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「日本アンゴラ種」の版間の差分

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{{Infobox animal breed
[[File:Nihonangora.jpg|thumb|日本アンゴラ種の成獣]]
|name = 日本アンゴラ種
'''日本アンゴラ種'''は、被毛([[アンゴラ (繊維)|アンゴラ兎毛]])利用を目的として、[[日本]]で独自に[[品種改良]]された[[カイウサギ]]の品種である。
|image = Nihonangora.jpg|thumb
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|use = 毛用種・採毛
|male_weight = 3 - 3.6キログラム
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|wool_color = 白色
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|wool_grade = 16[[マイクロメートル]]<ref name="飼育13">『[[#柿沼 (s42)|兎の飼育と経営]]』(13 - 15頁)兎の改良目標 日本アンゴラ種</ref>
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}}
'''日本アンゴラ種'''は被毛利用を目的として、日本で独自に[[品種改良]]された[[カイウサギ]]の品種である。
== 概要 ==
[[日本白色種]]と同様、白い毛に赤い目の[[アルビノ]]を固定させた品種。雪白色の被毛、清玲[[石竹色]]の目と称された。[[イギリス]]系[[アンゴラウサギ]]であるローヤルアンゴラ種を基に、[[フランス]]系アンゴラウサギ、[[カナダ]]系アンゴラウサギ3品種の優欠点を取捨選択して改良されたのが本品種である
<ref name="基18">『[[#農文協 (2009)|農業技術大系 畜産編 第6巻 中小家畜]]』ウサギ 飼育技術の基礎 改良経過と1頭当たり年間産毛量</ref>
<ref name="調査">『[[#農研(h10)|動物遺伝資源の特性調査成績]]』 第2巻(5)-1)日本アンゴラ種</ref>


よく知られているアンゴラウサギの品種として世界規模のウサギ協会、{{仮リンク|アメリカン・ラビット・ブリーダーズ・アソシエーション|en|American Rabbit Breeders Association}}(ARBA)で公認されている[[アンゴラウサギ#イングリッシュアンゴラ|イングリッシュアンゴラ]]、[[アンゴラウサギ#フレンチアンゴラ|フレンチアンゴラ]]、[[アンゴラウサギ#サテンアンゴラ|サテンアンゴラ]]、[[アンゴラウサギ#ジャイアントアンゴラ|ジャイアントアンゴラ]]の4品種がある。日本アンゴラ種はジャイアントアンゴラと同じ採毛を目的とした毛用種で、[[アンゴラ (繊維)|アンゴラ兎毛]]と呼ばれる長い被毛を毛糸や[[毛織物]]の素材として利用するために改良された[[家畜]]、[[産業動物]]であり、主に[[ペット|愛玩]]を目的として改良された他の3品種とは改良目的が異なっている。
== 特徴 ==

[[日本白色種]]と同様、白い毛に赤い目の[[アルビノ]]を固定させた品種。
[[昭和]]初期に始まった日本の採毛養兎は[[1960年]](昭和35年)には飼育数約72万匹となり、フランスの約40万匹を大きく上回ってアンゴラウサギの飼育数世界一となった
体長35センチメートル前後、体重2.0キログラム前後<ref>『[[#畑 (2008)|楽しく暮らせる かわいいウサギの飼い方]]』(54頁)ジャパニーズ・アンゴラ</ref>と、現在著明なアンゴラ兎の中で最も小型のイングリッシュアンゴラより更に小型である。
<ref>『[[#藤原 (s35)|ホープ アンゴラ 兎毛と飼養法]]』(11-12頁)海外諸国における飼育状況</ref>
[[イギリス]]に起源をもつローヤルアンゴラ種を基にしており、外観上ローヤルアンゴラ種の特徴を多く残している<ref>『[[#馬 (s6)|アンゴラ兎の飼ひ方]]』(19頁)第一章種類論 第一節系統</ref>。
*頬毛が多い
しかし昭和30年代、日本は既に兎毛の[[輸出]]国から[[輸入]]国に転換し始めており、[[中華人民共和国|中国]]やフランスなどからの輸入に押されて日本の採毛養兎は徐々に衰退していった
*額毛が束状に生えて前方に出ている
<ref name="輸出">『[[#藤原 (s35)|ホープ アンゴラ 兎毛と飼養法]]』(21頁)表(A)アンゴラ兎毛の年次別輸出統計</ref>
*眼はルビー色
<ref name="輸出入">『[[#柿沼 (s42)|兎の飼育と経営]]』(5頁)表-5 兎毛年別輸出入実績表</ref>
*耳の先端に毛束が生える
<ref name="基1">『[[#農文協 (2009)|農業技術大系 畜産編 第6巻 中小家畜]]』ウサギ 飼育技術の基礎 歴史的経過</ref>
*被毛は雪白色、極めて繊細で絹糸同様光沢が強い
<ref name="飼育4">『[[#柿沼 (s42)|兎の飼育と経営]]』(4頁)わが国の養兎</ref>
日本アンゴラ種は、日本がかつて世界有数の養兎業を誇る国であったことの生きた証拠でもある
<ref name="ピョン">『[[#ピョン (2008)|うさぎがピョン Vol.10]]』(49頁)日本アンゴラ開発の歴史</ref>


== 歴史 ==
== 歴史 ==
=== 明治期 ===
古くは[[明治]]初期の[[博覧会]]でアンゴラ兎が出陳されており、[[1892年]](明治25年)には、[[明治天皇]]にアンゴラ兎毛を原料とする[[ラシャ|羅紗]]が献上されたという記録もあることから、一部の愛好家により少数の輸入、飼育が行われていたようである。
[[1871年]]([[明治]]4年)の[[博覧会]]でアンゴラウサギが出陳されており、[[1892年]](明治25年)には東京の養兎家、伊坂源次郎、清水貞蔵などによりフランス系アンゴラウサギの剪毛が行われ、その兎毛を使用して王子紡織会社で織られた白[[羅紗]]が[[明治天皇]]に献上されたという記録があることから、少数の輸入、飼育は行われていたようである
しかし、このころ輸入されたのは[[フランス]]系アンゴラ兎で、体は大きいが毛質が硬いため紡織には向かず、[[ペット|愛玩用]]となったのではないかと思われる<ref>『[[#田中 (s24)|増補改訂飼育全書 アンゴラ兎]]』(13頁)緒論(二)我が国に渡来の歴史</ref><ref>『[[#藤井 (s13)|アンゴラ兎今昔物語]]』(116頁)</ref>。
<ref name="基17">『[[#農文協 (2009)|農業技術大系 畜産編 第6巻 中小家畜]]』ウサギ 飼育技術の基礎 アンゴラウサギの歴史</ref>
<ref name="アンゴラ兎13">『[[#田中 (s24)|増補改訂飼育全書 アンゴラ兎]]』(13 - 14頁)我が国に渡来の歴史</ref>
<ref name="今昔114">『[[#藤井 (s13)|アンゴラ兎今昔物語]]』(114 - 122頁)自力更生は加工から</ref>
<ref name="全アン9">『[[#佐藤 (s24)|アンゴラ兎の飼育と経営]]』(9- 13頁)日本での歴史</ref>


また、[[1897年]](明治30年)6月、[[埼玉県]][[北埼玉郡]]に兎毛織物工場が建設され、フランス製の紋織機を導入して兎毛織物の製造に着手したという記録もあるが、当時国内で毛織物の需要は少なく事業は長続きしなかった
日本でのアンゴラ兎の本格的な飼育は、[[1925年]]([[大正]]14年)[[6月14日]]、志保井雷吉によりイギリスから輸入されたローヤルアンゴラ種5匹から始まったと考えられている。
<ref name="今昔114" />
記録によると、
そのため、原料となる兎毛を産出するためのアンゴラウサギの飼育、採毛養兎も普及することはなかった。
=== 大正期 ===
[[File:Kanebo angora rabbit.jpg|thumb|鐘紡別府種牧場 ローヤルアンゴラ種]]
[[1920年]]([[大正]]9年)、[[農林省]]千葉畜産試験場がイギリスからアンゴラウサギの種兎4匹を輸入して飼育の研究を始めたが成果が上がらず、種兎4匹も数年で亡くなってしまった
<ref name="アンゴラ兎14">『[[#田中 (s24)|増補改訂飼育全書 アンゴラ兎]]』(14 - 18頁)発達の経過</ref>
<ref name="東アン1">『[[#東アン (s14)|実際的なアンゴラ兎飼育法 第一巻 アンゴラ飼育と現金収入]]』(1頁)アンゴラ養兎の経過</ref>
しかしその後も研究は続けられ、農林省農務局副業課により「アンゴラ兎及其兎毛に就テ」という調査書が作成された
<ref>『[[#藤井 (s13)|アンゴラ兎今昔物語]]』(48 - 65頁)アンゴラ兎及其兎毛に就テ</ref>
時期は明確ではないが[[1926年]](大正15年)頃と伝えられている
<ref>『[[#藤井 (s13)|アンゴラ兎今昔物語]]』(47頁)</ref>
内容は海外の出版物を翻訳したもので、来歴及用途、体型一般、飼育管理、毛質採毛並に其の利用、販売及収支の一例、審査法、結論の諸項目が並べられ、結論として「副業として適当なる事を認む」と結ばれていた
<ref name="東アン1" />


そして[[1925年]](大正14年)6月14日、志保井雷吉によりイギリスからローヤルアンゴラ種5匹が輸入された
<ref name="全アン9" />
<ref name="東アン1" />
<ref>『[[#藤井 (s13)|アンゴラ兎今昔物語]]』(15頁)印度洋</ref>
<ref name="体験3">『[[#山口 (s12)|体験に基づく アンゴラ養兎の経営]]』(3頁)我国の経過</ref>
日本におけるアンゴラウサギの本格的な普及はこの5匹から始まったと考えられている。記録によると、
英人エー・エンド・テマーナ氏[[繁殖]]純粋ローヤルアンゴラ種
英人エー・エンド・テマーナ氏[[繁殖]]純粋ローヤルアンゴラ種
*「太郎サン」1925年[[1月27日]]
*「太郎サン」1925年1月27日生
*「大サン」[[1924年]][[8月21日]]
*「大サン」[[1924年]]8月21日生
*「あやめ」1924年[[2月18日]]
*「あやめ」1924年2月18日生
*「すみれ」1924年[[5月15日]]
*「すみれ」1924年5月15日生
外1頭安着せりとある<ref>『[[#藤井 (s13)|アンゴラ兎今昔物語]]』(15頁)</ref>
外1頭安着せりとある。
この5匹の兎は[[1926年]](大正15年)には四十余匹に、[[1927年]][[昭和]]2年)末は百数十匹に殖え<ref>『[[#藤 (s13)|アンゴラ兎今昔物語]]』(19頁)</ref>。
この5匹の兎は[[神奈川県]]三浦郡[[浦賀町]]、現在の神奈川県[[横須賀市]]に設立され志保ローヤルアンゴラ兎研究所で飼育され
<ref name="全アン9" />
以降、養兎業者により多くの種兎が海外から輸入された。
<ref name="アンゴラ兎13" />
<ref name="東アン1" />
翌1926年(大正15年)には四十余匹に、[[1927年]](昭和2年)末には百数十匹に殖えた
<ref>『[[#藤井 (s13)|アンゴラ兎今昔物語]]』(19頁)採毛本位の最初の試育</ref>
さらに志保井より半年ほど遅れて、[[神戸]]の貿易商大江禮によりイギリスから雄3匹、雌17匹のアンゴラウサギが輸入され、[[兵庫県]][[神戸市]]西垂水で飼育が始められた
<ref name="アンゴラ兎13" />
<ref>『[[#藤井 (s13)|アンゴラ兎今昔物語]]』(66 - 67頁)アンゴラの事業化目醒まし</ref>
=== 昭和期 ===
==== 戦前 - 戦中 ====
[[File:Number of Angora rabbits.png|thumb|昭和10 - 25年 アンゴラウサギ飼育数 農林統計表より
<ref name = "飼育数">『[[#藤原 (s35)|ホープ アンゴラ 兎毛と飼養法]]』(10頁)日本におけるウサギの飼育戸数と頭数(農林省、畜産課)</ref>]]
[[File:Angora rabbit hair.png|thumb|昭和7 - 24年 東京アンゴラ兎毛株式会社収毛実績 全国の産毛の約80%(単位:トン)昭和20年は数量不明、24年は5月末まで
<ref>『[[#田中 (s24)|増補改訂飼育全書 アンゴラ兎]]』(17 - 18頁)収毛実績表(東京繊維工業株式会社調査に依る)</ref>]]
アンゴラ兎毛による新興産業の普及を考えていた志保井雷吉は1927年(昭和2年)に東京高等工業学校、現在の[[東京工業大学]]に兎毛の加工試験を依頼したが、[[関東大震災]]で必要な機械が焼失していたため実現せず、やむなく、国内で兎毛加工による需要が高まるまでの前段階として兎毛の海外輸出を始めた
<ref>『[[#藤井 (s13)|アンゴラ兎今昔物語]]』(25頁)アンゴラ兎毛初輸出</ref>
志保井ローヤルアンゴラ兎研究所や大江禮の大江田中アンゴラ商会に続き、[[1929年]](昭和4年)ごろまでに各地でアンゴラウサギの飼育場が建設され、種兎の輸入や採毛養兎を始める者もいたが、やはり国内に兎毛の需要が無かったため、収入を得るにはイギリスなど海外への兎毛輸出か、種兎の販売しかない不安定なものだった
<ref name="アンゴラ兎14" />
<ref name="体験3" />


そして1929年(昭和4年)10月発売の雑誌『[[主婦の友]]』11月号に掲載された記事「新[[副業]]純毛種アンゴラ兎の飼ひ方」を発端として、採毛を目的としないアンゴラウサギの[[投機]]的[[流行]]、いわゆる「アンゴラ狂乱」がはじまり、海外から多くの種兎が輸入され高値で売買されるようになる。しかし、不当な価格のつり上げや、他品種との交雑種など種兎として相応しくないウサギを売る悪質な業者の増加、アンゴラウサギの売買に夢中になるあまり本業を疎かにする者が続出するなど経済に悪影響を与えたため、[[1931年]](昭和6年)春に農林省副業課から全国に「アンゴラ達示」が回付された。
当時著明なアンゴラ兎として、イギリス系のローヤルアンゴラ種の外、フランス系、[[カナダ]]系が知られていたが、輸入されたのはほとんどがローヤルアンゴラ種で、フランス系、カナダ系は少数であった。
内容は「アンゴラウサギの飼育は副業に適さず、農林省としては勧められない」という趣旨のもので、これにより投機的流行は一気に沈静化した
([[1949年]](昭和24年)ごろには、少数輸入されたフランス系アンゴラ兎のほとんどはローヤルアンゴラ種との交配により中間雑種となり、カナダ系アンゴラ兎に至っては見本すらなく、輸入も困難な状況となっている<ref>『[[#田中 (s24)|増補改訂飼育全書 アンゴラ兎]]』(36-38頁)アンゴラ兎の種類と特徴</ref>。)
<ref name="全アン9" />
{| class="wikitable"
<ref name="アンゴラ兎14" />
!種類
<ref name="東アン1" />
!被毛
<ref name="体験3" />
!体型
<ref>『[[#藤井 (s13)|アンゴラ兎今昔物語]]』(76頁)狂乱時代来る</ref>
!特徴
<ref>『[[#藤井 (s13)|アンゴラ兎今昔物語]]』(84 - 86頁)青天の霹靂</ref>
|-
<ref name="採毛355">『[[#示村 (s10)|採毛養兎と其経営]]』付録(355 - 441頁)昭和五、六年に於ける養兎流行の実相</ref>
|イギリス系
|毛は極柔軟で細く、紡織用としては最も適した被毛を持つ。
しかし、これで悪質な業者は姿を消したが、堅実な産業としての採毛養兎を目指していた養兎業者には痛手となる。同年8月、養兎業者が団結して全日本アンゴラ協会を創立し、[[農林水産大臣|農林大臣]]宛に陳情書を提出するなどの活動をしたが成果は得られず、協会の活動も長くは続かなかった
60[[糸#糸の単位|番手]]以上の極細の毛糸を紡ぐ事が可能。
<ref>『[[#藤井 (s13)|アンゴラ兎今昔物語]]』(92 - 104頁)喧々囂々</ref>
|体躯が小さく平均成兎の体重850[[匁]](約3.2キログラム)止まり。
|耳が細く、かつ耳毛が多い、頬毛は長く、顔はいかめしい。
|-
|フランス系
|イギリス系に比べて毛は太く、従って剛毛である。
9番手位の手編み毛糸を作るのに適しているが、[[メリヤス]]、羅紗等の原料には不向き。
|体躯が大きく、従って採毛量も多い。
1[[貫]]目(3.75キログラム)以上が普通。
|耳毛は少なく、かつ耳幅が広く、顔は前方に長い。
|-
|カナダ系
| colspan="2" |イギリス系とフランス系の中間。
|耳毛はなく、かつ幅広く短い、顔は白色短毛種に似ている。
|}


そんな中、[[1932年]](昭和7年)4月に東京アンゴラ兎毛株式会社が設立された。同社はアンゴラ兎毛の有用性を認めて兎毛工業に乗り出した鐘淵紡績株式会社、後の[[カネボウ (1887-2008)|カネボウ]]と共にアンゴラ兎毛の買い付けを開始し、同時にイギリスからローヤルアンゴラ種の種兎400匹を輸入、東京アンゴラ兎毛は[[神奈川県]][[大和市]][[南林間]]に、鐘紡は[[大分県]][[別府市]]にそれぞれ大規模な飼育場を建設してアンゴラウサギの飼育を始めた。さらに、それまで高価だったアンゴラウサギの種兎を低価格で販売して農家の副業としての採毛養兎を後押しした
昭和初期、養兎業は日本の重要な[[産業]]の一つとなり、アンゴラ兎は日本各地で多数飼育された。
<ref name="アンゴラ兎14" />
*[[1932年]](昭和7年)飼育頭数1万2000匹<ref name="アンゴラ兎17">『[[#田中 (s24)|増補改訂飼育全書 アンゴラ兎]]』(17頁)発達の経過</ref>。
<ref>『[[#藤井 (s13)|アンゴラ兎今昔物語]]』(123 - 128頁)東京アンゴラ兎毛株式会社の誕生業界を救ふ</ref>
*[[1940年]](昭和15年) - [[1941年]](昭和16年)飼育頭数60万 - 120万匹<ref name="アンゴラ兎17" />。
*[[1942年]](昭和17年)アンゴラ兎毛の生産量最盛期<ref name="うさぎの時間29">『[[#時間 (2008)|うさぎの時間 no.2]]』(29頁)日本の産業を支えたウサギ</ref>。
こうして兎毛工業の基盤が整いはじめ、採毛養兎が安定した収入が得られる堅実な産業として社会に認められるようになると、アンゴラウサギによる採毛養兎は急速に普及していった。1932年(昭和7年)に約1万2000匹
*[[1945年]](昭和20年)終戦時、飼育頭数3万数千匹。戦争の影響で激減<ref name="アンゴラ兎3">『[[#田中 (s24)|増補改訂飼育全書 アンゴラ兎]]』(3頁)序</ref>。
<ref name="基17" />
*[[1946年]](昭和21年)7月、[[連合国軍最高司令官総司令部|連合軍司令部]]の援助のもとアンゴラ兎毛の対米輸出開始。[[外貨]]獲得に貢献した<ref name="アンゴラ兎3" /><ref>『[[#田中 (s24)|増補改訂飼育全書 アンゴラ兎]]』(22頁)アンゴラ兎毛界の現状</ref><ref name="アンゴラウサギ">『[[#農芸 (1978)|日本における「アンゴラウサギ」飼育の現状]]』</ref>。
*1949年(昭和24年)4月、推定飼育頭数45万匹(子兎含む)<ref name="アンゴラ兎3" />
<ref name="アンゴラ兎14" />
<ref name="農化アンゴラ">『[[#農化 (1978)|日本における「アンゴラウサギ」飼育の現状]]』</ref>
*[[1951年]](昭和26年)日本アンゴラ種と命名される<ref name="うさぎの時間29" /><ref name= "うさぎがピョン19">『[[#ピョン (2008)|うさぎがピョン Vol.10]]』(49頁)日本アンゴラ開発の歴史</ref>。
だった飼育数は[[1939年]](昭和14年)には約63万匹に達している
*[[1961年]](昭和36年)アンゴラ兎毛の輸出最盛期<ref name="うさぎの時間29" />。
<ref name = "飼育数" />
*[[1963年]](昭和38年)アンゴラ兎毛の生産量300[[トン]]<ref name="ザ・ウサギ188">『[[#大野 (2004)|ザ・ウサギ]]』(188頁)新たなウサギとの関わりへ</ref>。
*[[1965年]](昭和40年)前後、飼育頭数60万匹<ref name="アンゴラウサギ" />。
また、[[1934年]](昭和9年)5月24日には農林省がアンゴラウサギ奨励の通達を出し、採毛養兎が有望な産業として国に認められている
*[[1969年]](昭和44年)アンゴラ兎毛の生産が終焉を迎える<ref name="ザ・ウサギ188" /><ref name="うさぎの時間29" />。
<ref name="採毛17">『[[#示村 (s10)|採毛養兎と其経営]]』(17頁)本邦に於ける採毛養兎の趨勢</ref>
そして、アンゴラ兎毛の需要減少による養兎業の衰退とともに、日本アンゴラ種も数を減らしていった<ref name= "うさぎがピョン19" />。
*[[1978年]](昭和53年)飼育頭数1万匹以下。[[長野県]]、[[岩手県]]、[[福島県]]などでそれぞれ約2000匹、その他、各地で小規模飼育。このころの主な用途は実験動物用となっており、年間数千匹が実験に供された。アンゴラ兎毛の生産量は年間約2トン<ref name="アンゴラウサギ" />。


[[太平洋戦争]]が始まると[[羊毛]]に代わる資材としてアンゴラ兎毛が[[大日本帝国海軍|海軍]]の目に留まり、アンゴラ兎毛で作られた[[フェルト]]が航空機資材として使われるようになる。しかし戦争の激化と共に[[戦時体制|統制]]が厳しくなり、アンゴラ兎毛も生産者を無視した[[公定価格]]が定められたために養兎業者の生産意欲の低下を招き、軍需物資として飼育が奨励されながらも徐々に減産した
養兎業衰退後も、国立の種兎繋養牧場であった長野種畜牧場、現在の[[家畜改良センター|独立行政法人家畜改良センター茨城牧場長野支場]]の養兎施設において飼育が続けられていたが(飼育開始は[[1948年]](昭和23年))、[[2006年]]([[平成]]18年)度より凍結受精卵による血統維持に移行、[[2007年]](平成19年)には兎の種畜供給業務も終了したため、以降、飼育は行われていない<ref>『[[#長野 (1948)|独立行政法人家畜改良センター茨城牧場長野支場の歴史]]』</ref>。
<ref name="全アン9" />
<ref name="アンゴラ兎14" />
<ref name="アンゴラ兎18">『[[#田中 (s24)|増補改訂飼育全書 アンゴラ兎]]』(18 - 26頁)アンゴラ養兎の将来性</ref>
終戦の年、[[1945年]](昭和20年)の飼育数は約11万匹まで減少している
<ref name="基17" />
<ref name ="飼育数" />
==== 戦後 ====
[[File:Angora rabbit hair import and export2.png|thumb|昭和21 - 40年 アンゴラ兎毛輸出入実績(単位:トン)日本貿易年表より
<ref name= "輸出" />
<ref name= "輸出入" />]]
[[1946年]](昭和21年)、アンゴラウサギの飼育数はさらに減少して約8万7000匹となっていた
<ref name ="飼育数" />
戦後、食料にされたウサギも多かったといわれる
<ref name="全アン13">『[[#佐藤 (s24)|アンゴラ兎の飼育と経営]]』(13- 14頁)輸出のホープ・アンゴラ兎毛</ref>
同年7月、食料支援の見返り物資の指定にアンゴラ兎毛が含まれていたため、[[連合国軍最高司令官総司令部|連合軍総司令部]]の援助の元、アンゴラ兎毛の対米輸出が始まり[[外貨]]獲得に貢献することになる。戦後[[アメリカ合衆国|アメリカ]]国内ではアンゴラ兎毛の需要が拡大しており、年間50万ポンド、約226トンの輸出を希望していた。また、イギリスやフランスなど[[ヨーロッパ]]各国への輸出も期待できる有望な産業として農林省、[[貿易庁]]などの援助も積極的だった
<ref name="アンゴラ兎14" />
<ref name="アンゴラ兎18" />
<ref name="全アン13" />


[[1948年]](昭和23年)には国立の種兎繋養牧場、長野種畜牧場がアンゴラウサギの飼育、改良を開始
[[2017年]]現在、日本アンゴラ種の飼育が確認されているのは、上記、家畜改良センターから[[2004年]](平成16年)に譲り受けた6匹を基に繁殖を行っている[[神戸市立六甲山牧場]]と、同牧場から個体を譲られた淡路ファームパーク イングランドの丘、及び[[兵庫県立但馬牧場公園]]のみである<ref>『[[#神戸 (2014)|幻のウサギ「日本アンゴラ」繁殖に奮闘、六甲山牧場]]』</ref><ref>『[[#毎日 (2017)|幻のウサギ「日本アンゴラ」神戸で復活 繁殖続け30羽]]』</ref>。
<ref name="調査" />
<ref name="長野">『[[#長野 (1948)|独立行政法人家畜改良センター茨城牧場長野支場の歴史]]』</ref>
[[1950年]](昭和25年)3月にはアンゴラウサギの飼育振興策として血液更新、品種改良を目的にカナダ系アンゴラウサギ435匹が輸入された
<ref>『[[#衆院 (1950)|アンゴラ兎の飼育振興に関する質問に対する答弁書]]』</ref>
こうして採毛養兎が再び脚光を浴び、アンゴラウサギの飼育数も約32万匹まで回復している
<ref name ="飼育数" />
また、同年春には農林省毛皮獣係官の斡旋でアンゴラクラブが創立されている。それまで、養兎業先進地の[[長野県]]では独自に改良目標と審査標準を定めて種兎の登録、改良が行われていたが、国内における審査標準は存在しなかった。そこでアンゴラクラブにおいて、日本国内のアンゴラウサギの改良目標が検討され審査標準が作成された
<ref name="畜産">『[[#平林 (s33)|畜産大系 第23編 家兎]]』(22-24頁)アンゴラ日本種の改良目標と審査標準</ref>
そして翌[[1951年]](昭和26年)に日本独自のアンゴラウサギ「日本アンゴラ種」と命名される
<ref name="ピョン" />
<ref name="時間">『[[#時間 (2008)|うさぎの時間 no.2]]』(29頁)日本の産業を支えたウサギ</ref>
その後アンゴラ兎毛の輸出は増えてゆき[[1961年]](昭和36年)には146.9トンに達した
<ref name= "輸出" />
<ref name= "輸出入" />
<ref name="基17" />
その一方、アンゴラ兎毛を使ったセーターなど加工製品の輸出も増加しており、国内の兎毛加工業界の需要を満たすために原料となるアンゴラ兎毛を輸入するようになった
<ref name="飼育4" />
昭和30年代には兎毛輸入量が輸出量を上回る年が多くなっている
<ref name= "輸出" />
<ref name= "輸出入" />


[[1965年]](昭和40年)2月、日本アンゴラ種のさらなる改良を目指して農林省によって改良目標が定められ
<ref name="飼育13" />
同時に品種改良を進める上で全国統一の種兎の登録基準、審査標準の必要性をみとめて統一登録基準、統一審査標準が作成された
<ref name="飼育15">『[[#柿沼 (s42)|兎の飼育と経営]]』(15 - 20頁)登録基準および審査標準 日本アンゴラ種</ref>
しかし、昭和40年代には既に養兎業の盛んな中国やフランスなどに押されて兎毛輸出は減少しはじめており、以降、日本の採毛養兎は衰退の一途をたどる
<ref name="飼育4" />
<ref name="基17">『[[#農文協 (2009)|農業技術大系 畜産編 第6巻 中小家畜]]』ウサギ 飼育技術の基礎 アンゴラウサギの歴史</ref>
そして、アンゴラ兎毛の需要減少による養兎業の衰退とともに、日本アンゴラ種も数を減らしていった。[[1975年]](昭和50年)の兎毛輸出量は8.5トン
<ref name="基17" />
[[1978年]](昭和53年)の飼育数は1万匹以下となり、長野県、[[岩手県]]、[[福島県]]などでそれぞれ約2000匹、その他、各地で小規模な飼育が行われるのみであった。このころの主な用途は[[実験動物]]用で、年間数千匹が実験に供された。アンゴラ兎毛の生産量は年間約2トンにまで落ち込んだ
<ref name="農化アンゴラ" />
=== 平成期 ===
養兎業衰退後も日本アンゴラ種の研究、改良を行っていた長野種畜牧場、現在の[[家畜改良センター|独立行政法人家畜改良センター茨城牧場長野支場]]の養兎施設において飼育が続けられていたが、種兎の需要減少により[[2006年]]([[平成]]18年)度から凍結受精卵による血統維持に移行し、[[2007年]](平成19年)にはウサギの種畜供給業務も終了したため、以降、飼育はされていない
<ref name="長野" />

[[2017年]](平成29年)現在、日本アンゴラ種の飼育が確認されているのは、[[2004年]](平成16年)に家畜改良センターから譲り受けた6匹を基に繁殖を行っている[[神戸市立六甲山牧場]]と、同牧場から譲渡された淡路ファームパーク イングランドの丘、及び[[兵庫県立但馬牧場公園]]のみである
<ref>『[[#神戸 (2014)|幻のウサギ「日本アンゴラ」繁殖に奮闘、六甲山牧場]]』</ref>
<ref>『[[#毎日 (2017)|幻のウサギ「日本アンゴラ」神戸で復活 繁殖続け30羽]]』</ref>
== 品種改良の経過 ==
[[File:Kanebo angora rabbit house.jpg|thumb|鐘紡別府種牧場 兎舎とローヤルアンゴラ種]]
1925年(大正14年)にイギリスからローヤルアンゴラ種が輸入されて以降、日本の採毛養兎は主にローヤルアンゴラ種の飼育、改良によって発展してきた。昭和初期に日本で飼育されていたアンゴラウサギの9割がローヤルアンゴラ種で、残る1割がフランス系アンゴラウサギとカナダ系アンゴラウサギだったといわれる
<ref name="採毛51">『[[#示村 (s10)|採毛養兎と其経営]]』(51頁)種類</ref>
ローヤルアンゴラ種は[[第一次世界大戦]]後にフランス系アンゴラウサギを改良して作られた品種で、紡織に適した繊細な被毛を持つ優れた品種だった。しかし、アンゴラウサギの年間産毛量は体重の1割が標準とされており、体重が3.75キログラム以上あるフランス系アンゴラウサギに対し、3.2キログラム止まりのローヤルアンゴラ種は産毛量で劣っていた
<ref name="アンゴラ兎36">『[[#田中 (s24)|増補改訂飼育全書 アンゴラ兎]]』(36-39頁)アンゴラ兎の種類と特徴</ref>
カナダ系アンゴラウサギはフランス系アンゴラウサギと、ローヤルアンゴラ種を交配して作られたといわれており、ローヤルアンゴラ種に近い被毛を持ちながら大柄で産毛量も多かった
<ref name="採毛51" />
<ref name="アンゴラ兎36" />

1948年(昭和23年)に長野種畜牧場がアンゴラウサギの研究、改良を開始するまで日本には公的なウサギの研究機関が存在しなかったため、[[メンデルの法則]]に基く科学的な品種改良は既に広く知られていたが、改良の多くは、ローヤルアンゴラ種にフランス系アンゴラウサギ、さらにカナダ系アンゴラウサギを交配し、昔ながらの「良い親からは良い子」式のやり方で、毛質の良いもの、毛の密度の高いもの、体の大きいものを選りすぐることで日本アンゴラ種が成立したと考えられている
<ref>『[[#柿沼 (s42)|兎の飼育と経営]]』(20 - 28頁)改良の進め方</ref>
輸入当初のローヤルアンゴラ種の産毛量が年間250グラム前後であったのに対し、[[1938年]](昭和13年)ごろの千葉畜産試験場調査では年間350グラム前後となっている
<ref name="飼育159">『[[#柿沼 (s42)|兎の飼育と経営]]』(159 - 161頁)産毛量の改善</ref>

戦後はアンゴラクラブや農林省によって作成された改良目標、審査標準に基いた改良が各地で進められ、[[1959年|1959]] - [[1962年]](昭和34 - 37年)の長野種畜牧場調査では年間産毛量500グラム前後に増加
<ref name="飼育159" />
1965年(昭和40年)開催の福島県畜産共進会に出品された日本アンゴラ種の平均体重は、雄4.1キログラム、雌4.4キログラム、もっとも大きなものは5.23キログラムに達し、年間産毛量が500 - 700グラムにおよぶウサギもいた
<ref name="飼育11">『[[#柿沼 (s42)|兎の飼育と経営]]』(11 - 12頁)日本アンゴラ種</ref>
1967年(昭和42年)ごろには統一審査標準の目標産毛量、年間600グラム以上のウサギも多くなっている
<ref name="飼育159" />
しかし、昭和50年代の標準的な成兎の体重は3 - 3.6キログラム、年間産毛量は320 - 480グラムとなっており、最盛期にくらべて産毛量が減少している
<ref name="基18">『[[#農文協 (2009)|農業技術大系 畜産編 第6巻 中小家畜]]』ウサギ 飼育技術の基礎 改良経過と1頭当たり年間産毛量</ref>
<ref>『[[#農文協 (2009)|農業技術大系 畜産編 第6巻 中小家畜]]』ウサギ 飼育技術の基礎 アンゴラウサギ飼育の注意点</ref>

昭和40年代以降、日本での採毛養兎は衰退してしまったが、毛質に優れ産毛量も多い日本アンゴラ種の優良種兎は海外からも需要があり、昭和50年代には海外へ出荷されている
<ref>『[[#農文協 (2009)|農業技術大系 畜産編 第6巻 中小家畜]]』ウサギ 採毛用(日本アンゴラ種400匹)出荷と収支</ref>
また、[[1986年]](昭和61年)に家畜改良センターが[[西ドイツ]]から雄5匹、雌5匹の種兎を輸入していることから
<ref name="調査" />
現在の日本アンゴラ種には[[ドイツ]]で毛用種として飼育されていたアンゴラウサギも関係していると考えられる。
== 出典・脚注 ==
== 出典・脚注 ==
{{Reflist}}
{{Reflist}}

== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* {{cite book | 和書 | author = [[馬俊雄]] | title = アンゴラ兎の飼ひ方 | publisher = [[泰文館]] | date = 昭和6年6月7日 発行 | ref = 馬 (s6)}}
* {{cite book | 和書 | author = [[馬俊雄]] | title = アンゴラ兎の飼ひ方 | publisher = [[泰文館]] | date = 昭和6年6月7日 発行 | ref = 馬 (s6)}}
* {{cite book | 和書 | author = [[示村慶太郎]] | title = 採毛養兎と其経営 | publisher = [[子安農園出版部]] | date = 昭和10年7月15日 発行 | ref = 示村 (s10)}}
* {{cite book | 和書 | author = 山口泰司 | title = 体験に基づく アンゴラ養兎の経営 | publisher = [[有誠堂書店]] | date = 昭和12年5月5日 発行 | ref = 山口 (s12)}}
* {{cite book | 和書 | author = [[藤井武雄]] | title = アンゴラ兎今昔物語 | publisher = [[育生社]] | date = 昭和13年11月20日 発行 | ref = 藤井 (s13)}}
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* {{cite book | 和書 | author = [[東京アンゴラ飼育研究所]]編 | title = 実際的なアンゴラ兎飼育法 第一巻 アンゴラ養兎の知識 | publisher = [[国策新報社]] | date = 昭和14年10月15日 発行 | ref = 東アン (s14)}}
* {{cite book | 和書 | author = [[佐藤進一郎]] | title = アンゴラ兎の飼育と経営 | publisher = [[ローラン社]] | date = 昭和24年5月15日 発行 | ref = 佐藤 (s24)}}
* {{cite book | 和書 | author = 田中清隆 | title = 増補改訂飼育全書 アンゴラ兎 | publisher = [[アンゴラ新報社]] | date = 昭和24年7月30日 発行 | ref = 田中 (s24)}}
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* {{cite book | 和書 | author = [[平林忠]] | title = 畜産大系 第23編 家兎 | publisher = 養賢堂 | date = 昭和33年10月5日 発行 | ref = 平林 (s33)}}
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* {{cite book | 和書 | author = [[柿沼成文]] | title = 兎の飼育と経営 | publisher = [[地球全書]] | date = 昭和42年11月25日 発行 | ref = 柿沼 (s42)}}
* {{cite book | 和書 | author = [[農山漁村文化協会|農文協]]編 | title = 農業技術大系 畜産編 第6巻 中小家畜 | publisher = 農山漁村文化協会 | date = 2009年9月日 発行 | ref = 農文協(2009)}}
* {{cite book | 和書 | author = [[大野瑞絵]] | title = ザ・ウサギ | publisher = [[誠文堂新光社]] | date = 2004年8月20日 発行 | isbn = 978-4416704516 | ref = 大野 (2004)}}
* {{cite book | 和書 | author = [[大野瑞絵]] | title = ザ・ウサギ | publisher = [[誠文堂新光社]] | date = 2004年8月20日 発行 | isbn = 978-4416704516 | ref = 大野 (2004)}}
* {{cite book | 和書 | author = [[畑孝]] | title = 楽しく暮らせる かわいいウサギの飼い方 | publisher = [[ナツメ社]] | date = 2008年12月1日 発行 | isbn = 978-4816345968 | ref = 畑 (2008)}}
* {{cite book | 和書 | author = [[畑孝]] | title = 楽しく暮らせる かわいいウサギの飼い方 | publisher = [[ナツメ社]] | date = 2008年12月1日 発行 | isbn = 978-4816345968 | ref = 畑 (2008)}}
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* {{cite book | 和書 | title = うさぎがピョン Vol.10 | publisher = [[スタジオ・エス]] | date = 2008年12月1日 発行 | ref = ピョン (2008)}}
* {{cite book | 和書 | title = うさぎがピョン Vol.10 | publisher = [[スタジオ・エス]] | date = 2008年12月1日 発行 | ref = ピョン (2008)}}
* {{cite web | url = http://www.nlbc.go.jp/nagano/rekisi/index.html |title = 独立行政法人家畜改良センター茨城牧場長野支場の歴史 |publisher = [[家畜改良センター]] |accessdate = 2017-11-07 | ref = 長野 (1948)}}
* {{cite web | url = http://www.nlbc.go.jp/nagano/rekisi/index.html |title = 独立行政法人家畜改良センター茨城牧場長野支場の歴史 |publisher = [[家畜改良センター]] |accessdate = 2017-11-07 | ref = 長野 (1948)}}
* {{cite web | url = https://www.jstage.jst.go.jp/article/nogeikagaku1924/52/10/52_10_N151/_article/-char/ja/ |title = 日本農芸化学会誌Vol. 52 (1978) 日本における「アンゴラウサギ」飼育の現状 |publisher = [[日本農芸化学会]] |accessdate = 2017-11-10 | ref = 農 (1978)}}
* {{cite web | url = https://www.jstage.jst.go.jp/article/nogeikagaku1924/52/10/52_10_N151/_article/-char/ja/ |title = 日本農芸化学会誌Vol. 52 (1978) 日本における「アンゴラウサギ」飼育の現状 |publisher = [[日本農芸化学会]] |accessdate = 2017-11-10 | ref = 農 (1978)}}
* {{cite web | url = http://www.gene.affrc.go.jp/pdf/report/animal-eval_199802.pdf |title = 動物遺伝資源の特性調査成績 第2巻 平成10年2月 (5)-1)日本アンゴラ種 |publisher = [[農業生物資源研究所]] |accessdate = 2018-01-22 | ref = 農研 (h10)}}
* {{cite web | url = http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/b007049.htm |title = アンゴラ兎の飼育振興に関する質問に対する答弁書 |publisher = [[衆議院]] |accessdate = 2018-02-17 | ref = 衆院 (1950)}}
* {{cite news | title = 幻のウサギ「日本アンゴラ」繁殖に奮闘、六甲山牧場 | newspaper = [[神戸新聞]] | date = 2014-08-14 | url = https://www.kobe-np.co.jp/news/backnumber/201408/0009558465.shtml | ref = 神戸 (2014)}}
* {{cite news | title = 幻のウサギ「日本アンゴラ」繁殖に奮闘、六甲山牧場 | newspaper = [[神戸新聞]] | date = 2014-08-14 | url = https://www.kobe-np.co.jp/news/backnumber/201408/0009558465.shtml | ref = 神戸 (2014)}}
* {{cite news | title = 幻のウサギ「日本アンゴラ」神戸で復活 繁殖続け30羽 | newspaper = [[毎日新聞]] | date = 2017-05-10 | url = https://mainichi.jp/articles/20170510/k00/00e/040/322000c | ref = 毎日 (2017)}}
* {{cite news | title = 幻のウサギ「日本アンゴラ」神戸で復活 繁殖続け30羽 | newspaper = [[毎日新聞]] | date = 2017-05-10 | url = https://mainichi.jp/articles/20170510/k00/00e/040/322000c | ref = 毎日 (2017)}}

== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.rokkosan.net/ 神戸市立六甲山牧場]
* [http://www.rokkosan.net/ 神戸市立六甲山牧場]
95行目: 317行目:
* [http://www.tajimabokujyo.jp/ 兵庫県立但馬牧場公園]
* [http://www.tajimabokujyo.jp/ 兵庫県立但馬牧場公園]
* [http://www.nlbc.go.jp/nagano/ 独立行政法人家畜改良センター茨城牧場長野支場]
* [http://www.nlbc.go.jp/nagano/ 独立行政法人家畜改良センター茨城牧場長野支場]

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[[Category:ウサギの品種]]
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2018年3月4日 (日) 10:08時点における版

日本アンゴラ種
原産国日本の旗 日本
用途毛用種・採毛
特徴
体重オス: 3 - 3.6キログラム
 メス: 3 - 3.6キログラム
皮膚色微桃色
むく毛色白色
毛長
繊度16マイクロメートル[1]

日本アンゴラ種は被毛利用を目的として、日本で独自に品種改良されたカイウサギの品種である。

概要

日本白色種と同様、白い毛に赤い目のアルビノを固定させた品種。雪白色の被毛、清玲石竹色の目と称された。イギリスアンゴラウサギであるローヤルアンゴラ種を基に、フランス系アンゴラウサギ、カナダ系アンゴラウサギ3品種の優欠点を取捨選択して改良されたのが本品種である [2] [3]

よく知られているアンゴラウサギの品種として世界規模のウサギ協会、アメリカン・ラビット・ブリーダーズ・アソシエーション英語版(ARBA)で公認されているイングリッシュアンゴラフレンチアンゴラサテンアンゴラジャイアントアンゴラの4品種がある。日本アンゴラ種はジャイアントアンゴラと同じ採毛を目的とした毛用種で、アンゴラ兎毛と呼ばれる長い被毛を毛糸や毛織物の素材として利用するために改良された家畜産業動物であり、主に愛玩を目的として改良された他の3品種とは改良目的が異なっている。

昭和初期に始まった日本の採毛養兎は1960年(昭和35年)には飼育数約72万匹となり、フランスの約40万匹を大きく上回ってアンゴラウサギの飼育数世界一となった [4] 。 しかし昭和30年代、日本は既に兎毛の輸出国から輸入国に転換し始めており、中国やフランスなどからの輸入に押されて日本の採毛養兎は徐々に衰退していった [5] [6] [7] [8] 。 日本アンゴラ種は、日本がかつて世界有数の養兎業を誇る国であったことの生きた証拠でもある [9]

歴史

明治期

1871年明治4年)の博覧会でアンゴラウサギが出陳されており、1892年(明治25年)には東京の養兎家、伊坂源次郎、清水貞蔵などによりフランス系アンゴラウサギの剪毛が行われ、その兎毛を使用して王子紡織会社で織られた白羅紗明治天皇に献上されたという記録があることから、少数の輸入、飼育は行われていたようである [10] [11] [12] [13]

また、1897年(明治30年)6月、埼玉県北埼玉郡に兎毛織物工場が建設され、フランス製の紋織機を導入して兎毛織物の製造に着手したという記録もあるが、当時国内で毛織物の需要は少なく事業は長続きしなかった [12] 。 そのため、原料となる兎毛を産出するためのアンゴラウサギの飼育、採毛養兎も普及することはなかった。

大正期

鐘紡別府種牧場 ローヤルアンゴラ種

1920年大正9年)、農林省千葉畜産試験場がイギリスからアンゴラウサギの種兎4匹を輸入して飼育の研究を始めたが成果が上がらず、種兎4匹も数年で亡くなってしまった [14] [15] 。 しかしその後も研究は続けられ、農林省農務局副業課により「アンゴラ兎及其兎毛に就テ」という調査書が作成された [16] 。 時期は明確ではないが1926年(大正15年)頃と伝えられている [17] 。 内容は海外の出版物を翻訳したもので、来歴及用途、体型一般、飼育管理、毛質採毛並に其の利用、販売及収支の一例、審査法、結論の諸項目が並べられ、結論として「副業として適当なる事を認む」と結ばれていた [15]

そして1925年(大正14年)6月14日、志保井雷吉によりイギリスからローヤルアンゴラ種5匹が輸入された [13] [15] [18] [19] 。 日本におけるアンゴラウサギの本格的な普及はこの5匹から始まったと考えられている。記録によると、 英人エー・エンド・テマーナ氏繁殖純粋ローヤルアンゴラ種

  • 「太郎サン」1925年1月27日生
  • 「大サン」1924年8月21日生
  • 「あやめ」1924年2月18日生
  • 「すみれ」1924年5月15日生

外1頭安着せりとある。 この5匹の種兎は神奈川県三浦郡浦賀町、現在の神奈川県横須賀市に設立された志保井ローヤルアンゴラ兎研究所で飼育され [13] [11] [15] 、 翌1926年(大正15年)には四十余匹に、1927年(昭和2年)末には百数十匹に殖えた [20] 。 さらに志保井より半年ほど遅れて、神戸の貿易商大江禮によりイギリスから雄3匹、雌17匹のアンゴラウサギが輸入され、兵庫県神戸市西垂水で飼育が始められた [11] [21]

昭和期

戦前 - 戦中

昭和10 - 25年 アンゴラウサギ飼育数 農林統計表より [22]
昭和7 - 24年 東京アンゴラ兎毛株式会社収毛実績 全国の産毛の約80%(単位:トン)昭和20年は数量不明、24年は5月末まで [23]

アンゴラ兎毛による新興産業の普及を考えていた志保井雷吉は1927年(昭和2年)に東京高等工業学校、現在の東京工業大学に兎毛の加工試験を依頼したが、関東大震災で必要な機械が焼失していたため実現せず、やむなく、国内で兎毛加工による需要が高まるまでの前段階として兎毛の海外輸出を始めた [24] 。 志保井ローヤルアンゴラ兎研究所や大江禮の大江田中アンゴラ商会に続き、1929年(昭和4年)ごろまでに各地でアンゴラウサギの飼育場が建設され、種兎の輸入や採毛養兎を始める者もいたが、やはり国内に兎毛の需要が無かったため、収入を得るにはイギリスなど海外への兎毛輸出か、種兎の販売しかない不安定なものだった [14] [19]

そして1929年(昭和4年)10月発売の雑誌『主婦の友』11月号に掲載された記事「新副業純毛種アンゴラ兎の飼ひ方」を発端として、採毛を目的としないアンゴラウサギの投機流行、いわゆる「アンゴラ狂乱」がはじまり、海外から多くの種兎が輸入され高値で売買されるようになる。しかし、不当な価格のつり上げや、他品種との交雑種など種兎として相応しくないウサギを売る悪質な業者の増加、アンゴラウサギの売買に夢中になるあまり本業を疎かにする者が続出するなど経済に悪影響を与えたため、1931年(昭和6年)春に農林省副業課から全国に「アンゴラ達示」が回付された。 内容は「アンゴラウサギの飼育は副業に適さず、農林省としては勧められない」という趣旨のもので、これにより投機的流行は一気に沈静化した [13] [14] [15] [19] [25] [26] [27] 。 しかし、これで悪質な業者は姿を消したが、堅実な産業としての採毛養兎を目指していた養兎業者には痛手となる。同年8月、養兎業者が団結して全日本アンゴラ協会を創立し、農林大臣宛に陳情書を提出するなどの活動をしたが成果は得られず、協会の活動も長くは続かなかった [28]

そんな中、1932年(昭和7年)4月に東京アンゴラ兎毛株式会社が設立された。同社はアンゴラ兎毛の有用性を認めて兎毛工業に乗り出した鐘淵紡績株式会社、後のカネボウと共にアンゴラ兎毛の買い付けを開始し、同時にイギリスからローヤルアンゴラ種の種兎400匹を輸入、東京アンゴラ兎毛は神奈川県大和市南林間に、鐘紡は大分県別府市にそれぞれ大規模な飼育場を建設してアンゴラウサギの飼育を始めた。さらに、それまで高価だったアンゴラウサギの種兎を低価格で販売して農家の副業としての採毛養兎を後押しした [14] [29] 。 こうして兎毛工業の基盤が整いはじめ、採毛養兎が安定した収入が得られる堅実な産業として社会に認められるようになると、アンゴラウサギによる採毛養兎は急速に普及していった。1932年(昭和7年)に約1万2000匹 [10] [14] [30] だった飼育数は1939年(昭和14年)には約63万匹に達している [22] 。 また、1934年(昭和9年)5月24日には農林省がアンゴラウサギ奨励の通達を出し、採毛養兎が有望な産業として国に認められている [31]

太平洋戦争が始まると羊毛に代わる資材としてアンゴラ兎毛が海軍の目に留まり、アンゴラ兎毛で作られたフェルトが航空機資材として使われるようになる。しかし戦争の激化と共に統制が厳しくなり、アンゴラ兎毛も生産者を無視した公定価格が定められたために養兎業者の生産意欲の低下を招き、軍需物資として飼育が奨励されながらも徐々に減産した [13] [14] [32] 。 終戦の年、1945年(昭和20年)の飼育数は約11万匹まで減少している [10] [22]

戦後

昭和21 - 40年 アンゴラ兎毛輸出入実績(単位:トン)日本貿易年表より [5] [6]

1946年(昭和21年)、アンゴラウサギの飼育数はさらに減少して約8万7000匹となっていた [22] 。 戦後、食料にされたウサギも多かったといわれる [33] 。 同年7月、食料支援の見返り物資の指定にアンゴラ兎毛が含まれていたため、連合軍総司令部の援助の元、アンゴラ兎毛の対米輸出が始まり外貨獲得に貢献することになる。戦後アメリカ国内ではアンゴラ兎毛の需要が拡大しており、年間50万ポンド、約226トンの輸出を希望していた。また、イギリスやフランスなどヨーロッパ各国への輸出も期待できる有望な産業として農林省、貿易庁などの援助も積極的だった [14] [32] [33]

1948年(昭和23年)には国立の種兎繋養牧場、長野種畜牧場がアンゴラウサギの飼育、改良を開始 [3] [34]1950年(昭和25年)3月にはアンゴラウサギの飼育振興策として血液更新、品種改良を目的にカナダ系アンゴラウサギ435匹が輸入された [35] 。 こうして採毛養兎が再び脚光を浴び、アンゴラウサギの飼育数も約32万匹まで回復している [22] 。 また、同年春には農林省毛皮獣係官の斡旋でアンゴラクラブが創立されている。それまで、養兎業先進地の長野県では独自に改良目標と審査標準を定めて種兎の登録、改良が行われていたが、国内における審査標準は存在しなかった。そこでアンゴラクラブにおいて、日本国内のアンゴラウサギの改良目標が検討され審査標準が作成された [36] 。 そして翌1951年(昭和26年)に日本独自のアンゴラウサギ「日本アンゴラ種」と命名される [9] [37] 。 その後アンゴラ兎毛の輸出は増えてゆき1961年(昭和36年)には146.9トンに達した [5] [6] [10] 。 その一方、アンゴラ兎毛を使ったセーターなど加工製品の輸出も増加しており、国内の兎毛加工業界の需要を満たすために原料となるアンゴラ兎毛を輸入するようになった [8] 。 昭和30年代には兎毛輸入量が輸出量を上回る年が多くなっている [5] [6]

1965年(昭和40年)2月、日本アンゴラ種のさらなる改良を目指して農林省によって改良目標が定められ [1] 、 同時に品種改良を進める上で全国統一の種兎の登録基準、審査標準の必要性をみとめて統一登録基準、統一審査標準が作成された [38] 。 しかし、昭和40年代には既に養兎業の盛んな中国やフランスなどに押されて兎毛輸出は減少しはじめており、以降、日本の採毛養兎は衰退の一途をたどる [8] [10] 。 そして、アンゴラ兎毛の需要減少による養兎業の衰退とともに、日本アンゴラ種も数を減らしていった。1975年(昭和50年)の兎毛輸出量は8.5トン [10]1978年(昭和53年)の飼育数は1万匹以下となり、長野県、岩手県福島県などでそれぞれ約2000匹、その他、各地で小規模な飼育が行われるのみであった。このころの主な用途は実験動物用で、年間数千匹が実験に供された。アンゴラ兎毛の生産量は年間約2トンにまで落ち込んだ [30]

平成期

養兎業衰退後も日本アンゴラ種の研究、改良を行っていた長野種畜牧場、現在の独立行政法人家畜改良センター茨城牧場長野支場の養兎施設において飼育が続けられていたが、種兎の需要減少により2006年平成18年)度から凍結受精卵による血統維持に移行し、2007年(平成19年)にはウサギの種畜供給業務も終了したため、以降、飼育はされていない [34]

2017年(平成29年)現在、日本アンゴラ種の飼育が確認されているのは、2004年(平成16年)に家畜改良センターから譲り受けた6匹を基に繁殖を行っている神戸市立六甲山牧場と、同牧場から譲渡された淡路ファームパーク イングランドの丘、及び兵庫県立但馬牧場公園のみである [39] [40]

品種改良の経過

鐘紡別府種牧場 兎舎とローヤルアンゴラ種

1925年(大正14年)にイギリスからローヤルアンゴラ種が輸入されて以降、日本の採毛養兎は主にローヤルアンゴラ種の飼育、改良によって発展してきた。昭和初期に日本で飼育されていたアンゴラウサギの9割がローヤルアンゴラ種で、残る1割がフランス系アンゴラウサギとカナダ系アンゴラウサギだったといわれる [41] 。 ローヤルアンゴラ種は第一次世界大戦後にフランス系アンゴラウサギを改良して作られた品種で、紡織に適した繊細な被毛を持つ優れた品種だった。しかし、アンゴラウサギの年間産毛量は体重の1割が標準とされており、体重が3.75キログラム以上あるフランス系アンゴラウサギに対し、3.2キログラム止まりのローヤルアンゴラ種は産毛量で劣っていた [42] 。 カナダ系アンゴラウサギはフランス系アンゴラウサギと、ローヤルアンゴラ種を交配して作られたといわれており、ローヤルアンゴラ種に近い被毛を持ちながら大柄で産毛量も多かった [41] [42]

1948年(昭和23年)に長野種畜牧場がアンゴラウサギの研究、改良を開始するまで日本には公的なウサギの研究機関が存在しなかったため、メンデルの法則に基く科学的な品種改良は既に広く知られていたが、改良の多くは、ローヤルアンゴラ種にフランス系アンゴラウサギ、さらにカナダ系アンゴラウサギを交配し、昔ながらの「良い親からは良い子」式のやり方で、毛質の良いもの、毛の密度の高いもの、体の大きいものを選りすぐることで日本アンゴラ種が成立したと考えられている [43] 。 輸入当初のローヤルアンゴラ種の産毛量が年間250グラム前後であったのに対し、1938年(昭和13年)ごろの千葉畜産試験場調査では年間350グラム前後となっている [44]

戦後はアンゴラクラブや農林省によって作成された改良目標、審査標準に基いた改良が各地で進められ、1959 - 1962年(昭和34 - 37年)の長野種畜牧場調査では年間産毛量500グラム前後に増加 [44] 、 1965年(昭和40年)開催の福島県畜産共進会に出品された日本アンゴラ種の平均体重は、雄4.1キログラム、雌4.4キログラム、もっとも大きなものは5.23キログラムに達し、年間産毛量が500 - 700グラムにおよぶウサギもいた [45] 。 1967年(昭和42年)ごろには統一審査標準の目標産毛量、年間600グラム以上のウサギも多くなっている [44] 。 しかし、昭和50年代の標準的な成兎の体重は3 - 3.6キログラム、年間産毛量は320 - 480グラムとなっており、最盛期にくらべて産毛量が減少している [2] [46]

昭和40年代以降、日本での採毛養兎は衰退してしまったが、毛質に優れ産毛量も多い日本アンゴラ種の優良種兎は海外からも需要があり、昭和50年代には海外へ出荷されている [47] 。 また、1986年(昭和61年)に家畜改良センターが西ドイツから雄5匹、雌5匹の種兎を輸入していることから [3] 、 現在の日本アンゴラ種にはドイツで毛用種として飼育されていたアンゴラウサギも関係していると考えられる。

出典・脚注

  1. ^ a b 兎の飼育と経営』(13 - 15頁)兎の改良目標 日本アンゴラ種
  2. ^ a b 農業技術大系 畜産編 第6巻 中小家畜』ウサギ 飼育技術の基礎 改良経過と1頭当たり年間産毛量
  3. ^ a b c 動物遺伝資源の特性調査成績』 第2巻(5)-1)日本アンゴラ種
  4. ^ ホープ アンゴラ 兎毛と飼養法』(11-12頁)海外諸国における飼育状況
  5. ^ a b c d ホープ アンゴラ 兎毛と飼養法』(21頁)表(A)アンゴラ兎毛の年次別輸出統計
  6. ^ a b c d 兎の飼育と経営』(5頁)表-5 兎毛年別輸出入実績表
  7. ^ 農業技術大系 畜産編 第6巻 中小家畜』ウサギ 飼育技術の基礎 歴史的経過
  8. ^ a b c 兎の飼育と経営』(4頁)わが国の養兎
  9. ^ a b うさぎがピョン Vol.10』(49頁)日本アンゴラ開発の歴史
  10. ^ a b c d e f 農業技術大系 畜産編 第6巻 中小家畜』ウサギ 飼育技術の基礎 アンゴラウサギの歴史
  11. ^ a b c 増補改訂飼育全書 アンゴラ兎』(13 - 14頁)我が国に渡来の歴史
  12. ^ a b アンゴラ兎今昔物語』(114 - 122頁)自力更生は加工から
  13. ^ a b c d e アンゴラ兎の飼育と経営』(9- 13頁)日本での歴史
  14. ^ a b c d e f g 増補改訂飼育全書 アンゴラ兎』(14 - 18頁)発達の経過
  15. ^ a b c d e 実際的なアンゴラ兎飼育法 第一巻 アンゴラ飼育と現金収入』(1頁)アンゴラ養兎の経過
  16. ^ アンゴラ兎今昔物語』(48 - 65頁)アンゴラ兎及其兎毛に就テ
  17. ^ アンゴラ兎今昔物語』(47頁)
  18. ^ アンゴラ兎今昔物語』(15頁)印度洋
  19. ^ a b c 体験に基づく アンゴラ養兎の経営』(3頁)我国の経過
  20. ^ アンゴラ兎今昔物語』(19頁)採毛本位の最初の試育
  21. ^ アンゴラ兎今昔物語』(66 - 67頁)アンゴラの事業化目醒まし
  22. ^ a b c d e ホープ アンゴラ 兎毛と飼養法』(10頁)日本におけるウサギの飼育戸数と頭数(農林省、畜産課)
  23. ^ 増補改訂飼育全書 アンゴラ兎』(17 - 18頁)収毛実績表(東京繊維工業株式会社調査に依る)
  24. ^ アンゴラ兎今昔物語』(25頁)アンゴラ兎毛初輸出
  25. ^ アンゴラ兎今昔物語』(76頁)狂乱時代来る
  26. ^ アンゴラ兎今昔物語』(84 - 86頁)青天の霹靂
  27. ^ 採毛養兎と其経営』付録(355 - 441頁)昭和五、六年に於ける養兎流行の実相
  28. ^ アンゴラ兎今昔物語』(92 - 104頁)喧々囂々
  29. ^ アンゴラ兎今昔物語』(123 - 128頁)東京アンゴラ兎毛株式会社の誕生業界を救ふ
  30. ^ a b 日本における「アンゴラウサギ」飼育の現状
  31. ^ 採毛養兎と其経営』(17頁)本邦に於ける採毛養兎の趨勢
  32. ^ a b 増補改訂飼育全書 アンゴラ兎』(18 - 26頁)アンゴラ養兎の将来性
  33. ^ a b アンゴラ兎の飼育と経営』(13- 14頁)輸出のホープ・アンゴラ兎毛
  34. ^ a b 独立行政法人家畜改良センター茨城牧場長野支場の歴史
  35. ^ アンゴラ兎の飼育振興に関する質問に対する答弁書
  36. ^ 畜産大系 第23編 家兎』(22-24頁)アンゴラ日本種の改良目標と審査標準
  37. ^ うさぎの時間 no.2』(29頁)日本の産業を支えたウサギ
  38. ^ 兎の飼育と経営』(15 - 20頁)登録基準および審査標準 日本アンゴラ種
  39. ^ 幻のウサギ「日本アンゴラ」繁殖に奮闘、六甲山牧場
  40. ^ 幻のウサギ「日本アンゴラ」神戸で復活 繁殖続け30羽
  41. ^ a b 採毛養兎と其経営』(51頁)種類
  42. ^ a b 増補改訂飼育全書 アンゴラ兎』(36-39頁)アンゴラ兎の種類と特徴
  43. ^ 兎の飼育と経営』(20 - 28頁)改良の進め方
  44. ^ a b c 兎の飼育と経営』(159 - 161頁)産毛量の改善
  45. ^ 兎の飼育と経営』(11 - 12頁)日本アンゴラ種
  46. ^ 農業技術大系 畜産編 第6巻 中小家畜』ウサギ 飼育技術の基礎 アンゴラウサギ飼育の注意点
  47. ^ 農業技術大系 畜産編 第6巻 中小家畜』ウサギ 採毛用(日本アンゴラ種400匹)出荷と収支

参考文献

外部リンク