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「吾平津媛」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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記紀は、古事記と日本書紀。
民族が天孫族というのはおかしい
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2018年8月9日 (木) 22:14時点における版

あひらつひめ

吾平津媛
時代 上古
配偶者 神武天皇(当時太子
子供 手研耳
(その他は#系譜参照)
父:火闌降(『古代豪族系図集覧』による)
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吾平津媛(あひらつひめ、生没年不詳)は、古代日本の人物。『古事記』では阿比良比売(あひらひめ)と記される。

日本書紀』によれば、日向国吾田邑出身である。

系譜

日本書紀』には両親兄弟についての記載はない。

古事記』によれば、兄は阿多の小椅君だったという。なお、『古代豪族系図集覧』によれば、兄に阿多小橋君の祖の天曽利がいる。

上述の「阿多の小椅君」は、『日本書紀』に火闌降の子孫としてみえる「吾田君小橋」と同一と思われる[1]。そのため、同じく『日本書紀』に火闌降の子孫としてみえる隼人との関連が指摘される[2]

系図

記録

日本書紀』によれば、神武天皇(当時太子)は神武東征を行う前、日向にいた時に吾平津媛を妃としたという。

脚注

出典

  1. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『吾田小橋』 - コトバンク
  2. ^ 喜田,p255-257「皇妃吾田吾平津媛」
  3. ^ 古代豪族系図集覧』。

参考文献

  • 近藤敏喬 編『古代豪族系図集覧』東京堂出版、1993年、6頁頁。ISBN 4-490-20225-3 
  • デジタル版 日本人名大辞典+Plus『吾平津媛』 - コトバンク
  • 喜田貞吉『日向国史 古代史』(東洋堂)