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{{Otheruses|札幌市中央区 |
{{Otheruses|札幌市中央区にある繁華街・歓楽街|[[横浜市]][[青葉区 (横浜市)|青葉区]]にある地名|すすき野}} |
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[[File:Spectaculars of Susukino-Sapporo.jpg|thumb|すすきのビル(すすきの交差点)(2009年8月)]] |
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[[File:Susukino 201406.jpg|thumb|すすきの交差点(2014年6月)]] |
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[[File:Susukino View 201406.jpg|thumb|国道36号(月寒通)(2014年6月)]] |
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'''すすきの'''(Susukino)は、[[北海道]][[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]]にある[[歓楽街]]・[[繁華街]]である。'''薄野'''、'''ススキノ'''とも表記される。[[歌舞伎町]]([[東京都]][[新宿区]])、[[中洲]]([[福岡県]][[福岡市]])と合わせて日本三大歓楽街と呼ばれる事もあり、[[東京都|東京]]以北で最大<!--国分町(仙台市)よりも規模が大きい。※『すすきの駅』(最寄り駅)や隣接する『狸小路商店街』の記事との整合性の観点から、ここでは「東京以北」と記述する。-->の歓楽街であるが、[[飲食店]]・[[風俗店]]から[[複合商業施設|大型商業施設]]・[[ホテル|外資系ホテル]]まで、あらゆるジャンルが混在する巨大繁華街でもある。現在では、日本国内はもとより外国人の姿も多く、特に[[さっぽろ雪まつり]]開催時には国外からの観光客も訪れ、更にも増して国際色豊かになる。 |
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'''すすきの'''(ススキノ、薄野、''{{Lang-en-short|Susukino}}'')は、[[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]]にある[[繁華街]]・[[歓楽街]]。日本国内外から[[観光客]]が訪れる[[観光地]]にもなっている<ref name="まちづくり">{{Cite web |url=http://www.city.sapporo.jp/kikaku/downtown/areamanagement/susukino.html |title=すすきの地区のまちづくり |publisher=[[札幌市]] |accessdate=2017-09-22}}</ref>。 |
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== 概要 == |
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すすきのは「東京以北で最大の歓楽街」と言われており<ref name="まちづくり"/>、ひとつのビルの中に[[飲食店]]や[[風俗店]]が入居しているほか、[[ホテル]]などの[[宿泊施設]]、娯楽施設や商業施設が隣接しているなど、あらゆる業種が集積しているのが特徴になっている<ref name="すすきのについて">{{Cite web |url=http://www.susukino-ta.jp/history/ |title=すすきのについて |publisher=すすきの観光協会 |accessdate=2017-09-22}}</ref>。また、女性だけで飲み明かしても安全な歓楽街であるとされ、[[治安]]の良さも特徴になっている<ref name="すすきのについて"/>。すすきのは正式な地名ではないが、地下鉄「[[すすきの駅]]」「[[豊水すすきの駅]]」や市電「[[すすきの停留場]]」の駅名などに使用しており、おおよその範囲は東西は西1丁目から西6丁目の間、南北は南4条から南9条の間となっている<ref>{{Cite web |url=http://www.susukino-ta.jp/pdf_data/susukino_map.pdf |title=すすきのエリアMAP |format=PDF |publisher=すすきの観光協会 |accessdate=2017-09-22}}</ref>。「札幌市屋外広告物条例」による「広告物活用地区」に指定されている区域があり、まちの活気や雰囲気を形成するため広告物の[[規制緩和]]ができるようになっている<ref>{{Cite web |url=http://www.city.sapporo.jp/kensetsu/dokan/kokoku/shiteiseido.html |title=地区指定制度 |publisher=札幌市 |accessdate=2017-09-22}}</ref>。 |
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現在はすすきのという正式な地名はないが、[[#すすきの交差点|すすきの交差点]]、[[すすきの駅]]([[札幌市電]]、[[札幌市営地下鉄]])などの名称として広く用いられている。すすきのという地名が示す地域の範囲は曖昧であるが、すすきの観光協会<ref>[http://www.susukino-ta.jp/ 社団法人すすきの観光協会]</ref>では、南北は南4条の都通から南6条の間、東西は西2丁目から西6丁目の間と定めている。 |
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== 名称の由来 == |
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薄野という地名の由来は、当時の開拓判官であった[[岩村通俊]]が遊郭建設に携わった開拓監事の[[薄井龍之]]の名をとって命名したという説が広く知られているが、周辺に[[ススキ]]が生い茂っていたことから東京・吉原の「ヨシ」を「ススキ」に替えて洒落たという説もある。 |
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「薄野」(すすきの)の名称については、[[開拓使]]によって[[遊郭]]を設置する際に工事監事であった[[薄井龍之]]の姓に因み、当時の開拓判官であった[[岩村通俊]]が名づけたというのが通説になっている{{Sfn|札幌地名考|pp=34-35}}。一説には当時の薄野一体が茅野([[ススキ]]の別称)であったことから名づけたとも言われている{{Sfn|札幌地名考|pp=34-35}}。また、測量者の藤井小主典に因んで薄野の一角を「藤井町」と名づけたほか「仲の町」や「柳川町」といった町名を設けたが、[[1881年]]([[明治]]14年)に条丁目に統一された{{Sfn|札幌地名考|pp=34-35}}。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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[[1871年]]([[明治]]4年)、一時中断していた[[開拓使]]による札幌本府建設が再開すると、多くの[[請負|請負人]]、[[大工]]、[[職人]]が札幌に送り込まれた{{Sfn|歴史の散歩道}}。このため、函館から[[商人]]12戸を移住させたが、そのうち8戸が貸座敷、ほかも旅人宿や飲食店などの接客業であり、1つの[[花街]]を形成するかのようであった{{Sfn|札幌地名考|pp=34-35}}{{Sfn|歴史の散歩道}}。これらの業者を町の中で自由に営業させることは風紀上好ましくないことであるほか、取り締まることも難しいため、現在の南4・5条と西3・4丁目の二町四方に[[公娼]]の[[遊郭]](官許遊郭)を設置することになった{{Refnest|group="注"|候補地は現在の「薄野」(すすきの)のほか、当時の「浦河通」(現在の南3条東2丁目付近)を推す者もいた{{Sfn|札幌地名考|pp=34-35}}。}}。開拓使による遊郭設置の理由としては、開拓者を札幌に繋ぎ止める必要があったことなどが考えられている。 |
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[[ファイル:Susukino(1).jpg|thumb|250px|right|夕方のすすきの。南4条西1丁目にて、西方向に向かって撮影した。写真奥から伸びている道路は、[[国道36号]]である。]] |
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[[ファイル:Susukino building.jpg|thumb|230px|right|昼間のすすきのビル]] |
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=== 歓楽街の始まり === |
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[[1871年]]、[[開拓使|北海道開拓使]]が現在の南4・5条、西3・4丁目の区画を[[遊廓]]地帯に指定した事が歓楽街の始まりである。開拓使はこの区画を「薄野遊郭」と命名し、周辺に点在していた[[旅籠]](実質的な[[売春]]宿)を当地へ移転させた。開拓使による売春街建設の理由として、開拓に従事する労働者を札幌に繋ぎ止める必要があったことなどが考えられる。 |
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[[1872年]](明治5年)の「[[マリア・ルス号事件]]」に端を発した奴隷に準ずる人々に対する人権問題解消の機運は、同年の「[[芸娼妓解放令]]」発令へと繋がっていった<ref name="白石歴しるべ">{{Cite web |url=https://www.city.sapporo.jp/shiroishi/shokai/history/rekishirube/documents/reki54_55.pdf |title=札幌(白石)遊郭・北海道庁立白石治療院・札幌市助産所 |format=PDF |work=白石歴しるべ |publisher=札幌市白石区 |accessdate=2017-09-23}}</ref>。開拓使は北海道の特殊事業により実施の延期を求めたが却下された<ref name="白石歴しるべ"/>。しかしながら、実際に取り締まることが難しかった上に解放された遊女たちは自殺するものや[[妾]]になるものが増えたため<ref name="白石歴しるべ"/>、明治政府は翌年に売女屋設置を再度認めている<ref name="白石歴しるべ"/>。[[1877年]](明治10年)に開拓使は「貸座敷並芸娼妓三業規則」を定め{{Refnest|group="注"|三業とは貸座敷業、芸妓業、娼妓業である<ref name="白石歴しるべ"/>。}}、薄野に正式な遊郭となる「札幌遊郭」を発足させた<ref name="白石歴しるべ"/>。当初は郊外に位置していた遊郭も明治後期になるとまちの中心部になっており、移転を求める声が大きくなっていた<ref name="白石歴しるべ"/>。[[1901年]](明治34年)には札幌区会により鴨々川上流への遊郭移転が決議されたが{{Refnest|group="注"|薄野遊廓周辺に教育機関(小学校や女子職業学校)があったことが理由であった。}}、業者などの協力を得ることができなかったためほとんど実行されなかった。その後、[[中島公園]]を第1会場とする『[[開道五十年記念北海道博覧会]]』開催が決まると遊廓移転の話が再び持ち上がり、幾つかの候補地が名乗りを上げた。その中でも当時の[[白石村 (北海道)|白石村]]はリンゴ園が病害虫の発生で壊滅状態になっていた<ref name="白石歴しるべ"/>。そこで、リンゴ園主は遊郭誘致に活路を見出して当時の札幌区に土地を寄付し、[[1917年]]([[大正]]6年)に白石への遊郭移転が決まった<ref name="白石歴しるべ"/>。[[1918年]](大正7年)から[[1920年]](大正9年)にかけてにススキノ周辺の人口増加などにより、[[豊平川]]を越えた[[菊水 (札幌市)|菊水]]に遊郭(札幌遊郭)を移設し、「白石遊郭」と呼ばれた<ref name="白石歴しるべ"/>。なお、薄野の遊郭跡には[[カフェ]]や[[バー (酒場)|バー]]などの[[飲食店]]が建ち並び、ススキノの[[ネオン]]の基礎をつくった<ref name="歴史">{{Cite web |url=http://www.susukino-ta.jp/history/index2.html |title=すすきのの歴史 |publisher=すすきの観光協会 |accessdate=2017-09-22}}</ref>。 |
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翌年には開拓使によって薄野遊廓の周囲900mに高さ1.2mの土壁が造られ、南4条通と札幌駅前通の交差点、または南5条通と西3丁目通の交差点には大門が設置された。土壁内部の南4条通は「藤井町」、南5条通は「中之町」、南6条通は「柳川町」と名付けられた。同年秋には新政府から芸娼妓解放令が発令されたが、遊女屋が貸座敷などに呼び名が変更されたくらいで、実質的には大きな影響は無かった。その後、[[公娼制度]]の確立とともに、薄野遊廓の周辺は歓楽街として順調に発展した。 |
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戦後のススキノには[[キャバレー]]や[[ダンスホール]]などが誕生し、進駐軍も街中を出歩いた。[[1951年]]([[昭和]]26年)には札幌市が風俗取締条例を制定し、進駐軍の撤退も始まった。[[1958年]](昭和33年)に「[[売春防止法]]」が完全施行になると白石遊郭は姿を消すが<ref name="白石歴しるべ"/>、ススキノから売春は無くならず、[[屋台]]の集まりや露店などが売春斡旋の温床([[青線]])になっていた<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090272072 |title=青線は消えたはずなのにまだ残るポン引のリンタク=札幌市薄野で |date=1958-03-24 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=[[北海道新聞社]] |accessdate=2017-09-23}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090284057 |title=ザル法をくぐる売春街 |date=1959-03-20 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref>。[[1964年]](昭和39年)には行政による強制撤去を行ったが<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090284024 |title=期限切れの6日になっても灯の消えない薄野屋台街 |date=1964-10-06 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090283578 |title=バーの灯も消えて静かになった薄野=4日午前1時ごろ、札幌・ススキノ |date=1964-11-05 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref>、程なく新たな屋台団地が誕生した{{Refnest|group="注"|1981年(昭和56年)には立ち退きを拒否し続けていた最後の2軒が、裁判所による強制執行で取り壊しとなった<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090283953 |title=ススキノ 屋台団地、きょう幕 夜の灯14年 強制2軒取り壊し |date=1981-09-15 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref>。}}<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090284019 |title=新しく誕生した南5西6の屋台団地 札幌薄野 |date=1964-10-10 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref>。木造で違法建築物が多いことなどから火災が多いススキノであったが<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090283625 |title=火に弱い歓楽街 違反建築が多い薄野 |date=1962-12-31 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090283612 |title=木造3階建ての違反建築がひしめく薄野地区 |date=1963-03-04 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090283594 |title=華やかな薄野も裏から見ると危険な無防備建物が目立つ |date=1964-04-28 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090283735 |title=木造違法建築物が多い札幌・薄野の繁華街 |date=1965-11-30 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref>、[[札幌駅前通]]の拡幅<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090283723 |title=ようやく道路の拡張が行われる薄野地区 |date=1966-05-16 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref>、ビルの建設<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090283714 |title=空へ向かって伸びる薄野 |date=1967-06-19 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090283653 |title=高いビルが建ちデラックスになっていくススキノかいわい |date=1970-04-17 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref>、[[札幌市営地下鉄南北線]][[すすきの駅]]が開業するなど、札幌の発展とともに街並みも変化していった。 |
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=== 遊郭の移転(1920年) === |
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1901年には札幌区会によって薄野遊廓の鴨々川上流地区への移転が決議された。薄野遊廓の周辺に小学校や女子職業学校があったことがこの理由であった。しかし業者などの協力が得られなかったことから、移転はほとんど実行されなかった。1918年には薄野遊廓からほど近い[[中島公園]]で[[開道五十年記念北海道博覧会]]が開催されることもあり、薄野遊廓移転の話が再度持ち上がった。移転先は現在の[[白石区]]菊水地区とされた。移転は北海道博覧会の開催には間に合わなかったが、2年後の[[1920年]]夏に実現した。 |
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1970年代前半には大型のキャバレー「[[東京テアトル|札幌クラブハイツ]]」(2013年閉店)<ref>{{Cite web |url=https://sapporo.keizai.biz/headline/1572/ |title=国内唯一の大型キャバレー「札幌クラブハイツ」、43年の歴史に幕 |date=2013-01-10 |work=札幌経済新聞 |accessdate=2017-09-24 |quote=[[みんなの経済新聞ネットワーク]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0050425819 |title=<探る見る さっぽろプラス>キャバレー「札幌クラブハイツ」28日閉店*記者が体験*昭和の残り香 消える社交場 |date=2013-02-22 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-24}}</ref>、「エンペラー」(2006年閉店)<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0010118492 |title=青木商事*ススキノのビル売却へ*老舗キャバレー来月閉店 |date=2006-08-11 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-24}}</ref>、「[[ミカド (キャバレー)|ミカド]]」(1986年閉店)が相次いでオープンした<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090283868 |title=灯消えた名門キャバレー「ミカド」 |date=1986-06-07 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-24}}</ref>。また、[[1974年]](昭和49年)にはススキノ初の[[百貨店]]「札幌松坂屋」(後の[[ヨークマツザカヤ]]、ロビンソン百貨店 札幌、現在の[[ススキノラフィラ]])が開店している。1970年代後半からは[[ディスコ]]がブームになり、「釈迦曼荼羅」、「[[マハラジャ (ディスコ)|マハラジャ]]」などが誕生したほか、「[[トルコ風呂 (性風俗)|トルコ風呂]]」([[ソープランド]])が急増した<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090283944 |title=薄野のトルコは、いま75店を数えるという |date=1979-10-07 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090283940 |title=薄野トルコ街 |date=1980-04-02 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref>。なお、[[1985年]](昭和60年)の「[[風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律]]」(風俗営業法)改正の施行により規制が強化され、「トルコ」の文字は消えた<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090283923 |title=「トルコ」の3文字が看板から消え始めた札幌・ススキノの個室付き浴場街 |date=1985-03-18 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref>。[[1991年]]([[平成]]3年)にディスコとしてオープンした「キング・ムー」は<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090283734 |title=<こだま> ススキノに「ムー文明」が出現? |date=1991-03-03 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref>、[[バブル時代]]を経て[[クラブ (接待飲食店)|クラブ]]に変更した後、[[2008年]](平成20年)頃に閉店したが<ref>{{Cite web |url=http://hre-net.com/syakai/syakaibunka/16141/ |title=「キングムー」が来春ディスコに? 「三新」が再デビュー準備か |date=2015-08-25 |work=リアルエコノミー |accessdate=2017-09-26}}</ref>、[[2016年]](平成28年)にダンスクラブ「KING∞XMHU」として復活した<ref>{{Cite web |url=http://hre-net.com/syakai/syakaibunka/18727/ |title=キングムー30日復活 テーマパーク型ダンスクラブで装い一新 |date=2016-05-01 |work=リアルエコノミー |accessdate=2017-09-26}}</ref>。 |
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=== 移転後 === |
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すすきのから売春宿は無くなったが、代わりに[[料亭]]、[[カフェー]]、[[映画館]]などが誕生し活気付いた。戦時中は活気も失われるが、戦後まもなく[[キャバレー]]や[[ダンスホール]]などが誕生し、駐留アメリカ兵も多く出歩き賑わった。すすきのは売春が公認された[[赤線]]ではなかったが、実態として多くの[[飲食店]]が違法に売春の斡旋を行っている[[青線]]であった。 |
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[[2005年]](平成17年)、すすきの地区は[[内閣官房]]による都市再生プロジェクト「防犯対策等とまちづくりの連携協働による都市の安全・安心の再構築」モデル地区に指定され、札幌市は「クリーン薄野活性化連絡協議会」を設立して安全で安心なススキノづくりに向けた取組みを進めたほか<ref name="ススキノ対策">{{Cite web |url=http://www.city.sapporo.jp/shimin/chiiki-bohan/kanrakugai/ |title=ススキノ対策 |publisher=札幌市 |accessdate=2017-09-23}}</ref>、「カラス族」{{Refnest|group="注"|「カラス族」とは、道行く女性に声を掛けて性風俗店での勤務やアダルトビデオなどへの出演を勧誘する者たちのことを指し、黒い服を着て何人かで固まっていることが多いため、そう呼ばれるようになった<ref name="ススキノ対策"/>。}}、[[風俗店]]などへの勧誘行為、卑猥な広告物や看板などの迷惑行為を罰則付きで規制する「札幌市公衆に著しく迷惑をかける風俗営業等に係る勧誘行為等の防止に関する条例」(通称・ススキノ条例)を施行した<ref name="ススキノ対策"/>。 |
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=== 売春防止法施行(1958年) === |
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[[1958年]]には[[売春防止法]]が制定されたが、すすきのから売春は無くならなかった。すすきの周辺の路上には[[ツブ]]焼き屋台などの[[露店]]が立ち並んでおり、これらが売春斡旋の温床となっていたが、1964年の行政による強制撤去により露店は姿を消した。1950年代から1960年代は[[火事]]がしばしば発生した。1958年から1965年のすすきの地区での火事の発生件数は49件、死者数13人、負傷者数37人、焼失面積15,808 m<sup>2</sup>であった。 |
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=== 年表 === |
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* [[1871年]]([[明治]]{{0}}4年):[[開拓使]]による[[遊廓]](官許遊郭)設置。 |
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1960年代後半には[[札幌オリンピック]]の開催が決定したため、札幌は好景気に沸いた。[[1970年]]前後はすすきのの中央を貫く札幌駅前通が拡幅され、地下鉄南北線や[[地下街]]ポールタウンが整備された。[[1974年]]にはすすきの地区初の百貨店、[[松坂屋]]札幌店が開店、すすきの地区も商業地区へ変貌を遂げた。その後もすすきのには多くのビルが建設され、そこに多くのクラブやバー、キャバレーなどが入居した。代表的だったのは、1971年に開店したキャバレー「[[東京テアトル|札幌クラブハイツ]]」([[2013年]][[2月28日]]に閉店)と翌年開店の[[キャバレー|マンモスキャバレー]]「エンペラー」(2006年9月閉店)、1974年開店した東京資本の[[キャバレー|グランドキャバレー]]「[[ミカド (キャバレー)|ミカド]]」(1987年春撤退・跡地は[[麒麟麦酒|キリンビール園]])などである。新宿歌舞伎町の「歌舞伎町クラブハイツ」(2009年2月閉店、経営会社は同一)が閉店し、日本国内唯一の300坪超のキャバレーとなった「札幌クラブハイツ」であったが、同店が閉店したことでいわゆる大型キャバレーは完全に姿を消した<ref>[http://sapporo.keizai.biz/headline/1572/ 国内唯一の大型キャバレー「札幌クラブハイツ」、43年の歴史に幕] - 札幌経済新聞・2013年1月10日</ref>。 |
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* [[1887年]](明治10年):開拓使による「貸座敷並芸娼妓三業規則」制定。 |
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* [[1918年]]([[大正]]{{0}}7年):札幌電気軌道(現在の[[札幌市電]])薄野交番前停留場(現在の[[すすきの駅|すすきの停留場]])開業。 |
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=== ディスコブーム(1970年代) === |
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* [[1920年]](大正{{0}}9年):[[白石村 (北海道)|白石村]][[菊水 (札幌市)|菊水]]に遊郭移転(白石遊郭)。 |
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1970年代後半からは[[ディスコ]]ブームに乗って、巨大ディスコ釈迦曼荼羅や[[マハラジャ (ディスコ)|マハラジャ]]・[[KING XMHU]]など、多くのディスコが誕生した。これに伴いナイトクラブは衰退した。 |
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* [[1965年]]([[昭和]]40年):「薄野祭」(現在の『すすきの祭り』)初開催<ref>{{Cite web |url=http://www.susukino-ta.jp/history/index3.html |title=すすきの祭りの歴史 |publisher=すすきの観光協会 |accessdate=2017-09-22}}</ref>。 |
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* [[1971年]](昭和46年):[[札幌市営地下鉄南北線]][[すすきの駅]]開業。 |
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=== 1980年代 - 現在 === |
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* [[1978年]](昭和53年):「すすきの観光協会」設立<ref name="歩み">{{Cite web |url=http://www.susukino-ta.jp/ayumi/ |title=設立経緯・歩み |publisher=すすきの観光協会 |accessdate=2017-09-22}}</ref>。 |
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1980年代にはビジネスホテルが次々と建設された。1986年には天然[[温泉]]が掘削され、スパ施設<ref>[http://www.safro.org/ 都市型スパ サフロ]</ref>・ホテル<ref>http://www.jasmacplaza.jp/ ジャスマック]</ref>に利用されている。 |
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* [[1980年]](昭和55年):『すすきのマラソン大会』初開催(1987年終了)<ref name="歩み"/>。 |
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* [[1981年]](昭和56年):『すすきの雪まつり』(後の『すすきの氷の祭典』、現在の『[[すすきのアイスワールド]]』)『すすきのイルミネーション』初開催<ref name="歩み"/>。 |
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現在は、飲食店、[[風俗店]]、外資系ホテル、[[映画館]]や[[ナイトクラブ]]などの娯楽施設などが混在する、巨大歓楽街・繁華街として全国的に知られている。 |
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* [[1988年]](昭和63年):[[札幌市営地下鉄東豊線]][[豊水すすきの駅]]開業。 |
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* [[1999年]]([[平成]]11年):『薄野縁市』初開催<ref name="歩み"/>。 |
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== 年表 == |
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* [[2005年]](平成17年):[[内閣官房]]による都市再生プロジェクト「防犯対策等とまちづくりの連携協働による都市の安全・安心の再構築」モデル地区指定。「札幌市公衆に著しく迷惑をかける風俗営業等に係る勧誘行為等の防止に関する条例」(通称・ススキノ条例)施行。 |
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* [[1871年]] - 北海道開拓使により薄野遊廓が建設される。 |
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* [[1880年]] - 札幌警察署薄野交番所(薄野交番)設置。 |
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* [[1918年]] - 札幌電気軌道(現・札幌市電)[[すすきの駅|薄野交番前(現・すすきの)停留場]]開業。 |
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* [[1920年]] - 薄野遊廓が[[白石区]]菊水に移転する。 |
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* [[1921年]] - 映画館「美満寿館」開業(その後札幌大映劇場を経て[[1955年]][[札幌東宝公楽]]に館名変更)。 |
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* [[1965年]] - 8月、第1回薄野祭(現・すすきの祭り)開催。 |
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* [[1971年]] - 地下鉄南北線[[すすきの駅]]開業。 |
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* [[1974年]] - マンモスキャバレー「ミカド」開店。[[松坂屋]]札幌店開店([[1979年]]ヨークマツザカヤ・[[1994年]][[ロビンソン百貨店]]札幌店に店名変更)。 |
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* [[1983年]] - 第1回すすきの雪まつり(現在の[[すすきの氷の祭典]])開催。 |
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* [[1988年]] - 地下鉄東豊線[[豊水すすきの駅]]開業。 |
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* [[2005年]] - すすきの交差点にある時計付き街灯が老朽化のため撤去。 |
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* [[2008年]] - ロビンソン百貨店が撤退を表明、時計付き街灯が再建。 |
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* [[2009年]] - ロビンソン百貨店が閉店。同ビルに総合商業施設「ラフィラ」開店。 |
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* [[2010年]] - 札幌東宝公楽が閉館 |
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* [[2015年]] - 札幌東宝公楽跡地に「ラウンドワン札幌すすきの店」が開店。 |
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<!--*[[2015年]] - 札幌市電すすきの - <!--狸小路停留所 - -->西4丁目各停留場間が開業し、ループ(環状)化完了(42年ぶりに再開)-->(すすきのでのイベントについては[http://www.susukino-ta.jp/topics/eventinfo/ すすきの観光協会イベント情報]、[http://www.welcome.city.sapporo.jp/cal/ 札幌市観光行政(札幌市観光企画課まとめ)]を参照)。 |
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== すすきの交差点 == |
== すすきの交差点 == |
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'''すすきの交差点'''は、[[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]]にある[[札幌駅前通]]と月寒通(南4条通)の[[交差点]]。別称「ススキノ十字街」。交差点の面積が広く人や車の[[交通量]]が多いことから[[交通事故]]の発生率が高く、[[日本損害保険協会]]による北海道内の「交通事故多発交差点」に度々指定されている<ref>{{Cite web |url=http://www.sonpo.or.jp/efforts/reduction/kousaten/kousatenmap26/01/0101.html |title=すすきの交差点 |work=北海道 平成26年の交通事故多発交差点 一覧 |publisher=[[日本損害保険協会]] |accessdate=2017-09-25}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0050647572 |title=「交通事故多発マップ」HPで公開*道内1位はススキノ交差点*日本損保協会*ワースト5、すべて札幌市 |date=2013-09-24 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref>。交差点中央にある時計付の[[街路灯]]は、[[2005年]]([[平成]]17年)に地下鉄改修工事のため一次撤去したが<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0020050150 |title=サヨナラ?時計塔*ススキノ交差点の“顔”*交通局*地下鉄工事で一時撤去*財政難、再設置困難か |date=2005-12-15 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-25}}</ref>、[[2008年]](平成20年)に新たなものを設置して復活した<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0010344259 |title=時計付き街路灯復活*ススキノに3年ぶり |date=2008-10-28 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-25}}</ref>。[[2016年]](平成28年)には交差点名標識を「南4西3」または「南4西4」から、[[観光地]]として分かりやすい案内にするため「すすきの」(''Susukino'')に統一した<ref>{{Cite press release |url=http://www.hkd.mlit.go.jp/sp/release/kluhh4000000c2qh-att/gburoi0000002ti2.pdf |title=観光地名称を表示した交差点名標識を設置します! 〜国道36号×札幌駅前通の交差点名標識を改善します〜 |date=2016-07-26 |publisher=[[北海道開発局]] 札幌開発建設部 |accessdate=2017-09-25}}</ref>。 |
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すすきのの中心部、南4条西4丁目と南4条西3丁目の境界に位置する[[札幌駅前通]]と月寒通(南4条通)の交差点は'''すすきの交差点'''と呼ばれている({{ウィキ座標|43|3|20.4|N|141|21|11.7|E|region:JP|name=すすきの交差点|地図}})。札幌駅前通として南へ向かって進んできた[[国道36号]]が東(月寒通)へ折れる地点であり、交通量も非常に多い交通の要衝でもある。 |
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File:Chuo Sapporo S4W4S4W3 01s4s3200.jpg|すすきの交差点(2009年10月) |
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File:Chuo Sapporo S4W4S4W3 02n3200.jpg|すすきの交差点(2009年10月) |
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File:Chuo Sapporo S4W4S4W3 04n3200.jpg|すすきの交差点(2009年10月) |
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== すすきのが舞台(ロケ地)となった作品 == |
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交差点の中央には時計塔が立っており、2005年に地下鉄駅改修工事のため初代(1982年民間より寄贈)の時計塔は撤去されたが、2008年に工事の終了に伴い新たなものが設置された。 |
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* 『万年太郎と姉御社員』(1961年) |
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* 『[[ガメラ2 レギオン襲来]]』(1996年)<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090025283 |title=<故郷 20世紀の映画>8*ガメラ2 レギオン襲来(札幌)*迫力満点の破壊力 協力者の心境複雑 |date=2000-08-10 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref> |
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* 『[[探偵はBARにいる]]』(2011年) |
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* 『[[龍が如く5 夢、叶えし者]]』(2012年) |
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* 『[[探偵はBARにいる#探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点|探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点]]』(2013年) |
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* 『帰っておいで』(2015年)<ref>{{Cite web |url=https://pucchi.net/hokkaido/funlog/201508y-kita.php |title=舞台はススキノ! 道民の力を結集した道産映画『帰っておいで』公開 |date=2015-08-07 |work=[[北海道ファンマガジン]] |accessdate=2017-09-24}}</ref> |
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* 『[[探偵はBARにいる#探偵はBARにいる3|探偵はBARにいる3]]』(2017年) |
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== アクセス == |
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道内でも交通事故の多い交差点であり、[[日本損害保険協会]]の調査によると、2007年、2008年には北海道内ワースト1、2009年にはワースト2であった<ref>[http://www.sonpo.or.jp/protection/kousaten/kousatenmap21/ 社団法人日本損害保険協会 全国交通事故多発交差点マップ] 2011年2月5日閲覧</ref>。 |
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* [[札幌市営地下鉄南北線]][[すすきの駅]]下車 |
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* [[札幌市営地下鉄東豊線]][[豊水すすきの駅]]下車 |
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* [[札幌市電]]「[[すすきの駅|すすきの停留場]]」下車 |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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* [[札幌市電|札幌市電山鼻線・都心線]] [[すすきの駅|すすきの停留場]] |
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'''注釈''' |
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* [[札幌市営地下鉄南北線]] [[すすきの駅]] |
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* [[札幌市営地下鉄東豊線]] [[豊水すすきの駅]] |
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'''出典''' |
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* [[創成川|鴨々川]] |
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* [[札幌ラーメン横丁|ラーメン横丁]] |
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* [[さっぽろ地下街#ポールタウン|さっぽろ地下街 ポールタウン]] |
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== 参考資料 == |
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* {{Cite book|和書|publisher=[[札幌市]] |title=さっぽろ文庫 |url=http://www.city.sapporo.jp/kobunshokan/kankobutsu/bunko/ |accessdate=2017-09-22 |volume=1 札幌地名考 |ref={{SfnRef|札幌地名考}}}} |
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{{Main|ゲイ・タウン#札幌(すすきの)}} |
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* {{Cite web |url=http://www.city.sapporo.jp/chuo/gaiyo/history/documents/4-02.pdf |title=ススキノ |format=PDF |work=歴史の散歩道 |publisher=札幌市中央区 |accessdate=2017-09-22 |ref={{SfnRef|ススキノ}}}} |
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すすきの南西にゲイバーなどが40店ほど集まったエリアがあり、[[ゲイ・タウン]]としても知られる。特に[[札幌市電]]の[[東本願寺前停留場]]に近い南5条西6・7丁目 - 南6条西6丁目エリアに集中しており、エスエービルに多くのゲイバーが入居している。「Gclick」によるとゲイバーは32店、出張・売り専・マッサージが8店(2013年1月)ほどある。因みに札幌全体ではゲイ系店舗は51店ほどある<ref>ゲイイエローページ「Gclick」(2013年1月)より。</ref>。 |
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== すすきので撮影された作品 == |
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* 『[[万年太郎と姉御社員]]』1961年 [[ニュー東映]] |
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* 『[[探偵はBARにいる]]』2011年 [[東映]] |
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* 『[[龍が如く5 夢、叶えし者]]』2012年 [[PlayStation 3]]用[[ゲームソフト]]。 - 「月見野」という名前で登場。 |
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* 『[[探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点]]』2013年 東映 |
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== 出典・脚注 == |
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{{Reflist}} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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{{Commonscat|Susukino}} |
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* [[東直己]] - すすきのを舞台とした小説[[探偵はバーにいる|「ススキノ探偵」シリーズ]]の作者。 |
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* [[さっぽろ・ふるさと文化百選]] |
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* [[風俗街]] |
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* [[ゲイ・タウン]] |
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* [[タケちゃんマン|THE TAKECHANマン(タケちゃんマンの歌)]] |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* [http://www.susukino-ta.jp すすきの観光協会] |
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{{Commonscat|Susukino}} |
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* {{Facebook|susukinokankoukyoukai|一般社団法人すすきの観光協会}} |
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* [http://www.welcome.city.sapporo.jp/sites/susukino 札幌市の公式観光サイト「ようこそさっぽろ 北海道札幌市観光案内」] |
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2017年10月24日 (火) 04:59時点における版
すすきの(ススキノ、薄野、英: Susukino)は、札幌市中央区にある繁華街・歓楽街。日本国内外から観光客が訪れる観光地にもなっている[1]。
概要
すすきのは「東京以北で最大の歓楽街」と言われており[1]、ひとつのビルの中に飲食店や風俗店が入居しているほか、ホテルなどの宿泊施設、娯楽施設や商業施設が隣接しているなど、あらゆる業種が集積しているのが特徴になっている[2]。また、女性だけで飲み明かしても安全な歓楽街であるとされ、治安の良さも特徴になっている[2]。すすきのは正式な地名ではないが、地下鉄「すすきの駅」「豊水すすきの駅」や市電「すすきの停留場」の駅名などに使用しており、おおよその範囲は東西は西1丁目から西6丁目の間、南北は南4条から南9条の間となっている[3]。「札幌市屋外広告物条例」による「広告物活用地区」に指定されている区域があり、まちの活気や雰囲気を形成するため広告物の規制緩和ができるようになっている[4]。
名称の由来
「薄野」(すすきの)の名称については、開拓使によって遊郭を設置する際に工事監事であった薄井龍之の姓に因み、当時の開拓判官であった岩村通俊が名づけたというのが通説になっている[5]。一説には当時の薄野一体が茅野(ススキの別称)であったことから名づけたとも言われている[5]。また、測量者の藤井小主典に因んで薄野の一角を「藤井町」と名づけたほか「仲の町」や「柳川町」といった町名を設けたが、1881年(明治14年)に条丁目に統一された[5]。
歴史
1871年(明治4年)、一時中断していた開拓使による札幌本府建設が再開すると、多くの請負人、大工、職人が札幌に送り込まれた[6]。このため、函館から商人12戸を移住させたが、そのうち8戸が貸座敷、ほかも旅人宿や飲食店などの接客業であり、1つの花街を形成するかのようであった[5][6]。これらの業者を町の中で自由に営業させることは風紀上好ましくないことであるほか、取り締まることも難しいため、現在の南4・5条と西3・4丁目の二町四方に公娼の遊郭(官許遊郭)を設置することになった[注 1]。開拓使による遊郭設置の理由としては、開拓者を札幌に繋ぎ止める必要があったことなどが考えられている。
1872年(明治5年)の「マリア・ルス号事件」に端を発した奴隷に準ずる人々に対する人権問題解消の機運は、同年の「芸娼妓解放令」発令へと繋がっていった[7]。開拓使は北海道の特殊事業により実施の延期を求めたが却下された[7]。しかしながら、実際に取り締まることが難しかった上に解放された遊女たちは自殺するものや妾になるものが増えたため[7]、明治政府は翌年に売女屋設置を再度認めている[7]。1877年(明治10年)に開拓使は「貸座敷並芸娼妓三業規則」を定め[注 2]、薄野に正式な遊郭となる「札幌遊郭」を発足させた[7]。当初は郊外に位置していた遊郭も明治後期になるとまちの中心部になっており、移転を求める声が大きくなっていた[7]。1901年(明治34年)には札幌区会により鴨々川上流への遊郭移転が決議されたが[注 3]、業者などの協力を得ることができなかったためほとんど実行されなかった。その後、中島公園を第1会場とする『開道五十年記念北海道博覧会』開催が決まると遊廓移転の話が再び持ち上がり、幾つかの候補地が名乗りを上げた。その中でも当時の白石村はリンゴ園が病害虫の発生で壊滅状態になっていた[7]。そこで、リンゴ園主は遊郭誘致に活路を見出して当時の札幌区に土地を寄付し、1917年(大正6年)に白石への遊郭移転が決まった[7]。1918年(大正7年)から1920年(大正9年)にかけてにススキノ周辺の人口増加などにより、豊平川を越えた菊水に遊郭(札幌遊郭)を移設し、「白石遊郭」と呼ばれた[7]。なお、薄野の遊郭跡にはカフェやバーなどの飲食店が建ち並び、ススキノのネオンの基礎をつくった[8]。
戦後のススキノにはキャバレーやダンスホールなどが誕生し、進駐軍も街中を出歩いた。1951年(昭和26年)には札幌市が風俗取締条例を制定し、進駐軍の撤退も始まった。1958年(昭和33年)に「売春防止法」が完全施行になると白石遊郭は姿を消すが[7]、ススキノから売春は無くならず、屋台の集まりや露店などが売春斡旋の温床(青線)になっていた[9][10]。1964年(昭和39年)には行政による強制撤去を行ったが[11][12]、程なく新たな屋台団地が誕生した[注 4][14]。木造で違法建築物が多いことなどから火災が多いススキノであったが[15][16][17][18]、札幌駅前通の拡幅[19]、ビルの建設[20][21]、札幌市営地下鉄南北線すすきの駅が開業するなど、札幌の発展とともに街並みも変化していった。
1970年代前半には大型のキャバレー「札幌クラブハイツ」(2013年閉店)[22][23]、「エンペラー」(2006年閉店)[24]、「ミカド」(1986年閉店)が相次いでオープンした[25]。また、1974年(昭和49年)にはススキノ初の百貨店「札幌松坂屋」(後のヨークマツザカヤ、ロビンソン百貨店 札幌、現在のススキノラフィラ)が開店している。1970年代後半からはディスコがブームになり、「釈迦曼荼羅」、「マハラジャ」などが誕生したほか、「トルコ風呂」(ソープランド)が急増した[26][27]。なお、1985年(昭和60年)の「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」(風俗営業法)改正の施行により規制が強化され、「トルコ」の文字は消えた[28]。1991年(平成3年)にディスコとしてオープンした「キング・ムー」は[29]、バブル時代を経てクラブに変更した後、2008年(平成20年)頃に閉店したが[30]、2016年(平成28年)にダンスクラブ「KING∞XMHU」として復活した[31]。
2005年(平成17年)、すすきの地区は内閣官房による都市再生プロジェクト「防犯対策等とまちづくりの連携協働による都市の安全・安心の再構築」モデル地区に指定され、札幌市は「クリーン薄野活性化連絡協議会」を設立して安全で安心なススキノづくりに向けた取組みを進めたほか[32]、「カラス族」[注 5]、風俗店などへの勧誘行為、卑猥な広告物や看板などの迷惑行為を罰則付きで規制する「札幌市公衆に著しく迷惑をかける風俗営業等に係る勧誘行為等の防止に関する条例」(通称・ススキノ条例)を施行した[32]。
年表
- 1871年(明治 4年):開拓使による遊廓(官許遊郭)設置。
- 1887年(明治10年):開拓使による「貸座敷並芸娼妓三業規則」制定。
- 1918年(大正 7年):札幌電気軌道(現在の札幌市電)薄野交番前停留場(現在のすすきの停留場)開業。
- 1920年(大正 9年):白石村菊水に遊郭移転(白石遊郭)。
- 1965年(昭和40年):「薄野祭」(現在の『すすきの祭り』)初開催[33]。
- 1971年(昭和46年):札幌市営地下鉄南北線すすきの駅開業。
- 1978年(昭和53年):「すすきの観光協会」設立[34]。
- 1980年(昭和55年):『すすきのマラソン大会』初開催(1987年終了)[34]。
- 1981年(昭和56年):『すすきの雪まつり』(後の『すすきの氷の祭典』、現在の『すすきのアイスワールド』)『すすきのイルミネーション』初開催[34]。
- 1988年(昭和63年):札幌市営地下鉄東豊線豊水すすきの駅開業。
- 1999年(平成11年):『薄野縁市』初開催[34]。
- 2005年(平成17年):内閣官房による都市再生プロジェクト「防犯対策等とまちづくりの連携協働による都市の安全・安心の再構築」モデル地区指定。「札幌市公衆に著しく迷惑をかける風俗営業等に係る勧誘行為等の防止に関する条例」(通称・ススキノ条例)施行。
すすきの交差点
すすきの交差点は、札幌市中央区にある札幌駅前通と月寒通(南4条通)の交差点。別称「ススキノ十字街」。交差点の面積が広く人や車の交通量が多いことから交通事故の発生率が高く、日本損害保険協会による北海道内の「交通事故多発交差点」に度々指定されている[35][36]。交差点中央にある時計付の街路灯は、2005年(平成17年)に地下鉄改修工事のため一次撤去したが[37]、2008年(平成20年)に新たなものを設置して復活した[38]。2016年(平成28年)には交差点名標識を「南4西3」または「南4西4」から、観光地として分かりやすい案内にするため「すすきの」(Susukino)に統一した[39]。
-
すすきの交差点(2009年10月)
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すすきの交差点(2009年10月)
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すすきの交差点(2009年10月)
すすきのが舞台(ロケ地)となった作品
- 『万年太郎と姉御社員』(1961年)
- 『ガメラ2 レギオン襲来』(1996年)[40]
- 『探偵はBARにいる』(2011年)
- 『龍が如く5 夢、叶えし者』(2012年)
- 『探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点』(2013年)
- 『帰っておいで』(2015年)[41]
- 『探偵はBARにいる3』(2017年)
アクセス
脚注
注釈
出典
- ^ a b “すすきの地区のまちづくり”. 札幌市. 2017年9月22日閲覧。
- ^ a b “すすきのについて”. すすきの観光協会. 2017年9月22日閲覧。
- ^ “すすきのエリアMAP” (PDF). すすきの観光協会. 2017年9月22日閲覧。
- ^ “地区指定制度”. 札幌市. 2017年9月22日閲覧。
- ^ a b c d e 札幌地名考, pp. 34–35.
- ^ a b 歴史の散歩道.
- ^ a b c d e f g h i j k “札幌(白石)遊郭・北海道庁立白石治療院・札幌市助産所” (PDF). 白石歴しるべ. 札幌市白石区. 2017年9月23日閲覧。
- ^ “すすきのの歴史”. すすきの観光協会. 2017年9月22日閲覧。
- ^ “青線は消えたはずなのにまだ残るポン引のリンタク=札幌市薄野で”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1958年3月24日). 2017年9月23日閲覧。
- ^ “ザル法をくぐる売春街”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1959年3月20日). 2017年9月23日閲覧。
- ^ “期限切れの6日になっても灯の消えない薄野屋台街”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1964年10月6日). 2017年9月23日閲覧。
- ^ “バーの灯も消えて静かになった薄野=4日午前1時ごろ、札幌・ススキノ”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1964年11月5日). 2017年9月23日閲覧。
- ^ “ススキノ 屋台団地、きょう幕 夜の灯14年 強制2軒取り壊し”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1981年9月15日). 2017年9月23日閲覧。
- ^ “新しく誕生した南5西6の屋台団地 札幌薄野”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1964年10月10日). 2017年9月23日閲覧。
- ^ “火に弱い歓楽街 違反建築が多い薄野”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1962年12月31日). 2017年9月23日閲覧。
- ^ “木造3階建ての違反建築がひしめく薄野地区”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1963年3月4日). 2017年9月23日閲覧。
- ^ “華やかな薄野も裏から見ると危険な無防備建物が目立つ”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1964年4月28日). 2017年9月23日閲覧。
- ^ “木造違法建築物が多い札幌・薄野の繁華街”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1965年11月30日). 2017年9月23日閲覧。
- ^ “ようやく道路の拡張が行われる薄野地区”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1966年5月16日). 2017年9月23日閲覧。
- ^ “空へ向かって伸びる薄野”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1967年6月19日). 2017年9月23日閲覧。
- ^ “高いビルが建ちデラックスになっていくススキノかいわい”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1970年4月17日). 2017年9月23日閲覧。
- ^ “国内唯一の大型キャバレー「札幌クラブハイツ」、43年の歴史に幕”. 札幌経済新聞 (2013年1月10日). 2017年9月24日閲覧。 “みんなの経済新聞ネットワーク”
- ^ “<探る見る さっぽろプラス>キャバレー「札幌クラブハイツ」28日閉店*記者が体験*昭和の残り香 消える社交場”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2013年2月22日). 2017年9月24日閲覧。
- ^ “青木商事*ススキノのビル売却へ*老舗キャバレー来月閉店”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2006年8月11日). 2017年9月24日閲覧。
- ^ “灯消えた名門キャバレー「ミカド」”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1986年6月7日). 2017年9月24日閲覧。
- ^ “薄野のトルコは、いま75店を数えるという”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1979年10月7日). 2017年9月23日閲覧。
- ^ “薄野トルコ街”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1980年4月2日). 2017年9月23日閲覧。
- ^ “「トルコ」の3文字が看板から消え始めた札幌・ススキノの個室付き浴場街”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1985年3月18日). 2017年9月23日閲覧。
- ^ “<こだま> ススキノに「ムー文明」が出現?”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1991年3月3日). 2017年9月23日閲覧。
- ^ “「キングムー」が来春ディスコに? 「三新」が再デビュー準備か”. リアルエコノミー (2015年8月25日). 2017年9月26日閲覧。
- ^ “キングムー30日復活 テーマパーク型ダンスクラブで装い一新”. リアルエコノミー (2016年5月1日). 2017年9月26日閲覧。
- ^ a b c “ススキノ対策”. 札幌市. 2017年9月23日閲覧。
- ^ “すすきの祭りの歴史”. すすきの観光協会. 2017年9月22日閲覧。
- ^ a b c d “設立経緯・歩み”. すすきの観光協会. 2017年9月22日閲覧。
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- ^ “<故郷 20世紀の映画>8*ガメラ2 レギオン襲来(札幌)*迫力満点の破壊力 協力者の心境複雑”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2000年8月10日). 2017年9月23日閲覧。
- ^ “舞台はススキノ! 道民の力を結集した道産映画『帰っておいで』公開”. 北海道ファンマガジン (2015年8月7日). 2017年9月24日閲覧。
参考資料
関連項目
外部リンク
- すすきの観光協会
- 一般社団法人すすきの観光協会 (susukinokankoukyoukai) - Facebook