「嶋田信敏」の版間の差分
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* [http://wayback.archive.org/web/20000621185101/http://www.sponichi.co.jp/baseball/column/ogawa/index.html 日本ハム外野守備コーチ 嶋田 信敏(下)<元日本ハム-相模原クラブ>] - 『スポニチアネックス』内連載コラム「帰ってきた男たち」(文:小川勝=スポーツニッポン編集委員)第10回(2000年5月11日) ※[[インターネット |
* [http://wayback.archive.org/web/20000621185101/http://www.sponichi.co.jp/baseball/column/ogawa/index.html 日本ハム外野守備コーチ 嶋田 信敏(下)<元日本ハム-相模原クラブ>] - 『スポニチアネックス』内連載コラム「帰ってきた男たち」(文:小川勝=スポーツニッポン編集委員)第10回(2000年5月11日) ※[[インターネットアーカイブ]]2000年6月21日付保存キャッシュ |
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* [http://takachiho-bbc.com/staff/staff.php?eid=00004&category=02 高千穂大学硬式野球部サイト内プロフィール] |
* [http://takachiho-bbc.com/staff/staff.php?eid=00004&category=02 高千穂大学硬式野球部サイト内プロフィール] |
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2017年9月4日 (月) 21:12時点における版
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
生年月日 | 1960年4月9日(64歳) |
身長 体重 |
187 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1978年 ドラフト外 |
初出場 | 1983年8月10日 |
最終出場 | 1994年6月12日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ・監督歴 | |
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この表について
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嶋田 信敏(しまだ のぶとし、1960年4月9日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)・野球解説者、野球指導者。神奈川県生まれ[1]指導者としては、いずれも日本ハムファイターズに所属した。
来歴・人物
日本大学藤沢高等学校では2年生の時、1977年秋季関東大会県予選で準々決勝に進むが、日大高に敗退。その後も県予選で敗れ甲子園には出場できなかった。1978年に日本ハムへドラフト外でテスト入団。二軍暮らしが長く、一軍では主に守備固め[4]やバント要員、代走で使われることが多かった。しかし1986年には一軍に定着。1990年には鈴木慶裕に代り中堅手のレギュラーを獲得、同年は86試合に先発出場し、規定打席には届かなかったものの打率.262、6本塁打の好成績を残す。しかし翌1991年には指名打者のマット・ウインタースが外野に回り、大内実の台頭もあってシーズン後半に定位置を失う。その後は出場機会が減り、1994年限りで引退したが、堅実な守備能力を買われ二軍外野守備コーチとしてチームを支えた。
1997年からはソニー生命に営業マンとして勤務する[1]傍ら、テレビ埼玉(TVS)で日本ハム戦中継の解説者を務めた[5][3]。また、1999年は社会人野球の相模原クラブにコーチ兼外野手として所属した[1]。
2000年に日本ハムのコーチへ復帰。2003年まで一軍コーチとして外野守備・走塁コーチや一塁ベースコーチを務めた。その後、2005年に北海道放送(HBCラジオ)の野球解説者を務めていた[6][7][8]。
2006年春からは高千穂大学硬式野球部の監督を務める(肩書きは「監督代行」)[9]。それに伴い、一切の野球評論活動を中止していた(規定により並行はできないため)。監督代行就任後は、2007年秋に東京新大学野球連盟2部リーグ3連覇[9]、対杏林大学入れ替え戦も制し[9]、4季ぶりの1部リーグ復帰を果たしている[9]。また、高校時代に控え野手だった戸田亮(のち、JR東日本硬式野球部を経てオリックス・バファローズへプロ入り)に投手転向を命じている[10]。
その後2016年に監督代行を退任した。また2017年4月14日にはAbemaTVの横浜DeNAベイスターズ戦中継で解説者としての活動を再開している。
プロ選手時代の応援歌は、コンピュータゲーム『ドルアーガの塔』のエンディングテーマ曲が原曲。後に奈良原浩の応援歌として引き継がれた。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1983 | 日本ハム | 24 | 9 | 9 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .111 | .111 | .111 | .222 |
1984 | 24 | 8 | 7 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .143 | .125 | .286 | .411 | |
1985 | 5 | 14 | 13 | 6 | 6 | 1 | 0 | 1 | 10 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .462 | .500 | .769 | 1.269 | |
1986 | 71 | 91 | 81 | 16 | 22 | 4 | 0 | 2 | 32 | 9 | 1 | 0 | 3 | 0 | 7 | 0 | 0 | 11 | 1 | .272 | .330 | .395 | .725 | |
1987 | 35 | 22 | 18 | 5 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 12 | 0 | .111 | .200 | .111 | .311 | |
1988 | 84 | 86 | 78 | 11 | 16 | 3 | 0 | 1 | 22 | 8 | 2 | 0 | 3 | 1 | 4 | 0 | 0 | 20 | 3 | .205 | .241 | .282 | .523 | |
1989 | 94 | 59 | 56 | 14 | 13 | 2 | 0 | 1 | 18 | 7 | 6 | 5 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | .232 | .232 | .321 | .554 | |
1990 | 113 | 318 | 279 | 33 | 73 | 14 | 1 | 6 | 107 | 34 | 6 | 7 | 15 | 2 | 20 | 0 | 2 | 60 | 4 | .262 | .314 | .384 | .697 | |
1991 | 101 | 188 | 174 | 17 | 40 | 6 | 0 | 2 | 52 | 13 | 2 | 2 | 5 | 2 | 6 | 0 | 1 | 51 | 4 | .230 | .257 | .299 | .556 | |
1992 | 63 | 72 | 61 | 11 | 16 | 1 | 0 | 1 | 20 | 5 | 2 | 2 | 7 | 0 | 4 | 0 | 0 | 13 | 1 | .262 | .308 | .328 | .636 | |
1993 | 59 | 36 | 35 | 6 | 8 | 2 | 0 | 0 | 10 | 3 | 3 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 11 | 0 | .229 | .250 | .286 | .536 | |
1994 | 5 | 5 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:12年 | 678 | 908 | 816 | 122 | 198 | 34 | 1 | 14 | 276 | 84 | 24 | 18 | 38 | 6 | 45 | 0 | 3 | 194 | 15 | .243 | .283 | .338 | .621 |
記録
- 初出場:1983年8月10日、対西武ライオンズ16回戦(岩手県営野球場)、9回表に中堅手として出場
- 初安打:1983年9月7日、対近鉄バファローズ20回戦(後楽園球場)、8回裏に村田辰美から
- 初盗塁:同上、8回裏に二盗(投手:村田辰美、捕手:梨田昌崇)
- 初先発出場:1983年9月14日、対南海ホークス22回戦(大阪球場)、9番・左翼手として先発出場
- 初打点:1984年4月17日、対阪急ブレーブス4回戦(後楽園球場)、9回裏に山本勝哉の代打として出場、佐藤義則から犠飛
- 初本塁打:1985年10月19日、対ロッテオリオンズ25回戦(川崎球場)、2回表に水谷則博から先制ソロ
背番号
- 54 (1979年 - 1983年)
- 39 (1984年 - 1994年)
- 83 (1995年 - 1996年)
- 82 (2000年 - 2003年)
関連情報
出演番組
いずれも、解説者として出演したプロ野球中継。
- ヒットナイター(テレビ埼玉)
- HBCスーパーベースボール(HBCラジオ)
脚注
- ^ a b c 外部リンク『日本ハム外野守備コーチ 嶋田 信敏(下)<元日本ハム-相模原クラブ>』を参照。
- ^ 参考:『'91スポニチプロ野球手帳』P47
- ^ a b 『12球団全選手カラー百科名鑑2000』の解説者名鑑より、日本ハムへのコーチ転出者として「島田信敏(TV埼玉)」と記述(P217参照)。
- ^ 『'98プロ野球12球団全選手百科名鑑』(1998年発行)の解説者名鑑(P198、テレビ埼玉解説者として紹介)より、選手時代について「16年のほとんどを外野の守備要員ですごすも、いま風のソース顔で人気あり」と記述。
- ^ 『'98プロ野球12球団全選手百科名鑑』(1998年発行)の解説者名鑑(P198、テレビ埼玉解説者として紹介)より、「異例の抜擢という型で昨年デビュー。先輩後輩良き仲間ばかりのハム中心の放送だが戸惑いながらの1年の経験生かせ。」と記述。
- ^ 『週刊ベースボール』2005年2月26日増刊号「2005プロ野球全選手写真名鑑」掲載の評論家・解説者名鑑(P148-149)より、HBCラジオの解説者として紹介。
- ^ 『ラジオ番組表』2005年春号P4-5『番組改編トピックス』内P5掲載「アツイ実況を聴いて盛り上がろう!球界再編元年のナイター中継はこう聴け!」を参照。HBCラジオ野球解説者の一人として明記。
- ^ アナウンサー日記バックナンバーNo.126:2005年 3月21日~3月27日(HBC公式サイト内)より、2005年3月25日付記事『ファイターズ中継はHBCラジオで』(文:川畑恒一)を参照。同年より、HBCラジオの日本ハム戦中継解説者となったことが明記。
- ^ a b c d 古葉監督VS嶋田監督代行“元プロ指揮官対決”…東京新大学 - 『スポーツ報知』アマ野球ニュース 2008年2月28日6時4分(インターネット・アーカイブ2008年3月8日付保存キャッシュ)
- ^ オリドラ6戸田、雑草魂で1軍つかむ - 『nikkansports.com』(日刊スポーツ)ドラフト会議2012ニュース 2012年11月18日11時27分(紙面から)
参考資料
- スポーツニッポン新聞社編『'91スポニチプロ野球手帳』(1991年2月24日印刷発行、洋々社発売[1]) ISBN 4-89674-091-2
- 『'98プロ野球12球団全選手百科名鑑』(『ホームラン』1998年3月号増刊。1998年3月31日、日本スポーツ出版社発行)
- 『12球団全選手カラー百科名鑑』シリーズ(日本スポーツ出版社発行)
- 『12球団全選手カラー百科名鑑2000』(『ホームラン』2000年3月号増刊。2000年3月31日発行)
- 『12球団全選手カラー百科名鑑2003』(『ホームラン』2003年3月号増刊。2003年3月29日発行)
- 『週刊ベースボール』2005年2月26日増刊号「2005プロ野球全選手写真名鑑」(ベースボール・マガジン社発行)
- 『ラジオ番組表』2005年春号(『三才ムック』vol.102。2005年5月発売・6月1日発行、三才ブックス)ISBN 4861990076
- 各種外部リンク
脚注
- ^ 『'91スポニチプロ野球手帳』目次ページ(P1)内発行情報欄より(発行クレジット無し)。
関連項目
外部リンク
- 日本ハム外野守備コーチ 嶋田 信敏(下)<元日本ハム-相模原クラブ> - 『スポニチアネックス』内連載コラム「帰ってきた男たち」(文:小川勝=スポーツニッポン編集委員)第10回(2000年5月11日) ※インターネットアーカイブ2000年6月21日付保存キャッシュ
- 高千穂大学硬式野球部サイト内プロフィール