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*[http://www.aozora.gr.jp/cards/001237/card46346.html フランシス・ファーセラス・チャーチ「サンタクロースはいるんだ」](大久保ゆう訳:[http://www.aozora.gr.jp/ 青空文庫]) |
*[http://www.aozora.gr.jp/cards/001237/card46346.html フランシス・ファーセラス・チャーチ「サンタクロースはいるんだ」](大久保ゆう訳:[http://www.aozora.gr.jp/ 青空文庫]) |
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*[http://storytellerbook.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/1897_9263.html 「サンタクロースはいるんだ!(1897年ニューヨーク・サン誌)」の朗読](佐々木健朗読:[http://storytellerbook.cocolog-nifty.com/blog/ STORYTELLER BOOK]) |
*[http://storytellerbook.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/1897_9263.html 「サンタクロースはいるんだ!(1897年ニューヨーク・サン誌)」の朗読](佐々木健朗読:[http://storytellerbook.cocolog-nifty.com/blog/ STORYTELLER BOOK]) |
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2018年1月29日 (月) 00:00時点における版
ローラ・ヴァージニア・オハンロン(Laura Virginia O'Hanlon、1889年7月20日 - 1971年5月13日)はアメリカ・ニューヨーク出身の女性。1897年にアメリカの新聞『ザ・サン』に掲載された「サンタクロースは実在するのか」という社説の元になった手紙を送った人物として知られる。
生涯
ニューヨークのマンハッタンで医者のフィリップと教師のローラの間に生まれる。
8歳の時、学校で「サンタクロースはいる、いない」ということで友達と口論になった。家に帰って父親に尋ねると、父親は「サン新聞に問い合わせてごらん」とすすめたため、彼女は「サンタクロースっているんでしょうか?」という旨の質問をザ・サンに送った。当時記者だったフランシス・P・チャーチは、これに返答する形で社説を書き、1897年9月21日の新聞に掲載された。その中の「Yes, Virginia, there is a Santa Claus(そうです、ヴァージニア。サンタクロースはいるのです)」という一節は、世界的に有名になった。
1910年のエドワード・ダグラスとの結婚は、娘が生まれる前にダグラスがヴァージニアを捨てて去り、あっけなく終わった。1930年合衆国国勢調査(英語版)では、離婚したものとして記載されたが、その後も「ローラ・ヴァージニア・オハンロン・ダグラス」として別れた夫の姓を名乗った[1]。
ヴァージニアは1910年にハンターカレッジから文学士、1912年にコロンビア大学から教育学修士を得たのち、フォーダム大学から博士号を取得した。ヴァージニアはニューヨーク市の学校教員となった。1912年に教職に就き、1935年に副校長となり、1959年に退職した[2] 。
ヴァージニアは生涯を通じて、手紙についての問い合わせを常に受けた。彼女はその返事に、新聞記事の写しを含めていた[3]。後年のインタビューで、手紙と新聞記事が人生の方向をきわめてはっきり決めたと認めている[4] 。
2012年12月、ニューヨーク州オールバニーのラジオ局WGNA-FM(英語版)は、ヴァージニアが亡くなる2年前の1969年のクリスマスイブに最後にサンタと会っている未公開の写真を入手した[5]。
ヴァージニアは1971年5月13日に、ニューヨーク州ヴァレイシー(英語版)の療養所で81歳で亡くなった[6]。ニューヨーク州チャータム(英語版)の墓地に埋葬されている[7]。
死去に際して『ニューヨーク・タイムズ』は「サンタの友だち ヴァージニア」という記事を掲載し、「アメリカのジャーナリズムにおいて最も有名な社説が書かれるきっかけとなった、かつての少女」として、その死を悼んだ[6]。
脚注
- ^ Campbell, W. Joseph (Spring 2005). “The grudging emergence of American journalism's classic editorial: New details about 'Is There A Santa Claus?'”. American Journalism Review (University of Maryland, College Park: Philip Merrill College of Journalism) 22 (2) 2007年10月29日閲覧。.
- ^ “Virginia, Now 70, Quits As Teacher; School Principal Who at 8 Asked 'Is There a Santa?' Is a Guest at Dinner” (Abstract of subscription PDF). The New York Times. (1959年6月12日) 2007年10月29日閲覧. "Mrs. Laura Virginia Douglas, retiring after forty-three years as a public school teacher and principal, was given a farewell dinner by her colleagues last night at the Towers Hotel in Brooklyn."
- ^ Morrison, Jim "Santa Junior". “Yes, Virginia, there is a Santa Claus”. National Christmas Centre, Exhibits. National Christmas Centre. Dec 27, 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年11月13日閲覧。 “Throughout her life she received a steady stream of mail about the letter, and to each reply she attached an attractive printed copy of the editorial.”
- ^ “Yes Virginia — 66 years later”. Canadian Broadcasting Corporation. (Dec 24, 1963). オリジナルのJune 5, 2008時点におけるアーカイブ。 2010年3月1日閲覧。
- ^ “Decades Later, Santa Claus Visits Author of Iconic ‘Yes Virginia’ Letter”. Townsquare Media (2012年12月11日). Dec 25, 2013閲覧。
- ^ a b “Virginia O'Hanlon, Santa's Friend, Dies; Virginia O'Hanlon Dead at 81” (Abstract of subscription pdf). The New York Times. (1971年5月14日) 2007年10月29日閲覧. "Valatie, N. Y., May 13 – Virginia O'Hanlon Douglas, who as a child was reassured that "Yes, Virginia, there is a Santa Claus", died today at the age of 81."
- ^ “Virginia O'Hanlon - Chatham Rural Cemetery”. Find A Grave. 2011年2月14日閲覧。
参考文献
- フランシス・ファーセルス・チャーチ 『サンタクロースっているんでしょうか?』 中村妙子訳、偕成社、1977年
- 村上ゆみ子 『サンタの友だちバージニア』 偕成社、1994年
- フランシス・ファーセラス・チャーチ「サンタクロースはいるんだ」(大久保ゆう訳:青空文庫)
- 「サンタクロースはいるんだ!(1897年ニューヨーク・サン誌)」の朗読(佐々木健朗読:STORYTELLER BOOK)