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阪神へ入団した2011年当初は、サイドスローでの投球を続ける意向を示していた<ref>[http://www.daily.co.jp/tigers/2011/01/17/0003742534.shtml 虎ドラ2・一二三、プロでもサイドスロー] デイリースポーツ 2011年1月16日</ref>。しかし、その後で右肩を痛めたことから同年8月中旬にはオーバースローへの再転向を模索していることが報じられた<ref>[http://www.daily.co.jp/tigers/2011/08/14/0004365799.shtml 一二三上手投げ再転向 本格派目指す] デイリースポーツ、2011年8月14日。</ref>。結局、右肩痛の回復状況が芳しくなかったため、2012の春季キャンプからは外野手に転向した。 |
阪神へ入団した2011年当初は、サイドスローでの投球を続ける意向を示していた<ref>[http://www.daily.co.jp/tigers/2011/01/17/0003742534.shtml 虎ドラ2・一二三、プロでもサイドスロー] デイリースポーツ 2011年1月16日</ref>。しかし、その後で右肩を痛めたことから同年8月中旬にはオーバースローへの再転向を模索していることが報じられた<ref>[http://www.daily.co.jp/tigers/2011/08/14/0004365799.shtml 一二三上手投げ再転向 本格派目指す] デイリースポーツ、2011年8月14日。</ref>。結局、右肩痛の回復状況が芳しくなかったため、2012の春季キャンプからは外野手に転向した。 |
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「一二三」という名字は父の実家がある[[熊本県]][[八代郡]]を中心にわずかに存在する珍姓で、先祖は[[肥後国]]の侍である<ref>[http://web.archive.org/web/20100131151127/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/01/30/26.html 大会ナンバー“腕”一二三 侍魂で勝つ!](2010年1月31日時点の[[インターネット |
「一二三」という名字は父の実家がある[[熊本県]][[八代郡]]を中心にわずかに存在する珍姓で、先祖は[[肥後国]]の侍である<ref>[http://web.archive.org/web/20100131151127/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/01/30/26.html 大会ナンバー“腕”一二三 侍魂で勝つ!](2010年1月31日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) [[スポーツニッポン]]、2010年1月30日。</ref>。育成契約への移行後は、育成選手に関する[[NPB]]の規定で3桁の背番号しか着用できないこともあって、名字を[[アラビア数字]]に置き換えた'''123'''を背番号に使用していた。 |
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高校3年生だった2010年夏の選手権全国大会決勝戦では、[[興南高等学校]]の左投手・[[島袋洋奨]]から3打数1安打を記録しながら、島袋との投げ合いに敗れた。ちなみに島袋は、[[中央大学硬式野球部|中央大学]]を経て、2015年に[[福岡ソフトバンクホークス]]へ入団。同年[[8月19日]]には鳴尾浜球場でのウエスタン・リーグ公式戦で、前述の決勝戦以来6年振りに対戦した。この対戦では、打者転向4年目の一二三が[[二塁打]]を放っている<ref name="shimabukuro" />。 |
高校3年生だった2010年夏の選手権全国大会決勝戦では、[[興南高等学校]]の左投手・[[島袋洋奨]]から3打数1安打を記録しながら、島袋との投げ合いに敗れた。ちなみに島袋は、[[中央大学硬式野球部|中央大学]]を経て、2015年に[[福岡ソフトバンクホークス]]へ入団。同年[[8月19日]]には鳴尾浜球場でのウエスタン・リーグ公式戦で、前述の決勝戦以来6年振りに対戦した。この対戦では、打者転向4年目の一二三が[[二塁打]]を放っている<ref name="shimabukuro" />。 |
2017年9月4日 (月) 21:37時点における版
石川ミリオンスターズ 練習生 | |
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阪神時代 (2016年8月12日 阪神鳴尾浜球場にて) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府堺市南区 |
生年月日 | 1992年9月29日(32歳) |
身長 体重 |
187 cm 91 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手、投手 |
プロ入り | 2010年 ドラフト2位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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派遣歴 | |
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この表について
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一二三 慎太(ひふみ しんた、1992年9月29日 - )は、大阪府堺市出身のプロ野球選手(外野手、投手)。右投右打。
経歴
プロ入り前
堺市立城山台小学校2年時より「新檜尾台少年野球部」で野球を始める。美木多中学校在学時はボーイズリーグの「ジュニアホークス」に投手として所属し、2007年のジャイアンツカップに出場し優勝した[1]。後に阪神でチームメイトになる北條史也は中学校の2学年後輩にあたる。東海大相模高では2年秋からエースとなり、3年春の甲子園に出場するが、1回戦で福岡県の自由ケ丘高等学校に2-4で敗退した。次いで3年夏の甲子園では興南高等学校との決勝戦にまで進んだが、6回を投げて13失点を喫したため準優勝に終わった[2]。
2010年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから投手として2巡目で指名。契約金6,000万円、年俸720万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は36。
阪神時代
2011年には、1月5日に溶連菌感染症を患った影響で[3]、春季キャンプ前の新人合同自主トレーニングから出遅れた[4]。さらに、キャンプ中に右肩痛を訴えたため[5]、シーズンに入ってからは一軍・二軍とも公式戦に登板できなかった。その結果、シーズン終了後に外野手へのコンバートを決断した[6]。
2012年には、登録ポジションを外野手に変更した。ウエスタン・リーグ公式戦には、通算で33試合に出場。一塁手として6試合、外野手として12試合に起用されたほか、打率.178を記録した。シーズン中の一軍昇格には至らなかったが、シーズンの終了後には、台湾でのウィンターリーグに参加した。
2013年には、ウエスタン・リーグの公式戦で4番打者を任されるほど、打撃面が急速に成長[7]。セ・パ交流戦の序盤に首脳陣が一軍昇格を検討したほか[8]、フレッシュオールスターゲームへの出場も決まっていた[9]。しかし、「4番・左翼手」としてスタメンに起用された7月14日のウエスタン・リーグの対中日ドラゴンズ戦(阪神鳴尾浜球場)初回の守備で、先頭打者・野本圭の飛球をダイビングキャッチでアウトに取った直後に左足と頭をフェンスに強打[10]。その後の診断で左足の剥離骨折が判明したため、フレッシュオールスターゲームの出場を辞退したばかりか、一軍昇格の機会も逃した[9]。結局、ウエスタン・リーグ公式戦には65試合に出場。打率.255、4本塁打、20打点を記録した。
2014年には、ウエスタン・リーグ公式戦64試合に出場。打率.181、4本塁打という成績を残した。
2015年には、ウエスタン・リーグ公式戦59試合に出場。6月17日の対中日戦(鳴尾浜)8回裏の打席でプロ入り後初の満塁本塁打を記録した[11]が、打率.203、2本塁打、9打点という成績にとどまった。シーズンの終了後は支配下選手契約の解除(10月下旬)[12]を経て、11月13日に育成選手契約への移行で球団と合意した[13]。背番号は123。
2016年には、3月28日から6月30日までベースボール・チャレンジ・リーグの石川ミリオンスターズへ派遣[14]。派遣期間中には、リーグ戦34試合の出場で、打率.186、1本塁打、5打点を記録した[15]。7月1日から阪神へ復帰したが、支配下登録選手への復帰や一軍公式戦へのデビューを果たせないまま、10月1日に球団から戦力外通告を受けた[16]。10月31日付で、NPBから自由契約選手として公示[17]。
阪神退団後
現役続行を希望しているが、2016年11月12日に甲子園で開かれた12球団合同トライアウトには参加せず、NPBへの復帰を目指して2017年に再度石川ミリオンスターズへ入団する予定と報じられ[18]、2017年3月8日に練習生として石川に入団する事が発表された[19]。石川では投手に復帰している。
選手としての特徴
高校時代には、春夏の甲子園通算25打数15安打(1本塁打含む)を記録したことから「プロで年間20本を打てる素材」と評価された[20]。阪神で外野手に転向した後の2012年秋季キャンプでは、掛布雅之から自身の現役時代のようなスラッガーになることを目標に密着指導を受けた[21]。その一方で、金本知憲が一軍監督・掛布が二軍監督に就任した直後の2015年秋季練習では、金本から潜在能力の高さを評価されているもののバッティングの始動の遅さを指摘されている[22]。
ドラフト会議で投手として阪神から指名された時点では、サイドスローからシュート気味に変化する最速150 km/hの速球とスライダー、チェンジアップ、ツーシームを投げ分けていた[23]。元々はオーバースローから最速149 km/hの速球と同じフォームから縦のスライダー、フォークボール、チェンジアップ、カーブを投げ分ける上に制球にも優れ、高校3年時の今村猛以上との評価を受ける完成度の高い投手であった[24][25]。しかし、高校3年時の選抜で「どうやって投げたらいいのかわからなくなった」とフォームを崩し始め[26]、さらに同年4月の練習試合で相手打者の頭部にデッドボールを当てて以来、オーバースローから投げるボールが右方向へ抜けていってしまうイップスに悩まされ、サイドスローにピッチングフォームを変更した[27]。
阪神へ入団した2011年当初は、サイドスローでの投球を続ける意向を示していた[28]。しかし、その後で右肩を痛めたことから同年8月中旬にはオーバースローへの再転向を模索していることが報じられた[29]。結局、右肩痛の回復状況が芳しくなかったため、2012の春季キャンプからは外野手に転向した。
人物
「一二三」という名字は父の実家がある熊本県八代郡を中心にわずかに存在する珍姓で、先祖は肥後国の侍である[30]。育成契約への移行後は、育成選手に関するNPBの規定で3桁の背番号しか着用できないこともあって、名字をアラビア数字に置き換えた123を背番号に使用していた。
高校3年生だった2010年夏の選手権全国大会決勝戦では、興南高等学校の左投手・島袋洋奨から3打数1安打を記録しながら、島袋との投げ合いに敗れた。ちなみに島袋は、中央大学を経て、2015年に福岡ソフトバンクホークスへ入団。同年8月19日には鳴尾浜球場でのウエスタン・リーグ公式戦で、前述の決勝戦以来6年振りに対戦した。この対戦では、打者転向4年目の一二三が二塁打を放っている[2]。
阪神での打者転向直後に、甲子園の室内練習場で、当時中日に在籍していた山﨑武司の折れたバットを偶然発見。同じモデルのバットをメーカーへ注文した直後に、中日とのウエスタン・リーグ公式戦でナゴヤ球場に赴いたところ、調整を目的に中日のベンチへ入っていた山崎から即興でスイングの指導を受けた。この指導まで両者に面識はなかったが、一二三自身は後に、山崎からの指導を「宝物」という表現で述懐。山崎が現役を退いた後も、山崎を「(打者としての)師匠」と呼んでいる[18]。
詳細情報
背番号
- 36 (2011年 - 2015年、2016年) ※2016年は石川ミリオンスターズでの背番号
- 123 (2016年)
登場曲
- 「あとひとつ」 - FUNKY MONKEY BABYS (2011年)
- 「PartyRocKAnthem feat.LaurenBennett, GoonRock」 - LMFAO (2012年 - 2014年)
- 「空」 - 侍 (2016年)
脚注
- ^ “高校生選手名鑑”. スポーツニッポン (2010年). 2012年12月9日閲覧。
- ^ a b “東海大相模Vへ吉兆!先輩阪神一二三、島袋に雪辱打”. 日刊スポーツ (2015年8月20日). 2015年11月1日閲覧。
- ^ “一二三“嵐の船出”!感染症でダウン”. デイリースポーツ (2011年1月6日). 2012年1月22日閲覧。
- ^ “一二三、12日から合流!出遅れ取り戻す”. デイリースポーツ (2011年1月9日). 2012年1月22日閲覧。
- ^ “一二三、右肩痛…ブルペン入り緊急回避”. デイリースポーツ (2011年2月7日). 2012年1月22日閲覧。
- ^ “野手転向した一二三が刺激に 岩本「自分は投げられるだけ幸せ」”. スポーツニッポン (2012年9月10日). 2015年11月1日閲覧。
- ^ “阪神期待の一二三「調子はいいです」”. デイリースポーツ (2013年11月21日). 2013年12月23日閲覧。
- ^ “和田監督「右ほしい」中谷&一二三が候補”. 日刊スポーツ (2013年5月17日). 2013年12月23日閲覧。
- ^ a b “【阪神】一二三が左足を剥離骨折”. 日刊スポーツ (2013年7月17日). 2013年12月23日閲覧。
- ^ “【阪神】一二三がフェンス激突 病院直行”. 日刊スポーツ (2013年7月14日). 2013年12月23日閲覧。
- ^ “阪神・一二三「超気持ちいいっス」自身初の満塁弾”. 日刊スポーツ (2015年6月17日). 2015年11月1日閲覧。
- ^ “阪神一二三慎太「頑張ります」来季は育成で再契約へ”. 日刊スポーツ (2015年11月1日). 2015年11月1日閲覧。
- ^ “育成選手契約について”. 阪神タイガース (2015年11月13日). 2015年11月13日閲覧。
- ^ “新入団選手のお知らせ”. 石川ミリオンスターズ (2016年3月28日). 2016年3月28日閲覧。
- ^ “2016年個人打撃成績 一覧”. BCリーグ. 2017年1月16日閲覧。
- ^ “来季の選手契約について”. 阪神タイガース公式サイト (2016年10月1日). 2016年10月1日閲覧。
- ^ “自由契約選手(育成選手)”. 日本野球機構公式サイト (2016年10月31日). 2016年11月1日閲覧。
- ^ a b ““未完の大器”一二三、新たな舞台でも生き続ける“師匠”の金言”. スポーツニッポン (2016年11月29日). 2016年11月29日閲覧。
- ^ 練習生契約のお知らせ 石川ミリオンスターズ公式サイト(2017年3月8日)2017年3月11日閲覧。
- ^ 「スカウト部長に訊け! 2010年高校生の目玉3選手」『野球小僧』8月号増刊『高校野球小僧』2010年夏号、白夜書房、雑誌18802-8、159頁。
- ^ “阪神掛布DC初バット指導 大砲見つけた”. 日刊スポーツ (2013年11月12日). 2013年12月23日閲覧。
- ^ “金本新監督 一二三にゲキ「6000CCの車が時速40キロ…」”. スポーツニッポン (2015年10月26日). 2015年11月1日閲覧。
- ^ 選手名鑑 一二三慎太 高校野球情報.com
- ^ 春のセンバツにスター候補の逸材が!一二三慎太は菊池、今村を超えるか。 小関順二「詳説日本野球研究」Number Web, 2010年3月1日。
- ^ 『アマチュア野球』第26号、日刊スポーツ出版社、2010年、雑誌66835-72、39頁。
- ^ ドラフト指名選手の野球人生ドキュメント『野球小僧』2010ドラフト総決算号、白夜書房、雑誌67614-98、148-151頁。
- ^ 甲子園決勝“大差”のワケ。明暗を分けたセンバツ後の両エース 柳川悠二 Web Sportiva 2010年8月25日。
- ^ 虎ドラ2・一二三、プロでもサイドスロー デイリースポーツ 2011年1月16日
- ^ 一二三上手投げ再転向 本格派目指す デイリースポーツ、2011年8月14日。
- ^ 大会ナンバー“腕”一二三 侍魂で勝つ!(2010年1月31日時点のアーカイブ) スポーツニッポン、2010年1月30日。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 一二三慎太 - NPB.jp 日本野球機構