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「練習曲 (ドビュッシー)」の版間の差分

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'''ピアノのための12の練習曲'''(ピアノのためのじゅうにのれんしゅうきょく、{{lang-fr|''Douze Études pour piano''}})または単に'''12の練習曲'''(じゅうにのれんしゅうきょく、{{lang-fr|''Douze Études pour piano''}})は、[[クロード・ドビュッシー]]の最晩年のピアノ曲。[[1915年]]の8月から9月に作曲され、「[[フレデリック・ショパン|ショパン]]の追憶に ''À la mémoire de Chopin'' 」献呈された<ref>François Lesure著Claude Debussy, ISBN-13: 978-2252029817, Klincksieck (3 avril 1995) p.346</ref>。出版譜は第1部と第2部に分けられ、それぞれ6曲ずつで構成されている。作曲家の[[ジャン・バラケ]]は、第1部は「指の柔軟性とメカニズム」に、第2部は「響きとリズムの探究」に振り当てられていると註釈した。
'''ピアノのための12の練習曲'''(ピアノのためのじゅうにのれんしゅうきょく、{{lang-fr|''Douze Études pour piano''}})または単に'''12の練習曲'''(じゅうにのれんしゅうきょく、{{lang-fr|''Douze Études pour piano''}})は、[[クロード・ドビュッシー]]の最晩年のピアノ曲。[[1915年]]の8月から9月に作曲され、「[[フレデリック・ショパン|ショパン]]の追憶に ''À la mémoire de Chopin'' 」献呈された<ref>François Lesure著Claude Debussy, ISBN 978-2252029817, Klincksieck (3 avril 1995) p.346</ref>。出版譜は第1部と第2部に分けられ、それぞれ6曲ずつで構成されている。作曲家の[[ジャン・バラケ]]は、第1部は「指の柔軟性とメカニズム」に、第2部は「響きとリズムの探究」に振り当てられていると註釈した。


== 初演 ==
== 初演 ==

2018年5月11日 (金) 01:09時点における版

ピアノのための12の練習曲(ピアノのためのじゅうにのれんしゅうきょく、フランス語: Douze Études pour piano)または単に12の練習曲(じゅうにのれんしゅうきょく、フランス語: Douze Études pour piano)は、クロード・ドビュッシーの最晩年のピアノ曲。1915年の8月から9月に作曲され、「ショパンの追憶に À la mémoire de Chopin 」献呈された[1]。出版譜は第1部と第2部に分けられ、それぞれ6曲ずつで構成されている。作曲家のジャン・バラケは、第1部は「指の柔軟性とメカニズム」に、第2部は「響きとリズムの探究」に振り当てられていると註釈した。

初演

世界初演は、1916年11月21日にニューヨークのジョージ・コプランド1916年12月14日にパリのワルター・ルンメル、そして1917年11月10日にパリのマルグリット・ロンの三者によって分担して行われた。世界初録音は、それぞれ78回転のバラ売りではあるがアドルフ・ハリスによって1938年に達成された[2]

概要

音楽表現においてショパンがドビュッシーに影響を与えた明確な痕跡は全く認められないが、《12の練習曲》を作曲した時、ドビュッシーにとってその天才ポーランド人がやはり重要なお手本であったことは明らかである。実際、ピアニストすべての専門的な得意分野であり、完璧な音楽性の上に成り立つ驚くべき演奏会用作品となっているショパンの練習曲について、考えずにいられようか。ドビュッシーとショパンの練習曲が同等にみなされるのは、まさに後者においてである。ショパンの場合と同様に、ドビュッシーの練習曲は冷たく並外れた技巧(ヴィルテュオジテ)を要求するものではなく、教育的な役割を越えている。その練習曲は技巧的であるにもかかわらず良い音楽であり、人が受ける喜びを押し広げることにより、常に音楽と演奏の役割を果たしている。

ショパンとの比較はここで終える。と言うのはそれ以外に、ドビュッシーの練習曲は全く別の世界だからである。これらは彼のピアノ音楽の領域すべての集大成であり、そこへ入ることを可能にする鍵であり、その上「精神的」であると同時に技巧的な下書きに基づいている。彼はリズムや音の追究をいっそう先へ押し進め、視覚や和声的な感覚を発達させ、ついに調性の極限に到達する。この意味において、結局彼は20世紀音楽における先駆者の地位を獲得している。

運指について

初版の序文において、ドビュッシーは「指使いは自分で探すこと」と書いており、楽譜には運指は一切書かれなかった[3]。そのため、日本では(作曲家の意思を「尊重」するためか)ヘンレ版とペータース版以外の大部分の楽譜には運指が書かれておらず、弾き手にとっては問題となる(2007年、ショパン社から運指付きの楽譜(ISBN 4883642445)が出版された)。だが、ドビュッシーは第6曲において「親指は使わないほうがよい」と発言しており(下参照)、序文と矛盾している。

なお、マックス・レーガーも、《左手のための4つの練習曲》において同様の趣旨の発言をしている。

楽曲解説

  1. 下記において示された調性は便宜的なものである。ドビュッシーがこの曲集においても、機能和声法からしばしば離れ、しかも教会旋法を活用していることは言うまでもない。「十二音技法に発展していくシェーンベルクの調性の否定とは対照的に、ドビュッシーの世界は、全音階和声が持つ体系から絶対性を取り去ることによって浮上する、自由が支配している。主音の絶対性を弱め、時には消すことによって、全音階の支配下から軽く逃れている」内田光子によるCD[PHILIPS: 422 412-2]への序文から、ただし文面は適宜修正)
  2. 原題を直訳すると、「練習曲第○番 △△のために」となるが、ここでは番号を先に示すことから、「△△のための練習曲」と訳す。

第1部

  • 1. 《五本の指のための練習曲、チェルニー氏による Pour les ≪ cinq doigts ≫ d'apres monsieur Czerny》(ハ長調
チェルニーへのからかいが面白く、実際皮肉っぽい。そしてその通り、楽譜の最初からすぐにドビュッシーはド・レ・ミ・ファ・ソの上に「慎重に」と指示する配慮を行い、それに続いてすべてがバランスを崩し、そして不協和音やその他ドビュッシー風の突飛な音がおかしな混乱を引き起こし始める。チェルニーは、ドビュッシーがいたずらっぽく真似るチェルニーの厳しい技巧的な練習への軽蔑をはっきり聞き取り、動揺してしまう。
  • 2. 《三度のための練習曲 Pour les tierces》(変ロ長調
この練習曲では、連続した3度をとても速く弾かなければならない右手がとても難しくなる(それ故とても役立つのであるが)。曲はとても静かに始まり、次第に揺れ動くようになり、素っ気なく終わる。叙情的で官能的でさえある高まりがあるかと思うと、他方では暗く陰鬱なパッセージもある。
  • 3. 《四度のための練習曲 Pour les quartes》(ヘ長調
曲は東洋風な響きで構成され、その響きは思いがけない別の響きと連結し、更に「なめらか」で夢のようでさえもあるまた別の響きとも連結している。この練習曲を独特に表現する何かが、曲中を巧みに移り進んで行く。ドビュッシーは出版社に対して、この練習曲から「聞こえないもの」を見出すだろうと予告していた、という逸話がある。調性は更にかなり不明瞭である。
  • 4. 《六度のための練習曲 Pour les sixtes》(変ニ長調
ドビュッシーはこれらの6度について次のようなものだと言っていた。「気取った婦人たちは客間に座り、気違いじみた9度の破廉恥な笑いを妬みながら、不機嫌そうにタペストリーを織っている。」この練習曲の(9度たちは非常に動揺しているが、6度のための練習曲の)全体的に穏やかで優しく旋律が美しいという特徴は、前の(4度のための)練習曲とは対照的である。
  • 5. 《オクターヴのための練習曲 Pour les octaves》(ホ長調
非常に和声的に豊かできらめいていて喜びの性格を帯びた練習曲であり、いくつかのパッセージを過ぎると、むしろふざけるようにこの曲の場合も素っ気ないやり方で終わる。
  • 6. 《八本の指のための練習曲 Pour les huit doigts》(変ト長調
この練習曲についてドビュッシーが親指を使わないよう提案し、親指の使用は演奏を非常に困難にすると言ったことに、マルグリット・ロン自身は驚いた。この忠告は指の運動をより軽快に、より柔軟にするように思われる。実際、この練習曲は速い音符の連続であり、リムスキー=コルサコフの『熊蜂の飛行』を思わせる。
八本の指で行うアルペジオと、華麗なグリッサンドを要求される曲。ドビュッシーはこの曲を親指以外の4つの指で演奏することを推奨したが、マルグリット・ロンが親指を使った演奏を作曲者自身に披露した所、納得のいく出来だったことと、基本的に運指は演奏者自身に委ねると彼が公言していたため、親指を使った演奏が許されたというエピソードがある。

第2部

  • 7. 《半音階のための練習曲 Pour les degrés chromatiques》(調号はイ短調)
この練習曲では、32分音符の長い列が、調の規則正しく変化する控えめな主題の周りを回る。各音符をうまく捕らえようとすることは重要ではなく、むしろすべてを音の一つの連続として認識することが重要である。曲尾でイ短調であることが示唆される。
  • 8. 《装飾音のための練習曲 Pour les agréments》(ヘ長調
この練習曲についてドビュッシーは、これは「少しイタリア風な海の舟歌の形式を取り入れている」と言っていた。この曲はまた幻想曲あるいはアラベスクをも思わせ、技巧がしっかりしていて同時に洗練されている。
  • 9. 《反復音のための練習曲 Pour les notes répétées》(調号はト長調
滑稽な性格の練習曲であり、理論上ト長調は一瞬しか現れない。トッカータに似て、曲は鋭く攻撃的ないくつかのアタックから成っている。
  • 10. 《対比的な響きのための練習曲 Pour les sonorités opposées》(おおむね嬰ハ短調)
この練習曲はとりわけ、大胆なニュアンス、音色の重なり方、音の広がりの巧妙さや繊細さから、ドビュッシーのピアノ曲すべてのレパートリー中でも重要な曲の一つと考えられる。端的に言えば、完全に抑制された音響の芸術である。大胆な複調を53小節に行う。
  • 11. 《組み合わされたアルペッジョのための練習曲 Pour les arpèges composés》(変イ長調
きらめくような練習曲であり、ドビュッシーの旋律や和声に関する才能をよく示している。主要なテーマは、彩られて輝く一連の音符によって曲全体を通じて巧みに移動する。ドビュッシーはいつも安易な旋律を避け、聞き手を思いがけない音の世界へ誘うことを望んだ。
撤回された同名の別曲があり、「見出された練習曲 étude retrouvée」の名で出版された。
  • 12. 《和音のための練習曲 Pour les accords》(イ長調
強調された一連の不協和音によって始まるこの練習曲は、後に静かで空気のような展開へ導くいくつかの休符の断片が続き、改めてまた打楽器的な一連の和音によって終わる。目まぐるしい和音の交替があっても、曲頭と曲尾どちらもイ長調である。

備考

1951年に24歳のチャールズ・ローゼンが1951年にLPモノラル全曲録音を達成したことがわかっているが、これはミシェル・ベロフと並び今でも最年少録音記録である[4][5]。ローゼンは1961年にもステレオ録音の取り直しを行っている。

脚注

  1. ^ François Lesure著Claude Debussy, ISBN 978-2252029817, Klincksieck (3 avril 1995) p.346
  2. ^ 外部リンクによると、....The Études were not, it seems, often performed during the inter-war period. One major exception was Eduard Steuermann, who,encouraged by Arnold Schönberg, performed them at his recitals.Somewhat surprisingly, the first recording of the complete Études wasmade as early as February 1938 for Decca on 78 rpm discs by Adolph Hallis, a South African student of Tobias Matthay.....とある。ルンメルは全曲初演を切望していたが果たせなかった
  3. ^ ドビュッシーの迷惑な遺言"Quelques mots..."
  4. ^ 外部リンク
  5. ^ 外部リンク

参考文献

外部リンク