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=== プロ入り前 ===
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小中学時代は主に[[外野手]]を務め、[[北海道函館工業高等学校]時代から本格的に投手に転向。高校3年春は全道大会準優勝。高校3年夏は南北海道大会ベスト4。
小中学時代は主に[[外野手]]を務め、[[北海道函館工業高等学校]]時代から本格的に投手に転向。高校3年春は全道大会準優勝。高校3年夏は南北海道大会ベスト4。


[[八戸学院大学]]に進学し、大学通算20勝無敗の成績を挙げた。[[2005年]]の[[明治神宮野球大会]]代表決定戦では、エースとして同期入団の[[松崎伸吾]](当時、[[東北福祉大学硬式野球部|東北福祉大]]のエース左腕)と投げ合い、延長10回の末、6-5で東北福祉大が勝利。[[2005年]]の[[2005年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|大学生・社会人ドラフト会議]]で[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]から3巡目指名を受け入団。
[[八戸学院大学]]に進学し、大学通算20勝無敗の成績を挙げた。[[2005年]]の[[明治神宮野球大会]]代表決定戦では、エースとして同期入団の[[松崎伸吾]](当時、[[東北福祉大学硬式野球部|東北福祉大]]のエース左腕)と投げ合い、延長10回の末、6-5で東北福祉大が勝利。[[2005年]]の[[2005年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|大学生・社会人ドラフト会議]]で[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]から3巡目指名を受け入団。

2018年3月1日 (木) 00:09時点における版

青山 浩二
東北楽天ゴールデンイーグルス #41
東京ドームにて(2016年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道函館市
生年月日 (1983-08-12) 1983年8月12日(41歳)
身長
体重
180 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト3巡目
初出場 2006年3月25日
年俸 6,000万円(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

青山 浩二(あおやま こうじ、1983年8月12日 - )は、北海道函館市出身のプロ野球選手投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。

経歴

プロ入り前

小中学時代は主に外野手を務め、北海道函館工業高等学校時代から本格的に投手に転向。高校3年春は全道大会準優勝。高校3年夏は南北海道大会ベスト4。

八戸学院大学に進学し、大学通算20勝無敗の成績を挙げた。2005年明治神宮野球大会代表決定戦では、エースとして同期入団の松崎伸吾(当時、東北福祉大のエース左腕)と投げ合い、延長10回の末、6-5で東北福祉大が勝利。2005年大学生・社会人ドラフト会議東北楽天ゴールデンイーグルスから3巡目指名を受け入団。

プロ入り後

2006年、ルーキーながら開幕一軍入りし、主に中継ぎとして活躍。特に先発が早く降板した試合ではロングリリーフも務めた。交流戦終了時にはチームトップの34試合に登板。5月31日阪神タイガース戦でプロ初勝利を挙げた。阪神リードで8回裏2死から登板し、4球しか投げなかったが、9回に味方が逆転したため勝利投手となった。その後、不調となり8月上旬に二軍降格。9月下旬に再び一軍に合流し、最終戦に中継ぎで登板。11月1日、仙台市内の病院で秋季キャンプ練習中に傷めた右膝(半月板損傷)の手術を受けた。

2007年、開幕ローテーション入りを果たし、開幕2戦目の西武ライオンズ戦に先発し、6回1失点に抑えて先発での初勝利を挙げ、当時の監督の野村克也からは「今年は青山がエース」と言われた。5月7日には、北京オリンピックアジア予選日本代表第一次候補に選出される(最終メンバーには入れず)と、5月13日のオリックス・バファローズ戦では、初完投、初完封、初無四球試合を記録。しかし、その後は9試合で1勝7敗と不調に陥り、中継ぎに降格。7月下旬には二軍に降格し、9月下旬に再び一軍に合流した。しかし4勝8敗と期待されたほどの成績は残せなかった。

2008年、前年の抑え投手の小山伸一郎が出遅れ、開幕から抑えを任されたドミンゴが連続してリリーフに失敗したことから抑え投手に抜擢され、3月30日の日本ハム戦でプロ初セーブを挙げた。しかし4月後半からは安定感を欠き、抑えを小山に譲ると、夏場以降は中継ぎと谷間の先発をスクランブルに担った。

2009年、故障により出遅れる。5月19日の昇格後は抑えを務めるが、6月後半に失速し、7月からは日本球界に復帰した福盛和男が守護神で固定された。以降は中継ぎを務めていたが、7月中盤には二軍降格。9月の再昇格後は先発として起用され、楽天のチーム史上初となるCS進出を決めた10月3日の西武戦(Kスタ宮城)で先発して3本の本塁打を打たれるも打線の大量援護により9回5失点で2年ぶりの完投勝利を挙げた[2]。またこの年の7月に高校時代の同級生の女性と結婚した。

2010年3月31日千葉ロッテマリーンズ戦で先発するが、左脇腹痛を起こしわずか2球で降板した[3]。先発投手が2球で降板は球団の最短記録である(先頭打者の西岡剛との対戦がカウント1ボール1ストライクで完了する前に降板したため、対戦打者数は0人)。復帰後は中継ぎで起用され、安定感のあるピッチングが続いたためセットアッパーに定着し、片山博視小山伸一郎との勝利の方程式スリーマウンテンズ」の一角を担った。この年は41試合に登板し、自己最多の5勝、チーム最多タイの15ホールドポイント、防御率1.72と過去最高の成績を残した。

2011年、開幕当初は先発で、開幕カードでも先発登板したが結果を残せず中継ぎに戻った。二軍降格を経験するなど、前年ほどの安定感は見られなかったものの51試合に登板し、3勝4敗2セーブ、チームトップの26ホールドポイント、防御率2.79を記録した。

2012年3月18日、横浜スタジアムにて

2012年、キャンプではダレル・ラズナーからの守護神の奪還を目標に掲げ[4]、5月からはそのラズナーの故障により抑えのポジションに定着。同9日から15日にかけて6試合連続セーブの日本タイ記録を達成、初の月間MVPにも選ばれた。オールスターにも監督推薦で初出場した。そのままシーズンを通して抑えを務め、チーム最多の61試合に登板。2006年に福盛和男が挙げた21セーブを超える22セーブを挙げて球団記録を更新した[5]

2013年、抑えとして起用されるが、5月中旬から不安定な投球が続き、5月の後半からはラズナーと役割が入れ替わり中継ぎとして起用されるようになる。その後は6月12日~8月3日まで16試合連続無失点を記録するなど、セットアッパーとして復調。この年も60試合に登板し、2年連続の60試合登板と監督推薦でのオールスター出場を果たした。しかしシーズン終盤は再び不調に陥り、日本シリーズでは怪我のためベンチ入り出来なかった。オフの契約更改では登板数を評価され、年俸は大台となる1億円となった。

2014年、キャンプでは守護神争いに加わるも、開幕メンバーに入ることができなかった。一軍昇格後は中継ぎとして起用されたものの、5月に入ると乱調が続き二軍落ちとなる。また、セットアッパーとして福山博之が台頭したこともあり、再昇格した6月28日には自身3年振りとなる先発登板を経験。6試合に先発するも、味方の援護に恵まれず先発での勝ち星は挙げられなかった。8月に再び二軍へ降格となり、最終的な登板数はプロ入り最少となった。また、この年はソフトバンクから加入したブライアン・ファルケンボーグが抑えとして加入した影響もあり、2007年以来のセーブ数0に終わる。

2015年、守護神奪回をテーマに掲げたが、首脳陣の意向により抑えは松井裕樹で固定されることとなった。セットアッパーとして開幕を迎えると、序盤こそ固め打ちを許したものの5月以降は安定。9月28日に降格するまで、ほぼシーズンを通してブルペンを支えた。自身最多タイとなる61試合に登板し、WHIPも初めて1を切るなどリーグ2位タイの35ホールドポイントをマーク。これは前年に福山博之が記録した27HPを上回り、球団新記録となった。また、6月28日には通算400試合登板、9月14日には通算100ホールドをそれぞれ記録し、海外FA権も取得。球団創設時のメンバーで、唯一投手の現役であった小山伸一郎がこのシーズン限りで引退となったことにより、生え抜き投手では最年長となった。

2016年、主に8回のセットアッパーを任される。しかし、開幕3戦目となる3月27日の福岡ソフトバンクホークス戦で延長10回に登板すると、2/3イニングを5失点と打ち込まれ、敗戦投手となった。他のリリーフ陣も不調に陥っていたため、その後も接戦で起用されるが、安定感を欠く登板が続き、6月15・16日の読売ジャイアンツ戦では2試合連続で救援に失敗。前半戦だけで5敗、防御率は6.39と期待に応えられず、前半戦終了と共に2軍降格となった。その後ファームでは8試合を無失点と、復調の兆しが見えたことで8月19日に再昇格。9月は登板した全13試合を無失点に抑えるなど、15試合連続無失点のままシーズンを終えるが、終盤は敗戦処理や大差での登板が主であった。オフに海外FA権は行使せず、楽天の残留を表明[6]

2017年、開幕一軍を逃す。4月に昇格するも、乱調が続き3試合の登板で降格。その後は3か月近くをファームで過ごしたため、キャリア最少の登板となった。それでも再昇格となった7月27日以降は14試合連続無失点に抑えるなど、終盤にかけて復調。10月9日には史上99人目、球団の生え抜きでは初となる500試合登板を達成した。

選手としての特徴

最高球速151km/h、平均球速約143km/h[7]のストレート、縦のスライダーを投球の軸とする本格派リリーフ右腕。毎年この2球種で投球全体の8割以上を占めている[8]

変化球はその他にフォーク、シュート、カーブを駆使する。

特にスライダーのキレには定評があり[9]、被打率は2011年に.156[10]、2012年に.157[11]、2013年に.153[12]、2015年に.118[13]を記録するなど、投球の生命線となっている。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2006 楽天 42 2 0 0 0 1 3 0 4 .250 305 65.2 90 6 18 1 3 46 6 0 48 43 5.89 1.64
2007 26 12 1 1 1 4 8 0 0 .333 385 84.2 101 10 33 0 4 62 1 0 54 44 4.68 1.59
2008 41 6 0 0 0 3 8 4 5 .273 348 78.2 86 8 26 0 4 61 3 0 39 34 3.89 1.42
2009 28 6 1 0 0 3 5 5 2 .375 281 62.1 70 10 25 1 4 53 1 0 43 38 5.49 1.52
2010 41 1 0 0 0 5 1 1 15 .833 217 52.1 48 2 14 0 0 63 1 0 13 10 1.72 1.19
2011 51 2 0 0 0 3 4 2 23 .429 290 71.0 58 4 23 2 3 64 3 0 23 22 2.79 1.14
2012 61 0 0 0 0 5 4 22 2 .556 260 64.2 48 2 19 0 4 54 1 0 18 18 2.51 1.04
2013 60 0 0 0 0 3 5 11 17 .375 263 60.1 61 6 20 2 1 60 3 0 24 23 3.43 1.34
2014 22 6 0 0 0 1 4 0 1 .200 230 52.2 52 6 20 0 2 49 3 0 30 26 4.44 1.37
2015 61 0 0 0 0 4 5 0 31 .444 223 57.2 37 3 18 1 1 58 2 0 18 18 2.81 0.95
2016 50 0 0 0 0 1 5 0 14 .167 227 50.1 53 5 24 0 0 46 3 0 29 27 4.83 1.53
2017 17 0 0 0 0 1 1 0 3 .500 68 15.2 12 1 6 0 3 16 0 0 4 4 2.30 1.15
通算:12年 500 35 2 1 1 34 53 45 117 .391 3097 716 716 63 246 7 29 632 27 0 343 307 3.86 1.34
  • 2017年度シーズン終了時

表彰

記録

初記録
節目の記録
  • 100ホールド:2015年9月14日、対埼玉西武ライオンズ23回戦(コボスタ宮城)、8回表2番手で救援登板、1回無失点
  • 500試合登板:2017年10月9日、対北海道日本ハムファイターズ25回戦(Koboパーク宮城)、8回表3番手で救援登板、1回無失点 ※史上99人目
その他の記録

背番号

  • 41 (2006年 - )

登場曲

脚注

  1. ^ 楽天 - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2016年11月19日閲覧。
  2. ^ “青山143球!完投で3勝目”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2009年10月3日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/10/03/kiji/K20091003Z00001630.html 2013年11月5日閲覧。 
  3. ^ “初回緊急リリーフ!長谷部が初勝利”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年4月1日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/04/01/kiji/K20100401Z00002100.html 2013年11月5日閲覧。 
  4. ^ “楽天青山抑え宣言、ラズナーから奪いたい”. 日刊スポーツ. (2012年2月14日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120214-903535.html 2012年9月15日閲覧。 
  5. ^ “楽天 勝率5割復帰!牧田先制2ラン 青山球団新22S”. Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年10月6日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/10/06/kiji/K20121006004272930.html 2012年10月8日閲覧。 
  6. ^ “「楽天イーグルスが好き」青山残留表明 聖沢に続いた”. スポニチアネックス. (2016年11月10日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/11/10/kiji/K20161110013696840.html 2016年11月10日閲覧。 
  7. ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、67頁頁。ISBN 978-4-905411-04-8 
  8. ^ データで楽しむプロ野球 http://baseballdata.jp/playerP/600042_4.html
  9. ^ Yahoo!テキスト速報での二つ名は「局面打開のスライダー」。
  10. ^ データで楽しむプロ野球 http://baseballdata.jp/pc/2011/playerP/600042.html . 2016年10月9日閲覧。
  11. ^ データで楽しむプロ野球 http://baseballdata.jp/pc/2012/playerP/600042.html . 2016年10月9日閲覧。
  12. ^ データで楽しむプロ野球 http://baseballdata.jp/pc/2013/playerP/600042.html . 2016年10月9日閲覧。
  13. ^ データで楽しむプロ野球 http://baseballdata.jp/pc/2015/playerP/600042.html . 2016年10月9日閲覧。

関連項目

外部リンク