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'''山田 覆面子'''(やまだ ふくめんし、[[1903年]]<ref name="『囲碁太平記』著者紹介">『囲碁太平記』著者紹介</ref> - 1989年11月2日<ref name="日外アソシエーツ現代人物情報">日外アソシエーツ現代人物情報</ref>)は、[[日本]]のジャーナリスト、[[囲碁]][[観戦記者]]、囲碁ライター。本名は虎吉<ref name="日外アソシエーツ現代人物情報 />で、本名での著作もある。 |
'''山田 覆面子'''(やまだ ふくめんし、[[1903年]]<ref name="『囲碁太平記』著者紹介">『囲碁太平記』著者紹介</ref> - 1989年11月2日<ref name="日外アソシエーツ現代人物情報">日外アソシエーツ現代人物情報</ref>)は、[[日本]]のジャーナリスト、[[囲碁]][[観戦記者]]、囲碁ライター。本名は虎吉<ref name="日外アソシエーツ現代人物情報" />で、本名での著作もある。 |
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== 略歴 == |
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愛媛県出身<ref name="日外アソシエーツ現代人物情報 />。 |
愛媛県出身<ref name="日外アソシエーツ現代人物情報" />。 |
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報知新聞大坂支局長、読売新聞大坂通信部長をへて、読売新聞文化部次長(昭和27年時点)<ref name="『囲碁太平記』著者紹介 />。 |
報知新聞大坂支局長、読売新聞大坂通信部長をへて、読売新聞文化部次長(昭和27年時点)<ref name="『囲碁太平記』著者紹介" />。 |
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1947年から1975年まで「覆面子」(六代目)のペンネームで読売新聞紙上や雑誌に囲碁観戦記、囲碁評論を執筆した<ref name="日外アソシエーツ現代人物情報" />。 |
1947年から1975年まで「覆面子」(六代目)のペンネームで読売新聞紙上や雑誌に囲碁観戦記、囲碁評論を執筆した<ref name="日外アソシエーツ現代人物情報" />。 |
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1969年に[[大倉喜七郎賞|大倉賞]]を受賞<ref name="日外アソシエーツ現代人物情報 />。 |
1969年に[[大倉喜七郎賞|大倉賞]]を受賞<ref name="日外アソシエーツ現代人物情報" />。 |
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息子に将棋観戦記者の[[山田史生]]。 |
息子に将棋観戦記者の[[山田史生]]。 |
2018年5月29日 (火) 00:19時点における版
山田 覆面子(やまだ ふくめんし、1903年[1] - 1989年11月2日[2])は、日本のジャーナリスト、囲碁観戦記者、囲碁ライター。本名は虎吉[2]で、本名での著作もある。
略歴
愛媛県出身[2]。
報知新聞大坂支局長、読売新聞大坂通信部長をへて、読売新聞文化部次長(昭和27年時点)[1]。
1947年から1975年まで「覆面子」(六代目)のペンネームで読売新聞紙上や雑誌に囲碁観戦記、囲碁評論を執筆した[2]。
息子に将棋観戦記者の山田史生。
著作
単著
- 囲碁太平記 山田覆面子 著 要書房 1952
- 代表的棋譜を中心にした囲碁の知識 山田覆面子 著 学風書院 1955
- 天才棋士の記録 : 現代名勝負160選 山田覆面子 著 誠文堂新光社 1978
共著・編著
- 碁に強くなる 藤沢秀行, 山田覆面子 (著) 報知新聞社 1963
- 名勝負は教える 坂田栄男, 山田覆面子 著 報知新聞社 1965
- 呉清源打込十番碁全集 全5巻 三堀将, 山田虎吉 編 講談社 1979