「KPOキリンプラザ大阪」の版間の差分
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* [http://www.takamatsu.co.jp/projects/details.php?id=74 キリンプラザ大阪] - 高松伸建築設計事務所 |
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2017年9月4日 (月) 22:48時点における版
KPOキリンプラザ大阪 | |
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KPOキリンプラザ大阪(2007年7月撮影) | |
情報 | |
旧名称 | キリンプラザ大阪 |
用途 | ギャラリー・多目的ホール・飲食店 |
設計者 | 高松伸建築設計事務所 |
構造設計者 | 山本・橘建築事務所 |
施工 | 大成建設 |
建築主 | 麒麟麦酒[1] |
管理運営 | キリンエコー |
構造形式 | 鉄骨鉄筋コンクリート構造 |
敷地面積 | 505.52 m² |
延床面積 | 2,390.83 m² |
状態 | 解体 |
階数 | 地上7階地下1階、塔屋1階 |
高さ | 30.7m(軒高)、49.8m(光塔を含む) |
エレベーター数 | 2台 |
着工 | 1986年4月 |
竣工 | 1987年10月 |
解体 | 2008年9月(解体開始) |
所在地 |
〒542-0484 大阪府大阪市中央区宗右衛門町7-2 |
備考 | 解体済。 |
KPOキリンプラザ大阪(KPOキリンプラザおおさか、KPO)は、大阪市中央区にあった複合文化ビルである。
概要
戎橋の袂、「キリン会館」の跡地に建設され、1987年にオープンした。当時、キリンビールは企業イメージ向上のため、工場などがある拠点にその地域にふさわしい施設を運営する方針を打ち出し、キリンプラザ大阪もその一環として建設された[2]。同時期、大阪に工場を有するアサヒビールを抜いて地域トップシェアを獲得した事から、そのお礼としての意味合いもあったという[3]。
設計者として起用された、高松伸によるハイテックで特徴的な外観のテーマは、“灯の塔(ひのとう)”[4]。高さ約20mに及ぶ行灯状の光塔は建物を大きく目立たせるために考えらえたもので[5]、夜間には、内蔵された約5000本の蛍光管が灯された。また、3Fにあるレストランの内装も高松が手掛けている[6]。
リドリー・スコット監督のハリウッド映画「ブラック・レイン」(1989年)の撮影舞台にもなった。映画の中に、竣工当時の建物の姿を観ることができる。さらに、この映画を見たイスラエルの実業家から、高松が建築物の設計を依頼される事にもつながったという[5]。
館内の施設で最も大きな面積を占める4階と6階の天井の高いギャラリーでは、主に現代美術(コンテンポラリー・アート)、建築、デザインなどの展覧会を開催。開館当初は運営委員会を設け、オリジナルの企画が行われていた[7]ほか、1990年から2003年まで『キリンプラザ大阪コンテンポラリー・アワード』→『キリンコンテンポラリーアワード』→『キリンアートアワード』を実施するなど、芸術・文化振興にも取り組んでいた[8]。
しかし、時間が経過してもキリンビールの施設であるという認知が上がらなかった事もあり、建物の改修計画が浮上。かつてパイロットショップ「ハートランド」を手掛けた、建築家の木下道郎も参画して計画をまとめ、2000年にリニューアルオープンした。このリニューアルは一定の成果を収めたが、賃貸契約の満了と改修に伴うコスト負担の問題から[8]、2007年10月末をもって閉館、その後解体された。
跡地は丸紅の出資する特定目的会社が取得[9]。商業ビルLuz Shinsaibashi(ラズ心斎橋)が建設され、核テナントとしてスウェーデンのアパレル会社H&Mが2010年3月6日にオープン、同年7月17日にグランドオープンした[10]。
フロア構成
- 1階 地ビール工場(KPOブルワリー)、KPOカフェ、KPOアートショップ
- 2階 KPOスタジオ(イベント会場兼パーティースペース)
- 3階 KPOキッチン(ビアレストラン)
- 4~5階 KPOギャラリー、会議室
- 6階 KPOホール、男子更衣室、倉庫
- 7階 女子更衣室、休憩室、事務室
オープン当初の構成
キリン会館時代からのテナントも入居していた。
- 地下1階 - 南海グリル(ステーキハウス)
- 1階 - カフェ、フラワーショップ、チケットセゾン
- 2階 - キリンシティ(ビアパブ)
- 3階 - レストラン
- 4階 - プラザギャラリー、会議室
- 5階 - ギャラリー
- 6階 - プラザホール(多目的ホール)
- 7階 - 事務所、応接室
歴史
- 1987年11月14日 - キリンプラザ大阪開館。
- 1998年1月 - 大阪支社内で施設改修の話が持ち上がる。
- 1999年2月 - 改修計画がキリンビール経営陣の承認を受ける。
- 2000年 - KPOキリンプラザ大阪としてリニューアル。「アートとビールの融合」をテーマに地ビール工場・KPOブルワリー、KPOキッチンの設置。ビールセミナーの開始。
- 2001年 - 1階をKPOカフェとしてリニューアル。あわせてKPOアートショップを設置。
- 2007年10月31日 - 閉館。
- 2008年9月 - 取り壊し開始。
受賞
アクセス
KPOビール
2階のビール工場で醸造されていたビールは次の4種類。レギュラーの4種類以外に期間限定ビールを不定期に醸造。
期間限定ビール
- KPOミレニアムビール(2000年11月23日から12月30日)
- KPO SOUL BEER(2001年4月28日から5月6日)
- KPOアドリブアートビール(2001年11月1日から11月11日)
- KPO WINNER'S BEER(2002年4月12日から6月30日、2006年4月21日から7月10日)
- KPO GRAFFITI(2003年4月13日から5月25日)
- KPO GROOVE(2004年4月24日から5月30日)
- KPOキネマ(2005年3月5日から5月8日)
- KPOミナミビール(2005年9月30日から11月13日、2006年10月1日から11月15日、2007年9月14日から10月31日)
参考文献
- 『新建築』1988年1月号(新建築社刊)
- 『商店建築』1988年1月号(商店建築社刊)
- 3周年記念誌(1991年発行、非売品)
- 8周年記念誌(1996年発行、非売品)
- KPOキリンプラザ大阪開館15周年記念出版 EXPOSE 2002(2002年11月発行)
- 20 years of KIRIN PLAZA OSAKA(2007年発行、非売品)
- 有名建築 その後(日経BP刊・2009年6月初版)
脚注・出典
- ^ 現・キリンホールディングス。2007年7月に持株会社制へ移行している。
- ^ ちなみに第1弾は千歳工場内に建設された、レストラン併設の温室。
- ^ 日経アーキテクチュア・2001年1月8日号99ページ。
- ^ 『新建築』1988年1月号238ページ
- ^ a b 日経アーキテクチュア・2001年1月8日号95ページ。
- ^ 日経アーキテクチュア・2001年1月8日号98ページ。
- ^ 『商店建築』1988年1月号134ページ。
- ^ a b 朝日新聞デジタル (2007年9月23日). “道頓堀のキッチュなポストモダン 誕生20年、解体へ”. 2014年12月13日閲覧。
- ^ なんば経済新聞 (2008年3月4日). “丸紅、道頓堀「キリンプラザ」跡地を取得−都市型商業ビルを来秋開業”. 2008年3月12日閲覧。
- ^ 丸紅 (2010年7月21日). “都市型商業ビル「ラズ 心斎橋」 大阪ミナミ戎橋に2010年7月17日(土)グランドオープン”. 2014年9月20日閲覧。
関連項目
- キリン本社ビル - KPOキリンプラザ大阪の受賞実績を受け、高松がキリンビールから設計を任される事になった東京都中央区新川のオフィスビル。こちらも解体され現存しない。
- キリンアートプロジェクト
- 1980年代の建築
- 難波
- 道頓堀
外部リンク
- KPOキリンプラザ大阪[リンク切れ]
- KPOキリンプラザ大阪 - インターネットアーカイブ
- キリンプラザ大阪 - 高松伸建築設計事務所