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== 外部リンク ==
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* [http://www.seiyoginza.com/ 西洋銀座] - 閉館後にテアトル東京が運営するデリカショップ及びパティスリーの公式サイト
* [http://www.seiyoginza.com/ 西洋銀座] - 閉館後にテアトル東京が運営するデリカショップ及びパティスリーの公式サイト
* [http://web.archive.org/web/*/http://www.seiyo-ginza.co.jp/ ホテル西洋銀座] - [[インターネットアーカイブ]]
* [http://web.archive.org/web/*/http://www.seiyo-ginza.co.jp/ ホテル西洋銀座] - [[インターネットアーカイブ]]


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2017年9月5日 (火) 00:57時点における版

ホテル西洋銀座
Hotel Seiyo Ginza
ホテル概要
正式名称 ホテル西洋銀座
運営 エイチ・エス・ジー
階数 地下2 - 12階
部屋数 77室
開業 1987年3月15日
閉業 2013年5月31日
最寄駅 東京メトロ銀座一丁目駅
東京メトロ京橋駅
最寄IC 首都高速道路8号線東銀座出口
所在地 〒104-0061
東京都中央区銀座1丁目11番2号
位置 北緯35度40分28.7秒 東経139度46分10.1秒 / 北緯35.674639度 東経139.769472度 / 35.674639; 139.769472座標: 北緯35度40分28.7秒 東経139度46分10.1秒 / 北緯35.674639度 東経139.769472度 / 35.674639; 139.769472
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ホテル西洋銀座
(銀座テアトルビル)
情報
用途 ホテル劇場映画館レストラン
設計者 久米建築事務所
菊竹清訓建築設計事務所
施工 竹中工務店
建築主 東邦生命保険
東京センタービルディング
西洋環境開発
構造形式 鉄骨鉄筋コンクリート及び鉄骨構造
敷地面積 2,527.46 m²
建築面積 2,031.61 m²
延床面積 18,146.36 m²
状態 解体
階数 地上12階地下2階、塔屋2階
高さ 47.55m(軒高)、57.75m(最高)
エレベーター数 9基
着工 1985年1月23日
竣工 1987年1月31日
開館開所 1987年3月2日
(劇場、地下1階の一部)
解体 解体済み
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ホテル西洋銀座(ホテルせいようぎんざ・1987年3月15日開業 - 2013年5月31日閉鎖)は、東京都中央区銀座一丁目にあった高級シティホテル

概要

1984年にオープンした有楽町西武[注 1]に続くセゾングループの銀座戦略の一環として[1]、グループのデベロッパー西洋環境開発により、1987年1月、銀座中央通り沿いに竣工した銀座テアトルビル内に開業した。

77[注 2]という少数の客室数ながら1室の平均面積は60㎡(畳換算で約30畳)を超え、開業当初は6階以上がすべてスイートルームであった[2]

外観は菊竹清訓が手掛け、客室階の三次元的にセットバックするのある形態と、劇場部分の大屋根を白いセラミックで覆い、大きな館を暗喩させるデザインとした[1]

映画館「銀座テアトル西友」(後の銀座テアトルシネマ)と銀座セゾン劇場(後のル テアトル銀座 by PARCO)を併設。地下1階のレストランはホテルと劇場で共通であった。

菊竹が提唱したメタボリズム建築を具現化し、ライフスタイルの変化に対応することを目指して[2]、 3階には宴会場とホワイエ楽屋を同じフロアに配置。ホワイエをイベントスペースとして活用したり、役者と観客の交流を促すなど、ホテルの新しい可能性を提示することも意図していた[1]

パーソナルコンシェルジュサービスもいち早く導入された[3]。一般的なホテルにあるフロントカウンターはなく、利用客はホテルに到着すると、パーソナルセクレタリーと呼ばれるスタッフが出迎え、2階にあるレセプションルームでチェックインを行い、各客室へ案内。チェックアウトまでの秘書的な業務に加え、各種チケットやリムジンなどの手配・予約にも対応した。客室内ではルームアシスタントがランドリーサービス承りから好みの・バス用品・化粧品のオーダーに至るまで、様々な利用客の要望に応えていた[4]

この他、宿泊客及び厳しい入会資格をパスした会員のみが入れるメンバーズバー[5]などを併設するなど、日本旅館の持つ“かゆいところに手が届くようなサービス”を取り入れた[6]「スモールラグジュアリーホテル」を自称していた。

セゾン解体と運営の変化

西洋環境開発の経営危機により2000年3月に不動産東京テアトルに譲渡され、完全子会社の株式会社エイチ・エス・ジーによる運営となった。

2008年11月21日、「ミシュランガイド東京日本語版2009」の「快適なホテル格付け順」で、「黒い家マーク5つ」を獲得した。

2001年よりローズウッドホテルズ&リゾーツ英語版に加盟していたが、2009年末で運営委託契約を解消[7]ザ・リーディングホテルズ・オブ・ザ・ワールドに加盟していた。

閉館〜解体へ

2012年に東京テアトルの財務体質改善のため、銀座テアトルビルを売却することが決定[8]。2013年5月31日をもって「銀座テアトルシネマ」や「ル テアトル銀座 by PARCO」とともに営業を終了し閉館した[9]

土地と建物は2013年6月にコナミの関連会社が取得。もともとホテル自体が更新可能なように計画されており[10]、コナミ側も当初は改装の上でグループの拠点として活用していく方針だった[11]。しかし老朽化を理由に全面建替えを選択、2014年8月25日から解体工事に着手した[3]

なお、エイチ・エス・ジーは2013年10月31日付で解散し、11月20日に特別清算開始決定を受けて事実上倒産した[12]

客室

など

施設

  • フランス料理「レペトワ」
  • イタリア料理「アトーレ」
  • バー&ラウンジ「プレリュード」(バー
  • メンバーズバー「G1」(バー
  • 東京吉兆西洋店(懐石料理
  • すし屋 真魚(
  • 宿泊者専用フィットネスルーム

など

アクセス

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 2010年12月25日に閉店し、現在はルミネとなっている。
  2. ^ 開業当初の客室数は80室。

出典

  1. ^ a b c 『商店建築』(商店建築社刊)1987年6月号132ページ。
  2. ^ a b 『新建築』(新建築社刊)1987年6月号171ページ。
  3. ^ a b c 「銀座の誇り」 別れの時 「ホテル西洋」きょうから解体”. 東京新聞 (2014年8月25日). 2014年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月27日閲覧。
  4. ^ 「ホテル業界の超新星 ホテル西洋銀座を観察する」『月刊ホテル旅館』(柴田書店刊)1987年4月号185~190、192~194、199~201ページ。
  5. ^ Welcome to GINZA:ホテル西洋 銀座メンバーズバー「G1」”. ダイナースクラブ. 2014年9月2日閲覧。[リンク切れ]
  6. ^ 『商店建築』1987年6月号135ページ。
  7. ^ “ホテル西洋銀座、「日本のホテル」として始動-ローズウッドと契約終了”. 銀座経済新聞. (2010年1月5日). http://ginza.keizai.biz/headline/1078/ 2014年9月6日閲覧。 
  8. ^ “東京テアトル、銀座テアトルビルを178億円で売却へ”. 銀座経済新聞. (2012年5月8日). http://ginza.keizai.biz/headline/1896/ 2014年8月14日閲覧。 
  9. ^ "株式会社エイチ・エス・ジー 「ホテル西洋 銀座」営業終了に関するお知らせ" (PDF) (Press release). 東京テアトル. 16 May 2012. 2013年12月13日閲覧
  10. ^ 『新建築』1987年6月号173ページ。
  11. ^ "旧銀座テアトルビル 土地・建物取得のお知らせ" (Press release). コナミ. 28 June 2013. 2013年12月13日閲覧
  12. ^ 「ホテル西洋 銀座」運営、東京テアトル連結子会社 株式会社エイチ・エス・ジー 特別清算開始決定受ける 負債19億2500万円”. 帝国データバンク (2013年12月4日). 2013年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月22日閲覧。
  13. ^ 『月刊ホテル旅館』1987年4月号200ページ。

外部リンク