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[[東京大学]]卒業後、[[自治省]]に入省した。1982年[[栃木県]]税務[[課長]]。自治省では1989年から税務局企画課の[[理事官]]。自治省[[大臣官房]]の[[参事官]]などを務めた。[[1979年]]から[[1981年]]まで、政府派遣長期在外研究員として、[[アメリカ合衆国]]に留学した<ref name=kitawakiYasuyuki>「北脇保之 (KITAWAKI, Yasuyuki)」『[http://web.archive.org/web/20091120070702/http://www.tufs.ac.jp/research/people/kitawaki_yasuyuki.html 東京外国語大学 : Research : 本学の研究者 : 研究者一覧 : 北脇 保之]』[[東京外国語大学]]、[[2009年]][[4月1日]]。(2009年11月20日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。[[コーネル大学]]の[[大学院]]にて[[修士課程]]を修了し、[[政治学]]の[[:en:Master of Arts (postgraduate)|Master of Arts]](政治学[[修士]])の[[学位]]を取得した<ref name=kitawakiYasuyuki/>。また、一時、[[福岡県]][[福岡市]]に出向し、1989年[[福岡市役所]]の財政部[[部長]]。福岡県財政局[[局長]]を歴任した。1993年から[[財団法人]][[自治体国際化協会]]の[[総務部]]にて[[部長]]を務め<ref name=kitawakiYasuyuki/>、[[1995年]]に[[自治省]]を退官。 |
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* [http://web.archive.org/web/20091120070702/http://www.tufs.ac.jp/research/people/kitawaki_yasuyuki.html 東京外国語大学 : Research : 本学の研究者 : 研究者一覧 : 北脇 保之] - 北脇を紹介する[[東京外国語大学]]の公式[[ウェブサイト|サイト]]。(2009年11月20日時点の[[インターネット |
* [http://web.archive.org/web/20091120070702/http://www.tufs.ac.jp/research/people/kitawaki_yasuyuki.html 東京外国語大学 : Research : 本学の研究者 : 研究者一覧 : 北脇 保之] - 北脇を紹介する[[東京外国語大学]]の公式[[ウェブサイト|サイト]]。(2009年11月20日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) |
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* [http://seikadb.josai.ac.jp/html/100000180_ja.html 研究者詳細 - 北脇保之] - 城西大学の研究者データベース。 |
* [http://seikadb.josai.ac.jp/html/100000180_ja.html 研究者詳細 - 北脇保之] - 城西大学の研究者データベース。 |
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2017年9月4日 (月) 22:26時点における版
北脇 保之 きたわき やすゆき | |
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生年月日 | 1952年1月12日(72歳) |
出生地 | 静岡県浜松市 |
出身校 |
東京大学法学部卒業 コーネル大学大学院修了 |
前職 | 国家公務員(自治省) |
現職 | 大学教授 |
所属政党 |
(新進党→) (国民の声→) (民政党→) (民主党→) 無所属 |
称号 | 政治学修士(コーネル大学・1981年) |
公式サイト |
東京外国語大学 : Research : 本学の研究者 : 研究者一覧 : 北脇 保之 |
第24-25代 浜松市長 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1999年5月1日 - 2007年4月30日 |
選挙区 | 静岡県第8区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1996年 - 1999年 |
北脇 保之(きたわき やすゆき、1952年1月12日 – )は、日本の自治官僚、政治家、政治学者(多文化共生)。学位は政治学修士(コーネル大学・1981年)。城西大学現代政策学部社会経済システム学科客員教授、浜松海の星高等学校理事長。
衆議院議員(1期)、浜松市市長(第24・25代)などを歴任した。
概要
生い立ち
静岡県浜松市出身。静岡県立浜松北高等学校を卒業し、東京大学に進学した。1974年、東京大学法学部を卒業し、法学士の称号を取得した。
官界
東京大学卒業後、自治省に入省した。1982年栃木県税務課長。自治省では1989年から税務局企画課の理事官。自治省大臣官房の参事官などを務めた。1979年から1981年まで、政府派遣長期在外研究員として、アメリカ合衆国に留学した[1]。コーネル大学の大学院にて修士課程を修了し、政治学のMaster of Arts(政治学修士)の学位を取得した[1]。また、一時、福岡県福岡市に出向し、1989年福岡市役所の財政部部長。福岡県財政局局長を歴任した。1993年から財団法人自治体国際化協会の総務部にて部長を務め[1]、1995年に自治省を退官。
政界
1996年10月20日に行われた第41回衆議院議員総選挙に新進党から立候補し、静岡県第8区にて自民党の塩谷立と日本共産党の平賀高成を破り、初当選を果たす。1997年末に新進党が解党すると、翌年には鹿野道彦、石井一、岡田克也らとともに国民の声の創立に参加した。国民の声が太陽党、フロム・ファイブと合併し民政党が設立されると、北脇も引き続き民政党に参加した。1998年、民政党は新党友愛、民主改革連合とともに旧民主党に合流し、民主党となった。
1999年、衆議院議員を辞職し、同年4月の静岡県浜松市長選挙に立候補し、当選を果たした。2001年、13市が参加する「外国人集住都市会議」を起ち上げた[1]。
2003年4月27日に行われた浜松市長選挙でも当選。2期目となる市長在任中は、平成の大合併を背景に市町村合併を推進した。2003年に天竜川・浜名湖地域合併協議会を発足させ、2年後に浜北市、引佐町、細江町、三ケ日町、雄踏町、舞阪町、天竜市、佐久間町、水窪町、龍山村、春野町の編入を実現した。以降は政令指定都市への移行を推進し、2007年4月1日に政令指定都市への移行を果たす。
2007年4月8日に行われた浜松市長選挙に出馬。3選を目指すが、鈴木康友に破れ落選した(鈴木:203,923票、北脇:192,293票)。同年4月30日、市長を退任した。
学界
2007年11月、東京外国語大学に採用され、多言語・多文化教育研究センターの教授に就任した[1]。翌年には多言語・多文化教育研究センターのセンター長に就任した[1]。東京外国語大学の世界言語社会教育センターにて教育研究プロジェクト支援部門に所属し、多文化共生の実践的な研究に従事した[1]。
2011年3月に東京外国語大学を退職し、4月、城西大学現代政策学部社会経済システム学科の客員教授および浜松海の星高等学校の理事長に就任[2]。
著作
共著
- 北脇保之・武田文男著『地方税法1』ぎょうせい、1992年。ISBN 4324030286
- 北脇保之・武田文男・今仲康之著『地方税法2』ぎょうせい、1992年。ISBN 4324030294
編著
- 北脇保之編著『「開かれた日本」の構想――移民受け入れと社会統合』ココ出版、2011年。ISBN 9784904595152
編纂
寄稿
- 野田毅・鈴木淑夫編著『政策不況――脱出の道筋』東洋経済新報社、1998年。ISBN 4492211020
脚注
関連項目
外部リンク
- 東京外国語大学 : Research : 本学の研究者 : 研究者一覧 : 北脇 保之 - 北脇を紹介する東京外国語大学の公式サイト。(2009年11月20日時点のアーカイブ)
- 研究者詳細 - 北脇保之 - 城西大学の研究者データベース。
公職 | ||
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先代 栗原勝 |
浜松市長 第24-25代:1999 - 2007 |
次代 鈴木康友 |