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その後、[[新潟少女監禁事件]]の発生を受け、[[2000年]](平成12年)に富山県警がこの失踪事件の捜査について再確認を行ったことが『[[北日本新聞]]』で報じられている<ref>「[http://web.archive.org/web/20000304000347/http://www.kitanippon.co.jp/news/morning/news.html 魚津の山中に消えた2氷見女性足取り消えて4年/県警、捜査徹底を確認]([[インターネットアーカイブ]])」『[[北日本新聞]]』2000年3月3日付朝刊。</ref>。
その後、[[新潟少女監禁事件]]の発生を受け、[[2000年]](平成12年)に富山県警がこの失踪事件の捜査について再確認を行ったことが『[[北日本新聞]]』で報じられている<ref>「[http://web.archive.org/web/20000304000347/http://www.kitanippon.co.jp/news/morning/news.html 魚津の山中に消えた2氷見女性足取り消えて4年/県警、捜査徹底を確認]([[インターネットアーカイブ]])」『[[北日本新聞]]』2000年3月3日付朝刊。</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2017年9月5日 (火) 01:36時点における版

坪野鉱泉
県道67号から見た旧坪野鉱泉旅館建物(2011年11月)。建物下の道路に面した構造物が湧水「薬師の水」水汲み場。
温泉情報
所在地 富山県魚津市坪野
座標 北緯36度46分33.7秒 東経137度27分26.8秒 / 北緯36.776028度 東経137.457444度 / 36.776028; 137.457444座標: 北緯36度46分33.7秒 東経137度27分26.8秒 / 北緯36.776028度 東経137.457444度 / 36.776028; 137.457444
泉質 塩化物泉
泉温(摂氏 18 °C
宿泊施設数 0
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坪野鉱泉(つぼのこうせん)は、富山県魚津市坪野、富山県道67号宇奈月大沢野線付近にある鉱泉坪野温泉とも呼ばれる[1]

泉質

泉質弱食塩泉[1][2]。源泉温度は18℃[1]。 婦人病[1][2]・皮膚病[1]・神経痛[2]・胃腸病[2][3]に効能があるとされる。

ホテル坪野」は1982年に倒産し廃墟となっているが、鉱泉そのものは枯れておらず現存している。旅館建物の廃墟の下に水が湧出しており、北山薬師堂(北山鉱泉)の上流部に当たることから「薬師の水」と呼ばれている。水汲み場があり、胃腸病に効く名水と言われ近隣住民などに利用されている[4]

坪野鉱泉旅館跡

旅館の建物は8階建てで、広さは3,300m2。魚津市の史跡である坪野城跡の裏にある[5]。旅館廃業後も建物は撤去されないまま放置されており、廃墟となっている。2007年刊行の『ニッポンの廃墟』では北陸随一の肝試しスポットに挙げられている[6]

失踪事件

1996年(平成8年)5月5日に富山県氷見市在住の女性2名が家族に「肝試しに行く」と告げて外出し、友人のポケットベルに「今魚津市にいる」とメッセージを送ったのを最後に行方が分からなくなるという事件が発生した[7]

富山県警は、「肝試し」「魚津市にいる」というキーワードから、2人は魚津市にある廃墟となった坪野鉱泉旅館跡に出向き、その後失踪した、という結論に至り、事件・事故の両面から捜査を行った。しかし事件から1年後である1997年(平成9年)5月4日時点で手がかりが何もないことが『読売新聞地方版・富山よみうり』にて、「少女不明から1年」と題して2日間に渡って地域ニュースの特集記事として報じられた[7]

紙面では更に、女性の片方が所有し失踪当時運転していた乗用車が発見されないことから、県警ヘリと山岳捜索隊を組織し、崖下など車が転落しそうな地点を捜索したが発見に至らず、当時の坪野鉱泉が暴走族のたまり場であったことから事件に巻き込まれた可能性もあるとしている[7]

また、記事中では、

  • 坪野鉱泉旅館跡地は週末になると石川県新潟県福井県岐阜県など他県からの暴走族が集会に集まる場所となっていること
  • 地元民から治安上不安な場所として不安視される声が出ていること
  • 敷地内はガラスが割られ、落書きされ、立ち入り禁止を示すロープなどは切断されるなど危険な場所となっていること

などが紹介されている[7]

その後、新潟少女監禁事件の発生を受け、2000年(平成12年)に富山県警がこの失踪事件の捜査について再確認を行ったことが『北日本新聞』で報じられている[8]

脚注

  1. ^ a b c d e 大石真人編 『全国温泉辞典』 東京堂出版、1981年、212頁。全国書誌番号:81022421NCID BN00853563
  2. ^ a b c d 岡田正二 『富山のいで湯』 北日本新聞社、1977年、265頁。全国書誌番号:77019487NCID BN01839739
  3. ^ 魚津市史編纂委員会『魚津市史 下巻 近代のひかり』魚津市、1972年、605-606頁頁。全国書誌番号:73002783 NCID BN04298850
  4. ^ 富山県の代表的な湧水環境省ホームページ
  5. ^ 魚津市・坪野城跡”. 魚津市. 2012年1月8日閲覧。
  6. ^ 酒井竜次監修・編集 『ニッポンの廃墟』 インディヴィジョン、2007年、163頁。ISBN 978-4-9903712-0-3
  7. ^ a b c d 「廃墟に向かった2人失跡(魚津)」『読売新聞地方版・富山よみうり』、1997年(平成9年)5月4日付。
  8. ^ 魚津の山中に消えた2氷見女性足取り消えて4年/県警、捜査徹底を確認インターネットアーカイブ)」『北日本新聞』2000年3月3日付朝刊。

外部リンク