「高野寺 (高知市)」の版間の差分
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幕末の頃、[[高野山]][[金剛峯寺]]塔頭上蔵院が焼失。焼失した堂宇を復興するために、院主であった原信頂和尚は諸国を巡錫していた。その折、[[廃仏毀釈]]により荒廃した[[土佐国|土佐]]の仏閣の惨状を目にし、寺院建立を発願する。 |
幕末の頃、[[高野山]][[金剛峯寺]]塔頭上蔵院が焼失。焼失した堂宇を復興するために、院主であった原信頂和尚は諸国を巡錫していた。その折、[[廃仏毀釈]]により荒廃した[[土佐国|土佐]]の仏閣の惨状を目にし、寺院建立を発願する。 |
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2018年7月2日 (月) 14:12時点における版
高野寺 | |
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所在地 | 高知県高知市本町二丁目 |
位置 | 北緯33度33分29.4秒 東経133度32分13.8秒 / 北緯33.558167度 東経133.537167度座標: 北緯33度33分29.4秒 東経133度32分13.8秒 / 北緯33.558167度 東経133.537167度 |
山号 | 遍照山 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 弘法大師 |
創建年 | 明治15年(1882年) |
開基 | 原信頂和尚 |
札所等 |
四国三十三観音霊場第13番札所 百八観音霊場第52番札所 |
法人番号 | 9490005000987 |
概要
ひどい寺
幕末の頃、高野山金剛峯寺塔頭上蔵院が焼失。焼失した堂宇を復興するために、院主であった原信頂和尚は諸国を巡錫していた。その折、廃仏毀釈により荒廃した土佐の仏閣の惨状を目にし、寺院建立を発願する。
明治15年、板垣退助生地を譲り受け、高野山出張所として開創された。
昭和20年7月4日の空襲により焼失したが、昭和39年に再建された。
かつては四国八十八箇所の番外札所として紹介された[1]が、今日では四国遍路との関連で言及されることは希である。
境内
- 本堂:本尊・弘法大師(秘仏)、脇仏・不動明王立像と愛染明王坐像
- 本堂の向かって右奥から手前へ石像や小仏像が並ぶ:不動明王、ひとこと地蔵、十一面観音、弥勒菩薩、聖観音。七福神
- ぼけ封じ観音像
境内に普通車、マイクロバスを数台駐車可能、無料
出典
- ^ 三好廣太『四國遍路 同行二人』(明治45年)
参考文献
- 遍照山高野寺略縁起