コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「オルホノド・ダイチン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Kei87c1 (会話 | 投稿記録)
カテゴリーを追加した。
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m cewbot: ウィキ文法修正 2: <br/>タグの違反
1行目: 1行目:
{{Infobox 人物
{{Infobox 人物
|氏名 = オルホノド・ダイチン
|氏名 = オルホノド・ダイチン
|ふりがな = <small>おるほのど だいちん</small></br><small>Олхунууд Дайчин</small></br><small>Olhunud Daichin</small>
|ふりがな = <small>おるほのど だいちん</small><br /><small>Олхунууд Дайчин</small><br /><small>Olhunud Daichin</small>
|画像 = Anti-Chinese government rally on 6 November 2010 at Hibiya 01.jpg
|画像 = Anti-Chinese government rally on 6 November 2010 at Hibiya 01.jpg
|画像サイズ =
|画像サイズ =
7行目: 7行目:
|出生名 =
|出生名 =
|生年月日 = {{Birth year and age|1966}}
|生年月日 = {{Birth year and age|1966}}
|生誕地 = [[File:Holy Blue Sky.PNG|30px]] [[南モンゴル]]</br>{{CHN}}[[内モンゴル自治区]]
|生誕地 = [[File:Holy Blue Sky.PNG|30px]] [[南モンゴル]]<br />{{CHN}}[[内モンゴル自治区]]
|没年月日 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} -->
|没年月日 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} -->
|死没地 =
|死没地 =
13行目: 13行目:
|別名 =
|別名 =
|出身校 = [[内モンゴル師範大学]]
|出身校 = [[内モンゴル師範大学]]
|職業 = [[人権活動家]]</br>[[社会活動家]]
|職業 = [[人権活動家]]<br />[[社会活動家]]
|団体 =[[モンゴル自由連盟党]]代表
|団体 =[[モンゴル自由連盟党]]代表
|活動期間 =
|活動期間 =

2018年3月29日 (木) 00:21時点における版

おるほのど だいちん
Олхунууд Дайчин
Olhunud Daichin

オルホノド・ダイチン
「拉致被害者奪還!」垂幕の下に着席の人物
生誕 1966年(58 - 59歳)
南モンゴル
中華人民共和国の旗 中国内モンゴル自治区
出身校 内モンゴル師範大学
職業 人権活動家
社会活動家
団体 モンゴル自由連盟党代表
テンプレートを表示


オルホノド・ダイチンモンゴル語: Олхунууд Дайчин[1] Olhunud Daichin1966年 - )は、モンゴル族中国からの独立を訴える社会活動家人権活動家モンゴル自由連盟党幹事長[2]自由モンゴル編集長[2]

略歴

2006年モンゴル自由連盟党を結成する[2]2010年11月6日尖閣諸島抗議デモの一環として田母神俊雄が主催した「自由と人権アジア連帯集会」で演説を行った[3]。日本国内では日本ウイグル協会などと協力して人権・環境保護運動を行うほか、講演活動[4][5][6]や抗議デモ[7]、メディア出演や著述活動などで南モンゴルの現状を伝えている。 2017年6月1日、中国文化革命期の南モンゴル(内モンゴル自治区)における虐殺をユネスコ記憶遺産に申請することを「クリルタイ」(世界南モンゴル会議)の一員として参議院議員会館にて発表した[8][9][10]

共著

  • 潮匡人西村幸祐河添恵子いしゐのぞむイリハム・マハムティ、オルホノド・ダイチン、ペマ・ギャルポ黄文雄石平『日本の国益―野蛮・中国に勝つための10の論点』幸福の科学出版、2012年12月1日。ISBN 978-4863952898 

脚注

  1. ^ Өмнөд монголын эрх чөлөөний тэмцлийн хөдөлгөөний утга чанар | Монголын эрх чөлөө холбооны нам (モンゴル語)
  2. ^ a b c 【行方不明】「モンゴル民族政治囚」ハダ氏・釈放の実態”. 日本文化チャンネル桜 (2011年1月9日). 2011年1月21日閲覧。
  3. ^ 【頑張れ日本】11.6 自由と人権アジア連帯集会・記者会見[桜H22/11/8]”. 日本文化チャンネル桜 (2010年11月8日). 2010年12月14日閲覧。
  4. ^ “「政治家91人、中国の人権弾圧に抗議”. 週刊新潮. (2012年4月19日). https://yoshiko-sakurai.jp/2012/04/19/3702 2018年3月15日閲覧。 
  5. ^ “「未婚女性は30万人から50万人ぐらいが中国に強制連行された…」 ウイグル人らが人権弾圧の実態を報告(詳報)”. SankeiBiz. (2017年5月26日). https://www.sankeibiz.jp/macro/news/170526/mcb1705262248034-n1.htm 2018年3月15日閲覧。 
  6. ^ “China’s ‘New Human Rights Violations’ Condemned by Baluchistan Leaders at Tokyo Symposium”. Japan Forward. (2017年6月6日). https://japan-forward.com/chinas-new-human-rights-violations-condemned-by-baluchistan-leaders-at-tokyo-symposium/ 2018年3月15日閲覧。 
  7. ^ “「ウルムチから1万人消えた」「拘束ウイグル人を返せ」 在日ウイグル、チベット、モンゴル人らが中国大使館に抗議デモ”. 産経新聞. (2017年7月8日). http://www.sankei.com/world/news/170708/wor1707080038-n1.html 2018年3月15日閲覧。 
  8. ^ “中国文革期の虐殺をユネスコ記憶遺産申請へ 「『モンゴル人だから』で虐殺」 世界南モンゴル会議が発表”. 産経新聞. (2017年6月1日). http://www.sankei.com/politics/news/170601/plt1706010057-n1.html 2018年3月15日閲覧。 
  9. ^ “南モンゴル(内モンゴル自治区)におけるジェノサイドをユネスコ記憶遺産登録へ 三浦小太郎(評論家)”. やまと新聞社. (2017年5月23日). https://www.yamatopress.com/others/27340/ 2018年3月15日閲覧。 
  10. ^ “南モンゴルクリルタイ(世界南モンゴル会議)代表 テムチルト氏(ドイツ在住)来日記者会見のお知らせ”. 南モンゴル自由民主運動基金. http://smldf.org/?p=724 2018年3月15日閲覧。 

関連項目

外部リンク