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「ネヴィル・ブラザーズ」の版間の差分

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==メンバー==
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* '''アート・ネヴィル''' '''Art Neville''' (keyboards., vo.), [[1937年]][[12月17日]]
* '''アート・ネヴィル''' '''Art Neville''' (keyboards., vo.), [[1937年]][[12月17日]]
* '''チャールズ・ネヴィル''' '''Charles Neville''' (sax), [[1938年]][[12月28日]]〜[[2018年]][[4月26日]<ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201804280000351.html C・ネヴィル氏死去 米人気バンド、来日公演も]</ref>
* '''チャールズ・ネヴィル''' '''Charles Neville''' (sax), [[1938年]][[12月28日]]〜[[2018年]][[4月26日]]<ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201804280000351.html C・ネヴィル氏死去 米人気バンド、来日公演も]</ref>
* '''アーロン・ネヴィル''' '''Aaron Neville''' (vo., tambourine), [[1941年]][[1月24日]]
* '''アーロン・ネヴィル''' '''Aaron Neville''' (vo., tambourine), [[1941年]][[1月24日]]
* '''シリル・ネヴィル''' '''Cyril Neville''' (percussion, vo.), [[1948年]][[10月10日]]
* '''シリル・ネヴィル''' '''Cyril Neville''' (percussion, vo.), [[1948年]][[10月10日]]

2018年5月29日 (火) 00:22時点における版

ネヴィル・ブラザーズ
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ルイジアナ州 ニューオーリンズ
ジャンル R&B
ジャズ
活動期間 1977年-2012年
レーベル キャピトル・レコード
A&Mレコード
EMI
コロムビア・レコード
Back Porch
公式サイト The Neville Brothers
メンバー アート・ネヴィル
チャールズ・ネヴィル
アーロン・ネヴィル
シリル・ネヴィル

ネヴィル・ブラザーズThe Neville Brothers)はアメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズのネヴィル家4兄弟が1977年に結成したR&Bバンド

メンバー

全員ニューオーリンズ生まれ。アーロンの息子、アイヴァンがツアー・メンバーとして参加することもあった。

来歴

バンドの結成は1977年だが、それ以前に個々のメンバーは、既に充分な実績を積んでいた。最年長のアートは高校在学中にホーケッツに参加し、1954年に、"Mardi Gras Mambo"をリリースした[2]。このバンドにはアーロンとチャールズも後に加入している[2]。アートは1960年代半ばにはジョージ・ポーターJr.らとミーターズを結成。ニューオーリンズを代表するファンクバンドとして知られるようになった。ミーターズ後期には、シリルもメンバーに加わっている。

アーロンは、1966年に"Tell It Like It Is"をリリース。R&Bチャートのトップに登りつめる大ヒットを記録している。チャールズはデュードロップインのハウス・バンドとして活躍し、ジェイムズ・ブッカーアラン・トゥーサンヒューイ・"ピアノ"・スミスなど、大物たちとセッションを重ねた。

彼らがネヴィル・ブラザーズとして活動するきっかけとなったのは、1976年、彼らの伯父にあたるビッグ・チーフ・ジョリー率いるワイルド・チャピトゥーラスのバック・バンドを務めたことに始まる[2]。1977年には正式にネヴィル・ブラザーズとして活動を開始した[2]1978年、デビュー作『The Neville Brothers』をキャピトル・レコードからリリース。その後A&Mレコードに移籍し、1981年ベット・ミドラーとの仕事で知られるジョエル・ドーンをプロデューサーに迎えたアルバム『Fiyo on the Bayou』をリリースするが、評論家から高く評価された一方で売り上げは芳しくなく、A&Mとの契約はいったん解消される[2]

1987年EMIから発表した『Uptown』には、ブランフォード・マルサリスキース・リチャーズカルロス・サンタナ等がゲスト参加したが、ヒットには結びつかず、バンドはA&Mレコードに戻る。1989年のアルバム『Yellow Moon』は、ダニエル・ラノワがプロデュースを担当し、収録曲"Healing Chant"がグラミー賞ベスト・ポップ・インストゥルメンタル・パフォーマンス部門を受賞した[3]

1990年、映画『バード・オン・ワイヤー』のサウンドトラックにレナード・コーエンのカヴァー"Bird on a Wire"(コーエンのオリジナル・ヴァージョンのタイトルは"Bird on the Wire")を提供し[4]、この曲はニュージーランドのシングル・チャートで5位を記録した[5]1992年のアルバム『Family Groove』からの先行シングル"Fly Like an Eagle"(スティーヴ・ミラー・バンドのカヴァー)は、再びニュージーランドでトップ10ヒットとなり、最高8位を記録[6]

2000年頃からアートが体調を崩し、活動のペースが落ちるが、2004年に久々のアルバム『Walkin' In The Shadows Of Life』をリリース。健在ぶりをアピールする。チャールズを除き、3人の兄弟たちはニューオーリンズに住んでいたが、2005年ハリケーン・カトリーナによって、アーロンとシリルが自宅を失い、アーロンはナッシュビルに、シリルはオースティンに移住した。現在ニューオーリンズに住んでいるのはアートのみである。

アーロンは、被災後のニューオーリンズの大気汚染が持病の喘息に悪影響を与えるとの理由でニューオーリンズに戻っておらず、カトリーナ後ネヴィル・ブラザーズのニューオーリンズ公演は行われていなかった。かつて、彼らはニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルで、最終日のトリを務めていたが、カトリーナ後、2006年2007年は出演しなかった。2008年に被災後初めて出演[7][8]

2008年10月、彼らは約12年ぶりの来日公演を行った[9]2009年7月には、フジロックフェスティバルに初出演。豪雨の中、初日のホワイトステージのラストを飾った[10]

2012年8月1日、彼らはハリウッド・ボウルで「The Neville Brothers Farewell Tour」と銘打ったコンサートを行ったのを最後にバンドとしての活動を休止[11]。その後、アーロンがソロ活動に専念するためグループを脱退した。残る3人の兄弟はThe Nevilles名義で活動を続けている[12]

2015年5月2日、ニューオーリンズのシーンガー劇場で開催されたトリビュート・コンサート「ネヴィル・フォーエヴァー」において約3年ぶりに4人が同じステージに立ち、故郷でのフェアウェル・コンサートを実現させる形となった[13]

ディスコグラフィー

オリジナル・アルバム

編集盤など

  • 1986年 Treacherous - A History of the Neville Brothers 1955-1985 (Rhino)
  • 1991年 Treacherous Too! - A History of the Neville Brothers Volume Two 1955-1987 (Rhino)
  • 1997年 The Very Best of the Neville Brothers (Rhino)
  • 1999年 Uptown Rulin' - The Best Of The Neville Brothers (A&M)
  • 2004年 20th Century Masters: The Best of the Neville Brothers (A&M)
  • 2005年 Gold (Hip-O)
  • 2010年 Authorized Bootleg Warfield Theatre - San Francisco, CA- February 27, 1989 (Hip-O)

参考文献

脚注

外部リンク