して何をもって出典とされるのですか?ネットのそれこそいつ消えるかわらない記事のほうがよほど検証可能性を満たさないと思いますが。--58.90.8.16 2016年7月27日 (水) 06:21 (UTC)[返信]

だれも、そんなことは言っていませんよ。コメントアウトの理由をよく読んでください。
あなたは当初、本記事「相模原障害者施設殺傷事件」の序文で、『沖縄タイムス』の社説を出典として示して、この事件が「障害者を標的としたヘイトクライムである」と記しました。これは事実ではなく意見ですので、私は国内メディアの反応を紹介する節を新設し、そちらで当該社説について、“ヘイトクライム”のみに着目しない形で取り上げています
ところが、すでにこの『沖縄タイムス』の社説の例があるのに、あなたは“ヘイトクライム”という語が使用されている他紙の例をいくつか挙げて、「この事件がヘイトクライムとして報じられている」ことを強調する記述を加えています。これは方針「Wikipedia:中立的な観点」や方針「Wikipedia:独自研究は載せない」にそぐわないと私は判断します。
あなたが列記している出典のうち唯一、ウェブ上で確認が取れたものが『琉球新報』の記事ですが、これは正しくは『毎日新聞』が提供したものです(記事の末尾に“(毎日新聞)”と明記されています)。
このウェブ記事で筆者は、被疑者が供述した内容とされる文言を引用した上で、“言葉通りに受け取れば、昨今の世界で相次ぐテロにも通じるヘイトクライム(憎悪犯罪)とも思える。”と述べています。つまり、この事件について条件付きで間接的に“ヘイトクライム”という語を用いているに過ぎません。これをもって「この事件を“ヘイトクライム”として報じている」例とするのは、情報の「つまみぐい」というものです。特定の用語のみに着目して情報の「つまみぐい」をしたものを寄せ集めることには、「独自研究」に陥るリスクがあります。
紙媒体の出典については、ウィキペディア編集者たちの間で見解が分かれるでしょう。ただ、あなたのこの記述の内容については、数日以内にウェブ上に出典を取れることが見込まれます。それを待たずに紙媒体の出典のみが列記され、それらが出典として適切であるかどうかを読者も他の編集者も容易に確かめることができないようでは、「Wikipedia:検証可能性」を十分に満たしているとは言えないと私は判断します。
これらの判断から、当該記述をコメントアウトした次第です。
なお、ウェブ上から短期間で消去されてしまいそうな記事については、万能ではありませんが、ページのアーカイブを利用するという方法もあります。--Dumpty-Humpty会話2016年7月27日 (水) 08:59 (UTC)[返信]
具体例を出せば無問題ですね。記事には具体例が書かれていますから、それで追記します。新聞出典については賛同いたしません。紙の出典がウェブに勝るのは当然の話です。--58.90.8.16 2016年7月28日 (木) 06:10 (UTC)[返信]
紙の新聞出典と違ってウェブ版は新聞社としての査読を行っていない意見がそのまま掲載されている新聞社のサイトもあります。例えば産経デジタルですが、そのIRONNAに掲載されている意見は個人のものであり新聞社は関与しないものです。そこにあるのは一般人のものもあれば著名人のものもあるわけです。この事件について「愛国、右翼思想の行き着く先」と題して、弁護士の紀藤正樹氏のブログが転載されていますが、[3]これは新聞社の記事ではありません。また中立性うんぬんは新聞社の判断に任せればいいのであってウィキペディアンの判断が中立的である保証は何処にもありません。ヘイトクライムであるという意見が中立的でないという意見ほうが中立的ではありません。書かれた事実を淡々と伝えればいいだけです。--58.90.8.16 2016年7月28日 (木) 07:59 (UTC)[返信]

施設名について

2016年7月27日 (水) 15:18 (UTC)現在の記事では「障害者施設」と書かれており、具体的な施設名は外部リンクのタイトル以外に記載されていません。しかし、当該障害者施設は神奈川県立の施設であり、被害者名とちがって特に配慮が必要であるとは思えません。この点について、皆さんのご見解をお聞かせ下さい。222.230.131.5 2016年7月27日 (水) 15:18 (UTC)[返信]

初版の時点では施設名が記載されていましたが、僕が編集したこの版で念のため除去しました。初版時点で提示された出典にも施設名が記載されていました。--ディークエステン会話2016年7月28日 (木) 09:06 (UTC)[返信]
載っている版を特定版もしくは版指定削除するほどではないでしょうが、積極的に記載するものでもないとは思います。つまり、出典タイトルにある施設名は除去しなくても良いけれど、記事の中に施設名を載っていないからと言って追記する必要性は感じないと言うことです。あくまでも個人的意見ですので、方針やガイドラインにそのような規定はないとは思いますが。--ぷんてぃ会話2016年7月28日 (木) 09:16 (UTC)[返信]
すでに報道で名前と場所が周知されていますので、そこまでして載せる必要性はないかと考えます。--Focus35mm会話2016年7月28日 (木) 10:12 (UTC)[返信]
ぷんてぃさんのご意見に共感します。
この事件では施設名よりも、当該施設が障碍を持つ人たちの暮らす福祉施設であることの方が、格段に大きな意味を持っています。施設名は当該施設が障害者向け施設であることが一目で分からない、高齢者向け施設にもあるような名前です。
このため、本記事の本文で施設名を記す必然性はなく、むしろ当該施設が障害者福祉施設である点を明記することが望ましいと思います。
また、同施設はご指摘のように県立の施設ですが、その運営は指定管理者制度により神奈川県から社会福祉法人に委託されています。つまり、同施設は公立ではあるものの、民営の施設です。このことを説明しないで「神奈川県立~」という正式な名称のみを記すと、同施設を県が運営しているかのような誤解を招く可能性があります。「相模原市~」という呼称についても同様です。
特に記事名は、記事を読まなくてもウェブ検索を通じて知ることができますので、「県」や「市」を含まない現在の「相模原障害者施設殺傷事件」が妥当だと思います。
なお、記事中の外部リンクのタイトルに施設名が記されたままにすれば、ウィキペディア内をこの施設名で検索することによって本記事が容易に見つかりますので、読者がこの事件についての資料を探すにあたって、記事本文に施設名が記されていないことはデメリットにはならないと思われます。--Dumpty-Humpty会話2016年7月28日 (木) 10:27 (UTC)[返信]

「無差別殺人」とありますが

文中に「無差別殺人」とありますが、報道によると容疑者は特定の状況の人を選んで犯行を行っており、「無差別殺人」という表現は適切でないように思います。コメントをお願いします。222.230.131.5 2016年8月31日 (水) 17:18 (UTC)[返信]

冒頭にある記述のことですね。当該部分はかなり最近加筆されたようです[4]。発生から間もない頃であれば分かりますが、現在では、被疑者はある状況の方に対して犯行に及んでいることが報道により明らかになっていますから、無差別とは言えないと考えられます。当該記述は除去されるべきです。--Sun250ba会話2016年9月1日 (木) 08:47 (UTC)[返信]
提題者に同意。「無差別殺人」とする出典が示されていない。当該記述は除去されるべき。--ジャコウネズミ会話 | 投稿記録2016年9月5日 (月) 07:21 (UTC)[返信]

提案 無差別ではないとすれば事実に反する記載ですので早めに除去すべきだと思います。私は提議者ではありませんが、あと1週間程度待って除去反対の方がいなければ除去ということにして良いでしょうか。この提案についても反対がなければ実行します。--Sun250ba会話) 2016年9月5日 (月) 08:34 (UTC)追記--Sun250ba会話2016年9月5日 (月) 08:59 (UTC)[返信]

チェック 1週間経っても反対意見がなかったので当該部分は除去しました。--Sun250ba会話2016年9月12日 (月) 09:03 (UTC)[返信]

被告の名前の公開について

創出版より被告本人執筆による『開けられたパンドラの箱』が出版されましたのでもう匿名にする必要性は無くなったと判断します。実名を記事に記載すべきではないでしょうか?--125.200.253.118 2018年8月24日 (金) 02:51 (UTC)[返信]

ケース B-2:プライバシー問題に関しては当てはまりません。本人が『開けられたパンドラの箱』を著し出版されたのですから「犯人または犯罪の被疑者・被告人・元被告人が、自著・刊行物などで公開し、本人による公開の意思が明らかに認められる実名」であり公開しても構わないものです。--220.96.247.117 2018年8月27日 (月) 08:31 (UTC)[返信]

  • コメント それは手記が掲載されたものですよね?確かに手記そのものは被告本人の著作ではありますが、『開けられたパンドラの箱』自体は月刊誌の『』の編集部編として出版されているものですから、この書籍は被告本人の自著ではありません。すなわち、提案理由から考えるならば提案理由自体が誤りなのだから現状維持が妥当といえます。強く「掲載」に傾く合意が得られるなら別ですが、「単著ではないものをあたかも単著のように扱って」掲載するべきと声を上げるのはいかがなものかと存じまず。--アルトクール会話2018年8月27日 (月) 09:35 (UTC)[返信]
  • コメント 削除基準ではなく掲載基準についてひとこと。(一般化して話しますけど)誰かを困らせて注目を浴びることってそれは「売名行為」ですよね。
例えば未曾有の大事件を起こしたその首謀者は、もしウィキペディアが事件前に存在していたら、大物タレントと対談するくらいの著名宗教家として記事になっていたかもしれません。実行犯の信者たちも記事になっています。普通に考えるのなら団体職員が記事になることなどあり得ないのですが、複数の事件、複数の人員で、その関わりも複雑です。事件の全貌と詳細を知ることが優先される社会正義の下、「信者ABCD」ではなく実名で生い立ちから、組織での立ち位置、事件の役割などを晒すことが許されたのでしょう。
対して本件はどうでしょうか? 単独犯で、単独事件(記事)、事件以前の著名活動なし、となると生い立ちやら犯行時の行動などウィキペディアの記述的には「男A(あるいは単に男、A)」で何も困りません。名前を載せることに価値なんて無いと思いますけど。--Triglav会話2018年8月27日 (月) 14:59 (UTC)[返信]
付属池田小事件の宅間守は実名だし秋葉原通り魔事件の加藤智大も実名ですよ。実際手記を出版しているんだし本人に印税の一部は入るのだし、本の主要な部分は本人の直筆なんだから氏名を書くことを禁じる理由にはなりません。載せる価値うんぬん主張したいのなら宅間守の氏名をまず削除してから主張されるべきでは?--219.162.183.183 2018年8月28日 (火) 06:42 (UTC)[返信]
コメント 勘違いされているみたいですが、池田小事件の宅間守と、秋葉原通り魔事件の加藤智大は「自著」を「出版」しています。この事件の被告は事件とまとめたものに手記を寄せただけで「出版」はしていません。せいぜい原稿料といったところでしょうね。もう一度言いますが、『開けられたパンドラの箱』自体は月刊誌の『』の編集部編として出版されているものですから、この書籍は被告本人の自著ではありません。本の重要な部分とは『だれが』評価しましたか?書籍自体は参考資料足りえる二次情報源ですが、書かれている内容をそのまますべて反映してもよいというのは方針の曲解です。Wikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:信頼できる情報源では大雑把にいえば「書いていないならば書くな」「書いてあるならば書いてもよい」がスタンスであって、「書いてあるならば何でも書いてよい」とはいっていません。--アルトクール会話2018年8月28日 (火) 08:17 (UTC)[返信]
宅間守の自著?それは何ですか?--219.162.183.183 2018年8月28日 (火) 08:35 (UTC)[返信]
コメント 失礼しました。宅間は自著は出してませんね。しかしながら、付属池田小の件は複数の書籍で実名掲載の例があります。2004年に刑死してから、「プライバシー権が存在しない故人」となってから、岡江晃の『(名前) 精神鑑定書 精神医療と刑事司法のはざまで』、森達也の『死刑-人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。-』などが出ています。Wikipedia:削除依頼/附属池田小事件を考慮しても、「プライバシー権を主張できる当人が存在しないかどうか」が一つのポイントであると考えられますので、はやり存命中の記載は消極的です。ちなみに、「手記を発表した」こと自体は宅間にもありません。そのうえで問いますが、自著を公表している加藤と刑死後もたびたび取り上げられている宅間、収監中のこの被告を比較対象とする理由は何ですか。はっきり述べられないならレスをしていただかなくて結構です。--アルトクール会話2018年8月28日 (火) 10:17 (UTC)[返信]
戦後最大の殺人者であり殺人の理由が障碍者に生きる価値無しという優生思想に基づいたヒトラーのT4作戦並みの大問題であり海外の他言語のWikipediaにおいては実名記載されている例だからですよ。英語版なんかご丁寧に漢字表記まで付加されている。--219.162.248.152 2018年8月28日 (火) 23:49 (UTC)[返信]
逆にオウム事件は有期刑のもので既に刑期を終えたものまで実名表記されていますね。この被疑者にしてもほとんどのWikipediaにおいては実名表記されていますし。ひょっとして日本版のみのローカルなルールでもあるのでしょうか?--219.162.248.152 2018年8月29日 (水) 01:07 (UTC)[返信]
コメント 英語版と日本語版では細かな掲載基準は異なります。「戦後最大の殺人者」とは今現状ではあなたの感じ方でしかありません。『誰が』戦後最大の殺人者と評し、それを広めましたか。書きたい側は出典を示すというのがルールです。これ以上、あなたが出典を示さない状態で議論を継続することはありません。本文側に実名を書いた場合は、速やかに除去・削除されます。--アルトクール会話2018年8月29日 (水) 05:28 (UTC)[返信]

インデント戻します。ならば他言語版と日本語版で違うという根拠をお示しください。日本だけローカルに都合のいい勝手な解釈をしているのではありませんか?日本語版以外の記事では全て実名が出ています。戦後最大の殺人者というのは殺人数においてて、それはまさに『開けられたパンドラの箱』にも書かれれいますし、全国紙読売朝日毎日産経とも数において戦後最大であることは否定していません。それは現在の記事中にも書かれていることです。日本語版だけが勝手都合のいい解釈で運用されているのではないですか?死刑になったものに人権は無いから実名でいいのならオウム事件の既に懲役期間の終了し釈放された人間も実名なのは何故ですか?現在服役しているものも実名表記な根拠は?間違った運営方針であるなら正されるべきです。--219.162.248.152 2018年8月29日 (水) 07:04 (UTC)[返信]

加藤智大は実名表記しているのに? ⇒ 加藤智大は自著があるため。『開けられたパンドラの箱』は本人名義で出版されていない以上、本事件被疑者の自著とはみなされないと考えられる。
オウム真理教の幹部等は実名表記しているのに? ⇒ オウム真理教は国家転覆を企てたテロ組織でありその幹部もテロリスト。単に報道されただけではない著名性もある。なお、テロリズムとは多数の人を一度に殺害することではなく、本事件被疑者は一般的にテロリストとは認定されていない。
他言語版では実名表記しているのに? ⇒ 他言語版とはルールが異なる。それを「ローカルに都合のいい勝手な解釈」とまで言うのであればまず削除の方針をお読みください。
戦後最大の殺人者だから/思想が大問題だから例外的に実名表記すべきではないか? ⇒ 実名表記の禁止に安易な例外を認めるべきではない。
以上--Muyo会話2018年8月29日 (水) 16:30 (UTC)[返信]
コメント 戦後最大うんぬんは氏名記載に直結しませんね。何が戦後最大なのかという内容を詳細に書いてもらえばよいだけだと思います。
大昔は、加害者も被害者も実名記載でした。何とかちゃん事件なんてのもありましたが今では想像もつきません。他言語の事情はよくわかりませんが、日本語版においては圧倒的多数の日本人読者が下敷きにしている日本社会をトレースしているので、その時代の変化というものを読み取っていただきたいと思います。2001年と2016年では情勢も異なると思いますよ。
個人的には、通常分野の特筆性の判断と同様に自己発信はNGにしたいくらいです。自分で火を放っておいて「僕が付けました」なんてふざけんな!としか感じ取れませんね。悪名など刻む価値なしです。
誰が名前を欲しているか? 興味本位の読者だけじゃないですか? これを実用として読もうとしている人。例えば障害者施設、介護施設、病院、学校、商業施設の関係者、あるいはそれらを警備するセキュリティ業の関係者。これらの人が名前欲しがりますかね?
名前なんて情報の重要度は低いですよ。低いうえに永久掲載の百科事典として極刑以外の場合に晒したくないというのもあります。それでも載せたいですか? --Triglav会話2018年8月29日 (水) 19:01 (UTC)[返信]
同じ文面のルールで日本語版だけ不可の理由が全く示されていません。日本語版だけルールを曲解しているのではないですか?明確に日本語版だけ違うという根拠をお示しください。インナーサークルで捻じ曲げた運営がされていとは思いたくないですが。死刑になったら実名表記可というのも明確なルールではないようですね。死刑になっても非公開な記事はあるようですが。--220.96.242.183 2018年8月30日 (木) 05:42 (UTC)[返信]
氏名を載せなければならない理由も出せないのだから同じことですよね。犯罪者氏名の掲載だけにこだわるIP様の行動理念がよくわかりません。運営が捻じ曲がっているように見えるのかもしれませんが、生産活動をしていない観客が言っても詮無いことです。--Triglav会話2018年8月31日 (金) 14:32 (UTC)[返信]
同じ文面のルールで日本語版だけが氏名記載不可となる理由をお示しください。それさえお示しされればいいだけです。--221.190.145.195 2018年9月1日 (土) 06:36 (UTC)[返信]
「日本語版においては圧倒的多数の日本人読者が下敷きにしている日本社会をトレースしているので、その時代の変化」もう答えているのですが。あとは「永久掲載の百科事典として極刑以外の場合に晒したくないというのもあります。それでも載せたいですか?」載せたい理由聞かせてもらえませんか? 載せたくない側の理由はあやふやなのだから、理にかなった明確な理由が載せたい側にあれば簡単に覆せると思うのです。--Triglav会話2018年9月2日 (日) 14:18 (UTC)[返信]
「日本語版においては圧倒的多数の日本人読者が下敷きにしている日本社会をトレースしているので、その時代の変化」など何処に規則として明文化されていますか?日本語版だけのローカルな明文化されたルールがあるならそれをちゃんとご提示ください。インナーサークルの勝手な取り決めで世界中での共通のルールを捻じ曲げて運用しているのではないですか?世界中の中で日本語版だけガラパゴス的運用を明文化されていないルールで勝手に狭めていませんか?--221.188.143.147 2018年9月3日 (月) 00:55 (UTC)[返信]
(一歩踏み出します)インナーインナー言いますけど、IP様アウター(読者)ですからね。IP様も事件事故記事をいくつか執筆なさって、その体験のなかでの不都合から提案を持ち込んでいただきませんと、周囲を説得するのは難しいでしょうね。これができないのであれば、百科事典風まとめサイトは他に山ほどあるので、そちらで頑張っていただければよろしいかと思います(議論は消費です。参加されている皆様は金銭ではない何かを支払っています) --Triglav会話2018年9月4日 (火) 12:39 (UTC)[返信]
インナーサークルと指摘しているのは、明文化されていないルールをさも適用されるように語られる方が多々おられますので、世界中のWikipediaで実名表記されている記事で日本語版だけ表記されない狭軌のルールが存在するはずですからそれをお示しくださいともう何度も申しあげています。世界中のWikipediaと日本だけルールの解釈を変えて全く違う運用をされているのではないですか?違うとおっしゃるのなら世界中のWikipediaで書かれている実名を何故日本語版だけ何のルールで表記されないのかご説明ください。適用されるルールも含めて。--58.90.60.3 2018年9月4日 (火) 23:32 (UTC)[返信]
相手が教えてくれないのであれば、IP様が他言語版に赴いて「どうして氏名を書くのか?」と「日本語版は書かないことになっているが貴方はどう思うか?」について問い合わせてみるのもよいかもしれない。--Triglav会話2018年9月5日 (水) 11:03 (UTC)[返信]
  • コメント コメント(インデント戻す) 本件被告人の実名記載を主張されているIP利用者氏におかれては、恐らく既に「事件記事における容疑者あるいは被告人の実名記載可否については明確なルールが存在しない」ことを把握されているものと思います。しかし一方で、記載を妨げるルールが存在しないイコール記載が容認される、ではないことも併せてご理解いただく必要があります。その点はウィキペディアにおける各利用者の行動規範を示した方針である Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか において「ウィキペディアは規則主義ではありません (WP:BURO)」の節にて明確に示されている通りです。
本件に話を戻すと、これまでの事件記事における容疑者あるいは被告人の実名記載基準(詳細は上記にて他の利用者の方から説明済でしょうから改めて触れません)は、明文化こそされていないものの、いわば慣例としてコミュニティにおいて踏襲されてきたものであり、大多数の利用者から支持あるいは黙認されてきたものです。IP利用者氏はそれを真っ向から否定し慣例を覆そうとしていらっしゃるのですから、善意に基く合意形成を旨とするウィキペディアにおいては、まずご自身の考えるこれまでの慣例に代わる新たな基準を明確にし、本件記事に限らず全ての事件記事においてどのように実名記載可否を選別すべきなのか、具体案を示す必要があります。少なくともこれまでIP利用者氏が主張された「本件を特例扱いすべき理由」については全く賛同が得られていない現状においては、現状の慣例に代わる代案すなわち新たな具体案をご提示いただくことがご自身の望む方向に議論を進められる可能性のある方策であるとご理解ください。--MaximusM4会話2018年9月5日 (水) 10:07 (UTC)[返信]
その Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか において「ウィキペディアは規則主義ではありません (WP:BURO)」の節にて明確に示されているルールも英語版をはじめ世界中のWikipediaに同じルールが存在します。世界中の同じ記事に名前が記されているのに日本語版だけ一切明文化されていないインナーサークルな運用によって記載できないとするのはおかしいのではないかという話です。ルールがあればいいのですけどルールが無いのであれば世界中の他のWikipediaと同じ運用がなされるべきです。現状は日本語版だけがルールも明記されていないインナーサークルの明文化されていない運用により明記されていない。世界中のWikipediaで実名表記されているのに日本語版だけ書かれないのをおかしいとは思いませんか?実名を表記するかルールが無いのなら明文化されたルールを作るべきです。繰り返しますが実名表記されてないのは日本語版だけです。--58.90.56.25 2018年9月6日 (木) 04:53 (UTC)[返信]
  • コメント ご理解いただけないようなのでもう少し噛み砕いて平易に説明すると、ウィキプロジェクトは明文化されたルールのみに基く運用をしなければならないというスタンスではない (WP:BURO) のですから、解釈の揺れや各国の事情によって他言語版との運用の相違が生じたとしても何ら問題はないのです。IP利用者氏の主張の根幹である「インナーサークル化は問題である」との指摘そのものが的外れである、ということです。従って、「おかしいと思いませんか」への返答は「思いませんし、おかしいと思うこと自体が方針をまるで理解されていない証です」となります。
もう一点、「本件に関して他言語版では被告人Uの実名を記載しているにも関わらず」という、他言語版における事例が本件の特殊性を証明している旨の主張もまた完全なミスリードであると指摘させていただきます。そもそも他言語版の多くは事件記事テンプレートに容疑者・被告人の実名を記入する欄が存在し、あらゆる事件記事において容疑者・被告人の実名が普通に記載されています。それは何も本件に限ったことではありません。一例を挙げると、闇サイト殺人事件の英語版記事においては本文中への被告人3名の実名記載はおろか事件被害者の実名が記事名に採用されている有様です。このような運用を日本語版へそのまま持ち込むことが可能であるのか否か、今一度冷静にお考えになった方がよろしいかと思います。--MaximusM4会話2018年9月6日 (木) 06:59 (UTC)[返信]
日本語版だけが同じルールでの運用の下にあるべきなのに日本語版だけの独自解釈で一人別のルールで運用されていることをお認めになるのですね。何度でも指摘しますが同じ文面のルールで日本語版だけ不可の理由が全く示されていません。日本語版だけ未掲載なのなら間違っているのは日本語版のほうなのでは?--58.90.56.25 2018年9月6日 (木) 08:34 (UTC)[返信]
それって「犯罪者氏名は必ず掲載しなければならない」と英語かなにかで書いてあるってこと? --Triglav会話2018年9月6日 (木) 10:01 (UTC)[返信]
  • コメント 「同じルールでの運用の下にあるべき」とする認識そのものが誤っている、そして他言語版における本件記事の実名記載が本事件の特殊性の証明であるという主張もまた誤りである、先に私はそう申したはずです。これ以上(根拠として通用しない旨を説明済である)明文化されたルール不在を理由に実名記載を容認せよとの主張を展開されても、他利用者を翻意させることは到底不可能でしょうし、事態は全く進展しないでしょう。--MaximusM4会話2018年9月6日 (木) 10:12 (UTC)[返信]
「犯罪者氏名は必ず掲載しなければならない」なんて書いてないですよ。現状同じルールで日本語版だけ書くことをルールに反するとして禁止を主張されているんだからそのルールの提示を求めているんですけど、一切そのルールも示せず、明文化されていないインナーサークルの決め事のみで書くことが禁止であると主張されているだけ。せめてそのインナーサークルの話し合いの場だけでも明示されればいいのにね。世界中の他言語が同じルールで運用されているのに日本語版のみ実名記載が禁止だと主張されるのならその根拠をお示しくださいと何度も言っているのに誰も示せない。日本語版のみが特殊な運用をされていることの証明でしかない。この事件で実名記載されない理由は何処にあるの?全世界の他言語Wikipediaは知らんと発す。--219.162.186.190 2018年9月6日 (木) 23:40 (UTC)[返信]
  • コメント 先に具体例として示した闇サイト殺人事件英語版記事にて明らかなように(恐らく敢えて無視されたのでしょうが)、IP利用者氏の主張を容れて事件記事における被疑者・容疑者・被告人の実名記載に関する基準を他言語版に準拠させた場合、Wikipedia:削除の方針「ケース B-2:プライバシー問題に関して」との整合性が破綻するのは言うまでもありません。すなわち、実名記載基準を他言語版に準拠させよとの意見は、本件被告人の実名記載を強く主張するがあまりの勇み足ともいうべき暴論に過ぎないものであり、一顧だにする必要性を認めえません。
そして他言語版における本件被告人実名の記述をもって、本件における特殊性(日本語版においても実名を記載してよいとする根拠)を担保するとしたIP利用者氏の主張、これも事実誤認あるいは事実を意図的に歪曲したに過ぎず、論ずるに値しません。
有体に申し上げて、『開けられたパンドラの箱』は被告人Uの自著とは認められない、とされた時点でこの議論は終結させるべきものであったということです。IP利用者氏におかれては、矛の納め時を見誤るべきではない、と忠告いたします。--MaximusM4会話2018年9月7日 (金) 03:52 (UTC)[返信]
  • 横から失礼 横から失礼 犯罪者本人の単著があれば掲載OKで、出版社編集の書籍に載せることを前提とした手記の寄稿がアウトなのはなぜでしょう?「自主公表」に違いはありませんし、むしろ第三者を通している分「信頼できる情報源」になるのではないでしょうか?--219.75.139.233 2018年9月7日 (金) 01:59 (UTC)[返信]
で、何でその Wikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関して および Wikipedia:存命人物の伝記#当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する のルールの運用が日本語版だけ違うのですか?それが問題。海外版のほとんどのWikipediaにおいて実名表記されているのに日本語版のみが同じルールを用いて実名記載を拒否し、さらに手記などを持ち出しても合意形成だとおっしゃる。日本語版のみ同じ文面でルール解釈が違うとおっしゃるのならそれの根拠を示して欲しい。何で日本語版のみ同じルールで条件繁多になった挙句拒絶となるのか理解できませんね。ルールがあるというならその世界で通用する記事作成とは違うルールの根拠をお示しください。世界のほとんどのWikipediaと記事作成方法が違い、合意形成が必要とかまさに日本語版のみのインナーサークルの取り決めがあるんじゃないですか?--219.162.186.190 2018年9月7日 (金) 05:44 (UTC)[返信]
  • コメント 未だ事情をご理解いただけないようなので、簡略に説明します。他言語版において本件被告人の実名が記載されている理由は、本件が重大事件であることによる特別扱いなどではなく、単純に他言語版の運用ルールにおいて実名記載のハードルが低い(無に等しい)ことによります。従って、日本語版も他言語版と同じルールを適用すべきであるとするIP利用者氏の主張を容れた場合、本稿のみならずありとあらゆる事件記事において容疑者・被告人の実名記載を許容することになります。それはこれまでの慣例はおろか WP:DP#B2 の内容とも全く相容れないものであるため、論ずるに値しない、ということです。どうしても他言語版との運用ルールの共通化を望むのであれば、WP:DP#B2 の禁則事項の一である「犯罪の被疑者名または被告名または元被告名」の廃止を成立させてからにしてください。
なお、「インナーサークルの取り決め」と形容された合意形成の必要性についてですが、WP:DP#B2 の末文に「いずれにしても、個人の実名や個人情報を含むという理由で削除依頼される可能性はありますので、実名などを記載する場合は該当記事のノートページなどであらかじめ他の利用者と話し合い、記載すべきかどうか十分に検討し合意をとりつけてください。」とちゃんと明記されています。すなわち、IP利用者氏が WP:DP#B2 をはじめとする方針文書にまともに目を通さないままクレームを展開していたものと疑わざるを得ない状況に至ったことを併せて指摘させていただきます。--MaximusM4会話2018年9月7日 (金) 06:45 (UTC)[返信]
だらかいきなり編集じゃなくここで提案しているんじゃないですか。強行編集なんかしていないじゃないですか。何を言ってるんだこの方は?そして日本語版のみが全世界の殆どの他国版とは全く違った基準で運用されていることをお認めになるのですね。日本語版だけが違うルールで運用されている弊害が多々出ている。それを良しとするインナーサークルが存在する。全て事実だったというわけです。--219.162.186.190 2018年9月7日 (金) 07:05 (UTC)[返信]
一握りのインナーサークルが慣例という明文化されていない曖昧なものを根拠に、世界中で運用されてい同じ明文化されたルールよりもそれを優先させた挙句、他の世界のほとんどの言語を「単純に他言語版の運用ルールにおいて実名記載のハードルが低い(無に等しい)ことによります」と言うのなら日本版が正しい世界が間違っているという主張なんでしょうか。元々のWikipediaのもとである英語版の運用ルールよりも日本語版の解釈と慣例のほうが正しいと声高く主張されるわけですか。--219.162.186.190 2018年9月7日 (金) 07:19 (UTC)[返信]
  • コメント 同一名称の方針において、他言語版と比較した場合内容の相違がある、あるいは異なる運用をされている、そのことは何ら問題ではない。そこを問題視しても何も始まらないし、誰も取り合わない、ましてや運用改定議論になど進展すべくもない。それだけの話です。余談ですが、たとえば英語版においては非ログイン利用者(IP利用者)の編集可能な名前空間など関するルールが日本語版と比較して大幅に厳しくなっています。その他各国版共通事項として、IP利用者やアカウント作成直後のログイン利用者は「半保護」という処理がされた記事の編集が不可能であり、ログイン利用者は作成から一定の日数を経ることで「自動認証された利用者」というフラグ付けがされてその制約から解放されるのですが、この日数についても各国版でそれぞれ異なります。IP利用者氏の場合、今回たまたま自分が望む方向性を日本語版独自のルール運用によって妨げられたためにそのような疑問を抱いたのでしょうが、各国版間でルール運用が異なるという事例は日本語版に限らずいくらでもあるのだ、ということなのですよ。--MaximusM4会話2018年9月7日 (金) 07:44 (UTC)[返信]

結局結論においてルールではかく日本語版の慣例だと言うことですか。慣例をインナーサークルで作って明文化せず明文化されてないルールにのっとって派閥争いを続けるのが日本語版ということですか。世界中で日本版だけが実名を禁止する今のルール運用がおかしいとは思いませんか?明文化された他のルールとごちゃまぜにされて言われても意味無いと思いますよ。明文化されたルールの運用は同一であるべきですよ。まして今回は本人が手記を書いているんですから。日本語版がどんどんガラパゴスな運用になりワールドワイドな運用から孤立していくのが正しいとは思えません。日本語版が慣例によりガラパゴスな運用なんだからルールの解釈もガラパゴスなんだそれに従えとうのはいかがなものか?それが正しいのかどうか?--219.162.186.190 2018年9月7日 (金) 08:20 (UTC)[返信]

それ言ったら、何でIP様はインナーに飛び込んでこないんですか? IP様も執筆などで活躍してもらえばインナーがたちどころにインナーでなくなる。過去に何回もIPさん(読者)たちに説明しているのでここでは詳細は申しませんが、この件に関してはすでに文章が用意されているんですねWP:DIG。読んでいただけるとありがたいです。--Triglav会話2018年9月7日 (金) 08:57 (UTC)[返信]
Wikipedia:削除の方針#B-2は明文化された方針です。ガラパゴスな運用が正しくないと仰る理由はなんでしょうか。--Miraburu会話 / 投稿記録 2018年9月7日 (金) 09:00 (UTC)[返信]
当てこすりとか皮肉言っても何も解決されません。ガラパゴスな運用が正しいとされる理由はなんでしょうとお聞きしているのに対して質問に質問で返す誤魔化し方も納得できるものではありません。何故同じルールで世界中で日本語版だけが運用が違いそれを正当化するのに慣例などというあやふやなものを用いられるのでしょう?普通に世界中で実名が記載され本人が手記まで書いているのに。繰り返しますが同じルールを日本語版のみ勝手に解釈を変えて運用しそれを慣例だからいいんだで通すのはいかがなものか?--219.162.186.190 2018年9月7日 (金) 09:43 (UTC)[返信]
インナーサークルの状態も見させてもらいました。派閥抗争の連続ですね。気に入らない意見を述べる人間を言葉尻を捕えて告発し追放し勢力争いを繰り返すばかり。そんなものに参加せずともここで要求されたルール通りに何故実名が禁止なのかをワールドワイドなルール上でちゃんと説明してくださればいいんですよ。何も明文化されていない慣例だとかじゃなくてね。--219.162.186.190 2018年9月7日 (金) 09:56 (UTC)[返信]
コメント いえ、生産活動に取り組む気がないという意思だけ確認できればそれで充分です。ありがとうございます。--Triglav会話2018年9月7日 (金) 12:08 (UTC)[返信]
繰り返しとなり恐縮ですが慣例ではなく明文化されたルールです。ガラパゴスな運用が正しい理由…を敢えて説明させて頂くとすれば、ウィキペディアの各言語版はそれぞれ異なった性質を持つプロジェクトであり、よってその言語版ごとの事情や考え方などを考慮に入れた上での運用が求められているためです。そうした背景を無視してワールドワイドなスタンダードこそが正しいという一点張りの主張を繰り返されましても対応しかねます。--Miraburu会話 / 投稿記録 2018年9月7日 (金) 10:58 (UTC)[返信]
本人が手記を公表し出版にも同意しているのにですか。それを本人が単独出版でなければ認められないというルールなんか何処にも明示されていません。また同じルールの文面で世界中のWikipediaとは別の運用をしているということも明言されたわけですが、同じ文面のルールで明文化されたルールと押し切るのならそう文面解釈した証拠をお示しください。一方的にインナーサークルで捻じ曲げた運用をしているだけじゃないですか?派閥争いをして反対者を些細なことで告発して追放して独裁を強いているのではないですか?同じ文面で日本語版のみその運用がされる根拠が一切示されていません。ローカルなルールの文面も示さず同じ文面で別の運用をするのはプロジェクト全体に対する反逆ではないですかね。日本語版は独自の道を進む宣言なんでしょうね。--219.162.186.190 2018年9月8日 (土) 05:28 (UTC)[返信]
積極的に実名を用いて活動している政治家・スポーツ選手・研究者・作家・芸術家・アーティスト・芸能人などの著名人を除き、本名(個人の実名)を含んでいたり、個人が特定できる記述が行われたページは、削除の対象になります。言語版ごとで運用を変えるのが問題であるというのは219.162.186.190様の個人的な解釈に過ぎないと申し上げています。219.162.186.190様のご主張は「ガラパゴスな運用は認められている」という前提が正しいと証明されていないことを根拠に誤りであると主張する典型的な「無知に訴える論証」に過ぎません。--Miraburu会話 / 投稿記録 2018年9月8日 (土) 06:28 (UTC)[返信]
積極的に実名を用いて活動している政治家・スポーツ選手・研究者・作家・芸術家・アーティスト・芸能人などの著名人を除き、本名(個人の実名)を含んでいたり、個人が特定できる記述が行われたページは、削除の対象になりますといっても実際、世界中の記事でこの人間の実名は表記されているわけです。「言語版ごとで運用を変えるのが問題である」ではなく、日本語版のみで、同じ文面のルール上で非掲載であるというのが現状で、これは日本語版が間違った運用がされているのではないかということです。ガラパゴスな運用が認められているから世界中のWikipediaと違って非掲載でもかまわないというのは、世界中同じ文面の基本的なWikipediaのルールをいくらでも解釈で改定し運用で改定できると宣言されたに等しいわけですね。また、この当人は手記を一般に発表しておりそれは出版までされているのに、それが当人名による単独著書でないから不可というのも全く合理性の無い話です。--219.162.186.190 2018年9月9日 (日) 00:59 (UTC)[返信]
この削除の方針にちゃんと記載されていますが、日本語版の場合は「個人の犯罪歴に関して、実名や個人が特定できる場合、ほとんどが削除の対象になります。これは、日本国では、元服役囚に、服役囚であった事実を公開されない権利を認める判例(最判平成6年2月8日民集48巻2号149頁など)があることに由来します(したがって日本に深い関係を持たない人物の場合は、別途、考慮が必要です)。 」とあります。ということは、この方針は日本語版のみで適用されるものであり、世界中の記事で実名表記されるのは問題はなく、逆に日本語版はこれを遵守しなければなりません。また、「個人の実名や個人情報を含むという理由で削除依頼される可能性はありますので、実名などを記載する場合は該当記事のノートページなどであらかじめ他の利用者と話し合い、記載すべきかどうか十分に検討し合意をとりつけてください。」とあり、IPユーザーさんがこれに従って提起した行為自体は問題ありませんが、上記の現状では記載が難しいとお考えいただいた方がよいかと思います。--Sammy Of Blue会話2018年9月9日 (日) 03:56 (UTC)[返信]
もう何度も指摘していますがこの記事の当事者は自筆の漫画と手記を書きそれは出版されています。それを創出版名で発刊したというだけで対象外と否定しているのが疑問。またこの記事の当事者は服役囚でも元服役囚でもありません。また上記複数の管理人氏のコメントでも慣例と言ったり慣例ではないと言ったり管理人相互においてすら意見の一致は無いのは明白ですし。--219.162.186.190 2018年9月9日 (日) 05:33 (UTC)[返信]
  • コメント コメント(インデント戻す) そもそも、IP利用者氏の主張、平たく申せば「(何をしたい、は分かるが)何に対して異を唱えているのか」が私を含む他利用者にはいまいち伝わっていないことが、どうにも話が噛み合わないまま徒に時間が過ぎノートが肥大化していっている要因のように思います。恐らく下記に示すいずれかには該当するでしょうから、選択肢から最も近似したもの(あるいは正鵠を射たもの)をお選びいただくことによって、まずご自身の主張の趣旨を明確にしていただければと思います。
  1. WP:DP#B2 の内容や実運用が他言語版のそれと異なることの正当性は認めるが、そのうち「慣習的に記述が認められている例」に該当するはずの本件において実名記載が認められないことは納得できない。
  2. WP:DP#B2 の内容や実運用が他言語版のそれと異なることはおかしい、百歩譲ってその正当性については認めざるを得ないとしても、「慣習的に記述が認められている例」に該当するはずの本件において実名記載が許容されないことは納得できない。
  3. WP:DP#B2 の内容や実運用が他言語版のそれと異なることがそもそもおかしいのであり、他言語版では認められている実名記載の妨げとなっているガラパゴス的な同方針文書は無条件で改定または廃止されるべきである。
  4. WP:DP#B2 の存在を踏まえても、本件被告人は事件の悪質性や社会への影響を踏まえオウム真理教の教祖・幹部信者と同様に特例扱いとして実名記載を許容すべきである。
  5. WP:DP#B2 の詳しい内容は知らないが、実名記載の妨げとなっているのであればそのような他言語版において許容されている編集を規制する邪魔なルールなど即刻改定または廃止すべきである。
ひとまず、ご自身の考えが1〜5のどれに該当するかのみで結構です。議論の円滑な進行のためご協力ください。--MaximusM4会話2018年9月9日 (日) 10:37 (UTC)[返信]
ならばまず、テロリストの定義を述べてください。テロリスト認定されることによってWikipediaによって踏みにじられることが許される人権の範囲も。オウムを例に出されているのでお聞きしますが、オウム事件において既に刑期を終えたものの実名掲載の基準はなんですが?起訴猶予者の実名すら掲載していますね。挙句無罪になった幹部ですらない人間の名前すら掲載してるのはなんででしょう?前提に出されているオウムですらこれだけの矛盾。まずはそれにお答えください。繰り返しますがこの事件の犯人は手記を発表しておりそれが印刷出版されております。この事件をテロリズムとは無関係とされたのもそちらですから。--125.200.252.4 2018年9月9日 (日) 22:57 (UTC)[返信]
ルール上の運用を守るべきです。もう何度も行っていますけど、本人の手記が出版されたのだから日本ローカルの法律問題もクリアされています。これを単著でないから不可というのがそもそも間違いなのだから記載可能とすべきです。よって、 WP:DP#B2 の内容や実運用が他言語版のそれと異なることは法律問題があるというのは認めますが、単著であることが条件などとはどこにもルールが無く、日本語版のみのインナーサークルな取り決めなのかと疑っております。またその運用が「慣習による」と書かれる管理者もいれば「慣習ではないルールだ」と主張する管理者もおられるわけです。そうかと思えば実際、テロリストを根拠に既に刑期を終えている人間や無罪の人間の実名まで記載していますし、長崎市長への襲撃でも本島市長への襲撃は実名記載され、伊藤市長への襲撃は未記載です。殺害されたのは伊藤市長のほうで市長選挙期間中でテロリズムと報道されたのにです。また、この事件をテロリズムではないとしている点もどうか?米国での銃乱射事件の記事は全て実名が記載されています。「手記は被告本人の著作ではありますが、『開けられたパンドラの箱』自体は月刊誌の『』の編集部編として出版されているものですから、この書籍は被告本人の自著ではありません」などと言うのは詭弁ではないでしょうか?実際、本人の手記が書かれ出版され広く一般に流通しているのだから。単著でなければ自著ではないとか何処にルールが書いてありますか?こんな運用を慣例として行っているのは日本語版だけなのでは?いや日本語版でも単著でない手記を根拠実名掲載されているものは宮崎勤などありますよね。これも死刑以前に実名表記に代わってますが?--58.90.66.217 2018年9月11日 (火) 05:18 (UTC)[返信]
  • コメント 現状の日本語版における WP:DP#B2 の内容には従っていただける、ということですね。少々安堵しました。しかしそうであれば尚更、WP:DP#B2 の末文にある「いずれにしても、個人の実名や個人情報を含むという理由で削除依頼される可能性はありますので、実名などを記載する場合は該当記事のノートページなどであらかじめ他の利用者と話し合い、記載すべきかどうか十分に検討し合意をとりつけてください。」を徹頭徹尾無視して、「削除されず、伝統的に認められている例(に本件は該当する)」のみをチェリーピッキングし続けるのはお止めになった方がよい。
前掲した文章の趣旨を簡単に言い表すなら「条件を満たすことが『記載してよい』を担保するものではありません。事前に合意形成してください」となります。すなわち、同じ条件を満たしているケースであっても記載可否の結論が異なったものになる可能性を否定していません (WP:SPEED)。言い換えれば、合意形成の段階に進んだ際の記載可否の判断において、過去の同様の事例などを踏まえて方針として明文化されてはいない内容(私はこのことを指して「慣例」と申し上げたのですが、何やら誤解されているご様子)を根拠に意見を述べることは方針に照らして問題ではない(ルールの範疇である)、ということです。もしこの私の見解に異を唱えるのであれば、本議論を一旦クローズして WP:DP#B2 における当該文言の改訂あるいは削除を提案すべきでしょう。
要するに、本件のこと実名記載の可否を巡る議論に限っていえば、「記載すべき」「記載すべきでない」とも誤りではありません。単純にIP利用者氏以外に実名記載を主張あるいは肯定している方が存在しない、すなわち善意に基く合意形成を旨とするウィキプロジェクトにおいて実名記載の提案は否決されたと看做される状況である、ということに過ぎないのです。--MaximusM4会話2018年9月11日 (火) 09:30 (UTC)[返信]
この記事の内容について申し上げているんですけど?過去の事例から手記がありそれが出版されていれば容認されているはずですが?それを単著なる意味不明な主張で否定されるのであれば宮崎勤を初め篠田と文通して出版された手記による実名表記は全部無効にすべきでしょう。編集強行なんかしてもいないし。過去の論議をもとにご提案しているのに対しありもしないルールをでっちあげて否定するのは詭弁ですね。ルール全体の改定を求めているわけでもないのでここでご返答をお待ちします。--58.90.66.217 2018年9月11日 (火) 09:58 (UTC)[返信]
  • コメント 「甲がこうなっているのだから乙もそうしないとおかしい」、そのロジックは WP:SPEED において明確に否定されています。ケースバイケースすなわち解釈の揺れが許容されるのがウィキペディアであり、また提案者がどれだけ自信を持って提案した内容であっても、他者から賛同を得られなければ自説を通すことは諦めていただく他ないこともまた然りです。その点をご理解いただけないことには、この議論を継続することはもちろん、IP利用者氏が今後ウィキペディア日本語版を含むウィキプロジェクトにおいて活動を継続することもまた困難でしょう。--MaximusM4会話2018年9月11日 (火) 12:24 (UTC)[返信]
より出版された『開けられたパンドラの箱』に被告本人の手記と漫画が掲載されているので、ケース B-2:プライバシー問題に関しては当てはまりません。本人が『開けられたパンドラの箱』を著し出版されたのですから「犯人または犯罪の被疑者・被告人・元被告人が、自著・刊行物などで公開し、本人による公開の意思が明らかに認められる実名」であり公開しても構わないものです。単著でなければ本人の著作でなくよって被告本人の自著ではないというルールは何処から出たものでしょうか?インナーサークルな場でのルールでしょうか?慣例でしょうか?最初から訪ねているこの疑問には一切答えず「他者から賛同を得られなければ自説を通すことは諦めていただく他ないこともまた然りです。その点をご理解いただけないことには、この議論を継続することはもちろん、IP利用者氏が今後ウィキペディア日本語版を含むウィキプロジェクトにおいて活動を継続することもまた困難でしょう」と自分たちの主張を通す為に反対者を追放してきた派閥抗争の理屈をここに出されて論議を打ち切ろうとするのも関心いたしません。世界中のWikipediaにおいて実名が掲載されており同じ出版社の同じ編集者篠田博之編集の出版物を根拠に宮崎勤やオウムの元信者の無罪になった女性の記事すら作成しているのにこれのみ実名不可。理由が本人手記だけど自著じゃないという意味不明のルールでは説明になっておらず、その疑問を塞ぐのに「「甲がこうなっているのだから乙もそうしないとおかしい」、そのロジックは WP:SPEED において明確に否定されています」を持ち出すに至っては噴飯ものです。実名記載を禁止する理由に全くなっておらず、結局手記発表以降の過去の特定版削除の判断が間違っていたことを認めたくないから詭弁を弄して実名記載を頑なに拒絶しているようにしか見えません。本人手記があるのに実名が不可とされる明白なルールをお示しください。無罪の人間すら実名記載を進めた中で何故でしょうね?--125.200.252.110 2018年9月12日 (水) 05:46 (UTC) コメント場所移動およびインデント修正--MaximusM4会話2018年9月12日 (水) 06:45 (UTC)[返信]
  • コメント 他者からの指摘を一切拒絶し、自分の言いたいことだけ主張し続けるのは「議論」ではありません。議論をするつもりのない方にこれ以上付き合うつもりもありません。説明すべきは全て説明しましたので、未だ疑問が解消しないのであればこの節の他利用者によるコメントを今一度虚心坦懐に熟読してください。最後に、私個人は「実名を書いてよい」自体を頭から否定しているわけではないことを念のため申し添えます。--MaximusM4会話2018年9月12日 (水) 06:45 (UTC)[返信]
コメント コメントを控えてきましたが、IP氏以外に肯定している方はいないとの意見がありましたのでコメントします。私自身は他の事件を含め、今まで同種の議論に参加したことはありませんし特に調べたわけでもありません。それゆえ、ケースごとの事情は一切分かりません。その上で私は、WP:DP#B2と照らし合わせても実名記載を認めても問題ないという意見を持っています。IP氏のおっしゃるとおり、単著でなければならないとの文言はありませんし、ここでの議論を拝見する限り、被告人が手記を出し、出版に同意した上でのものであるとのことですから、被告人は公開を認めているのだと私は判断しており、積極的に秘密にする理由は無いのではないか、と考えているのですがいかがでしょうか。しかし、個人のプライバシーが絡む問題ですから、慎重を期して合意を取り付けることが必要ということには間違いありません。--Sun250ba会話) 2018年9月11日 (火) 10:22 (UTC)修正--Sun250ba会話2018年9月11日 (火) 10:28 (UTC)[返信]
  • コメント 見通しの観点から、勝手ながらインデントを修正させていただきました。ご容赦ください。
本件に関しては、「実名を記載してよい」という結論は正しいのだからそれでよい、という話ではないと私自身は考えています。IP利用者氏の方針その他についての理解度が極めて危ういことはこれまで何度となく指摘してきた通りであり、そのような方がルール解釈についての軌道修正を行わないまま個人のプライバシーに関わる重要な提案を行うこと自体が適切でない、というのが私の立場です。言い換えれば、各種ルールについての理解が十分であると判断しうる利用者の方による提案であれば、ということであるとご理解いただければと思います。--MaximusM4会話2018年9月11日 (火) 12:24 (UTC)[返信]
結局そういった独裁をインナーサークルで続けていきたいだけなんですね。人を見下すことによってルール上許される範囲を逸脱して制限を加えたいだけで結果、論議からも逃げようとする。そしてIPなのでブロックもできないので論議そのものの終了をもって口を塞ごうとする。そのうえで自分の考えはそうではないと逃げもうつ。見苦しい限りです。結局は削除の対象とならない実名表記を虚偽のルールをでっちあげてまで拒絶したアルトクール氏の擁護の為に詭弁を弄して論議を打ち切り実名表記の口を塞ぐ。そういった管理者側の独裁的な態度が見えただけでも論議した価値があった。どうせこの後は、今まで反対者をコメント依頼ブロック依頼で口を閉ざしたのと同じ派閥闘争の見苦しい同類による投票にかけての論議の打ち切りでしょうから。どうぞご勝手に。次の段階にうつらさせていただきます。--125.200.252.110 2018年9月12日 (水) 07:47 (UTC)[返信]

本節議論の終了提案

議論開始より2週間余が経過しましたが、本件提案者であるIP利用者氏は他者からの指摘を一切容れることなく自説を繰り返し主張するのみであり、また明文化されていないルールは一切認めないとする頑なな態度を崩しておらず、WP:IDIDNTHEARTHAT の状態に陥っているものと判断せざるを得ません。また、同氏のウィキペディアにおける各種ルールへの理解には誤認や独善的な解釈が多々見受けられ、そのような危うい利用者の方が取り扱いには最大限の慎重を期すべき個人のプライバシーに関する重要な提案を行うこと自体が不適切であると考えます。従って、本節における議論は一度打ち切り、同様の意見をお持ちでかつウィキペディアにける各種ルールへの理解が十分であると判断しうる他の利用者の方による仕切り直しを待つべきであると考えます。本提案について賛否、あるいはその他の意見があればお聞かせいただければ幸いです。