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「琉球の位階」の版間の差分

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2006年7月27日 (木) 15:07時点における版

琉球王国の位階(りゅうきゅうおうこくのいかい)は、1509年第二尚氏王統の第三代・尚真王の時代に制定された。九品十八階の等級からなり、身につける冠(ハチマチ)と簪(かんざし)の違いによって、等級が区別された。


位階制度表

身分 称号 品位 位階 久米村位階 簪(かんざし)
王族
王子 無品 王子 金簪 赤地金入
五色浮織冠
按司 按司 赤地五色浮織冠
黄地五色浮織冠
上級
士族
親方 正一品 紫地浮織三司官 紫地五色浮織冠

青地五色浮織冠

紫地浮織冠
従一品 三司官 紫冠
正二品 三司官座敷 三司官座敷
従二品 紫官 紫金大夫 花金
茎銀簪



親雲上

(総地頭)
(脇地頭)

里之子親雲上
(里之子家)

筑登之親雲上
(筑登之家)
(新参平民)

正三品 申口 銀簪 黄冠
従三品 申口座 申口座
正四品 吟味役
那覇里主
従四品 座敷 座敷
一般
士族
正五品 下庫理当
従五品 当座敷 当座敷
正六品 下庫理勢頭
従六品 勢頭座敷 勢頭座敷
正七品 里之子親雲上 里之子親雲上
従七品 筑登之親雲上 筑登之親雲上
通事親雲上
里之子 正八品 下庫理里之子 赤冠
従八品 若里之子 若里之子
通事
筑登之 正九品 下庫理筑登之
従九品 筑登之座敷 筑登之座敷
通事
無位 秀才 品外 青冠
緑冠
仁屋 仁屋 銅簪
若秀才
平民 町百姓(町民)、田舎百姓(農民)、筆算人(役人)

概要

王族

国王の親族で、九品十八階のさらに上位に位置し、最高品位の無品とされた。王子や按司は国王の親族のため、公平性を期すために、国政に直接携わる要職などにはつかず、儀典関係の閑職につくことが多かった。王子、按司は一間切(今日の市町村)を領地として与えられ、それぞれ、王子地頭、按司地頭と呼ばれた。一般にはこの二つを一括して、按司地頭と呼ぶ。王子、按司は、領地とする間切名から、宜野湾王子、本部按司などと呼ばれた。

  • 王子(オージ)
国王の子の称号。世子(世継ぎ)は、特に中城(ナカグスク)王子と呼ばれた。一代限りで、王子の子は按司になった。他に、功績のある按司は、破格の恩典として王子位を賜ることもあった。この場合は、従王子と呼ばれた。羽地朝秀1666年 - 1673年尚質王の摂政)などがその例である。赤地金入五色浮織冠を戴き、金かんざしを差した。
  • 按司(アジ)
王族のうち、王子に次ぐ位階で王子や按司の長男がなった。王家の分家であり、日本の宮家に相当する。按司は、大功があれば王子位に昇格することもあったが、少なければ士(サムレー)に降格された。赤地五色浮織冠か黄地五色浮織冠を戴き、金かんざしを差した。

上級士族

正一品から従四品までの士族は上級士族に相当する。士族のエリートで国政の要職を司った。親方は原則として一間切を領地として賜り、総地頭と呼ばれた。親雲上(ペークミー)は、間切内の一村を領地として賜り、脇地頭と呼ばれた。親方、親雲上(ペークミー)も、原則として領地名から、それぞれ浦添親方、知花親雲上などと呼ばれることが多かったが、そうでない場合もあった。

  • 親方(ウェーカタ)
士族の最高位で、国政の要職についた。親方位は世襲ではなく、功績のある士族が昇格して賜るものであったので、親方の子が親方になるとは限らなかった。王族が儀典関係の閑職につくのに対して、親方は政治の実務を担当し、投票で選ばれれば三司官(首相)に就くこともあった。紫冠を戴き、花金茎銀かんざしを差した。正二品以上に昇ると、金かんざしを差した。親方の邸宅は殿内(トゥンチ)と呼ばれた。王子から親方までは、それぞれ一間切の領主であったので、琉球では大名(デーミョー)と呼ばれた。
  • 親雲上(ペークミー)
琉球の士族は、一般に親雲上(ペーチン)と呼ばれたが、その中でも上級士族は、特に親雲上(ペークミー)と発音して区別された。親雲上(ペークミー)も世襲ではなく、努力次第でなることができた。さらに功績を積めば、親方位に昇格した。黄冠を戴き、銀かんざしを差した。

一般士族

正五品以下の士族は一般士族に相当する。五品、六品に昇るのにも大変な努力が必要であったが、さらに四品以上の上級士族に昇格するのは、困難を極めた。

一般士族には、里之子家(里之子筋目)と筑登之家(筑登之筋目)という二つの家格があった。里之子家は中級士族、筑登之家は下級士族に相当する。里之子家では、里之子里之子親雲上親雲上と出世していくのに対して、筑登之家では筑登之筑登之親雲上親雲上と出世していった。初位はいずれも子である。

里之子と筑登之の家格は固定したものではなく、筑登之出身であっても功績を積めば親方位まで昇ることができた。その場合、里之子家に昇格した。また里之子家も功績がなければ、筑登之家へと降格した。譜代とは古くからの士族の家柄、新参とは新たに士族になった家柄のことを言う。

  • 里之子親雲上(サトゥヌシペーチン)
里之子家の者が正七品に昇格すると、里之子親雲上の称号を賜った。黄冠を戴き、銀かんざしを差した。地頭職に任じられると、親雲上の称号を賜った。
  • 筑登之親雲上(チクドゥンペーチン)
筑登之家の者が従七品に昇格すると、筑登之親雲上の称号を賜った。黄冠を戴き、銀かんざしを差した。地頭職に任じられると、親雲上の称号を賜った。
  • 里之子(サトゥヌシ)
里之子家の者が八品に昇格すると、里之子の称号を賜った。赤冠を戴き、銀かんざしを差した。
  • 筑登之(チクドゥン)
筑登之家の者が九品に昇格すると、筑登之の称号を賜った。赤冠を戴き、銀かんざしを差した。
  • (シー)
譜代の子弟で、無位の者を子と称した。元服すると赤冠を戴き、銀かんざしを差した。
  • 仁屋(ニヤ)
新参士族の子弟で、無位の者を仁屋と称した。銅かんざしを差した。元服すると緑冠を戴いた。上級平民(村役人など)の子弟で無位の者も同じく仁屋と称した。

平民

  • 百姓(ヒャクショウ)
琉球では、平民一般を百姓と呼んだ。町民は町百姓、農民は田舎百姓というふうに呼ばれた。田舎百姓のうち、村役人に取り立てられた者は筆算人と呼ばれた。

関連事項